START-04(004)


 キリムの答えに対し、ステアは少し不満そうに顔をしかめた。逆光で分からなかったのか、キリムは会釈をして帰っていく。


「いつか、か。先延ばしした理由を思いつくまで時間を稼ぐ、都合がいい言葉だ」


 街まで連れて行く事くらい造作もない。ただ、本人にその気がないのならどうしようもない。


 旅立ちたいという夢を諦めつつある少年と、夢を叶えて欲しいと願う父親。これは本人達が言う通り、活気がなく寂れた悲劇の村によくある現実なのだろう。


「俺は……人を守る覚悟を再び試されたくはない」


 ステアは召喚士とクラムの将来を憂いながら、音も立てずにその場を後にした。





 * * * * * * * * *





 家の小さな窓から漏れる光も、荒野の中では霞んでしまう。雲が月あかりを遮る夜、キリムは食事の片付けを終えると手にバケツを持った。


「父さん、井戸水を汲んでくる」


 体調がすぐれない父親を早めにベッドに寝かせ、キリムは今日の家事の残りに取り掛かっていた。


 幾つか点在する集落のそれぞれに1つずつ井戸があり、各戸はそれを必要な分だけ汲む。町のような水道設備はない。


「……ハァ。残り、200マーニ(※通貨単位。1マーニ=約10円)か。何とかしてお金を稼ぐ方法を考えないと」


 村の共有の畑しか持たないため、生活はギリギリだった。収穫して商人に渡すまで当然収入はなく、おまけに2月のデル戦で種まきが遅れており、父親の治療費もキリムの生活を圧迫していた。


 父親に不安を感じさせないようにと隠していたが、ここ数日キリムは朝と昼の食事も抜いている。


「小麦とトウモロコシはまだある、あと1か月はいける。でも薬師に払う金が……」


 悩んでもお金が湧いてくる訳ではない。大きなため息をつき、集落の中央にある井戸から水を汲もうとした時だった。


「考え事をしているのか」


「えっ、誰!?」


 暗闇の中で声を掛けられ、キリムは動揺して手に持っていたバケツを落としてしまった。静寂の中に響く音は案外大きい。


 目を凝らすと、井戸の縁に1人の男が腰かけていた。旅人の装備を着て、小さな鞄を左脇に下げている。


「今日は2度も会ったというのに、声だけでは分からんか」


「その声、クラムステア……」


「ステアでいい」


「な、何故ここに?」


 クラムが戦いや祭事もないのに人前に出る事など滅多にない。まさか自分に用があるとは思っていないようだ。


「貴様の父親に頼まれただろう。召喚士の願いはクラムとして放ってはおけん」


「あ、もしかしてそのために? 大丈夫です、俺は……まだ旅に出る訳にはいきませんから」


「金が無いのだろう」


「聞こえていたんですね。その通りです」


 キリムは無言のままバケツを拾い、備え付けのロープをくくり付けながら水を汲み始める。


「お前は、父親を誇り高く死なせることは考えていないのか」


 ステアが放った一言に驚き、キリムは思わず引き上げていたロープを放してしまった。井戸の中では水面に叩きつけられたバケツの鈍い音が響く。


「死なせる事なんて、考えていません!」


「殺せと言っているのではない。残りの人生を、貴様への謝罪と後悔だけで過ごさせる気かと言っている」


「……父さんがいなくなったら、もう俺には誰も残らないんです。一緒にいたいんです」


 キリムは再びロープを引き上げ始める。


「お前を送り出し、最期に父親としてやるべき事をしたと満足させる気もないか」


「……」


「見知らぬ相手に息子を任せようと思うほどだ。切羽詰まった父親の願いを捨てるか、貴様が意地を捨てるか」


「そうしたら、父さんの面倒は誰が看るんですか。足も悪いし目も悪いんです、それなのに……」


 キリムがそう思うのは子として当然の事だろう。傍から見れば親を見捨てて旅に出るようなものだ。


 自分の夢よりも父親を気に掛ける優しさを捨てろというのはさすがに憚られる。


 だが、クラムには親や兄弟、もっと言えば家族愛という概念がない。理解できないわけではないが、人に合わせているだけだ。


 そんなステアにとって、この状況は不可解なものだった。


「父親が自ら、何もできぬから面倒を看てくれと頼んだのか」


「えっ」


「貴様は父親を、自分がいなければ何も出来ない存在だ、と認識しているのかと訊いている」


「そ……れは」


 ステアの言葉に対し、キリムははっきりと否定することが出来なかった。何もできないのだからと決めつけて、父親が出来る事すら奪っていた事に気が付いたのだ。


「お前の父親は何もできないのか。本人がそう言ったのか」


「で、でも! 父さんは目が見えないだけじゃない、足が悪いだけじゃない! 負傷した時に体も壊して、薬がないと生きていけないんです!」


「薬があれば生きていけるのだな。それで、金が無いと嘆く貴様が父親にどうやって薬を与える」


「そ、そんなに、そんな逃げ道を塞ぐように責めなくてもいいじゃないか! 俺だって必死にやってきた! あなたに生活の事なんか頼んでない!」


「貴様の父親は旅に連れて行けと頼んできた。願いを無下にはできん、だからこうしてお前と話している。お前は現実をどう受け止めている」


 逃げ道を塞ぐような物言いに、キリムは思わず反抗してしまうが、ステアはそれを気にもしていない。そしてキリムもまた、本当は自分の方が間違っているという事も理解していた。


 井戸の上の雲が切れ、月明かりがふと差し込む。淡い光の中に佇むキリムの横顔を見て、ステアは次に放とうとしていた言葉を飲み込んだ。


「……父さんの面倒は俺が看るって、きちんと伝えています。ちゃんと話し合った上でこうやって暮らしています。死んでほしくない、一緒にいたいって気持ちはそんなに悪いものですか」


 クラムは……特にステアは、人の心の葛藤を汲み取るのが苦手だ。けれどキリムの震える声と悔しそうな表情から、決して逃げていたのではなく、本当にどうして良いのか分からずにいるのだと悟った。


「現実と向き合え。お前の父親に薬を与えられなければ、お前が手足となろうが無駄だ。お前が稼ぎに出ずに金が入る方法があるのか」


「……」


「薬はあとどれくらいある。どの程度金が貯まれば用意できる」


「……7日分。7日後にまた巡回の薬師が村にやって来ます。200マーニあるから、いっ……」


 キリムが200マーニで買える薬の量を言いよどむ。全財産を食材などに一切当てずにその程度。大した量は買えないのだろう。


「多くは買えぬと言うのだな。治癒魔法は効かんのか」


「症状固定と言われています。これ以上良くするのは……無理だと」


「そうか。誰か治癒が出来る者を呼んでも意味がないか……ならば7日で当面の薬代を稼げ。死なせたくないのだろう」


 キリムはその稼ぎ方が分からないがために極貧生活をしているのだ。金を手に入れる方法があればこんな惨めな悩みなど抱えるはずがない。


 一瞬月明かりが途切れた井戸端で、キリムは力なく呟く。


「その、稼ぐ方法があるのなら……こんなに悩んでいません」


「まだ分からんのか。貴様は旅人の中でも希少な召喚士の血を引いているのだろう? ならば旅人として稼げばいい事」


 ステアは父親の頼みに応えるべきか、それを考えた末にここへと訪れた。旅人になれと言うつもりなのはキリムにも分かっていた。


 だが、それが可能かどうかは別の話だ。


 ミスティは大きな町のように銀行がある訳でもなく、送金網はない。キリムはその部分については現実的な把握が出来ていた。


「一番近い町までの馬車に乗るだけで300マーニかかるんです。歩いても魔物を倒しながらガタガタの街道を4日、100キルテ(1キルテ=約1キロメートル)も歩きます。無理矢理旅人になったって……往復するだけで時間切れです」

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