第四夜:アルマと真珠騎士


 [王室]、天上の間。

 ここは、王族とその専任騎士しか出入りを許されない神聖な部屋。

 そんな天上の間に一人の姫とその専任騎士が、現国王フィリップとテーブルを挟んで向かい合っていた。

 紅茶をソーサーに置き、騎士が口を開いた。

「それで、どういった用件です? 王様」

「ちょっ、ニコル! 仮にもお父様――じゃなくて国王になんって言葉遣いを!」

 騎士の非礼を主たる姫が叱咤する。そんな娘と騎士を優しい眼差しで見つめながらフィリップ国王が豪快に笑った。

「ははは。気にするでないシンシア。ワシらは家族。もちろんニコラウス卿もな」

「ってよ、シンシア」

 フィリップ国王に騎士ニコラウスが続く。

「まったく、もぅ」

 呆れたように純白のドレスに身を包んだ少女、シンシアは肩をすくめながら自分の騎士と国王を見比べる。

「で、お父様。用件というのは?」

「うむ。シンシアよ、怪盗アルマゲストとやらを知っておるかね?」

「えぇ、まぁ。星座の怪盗。手品を駆使してお宝を盗む、義賊みたいな人でしょ?」

「んで、そのくせ、人情深い。人を殺したりしない」

 ニコルがそう続けるとフィリップ国王は何が嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて頷いた。

「その通り。そして、その怪盗から予告状が届いた、と【真珠地域パール・エリア】から連絡があってな」

「予告状?」

「へぇ、ぼくらの担当地域じゃないですか」

 シンシア、ニコルの両者はそれぞれ対極の表情――シンシアは困ったように、ニコルは楽しそうに――呟いた。

「これがその予告状じゃ」

 それを意に介することもなくフィリップ国王は懐から一通の手紙を差し出してきた。手紙にはこんなことが書かれていた。


 【真珠地域】の王様へ

 月が満ちる夜、王室の誇るお宝『ウォモ・ウニヴェレサーレの絵画』を頂きに参上いたします。あと、清らかで美しいお姫様に会えたら幸いです。

怪盗アルマゲスト


「はっはっは! シンシアよ、怪盗から清らかで美しいときとるぞ! ワシは鼻が高い!」

「分かります、王様。お姫様はとても綺麗で可愛い女性ですから」

「おお、ニコラウス卿もそう言ってくれるのかね! いや、どうだね、娘の婿養子にぜひ!」

「お・と・う・さ・ま?」

「ははは。冗談だよシンシア。話の続きといこうじゃないかね」

「ええ。そうして」

 ふてくされるシンシアにフィリップ国王は「ふー」と一息吐きながら手紙を仕舞い込む。

その時には先程の表情が失せ、国王らしい威厳に満ちた表情へと変わった。

「シンシアも知っての通り『ウォモ・ウニヴェレサーレの絵画』は、ウォモ・ウニヴェレサーレ王が最愛の妻とこよなく愛していた夕焼けの浜辺を描いた名画だ。今でもあの方の絵画は芸術家の憧れである。これを盗まれるというのは芸術家達の夢が盗まれるのと同じ」

「それぐらい、わたしもニコルも分かっていますわ、お父様」

「あっ、紅茶おかわり」

 シンシアが強く断言するが、それを真っ向から裏切るかのようにニコルが給仕におかわりの紅茶を注文していたところだった。

「……ニコル?」

「はい、なんでしょうか?」

「あなた、真面目に人の話を聞いてるの?」

「聞いてますともお姫様。ぼくはお姫様のお言葉なら一言も聞き洩らしませんよ。こんなにも可愛らしい声なんだから、聞き逃すなんてもったいない」

「……」

「あ、あれ? お姫様?」

「はぁ」

 呆れたようにため息を吐くシンシアにニコルは困惑したようにフィリップ国王に向き直る。

「ぼく、何かお姫様を怒らせるようなことを言ったでしょうか?」

「いや、素晴らしい言葉だったよニコラウス君。ああ、本当に素晴らしい言葉であった」

 突然話を向けられたフィリップ国王はごほん、ごほん、とわざとらしく咳をしながら答えた。その視線が何故ニコルから逸らされているのかは言うまでもない。

「まぁ、話を戻すが……ワシがお前達に頼みたいのは―」

「怪盗を捕らえる。でも優先事項は『ウォモ・ウニヴェレサーレの絵画』の死守、でしょ?」

 さりげなくニコルが言葉を受け継ぎ尋ね返して来た。それにフィリップ国王は頷くが、その表情はおもちゃを取られた子供のようになっている。

「……その通りじゃよ、ニコラウス君。(いいとこをとられたのぅ……)」

 ぶつぶつと呟く国王を無視してシンシアは立ち上がった。

「分かったわ。じゃあ早速行きましょう、ニコル」

「はい、お姫様♪」


***


 【王族の庭園ロイヤル・ガーデン】は全部で十三の管轄区域を持つ。その中の一つ、【真珠地域】は最も美しい景観を持っていると言っても過言ではない。そんな街はとある怪盗の予告状が届いて以来、厳重な警備体制が敷かれている。

「にしても、勿体ないよな~」

 彼、アルマは一点の汚れもない城を見上げながら呟いた。それに反応したのは双子の手品師だ。

「そう?」「別にど~でもいいけど」

 ソールとマーニは呆れたように城の周りを見回していた。そして、ソールの方は思い出したとでも言いたげにアルマに話しかけてくる。

「そういえば、なんで予告状は『今宵』じゃなくて『月が満ちる夜』だったの?」

「あっ、それ私も気になる~」

「ああ。だってお姫様とか人目見てみたいじゃん――とか?……ありゃ? なんだよ、その目は」

「ううん」「姫フェチなのね、アルマは」

「違う! ってかなんだ姫フェチって!」

 もしフィリップ国王が聞いているなら色々と泣きそうな会話をしていると正門から盛大な音楽が流れてきた。この曲奏は――

「どうやら、その姫様のお出ましみたいだな」

「えっ」「逃げなくていいの?」

「なんで。逃げる方が目立つだろ」

 そう言ってアルマは大勢の群集の方へと歩いていった。それに二人も大人しく着いていく。

「ひゅー。綺麗だなー」

 アルマのはるか前方。ユニコーンに引かれた馬車の中。純白のドレスに身を包んだお姫様と純白のマントを羽織り、群集に笑みを向けているのは、恐らく騎士だろう。

「あのドレスの色は――シンシア姫か」

 ここ【真珠地域】の統治者。まさか怪盗の願いをマジで聞くとは思ってなかった。

「今日は、念を入れといた方がいいかな」

 アルマはぼそりと呟き、空を見上げた。空は、不吉にも曇っていた。


***


 夜。『ウォモ・ウニヴェレサーレの絵画』が立てかけられた大広間にシンシアとニコルは給仕の出した紅茶を飲んでいた。

「この紅茶……」

「どうしました、お姫様?」

「甘い」

 そう言いながらも紅茶を飲み下すシンシアにニコルは柔らかな笑みを浮かべながら

「でも、お姫様のキスの方が甘いですよ?」

「っ!? けほ、けほ!」

「あの、どうしましたお姫様?」

 ニコルは自分がとんでもない発言をしたことに気付いていないらしい。驚いたようにシンシアの顔を覗き込む。その真摯な瞳にシンシアは気まずくなり視線を逸らす。

「わっ。お姫様、顔が赤いじゃないですか。どうしたんです?」

「な、なんでもないわよ。いいから席に戻りなさいニコル」

「は、はい」

 おずおずと席に戻るニコル。途中、困った視線を給仕へと向けるが、給仕も気まずそうに目を逸らすだけだ。

「う~ん、どうしたんだろ、お姫様」

 そう言ってニコルは熱々の紅茶を飲み干した。……うん、お姫様のキスの方が甘いよな?


***


 満月の夜――と言っても空は曇り、星の一つも見えない。そんな中、突如として騒ぎは起こった。盛大な爆発音。それに、兵隊達の悲鳴。

「どうやら、来たみたいですよ、お姫様」

「そうね」

 ただそれだけの言葉を交わしあい、二人は残りの紅茶を飲み始める。それを驚いたように見ていたのは給仕だ。

「あ、あの……」

「なんです?」

 シンシアに見つめられ、給仕は恐縮したように身を強張らせる。

「怪盗が来たのなら、そちらに向かわれた方が……」

「大丈夫ですよ、お嬢さん」

「え?」

 給仕の視線の先でシンシアの専任騎士ニコルがケーキを頬張りながら続ける。

「怪盗は音もなく現れる。あんな派手な爆発でここに来ると思う? あれは囮。にしても、美味しかったな~。毒が入ってないかドキドキしてたけど、そこはやっぱりプライドなんだね。怪盗アルマゲストさん?」

「あの、何が言いたいんですか? 私はただ、お二人のお世話を」

「まぁね。でも誤魔化そうとしない方がいいよ。仮に君が怪盗じゃないとしよう。それなら待とうか。例の怪盗さんが来るまで。いつまで待ちましょうか、お姫様?」

 とニコルは向かいで口元を拭っていたシンシアに尋ねる。しばらくの間を置いてシンシアは視線を給仕とニコルに向け、答えた。

「そうね。明日の朝はどうかしら。そうすれば『月が満ちる時』は過ぎるから、怪盗は約束を守らなかったってことになるわね」

「って事だけど、それでもいいかな?」

「……あーあー。ただのバカップルかと思ったのに。勘がいいな」

 給仕が不敵な笑みを浮かべると同時、銀色の靄がかかり、その体を包み込む。そこから覗くのも銀色の髪。アルマだ。

「じゃあ、さっさとお宝を頂いていくかな。おれはいつも思うんだけどよ、なんでお宝の持ち主はお宝をどうどうと露見してるんだ? 盗りに来るって言ってるのに」

「今までの人と多分同じさ。――盗られない自信がある」

 そう言ってニコルは立ち上がり鞘から一振りの剣を取り出す。

「綺麗でしょ? この剣の名はフルンディング。まぁ、お姫様の方が綺麗なんだけどね」

 そう言ってニコルは剣の切っ先をアルマに向けた。

「自信がある、ねぇ。確かに、騎士相手じゃやべえな。衛兵が増えないうちにさっさと頂いて帰るか。――射手座の軌跡サジタリウス=エトワール!」

 そう言って銀色の弓矢を生み出す。そして、弓矢が現れるや否や、その矢を放つ。その狙いは――シンシア姫だ。

(この隙を突く!)

 《サジタリウス》は人体を傷つけない。その代わり、あらゆる〈物〉を消滅させる。

 だが、その形状から多くの人間はこれをかわしてきた。相手は騎士。姫が狙われているとあったら、そちらを優先するはず!

「……」

「は?」

 だがその予想は大きく裏切られた。ニコルは剣を構えたまま、自分の横をすり抜けた矢を見過ごす。その後ろには姫がいるってことには気付いているはずなのに。

「え? きゃあ!?」

 そして当然、《サジタリウス》はシンシア姫の着ていた純白のドレスを消滅させ――

「報告にあった通りですね、お姫様」

「に、ニコル! 何をしていたのよ!」

「いや、あの弓矢は人体に害を与えないって聞いていたので、別に心配しなくても大丈夫かと思いまして」

「だからって、見過ごすなんて! 万が一のことがあったらどうするつもりだったの!」

 そうまくし立てるシンシアにニコルはどこか楽しそうに頬を掻いて重要なことを伝える。

「それよりもお姫様。ドレスが消えて下着姿になっています」

「へ? き、きゃあ!? み、見ないで!」

 大慌てで何か羽織るもの、と探しているシンシアにニコルは丁寧な動作で羽織ったマントを手渡した。そして一言。

「大丈夫ですお姫様。滑らかで、とっても綺麗で、すごく美しいお体ですよ。恥ずかしがることなんてなにもないですよ」

「っ! ニコルっ!」

「なんです、お姫様? わぁ、意外とマントも似合いますね」

「……もぅ。いいから早く行きなさい」

「はい♪」

 シンシアの言葉を受け、ニコルはアルマに向き直る。それでアルマの方もハッとしたように弓矢を構える。あまりにも予想外すぎて行動に移すのを忘れていた。

「じゃあ行きますよ?」

 そう言ってニコルがアルマを見据え、一言。

「《英雄譚ベーオウルフ》」

 瞬間、ニコルの握り締めた剣が綺麗に輝く。そして、ニコルは光り輝くその剣を横なぎに振るった。

「っ!」

 直感的にそれをかわすアルマ。と、背後にあった甲冑が上下に分かれ崩れ落ちた。

「見えない刃?」

「半分正解です。この手品英雄譚は――剣の軌道に合わせて風の刃を放ちます」

 そう言ってニコルは剣を目にも止まらぬ速さで振るう。だがアルマの目ならその軌道が見える。その軌道が描くのは――

「十字!?」

 すかさず横へ飛ぶ。思った通り、壁に十字が刻まれる。

「剣が手品道具なら――壊すまでだ!」

 弓矢を構え、狙いを定める。アルマの意図を知ってか、ニコルが剣を振るう。

 キィイイイイン……アルマとニコルの中間で風の刃と銀色の矢が拮抗し、相殺しあう。

「「正確だな」」

 どうやらおれらが抱いた感想は同じらしい。ニコルがおかしそうに微笑む。

「どうやら、同じ感想みたいだね」

 ニコルは微笑み、剣を振るう。今度は――時間を置いての刃か!

「こっちのスピードが間に合わねえ!」

 なんとか数撃は相殺するが、それ以降は不可能と判断しかわす。その際に剣目掛けて矢を放つが弧を描く軌道の風の刃で相殺されてしまう。

「避けるのは可能か。なら……獅子座の軌跡レオ=エトワール!」

 銀色の光がアルマを包み込み、アルマの頭と腰から猫の耳と尻尾が出てくる。それを見たニコルが驚愕に目を見開く。そして、その視線をゆっくりとマントで身を包んだシンシアに向ける。

「お、お姫様」

「な、なに?」

「今度、お姫様も猫の耳と尻尾をつけてくださいませんか?」

「な、何を言ってるのニコル!」

「いや、きっと可愛いですよ。それに、ぼく猫大好きですし。大好きなお姫様が大好きな猫姿になってくれたら、もう幸せです」

「いくらなんでもそれは……」

「お姫様~」

「そ、そんな目で見ないで! あんたは子犬か!」

「お姫様~~~」

「わ、分かったわよ。今度つけてあげるから。……誰にも見られたくないから、夜、二人の時だけよ?」

「やった! ぼくとお姫様だけの秘密ですね」

「勘違いされそうだから止めてね、その言い回し」

 俯くシンシアにニコルは嬉しそうに頷き――無造作に剣を振るった。それは狙い違わず、横に伸びる形で放たれた。

「おっと!」

 身を屈めてかわすアルマ。なんか、凄い長い一撃だったが……と気になって後ろを振り返ったアルマは呆れて言葉を失ってしまった。壁には風の刃による傷が刻まれていた。しかも、その傷はバッチシ「お姫様大好き!」と刻まれている。

「ふざけてんのか? ふざけてるだろ? ふざけてるよな?」

 ぴくぴくと青筋を浮かべながらアルマは開いた拳を握り締めた。それを見てニコルは緊張した様子もなく、

「わっ、見てくださいお姫様。肉球までありますよ!」

 まるで子供のようにはしゃぐニコル。だがその一瞬の隙を突いてアルマは一息に間合いを詰めニコルの剣を奪い取ろうとして――その剣が消えた。

「なっ?」

 空を掴む手を信じられないと言いたげな表情で見つめた直後、すさまじい力で床に捻じ伏せられた。

「ふふふ。びっくりしたでしょう? ぼく、こーいった剣の使い方が得意でね」

 そう言ってニコルはいつの間にか鞘に収まっていた剣を目で示す。そんなバカな。おれ、洞察力はいいほうだと思っていたのにな。

「さて、と。お姫様、怪盗さんを捕らえましたよ」

「みたいね」

「じゃあ、ご褒美は――」

「はぁ。猫、でしょ?」

「はい♪」

 そんな馬鹿げた会話を聞きながらアルマは悔し紛れの怒号を――あげなかった。

「はは。あははははははは!」

「「?」」

 突然の大爆笑に姫と騎士は訝しげに目を合わせる。

「えっと、どうしたの?」

「どうしたって? お前ら、まさか、終わったとか思ってないよな?」

「うん? 終わったじゃないですか」

「いいや。まださ。ほら、耳を澄ませよ、騎士様?」

「どういうこと――っ!?」

 ぴしり、と床に亀裂が走ったかと思うと、それは見る見るうちに床全体へと走る。

そして――

「ゆ、床が!」

「お姫様!」

 崩壊が始まり、床が崩れ落ちる。その反動で体勢を崩したシンシアへとニコルの注意が向いた一瞬の隙をアルマは見逃さなかった。ニコルと床の隙間から抜け出し、一瞬のうちに三階へ続く階段の先に立てかけられた『ウォモ・ウニヴェレサーレの絵画』へと駆け寄る。

「しまった!」

 一瞬の隙を突かれたニコルはそれだけを呟いて迷うことなくシンシアの元へと向かった。

「お姫様、大丈夫ですか?」

「ええ。それよりも、お宝を――」

「いえ、ぼく達の負けのようです、お姫様」

「その通り。お前らの敗因は三つさ」

 そう言ってアルマは指を三本だけ立てる。

「一つ。ここは二階で、王族の居住区だったこと」

「もしかして、警備は厳重だけど、手品への耐性がないってことを言いたいのかな?」

 ニコルはシンシアをお姫様抱っこした状態で一番近い場所――一階へと続く扉へと向かいながら返事を返した。

「まぁな。そして二つ。見た目にこだわってるから、出入り口がたった二箇所ってところ」

「それってどれも建物の問題じゃない」

 シンシアが悔しさを紛らそうとするからのように言い返す。それに頷き返しながらアルマは続ける。

「まぁ、そうだな。でも三つ目は違う」

 そう言ってアルマは残った指を見せつける。その時、雲の隙間から覗いた月が淡い光をアルマを照らした。それはさながら、彼だけに与えられた幻想の舞台のようだった。

「三つ。お前がシンシア姫を守る騎士だったこと」

「確かに。こうなったらぼくは姫を守るしかない。でもね、怪盗さん」

 今までにない真剣な表情を浮かべ、ニコルはシンシア姫を降ろす。

「騎士じゃなくても彼女を守っていたよ」

「ニコル……」

「だってシンシアは、ぼくにとって大切な人だからね」

 そう言ってニコルは鞘から剣を引き抜いた。

「それに、ぼくの手品は、風の刃を放てる」

「はぁ。バカか? おれは怪盗。お宝を手に入れたらもう留まる理由はないさ。じゃあね、お二方」

 そう言ってアルマは二人に背を向ける。その時、猫耳と猫尻尾が霧散し、アルマの姿をおぼろげに包み込む。それで勝者は決まった。

「霧……これじゃ風の刃も使えませんね、お姫様。……お姫様?」

「(今、確かにシンシアって……)」

「あの、お姫様?」

 ニコルが剣を納め、シンシアに向き直る。それに気付きシンシアはハッとした表情を浮かべてニコルの顔を見上げる。

「な、なにかしら?」

「ぼく達の負けです。霧のせいで狙いが定まりません。下手に放ったら、絵画を傷つけてしまいますから。それに」

 そう言ってニコルが背後を振り返る。つられてそちらへと視線を向ければ霧の向こうで人影が扉をゆっくりと開けるのが見えた。そして、リリン、と軽快な鈴の音を響かせて扉が完全に閉まった。

「逃げられてしまいました」

「そうね」

 はぁー、と長いため息を吐くシンシア。と、ニコルは珍しく、おずおずと言葉を発する。

「あの、お姫様?」

「なに、ニコル?」

 真っ直ぐ、ニコルが好きな澄んだ瞳に見つめられ、ニコルは戸惑いながらも言った。

「怪盗も逃がしてしまいましたし、絵画も盗まれましたし、ご褒美の猫耳と猫尻尾は……」

「そうね。無し、かな」

「そう、ですよね」

 ガックシ。と肩を落とすニコルを見てシンシアがおかしそうに笑った。

「? どうしたんですか、お姫様」

「ううん。なんでもないわ。そうね、せっかく頑張ったんだし、今回は特別かな」

「やった! お姫様大好き!」

 心の底から嬉しかったのか、ニコルは全身を使ってその愛情を表現する。ぎゅーっと強くシンシアの華奢な体を抱き締める。

「ちょっ、ニコル! ……はぁ。ほんと、今回だけよ?」

「はい!」

 仕方なさそうに答え、シンシアは自分だけの騎士の胸へと頬を擦りよせるのだった。


***


「はー、ほんっとバカップルか、あいつら」

 ドア越しに事の成り行きを聞いていたアルマは呆れたように肩をすくめた。

「まっ、お宝は頂いたし、後は逃げるだけか」

 そういや、あいつらは無事に逃げたのか?

「きゃー!」「来るなー!」

「……」

 どうやら、逃げきれてないらしい。アルマはおかしそうに笑みを浮かべると何気なく鈴を鳴らした。

「仕方ねえ。助けにいくか。――射手座の軌跡」




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