第7話

 天気予報は外れなかった。

 土曜日の午前九時。

 学校の校門前で、傘を差しながら四季さんを待つ。

 遠くに出かけるわけじゃないのに、随分と待ち合わせ時間が早い気がした。

 ちょうど腕時計に目を向けた時、水たまりの弾ける音がした。


「お、遅れてすまない!」

「大丈夫。まだ時間になってないです」


 四季さんは俺の目の前で足を止めて、息を整えるように大きく肩を揺らしていた。

 膝上のフレアスカートが、呼吸と共にひらひらと舞う。

 普段の男勝りな喋り方から何となく中性的な私服を想像していたから、少し意外に思えた。


「ギリギリまで……はあっ……服を選んでいたら……出発が遅れてしまって……」

「自分も来てそんなに経ってないです。急がなくても大丈夫ですよ」


 四季さんの息が整うのを待ってから、それで、と話を切り出す。


「このまま四季さんの家にまっすぐ向かう予定ですか?」

「ああ……徒歩圏だからな。すぐだ」


 行こうか、と四季さんが歩き出す。


「地元だったんですね。同じ中学の人も多いんですか?」

「三人いるが、あまり親しくはないな。そもそも私は教室だとあまり話さないんだ」

「そうなんですか?」


 意外だった。

 将棋部では霧香よりも俺と話す事が多いくらいだったから、男女別け隔てなく誰とでも接するイメージがあった。

 それに部活中はそれほど寡黙なわけでもない。


「大勢が苦手なんだ。周りに人がいっぱいいると上手く話せなくてね」


 我ながら情けないものだ、と四季さんは独り言のように呟いた。


「だから私にとって、今の部活はとても居心地が良いよ。相手が竜也くんだけだと落ち着くんだ」

「……なら良かったです」


 そう言って貰えるなら、将棋部を作った意義を見いだせる。

 全部無駄じゃなかったのだと、胸を張る事が出来る。


「着いた。ここだ」


 不意に先輩が足を止めた。

 小さな庭がある一軒家だった。


「今は誰もいない。楽にしてくれ」


 そう言って四季さんが門扉を開ける。


「え? 誰もいないんですか?」

「ああ。昨日から地域の旅行に行ってるんだ。どうも幹事をやっているらしくて張り切っていたよ」


 四季さんは特に気にした風もなく言う。

 俺は何か言おうと口を開いて、結局何も言わなかった。

 異性の家であることを過剰に気にするのも良くないだろう。ただの部員なのだから、変に意識する方がおかしいのかもしれない。


「ほら、遠慮せず上がると良い」

「……あ、はい。おじゃまします」


 玄関扉を四季さんの後に続いてくぐると、線香の香りがした。

 次に、古い家特有の埃のような匂い。


「薄暗いだろう? どうして昔の家は玄関が暗いんだろうね」


 先輩が靴を脱いで、さっさと廊下の先へ行ってしまう。

 慌てて後を追うと、玄関横の和室に仏壇が飾ってあるのが見えた。

 四季さんはそのまま部屋の前を通り過ぎると、奥の洋室へ俺を案内した。


「一応、ここが私の部屋だ」


 襖で仕切られていて、鍵はなかった。

 思春期の女子としては質素な部屋模様。


「実は家に友人を招いた事がないんだ。ここに入ったのは竜也くんが初めてだよ」


 四季さんはそう言って、落ち着かない様子で俺を見た。


「さあ、何をしようか。実はあまり何も考えていなかったんだが……映画でも見ないか?」

「一本見ればちょうどお昼頃になりそうだし、丁度いいですね」

「あ、ああ。ちょっと待ってくれ」


 先輩がパソコンを立ち上げ、映画配信サイトへアクセスする。


「こ、これなんてどうだ?」

「あ、ちょっと気になってるタイトルでした」


 少し前のホラー映画だった。

 病院で夜な夜な変な音が聞こえるという和製映画。


「……せ、せっかくだし、部屋を暗くしようか」


 四季さんは俺の返事を聞く前に窓際へ向かい、カーテンに手を延ばした。

 途端、部屋が一気に薄暗くなる。


「結構暗くなるものだね。流すよ」


 先輩が再生ボタンをクリックすると、見慣れた制作会社のロゴが映し出された。

 四季さんがベッドに腰掛けて、すぐ隣を叩く。


「……座ったらどうだ?」


 俺は一瞬躊躇して、素直に腰を下ろす事にした。

 柔らかいベッドが沈みこみ、隣にいた四季さんと一瞬だけ肩が触れ合う。


「ホラーは殆ど見ないから楽しみだよ。竜也くんは普段から見るのかい?」

「あまり、ですね。見るとしても有名なものばかりです」

「もしかして苦手なのかい?」

「どうなんでしょう。得意とは胸を張って言えないところです」


 モニターの向こうでは看護師が夜の病院を巡回していた。

 不気味なだけで、まだ何も起こってはいない。

 四季さんは緊張した様子もなく、ごく自然な様子で言葉を続けた。


「もし苦手なら」


 そこで言葉が止まった。

 映画の中で主人公が廊下を歩く音だけが室内に響く。

 時間の進みが、妙に遅く感じられた。


「手でも繋いでみようか」


 冗談めかすような言い方だった。

 けれど、画面ではなく俺に向けられた目はどこか真剣なものだった。

 適切な言葉が見つからず、俺はただ見つめ返すだけで何も言えなかった。

 薄暗い中で、畳み掛けるように四季さんが言葉を続ける。


「こうすれば怖くはないだろう?」


 手が重なった。

 温かい四季さんの手が、上から覆いかぶさって優しく俺の手を握る。


「いや、私が怖いだけなのかもしれないな。少なくとも、暇つぶしに一人でホラー映画を見ようとは考えない方だからね」


 四季さんが早口で言葉を続ける。

 ここまでされて四季さんの気持ちを察せられないほど鈍くはない。

 動揺を抑え込んで作り笑いを浮かべる。


「意外ですね」


 いつの間にか、映画のシーンが切り替わっていた。

 内容が頭に入ってこない。

 四季さんもモニターではなく、ずっと俺の方を見ていた。


「……嫌がらないんだな」


 何が、とは言わなかった。

 上から重なった手に、少しだけ力が込められる。


「嫌なんかじゃ、ないです」


 考えるより先に、絞り出すように言う。

 少なくとも、好意のようなものはあった。

 まだハッキリした形として認識してはいなかったけれど、たぶん心のどこかでは意識していた。

 真剣勝負として指した将棋では高揚感のようなものがあって、時代劇の話をしている時はたわいのない話なのにこのままずっと話していたいと思っていた。

 それらはクラスの友人と話している時には得られないもので、たぶん特別な感情なのだと思う。


「なあ、竜也くん」


 穏やかな四季さんの声。


「私たち、付き合ってみないか?」


 雨が窓を打つ中、はっきりとそう聞こえた。

 ゆっくりと息を吸って、正面から四季さんを見る。

 思ったよりも迷いは生じなかった。


「はい。よろしくお願いします」


 考えるより先に、自然と言葉が飛び出した。

 握った手が、更に強く握り返された。


「……敬語はナシと言っただろう?」


 茶化すように四季さんが笑い、緊張が解けたように大きく息を吐き出した。

 それからゆっくりと彼女の身体が傾いて、俺の肩にしなだれかかった。


「はあ……全く。映画の内容が頭に入ってこなかったよ。今は一体どういう状況なんだ?」

「……自分も全然見てなかったです」


 画面の向こうでは、悲鳴と共に主人公たちが非常階段を駆け下りているところだった。


「もう一度始めから再生しようか」

「……そうした方が良さそうです」


 顔を見合わせて、一緒に笑う。

 四季さんは立ち上がってパソコンに向かうと、マウスを操作して画面を一時停止した。

 それから、思い出したように振り返る。


「そういえば竜也くん、一つお願いがあるのだけど」

「お願い?」


 聞き返すと、四季さんは頷いた。

 それから何でもないことのように口を開いた。


「明日、予定があるだろう?」

「……はい」


 四季さんの瞳が、試すように俺をじっと見下ろす。


「飛山さんに断りの連絡を入れてくれないか。今、ここで」

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