第13話「わたしはどうすればいいと思う?」

 ヤスミンカの表情に動揺はしても、ヴェルナーは自分の正しさを確信していた。

 むしろ、大学までいったのに、なぜヤスミンカに教えてやらないのか。そんな怒りに近い感情すら湧き上がってくる。

 だからヴェルナーは心を鬼にする。

 怒りと悲しさがないまぜになったヤスミンカの眼差しを真っ向から見つめ、強い口調でいう。


「工場長に対する態度はなんだい? ご好意で協力してくださっている方に、さっきの態度はないだろう。なにが『科学者』だ、『技術者』だ」


 実のところ、『科学者』として『技術者』の職人に対するヤスミンカのその姿勢は、ドクツ科学界と工学界の慣例にならう者としてはきわめて自然なものである。

 科学者の構想設計に従って書かれた図面に対し、技術者が誤謬をこっそりと修正して形にする。これはドクツ古来のものづくりが貴族と平民とのやりとりで発展していったことに端を発している。


 もっとも、それらのことはヴェルナーの預かり知らぬところであり、彼にとってみれば、ヤスミンカの態度は礼を失した子どもにしか映らない。なにより、ヴェルナー自身が、ひとを立場で切り分けようとすることが気に食わなかった。


「そもそも、彼が、自分の子どもか孫かくらいの年齢の僕たちに時間をつくってくれたのは、君のいうところの伝手を頼ったおかげだろう?

 君はいま、その伝手を台なしにするかもしれない態度をとっている。違うかい?」


 ヴェルナーも、ただ漠然と、ロケットを組み上げていたけではないのだ。彼自身、まわりから無理だの無駄だの不可能だのといわれながら、曲がりなりにもエンジンを組み上げてきた人間である。

 自分たちを応援してくれる大人がとても貴重であることを、肌で感じていた。

 大抵の大人は、お前のは無理だ、無駄だ、あきらめて別の道をさがせ、としか言わない。

 新しいもの好きの性格だったり、青年たちが目指す技術が後進の育成に適していると確信していたり、夢を追い求める青年たちを応援してくれるひとなど、世の中にはほんの一握りしかいないのだ。

 そのあたりの機敏は、事情を知らぬヤスミンカに読み取れというのは酷なことだったかもしれない。しかし、流石に限度がある。


「わたし、なにも間違ったことはしていない!

 みんなこうだったわ。わたしにもとめられるのは奇抜なアウトプットで、作れるかどうかなんて範疇外よ!作れないなら、試作屋なんて辞めちゃいなさいよ!それに」


 ヤスミンカは、束の間視線をさまよわせ、それから迷ったことをかき消すように言い放った。


「それに。あいつはわたしのせ設計を否定したのよ!」


 ヤスミンカは激しく舌打ちし、青年をにらみつけた。口元をへの字に曲げ、わたしは不機嫌であることを全身で主張した。

 けれど握りしめた拳は白い。彼女が、血の色がなくなるまで手を握りしめるのは、弱みを見せまいと虚勢を張っているときだと、付き合いが短くともヴェルナーも学んでいる。


 理不尽に自分が否定されたと感じているのだろう。誰でも、自分が精魂込めて作ったものを否定されるのは辛い。たとえ、さらに高みを目指すための適切なアドバイスであったとしても、はじめはなかなか割きれないものだ。


 ヴェルナーは深呼吸し、努めて肩の力を抜いて彼女をみつめた。目尻を赤く染め、下唇をかんで、スカートの裾を、手が白くなるほど握りしめているヤスミンカは、まだ十かそこらの女の子なのだ。

 ヴェルナーが知りうるなかで誰よりも才能をもち、天才とはかくあるものだと見せつけられてきたために忘れかけていたが、まだまだ感情面で未熟な少女にすぎないのだ。

 周囲から天才だと持ち上げられ、本人もそうした周囲の期待に応えるべく、研鑽を重ねてきたのだろう。その報酬が、博士という称号なのだろう。

 努力をおこたらず、実力で周囲を認めさせてきた実績があるからこそ、プライドもつられて、非常に高くなってしまったのだ。


 いまのヤスミンカは、おそらくは生まれてはじめて、努力や立場が尊重されない場所にいるのだ。面と向かって誤謬を指摘され、感情がたかぶってしまっている。

 その結果、彼女は理性では自分の誤ちを認めてはいても、それを認めるだけの心の余裕がないのだろう。


 ヴェルナーは彼女の前に膝をつき、手を覆うようにそっと触れると、今度は落ち着きを持って、彼女をのぞき込んだ。


「君の考えてくれたエンジンの構想と、君の人格はそもそも別のものだよ、ヤスミンカ博士」


 博士という言葉の重みを噛みしめながらヴェルナーは告げる。

 博士号は本来、学術的称号というだけではなく、社会的な称号として与えられる。当然、全人格的な評価も重要な審査要件であり、ドクターと名乗ることが許される人間は、国から、博士にふさわしい人格者であると保証された人間であることを示している。この通例に従うならば、ヤスミンカは十いくつの年齢で、人格者として尊敬を受けるに値する情緒を獲得していると、国が保証していることになる。


 国が認める博士なる人物に、なんでお説教をしているのだろう。ヴェルナーは国の社会システムの不完全さを心のなかで嘆く。

 だが、国の保証はさておき、ヴェルナーが知るヤスミンカは、よく笑い、よく喜び、よく泣き、そして、いまのように、ひとよりいくぶん過激な怒りを爆発させがちな、ただの女の子だ。


 考えを押し付けてはいけない、とヴェルナーは自分に言い聞かせる。駄目だ、と年齢差を傘に来て押し通すことは簡単だ。だが、そうでなければ、学生には無理だといって笑う大人たちと同じこと、ヤスミンカにしてしまう。

 ヤスミンカはなにも言わず、じっとヴェルナーをみつめて、彼の言葉を待っていた。

 やめろ、ではなく、こうすればいいんだ、と提案できるように、頭をフル回転させる。


「君が描いてくれた図面は、僕たちには想像もできない発想の塊だ。あまりに凄すぎて、僕たちに、君の間違いを指摘できるだけの実力がなかったことを申しわけなくおもう。

 アドラー工場長はきっと、すごく実直な方なんだよ。君にも強くあたってしまったんだ。守ってあげられなくて、ごめんね。

 誰よりも自分の手掛けた製品に思い入れの強い方なのかもしれない。より良いものために、言い方が二の次になってしまうんだよ」


 そして、ここから本題だった。未熟なヤスミンカの心に通じると信じて、ヴェルナーはいった。


「僕たちは、ロケットを作りたいと願っている。ここには純粋に夢だけがあり、それを追いもとめる者のなかに、『科学者』も『技術者』もない。僕たちは等しく『エンジニア』だ。

 僕たちに関わってくださる誰もが『協力者』だ。街ゆく誰かが、僕たちに手を貸してくれることが、一度でもあったかい?」


 ヤースナはかすかに首を横にふった。


「ないだろう。だから、『協力者』は、とても珍しくて、ありがたいひとなんだ。だとしたら、僕たちがとるべき態度は、自然に決まってくるんじゃないだろうか」


 ヤースナは青年から視線をそらした。彼女は床をじっとみつめている。


「わかるね、ヤスミンカ」


 彼女はじっと床を見つめた。握りしめていた手は、いつしか力をなくしていた。


「ヤースナがいい。そんなよそよそしくしないで」


「わかった、ヤースナ」


「大学時代は、みんなこうだったのよ」


「そうなんだ。だとしても、偉そうな態度をとられたら、いい気持ちにはならないだろうね。君が高慢な態度が許されていたのは、たぶん、大学の看板を背負っていたからだ。

 高慢な態度は、許されるときはあっても、自分に許していいわけではないんだよ」


 ヤスミンカはうつむいていた。ヴェルナーもだまっていた。願わくば、彼女の心に言葉が届きますように、と祈りながら。やがてヴェルナーは、自分だけにやっと聞こえる、小さな声を聞いた。


「わたしが間違えていたみたい」


 床をみつめたままのヤスミンカの声だった。


「間違っていたなら、これから正せばいいんだ」


 ヤスミンカは、黙って頷いた。


「いい機会だから、ついでに言ってしまうんだけどね。僕は、君にすごく期待してるんだ。

 独自に空飛ぶロケットを作ってくるところとか、細かく切り分けて考える方法論とか、一度も会ったことのない工場長さんを交渉のテーブルにつける手腕とかね。

 

 君はすごい女の子だ、ヤースナ。


 けれど、あの溶接技師さんもすごい方だ。長い年月を費やして身につけた、経験に基づく直感力は、方向は違えど、君の才能に匹敵する価値があると僕は思っている。


 だから、科学者としての発想と、技術者としての経験の両方を手に入れたなら、ヤースナは無敵だ。

 そうしたら君は、誰も見たことのない景色がみれると、僕は確信している。

 ロケット開発には、あの技師さんの力が必要なんだろう?

 だったら、協力してもらえるよう、態度も少しだけ工夫すればいいと思うんだ。そうだろう?」


 いらないお節介かもしれないけれど、とヴェルナーは笑う。


「わたしはどうすればいいと思う?」


「まず頭を下げる。それから、ごめんなさいと言えばいい」


「きっと、変な顔になってしまうわ」


「はじめは誰にでもあるさ」


 ヤスミンカは青年の手をとった。そして、何かを言いたげに、素直な眼差しで青年をみつめてた。


「どうしたの?」


「さっき、あなた、変なことを言ったから」


「僕、なにか言ったっけ?」


 まあ、恥ずかしい事は言ったかもしれないけど、という心の声は胸のうちに留めておく。


「あなたも、一緒にみるのよ、ヴェルナー。誰もみたことのない景色を、わたしと一緒に。わたしたちは、同じ『エンジニア』なんでしょう?」


 ヤスミンカはわずかに首をかしげ、微笑んでみせる。

 青年は、どう答えていいかわからなかった。僕には決してみえない領域があるのだ。語学以外の成績がからきしの十七歳の青年には、決してみえない領域が。


 だが、ヤスミンカは無邪気に信じている。青年が同じ景色をみてくれるのだ、と。


 青年はいたたまれなくなって、ごまかすように、ヤスミンカの背中をおした。

 ヤスミンカうなずき、ドアノブに手をかけた。そのままの姿勢で、ヤスミンカはたずねた。


「どうして、わたしに優しくしてくれるの?」


「なぜだろう。君をみてると、不思議と応援したくなるんだ」


「そうなんだ。ずいぶん感情的ね。さっきのわたしみたい」


 喉の奥で小さく笑うヤスミンカ。


「待って。交渉に戻る前に知りたいんだけど、カミナギ大佐って?」


「科学者よ。トトノ重工に出向中の」


「トトノ重工か。なるほど、腕の立つ技師を知っていそうだね。でも、よく僕たちなんかに紹介してくれたね?」


「紹介なんてしてくれないわよ。あいつはライバルなんだから。頭なんてさげられないわ。あいつからは、勝手に名前を借りただけ」


「なんだって?」


「大人を動かすコツはね、ヴェルナー。度胸とはったりなのよ」


 ヴェルナーは、国が保証する人格とやらの基準を、本気で見直さねばならないと確信した。

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