第12話「あるわ。伝手なら」

「とめて」


 燃焼室の温度計を眺めながら、ヤスミンカは叫んだ。ヴェルナーが停止ボタンを押す。燃料の供給がとまり、やっと労働から解放されたことを歓迎するかのように、試作一号機は即座に燃焼を停止した。エンジンの悲鳴、もとい騒音がなくなった基地は、不思議なくらいに静かだ。狭いはずの基地の中が、広くなったと錯覚しそうになる。


 目下の目標は、強力なエンジンの開発だ。開発の九割はエンジンの出来で決まると断言するヤスミンカの指揮のもと、作製したのが試作一号機である。


 筐体はなく、翼もない。燃料と酸化剤のタンクと配管と、排熱用のヒートシンクが継ぎ接ぎされた不格好なエンジンの本体と、排出口であるノズルだけ。状況を知るためということでノズルに簡易的に、熱電対による温度計を備えている。

 本当はガス吸入型温度計がいいのだけれど、ヤスミンカはこぼしていたが、経費が跳ね上がるため断念していた。

 温度計は千度前後を示していたが、エンジンを支える支柱兼推力計が示す力は、望む通りの結果を示しているとはいいがたかい。

 ヤスミンカはうなった。


「とにもかくにも、排熱が課題ね。むき出しの状態でこれだと、カバーで覆うと一瞬でどかん、よ」


「空冷が効いていないんじゃないかな。表面積を増やして空を飛ばせば、今以上に熱を奪ってくれるよ。たしか、自動車もそうなってるんだっけ?」


ヴェルナーがいう。


「地上を横に移動するなら、ヒートシンクは最適解の一つだと思うわ。けれど、わたしたちは自動車みたいに横ではなく、縦に移動しなければならないのよ。

 ヒートシンクは性能の割に重量の増加が激しいもの。だから、燃焼試験用に簡易的につけることはできても、根本的な解決のはなっていない」


「じゃあ、エンジン周りにパイプでも貼り付ける? そうすれば水が熱を奪ってくれるんじゃ」


「水を余分に積むのか?」


 冗談だろう、と肩をリンドバーグは肩をすくめた。

 ヴェルナーも冗談のつもりだったので、別のアイデアを提案する。


「それじゃあ、燃料を循環させるとか、どう?」


「燃えたらおしまいの燃料に、あえて熱を加えるのか?」とリンバーグ。


「いえ、それでいきましょう」


 ヤスミンカがアイデアを引きついでいう。


「気化しなければいいわけよ。ま、失敗すれば質量が数千倍に膨れあがって配管を吹き飛ばすけどね。そうならないように、流量を計算しなければならないけれど」


「お嬢の言っていることは理屈だ。危険な橋をわたる必要があるのか?」


「危険な橋ではないわ。根拠を持って設計するのだから」


「お嬢の根拠を持った設計とやらは、理想通りにものが作れたらの話だろう?」


 険悪な空気になりつつある二人に、ヴェルナーは割り込んでいった。


「質量比八十を目指すなら、僕はできることはやるべきだと思うな。ヤースナができるというんだから、一度検討してもらおう。内容をレビューしてみて、それでやっぱりうまくいかなかったら、別の方法を考えればいいじゃなか。

 でも、理論として成り立ったとして、作れるのかい?」


「ろう付けすれば、あるいは」


「ろう付けって?」


「溶接の手法だっけか。たしか、銀ロウで、配管同士を接着剤のように貼り付けるやつだだな」


 リンドバーグはかいつまんで説明した。

 曰く、配管の融点より銀ロウの融点が低ければよく、相手が金属であれば何にでも張り付けられ、なによりねじを取り付けるスペースを必要としない。

 曰く、燃料が気化するまえにロウが溶けて分離することから、危険を察知しやすいという利点がある。

 曰く、ロケットエンジンにとってみれば、最良とも思われる。


「溶接か」


 ヴェルナーが微妙な笑みを浮かべる。


「できるならやってやりたいが、設備もなけりゃ腕もないというわけで。腕のいい職人に伝手があれば、あるいは」


「あるわ。伝手なら」


 できれば使いたくないんだけれど、とヤスミンカはあっけからんとした口調であっさりという。




 思い立ったら即行動が、ヤスミンカのモットーである。

 翌日、ヴェルナーはヤスミンカと共に、町工場の一角で、いかつい顔をした溶接技師と対面していた。ちなみにリンドバーグは軍の選抜試験の日程とかぶったため、都合がつかなかった。

 ちなみに彼は、試験直前までヤスミンカの完全監修のもと、徹夜で図面の作成にいそしんでいた。非常に厳しい結果になるのではないか、というのがヴェルナーの見立てである。


「あなたが、カミナギ大佐のお弟子さん?」


 どんな魔法を使ったのか。

 いかつい表情のアドラー溶接の工場長は、ヤスミンカやヴェルナーに対しても、きちんと応対してくれていた。

 あちこちの工場で、頭を下げ続けて何とか試作を続けていた時とは随分な違いである。


「ヤスミンカ・ベオラヴィッチです。どうぞよしなに。こちらは――」


「ヴェルナー・ベルベットです」


 ヴェルナーは自ら名乗り、手を差し出す。


「よろしく、べオラヴィッチ博士。よろしく、ヴェルナーくん」


 技師は二人と握手を交わすと、椅子を進めた。

 当然のごとく腰掛けるヤスミンカと、遠慮がちに浅く腰かけるヴェルナー。二人の態度の違いは、場数の差異を如実に語っている。


「あなたには、わたしの構想のもとで、燃焼室の冷却機構の組立にあたってもらいます」


 席に着くとヤスミンカが切り出した。つつの中から図面をとりだし、工場長に差し出した。

 鋭い目つきで検分していた彼は、ふうっと息をつくとヤスミンカに向き直る。


「べオラヴィッチ博士。率直な感想を申し上げても」


「どうぞ」


ヤスミンカはぎりぎり無礼にならない態度で応じる。


「こんな欠陥だらけのもの、どうやっても作れません」


 工場長が、年齢を感じさせぬ太い声で断じた。


「この図面を書いたのはもちろん、ドクターではありませんよね。こんな線が引けるのは、教科書しかみたことのないやつでしょう。

 公差なり平坦度なりの、教科書に書いてあるような『お作法』はまあまあですが、そもそも板金のなんたるかを知らない。現場でものも見ずに想像で書いているから、こんな線が引けるんだ」


 腕を組み、鼻で笑う。わかりやすい挑発だった。トトノ重工の、しかもカミナギ大佐の名前が出てきたから面会はしたものの、のこのこと出てきたのが、お人形遊びが似合う少女なのだ。誰の遣いか知らないが、馬鹿にするにもほどがあるというのが、工場長の偽らざる気持ちである。


 ヤスミンカはおくすることなく、むしろ自信たっぷりに眉目と唇の端をつりあげていった。


「誰が書いたものとしても、図面を形にするのが、あなたの仕事でしょう?」


 ヤスミンカは矢継ぎばやにいう。


「何が駄目なの?

 管の径は粘性を考慮して決めているし、排熱量だって流量と比熱比から算出しているのよ。誤謬なんてないわ。わたしはただ、管を這わせて欲しいってお願いしているだけなのよ」


 言葉尻こそ丁寧だが、ほとんどけんか腰だった。


「じゃあお聞きしますがね。こんな奥まっていて溶接棒の先っぽしか入らないような狭いところを、どうやって溶接しろって言うんですか?

 あんたらのためだけに、専用の治具までこさえろって?

 冗談じゃありませんよ」


「それを考えるのがあなたたちの仕事でしょう。わたしはアイデアを出すところまで責任を持つ『科学者』で、あなたは形にするための『技術者』でしょう?そこを間違えないでくださらないかしら」


「わたしは単に、図面の誤りについて指摘しただけのつもりだったんですがね」


 工場長は複雑な顔をした。困ったようにも見えたが、どちらかといえば、どうやって摘み出そうか思案している顔だった。ヴェルナーがあわてて割り込み、頭をさげた。


「すみません。ちょっとだけ、席を外します」


 ヴェルナーはヤスミンカをほとんど誘拐するように、外へ連れ出した。


「なんなのよ、あいつ。なんで立場の切り分けすら出来てないのよ」


「ヤースナ」


 青年はなだめるようにいう。ヤスミンカはとまらない。


「だいたい、わたしの完璧な設計に文句をつけるって何様よ。世界ではじめての技術なのに。誰も思いつかなかった発想を形にできることは誇らしいことじゃない!わたしは科学者よ。なんで技術者に指図されなくちゃ」


「ヤースナ」


 ヴェルナーは叱りつけた。青年に叱られるとは想像だにしていなかったヤスミンカは、びくりと身体を震わせた。唖然とした表情で彼をみやり、いう。


「なに?」


 戸惑った口調でヤスミンカは尋ねた。

 ヴェルナーはいつにない激しい口調でいった。


「君が僕たちを訪ねてきた理由がよくわかった。君は叩き出されてきただけだったのか」


 ヴェルナーの言葉をきいたときの、驚きと動揺と、かすかな怯え。

 あなたも見捨てるんだ、と告げるまなざし。

 そのときのヤスミンカの表情を、ヴェルナーは生涯忘れることはないだろうと思った。

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