第10話「さあ、はじめましょう」

「見事なものだな、これが液体水素の力か」


 丸焦げになったロケットの残骸を見つめながらリンドバーグはいった。

 基地とはいいつつも、取られて困るものもなければ盗む技術もないただの山小屋である。

 子どもの失敗にひとを割くのがもったいないという世知辛い事情のために、ロープと立ち入り禁止の札が下がっているのみだった。吹きっさらしで屋根もないところに鍵をかける意味もなくそもそもガレージは爆風で歪んでしまって、閉じることができなくなってしまっている。


 つまり、やりたい放題できる環境はそっくりそのまま残っていたのである。

 これ幸いとばかりに現場に踏み込み、聞かされていたとはいえ初めて目撃するエンジンの惨状に、リンドバーグは今更ながらに悲しみの声を上げるのだった。


「ずいぶんと思い切ったことしてたもんな、お嬢さまは。見てみろよ、この配管。ねじるように裂けてる。内圧がかかりすぎた配管そのまま。

 きれいな死顔だよ。教科書に載せれるレベルで綺麗だよ」


 リンドバーグの口調は、皮肉と嘆きのちょうど中間あたりに位置していた。


「悪かったわよ」


ヤスミンカは表情に影を浮かべながら謝罪の言葉を口にする。


「べつに怒っちゃいないさ。

 単に、青春をかけた思い出深いエンジンを派手に吹っ飛ばすのなら、俺だと思っていたからな。嫉妬してるだけさ。

 一声かけてくれりゃあ、喜んで手伝ってたさ。多分だけど」


「できるって所を見せないと、協力してくれないでしょう?」


「小さなロケットを飛ばしたのに?」


 リンドバーグが何気なくいう。


「え、あれが?」


 きょとんとしているヤスミンカを見て、リンドバーグは眉間を押さえながら息を吐いた。

 驚いた。あれを大したことだと思っていらっしゃらないと?

 俺たちの閉塞感を蹴飛ばしてくれたというのに?


「なんとなく、ヤスミンカ嬢、君のことがわかってきたぞ。君は、ひとに頼ることを恥か何かだと感じる類の人間だろう?」


「そんなことないわよ」


「でも、あんまり友だちいないだろう?」


 リンドバーグに悪気はない。軽口の類の、何気ない一言である。何人かの親しい友人同士で言い合うような、気軽さだった。リンドバーグにとって友人とは、垣根の低いものであったからだ。


 不幸なことに、天才少女にとってはそうではなかった。そして、十年ちょっとしか生きていない女の子にとって、彼の一言はむっとするのに十分すぎる言葉である。


「ひとりぼっちだったわけじゃないのよ」


 ヤスミンカは唇をとがらせた顔を背けてしまった。

 黙って二人のやりとりをながめていたヴェルナーとしては苦笑を浮かべざるを得ない。

 いまの君の態度なによりも雄弁に現実を語っていたことについて、指摘するべきか否か。頭を悩ませつつ、ヴェルナーは二人の仲をとりもつべく、当たりさわりのないこと口にする。


「ひとには向き不向きがあるから」


 青年の言葉に、ヤスミンカは、さらなる言い訳の必要性を感じたらしい。いつになく気弱な口調で続けた。


「どうにも、学校という空間が苦手だっただけ。あそこにいると、わたしを押しつぶしてくるような気がして身構えちゃう」


 泣くんじゃないかと、ヴェルナーは身構えた。けれど、彼女はそんなやわな性格はしていなかった。むしろ、怒りで己を奮い立たせるタイプだった。


「わかるぜ、その気持ち」


 リンドバーグが、控えめに同意した。


「俺も試験があるたびに、感じるんだ。大人たちは俺たちを、便利な計算機か百科事典にでも仕立て上げようとしてるんじゃないかって気がしてならない」


「僕も高等学校の試験範囲はまいったよ」


 ヴェルナーも同調したが、ヤスミンカは首を傾げながらいう。


「ロケットを飛ばす野望に比べれば、テストなんてささいなことに違いないわ」


「君は物事を単純にとらえる天才だなあ」


 彼女が孤独を感じた原因の一端が、垣間見えた気がしたヴェルナーである。


「学校は君を押しとどめておくには、退屈すぎる場所だったわけだね、ヤースナ」


「違うわ。見切りをつけてきたのよ」


「こだわるね」


「わたしはちゃんと、モスコーで義務教育の先にあるものを見てきたわ。ちゃんと缶詰めになって研究もしてきたわよ。

 だから見切りをつけたって表現は間違っていないわ。


 大学は、軍用機の開発にてんてこ舞いよ。入りたてで右も左もわからない学生あがりが、何かしらの部品の設計担当をしてるわ。

 ひっきりなしに紙と鉛筆を滑らせて、卒業がみえるころには、軍やら国の関係各所からお迎えがきて、そのまま軍用機の設計業務に従事するのよ、みんな」


「なぜだろう、ヤースナ。僕には君が、航空機開発をしていたように聞こえたのだけれど」


「そう聞こえなかったら謝るわ。

 まあ、モスコー工科大に籍を置いたのはたった二年だから、航空機の全てを知り尽くしたといえばう嘘になるけれど。


 複数の大学に招待されたのだけれど、風洞試験機といえばモスコーだと思ったし、その点でわたしの判断は間違っていなかったと確信している。でもって、わたしがやりたいのは空を飛ぶことではなかったって気づいたから戻ってきたのよ」


 ヴェルナーと彼の先輩は、顔を見合わせた。この困惑を言葉にできるのならば。お互いの顔には、そう書いてあった。

 リンドバーグが口笛を吹いた。


「そりゃあ、俺たちの取り組む学期末試験なんて楽勝だろうね」


 リンドバーグに顔を向けないまま、首肯するヤスミンカ。ヘソをまげても、返答をするあたりに、彼女の素直さがにじみでているようで、ヴェルナーとしては微笑ましい。


「モスコーでは目指せ一グラムだったわ。燃費を軽くするため。あるいは、少しでも身軽になって、自由に空を翔けまわるために。

 だから、自分の推力を得るために、自分の体重以上の燃料を抱え込んで飛行する非効率の塊を研究したいだなんていだせる空気ではなかったのよ。それはこの国でもおなじことだって、昨日わかったばかりだけれど」


 それからヤスミンカは、過去を懐かしむように目を細めた。


「でも、なんで僕たちのところへ」


「果物屋さんに、おもちゃを改造した火薬ロケット・カーを突っ込ませて焼きりんごの山を作った学生がいるという噂をきいてね。これだと思ったわけ」


 青年と先輩は、またしても顔を見合わせた。


「で、実際のところ、どうだったんだ?」


「これから、満足するようにするわ」


ヤスミンカは意味ありげに笑った。たっぷりいじめてあげるわ、という意味合いの笑みだった。


「さあ、はじめましょう」

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