第8話「いかがかしら、わたしの機体は?」
初見こそ、巨大な航空機に初見こそ圧倒されたヤスミンカだったが、彼女の興味を惹きつけておくには、かの輸送機は寸胴すぎた。
たしかに、巨大なであることは、それだけで有利な面もあるだろう。立ったまま、翼の中を行き来できるのであれば、飛行中でも、各エンジンの様子を事細かに管理することができるだろう。けれど、工場を抱えてと飛ぶような発想では、いつまで経っても、自由に空を翔けることは叶うまい。ましてや、空を超えることなど夢のまた夢である。
その場の誰もが空を見上げているとき、ヤスミンカだけは、地上を見つめていた。航空機は、単に技術を積み上げた結果である。
彼女が欲しいのは結果ではなく、結果にたどり着くまでの過程である。あれだけの航空機を管理するだけの技術があるのなら、それだけ、目にする価値のあるものが、ころがっているということだ。そこに、機体の好みは関係ない。
ヤスミンカはひっそりと集団を離れ、施設の、格納庫のまわりをうろついた。
まもなく、蠱惑的な隙間が、誘うように口を開けているのを発見した。いかにも入ってください、と言わんばかりの排気口だった。少しばかり高いところにある。
はてさて。
幸いというか、単純明快な解答が用意されていた。鉄の車が勢揃いで、なお都合のよいことに、ちょうど先ほどの排気口の真下あたりにも、一台停められていたからだ。さすがは軍だ。馬車の幌のようにやわなものはどこにもない。大人はともかく、ヤスミンカの体重程度では、びくともしないに違いなかった。
常識でダメだと止められることをやれば、大抵のことは上手くいくというのが、ヤスミンカの持論である。大衆に迎合するのではなく、真逆のことをやれば道はひらけるのだ。ヤスミンカは土足のまま、車両に足をかける。
ふと、ヴェルナーの顔がうかんだ。
彼は問う。ひとの命が掛かっているか否か。と。
いまは問題ないとヤスミンカは断言できた。だから心おきなく、車両にのぼり、排気口をのぞき込んだ。排気口の唯一の欠点は、容赦なく服が汚れるだろうと容易に想像できることだった。現に、縁を触っただけで、手は真っ黒になっている。けれど、これから待ち受けるものに比べれば、ささいな事柄である。
ヤスミンカは上着だけを脱ぎ捨てると、ためらいもなく飛び込んだ。腹這いになり、腕だけで進む。
しばらく進むと、あかりが見えた。鉄格子がはまっていたが、たんにはめ込まれているだけだったらしく、簡単に外れた。
彼女の預かり知らぬところではあるが、納期厳守で建てられたための手抜き工事の産物だったことが幸いした。もっとも、子どもしか通れぬ排気管から、侵入者が現れるとは予想の範疇外だったに違いない。
格納庫内は、予想に違わず、だだっ広い空間だった。ありがたいことに、すぐしたには通路があった。ヤスミンカは両足で立ち、大きく伸びをした。
そこは、格納庫内の二階に位置していた。二階といっても、壁から、ひとが譲りあわなくてもすれ違える程度の幅しかない。高所の作業用というよりは、施設そのもののメンテナンスのために備えられた通路のようだった。
そんなことより彼女が驚いたのは、格納庫の中が、想像以上にがらんとしていたことだった。もっと煩雑で、混沌としていて、部品が転がっているものだとばかり思っていたからだ。現実は、燃料と潤滑油とは感じられたけれど、それだけだった。
煩雑どころか、清潔で整理整頓がなされている。まるで機体を神聖なものでも扱っているかのごとき几帳面さである。
ひとの力で鉄の塊を飛ばすのだから、そんなものなのかもしれない。現場を眺めたヤスミンカはひとり納得する。
作業員はすべからく離陸の準備とマスコミの対応に追われているらしく、格納庫の中にひとの気配はない。いるにはいるが、居室にこもっており、侵入者を見とがめるような人影は、どこにもなかった。
ヤスミンカは、これ幸いとばかりに、整備現場を我がもの顔で闊歩する。目指すは、格納庫の片隅に置かれた一対翼の小型機でである。
力で突き進むのが先の大型機であるなら、こちらは風の隙間に滑り込むのを主眼として設計されたのだろう。優雅な曲線で形取られた翼は、水にすまう魚のように抵抗を感じさせない。
あっさりと小型機まで辿りつき、機体を見上げてヤスミンカは感嘆した。
まず、素材にため息がでる。小型機は胴体も翼も、金属だ。独特の色合いが、ジュラルミンであると告げている。ジュラルミンは、アルミよりなお軽く、鋼よりも剛性がある、夢の素材である。
自動車など重機の廃材を加工しているヤスミンカたちには、グラムあたり幾らになるかもわからないジュラルミンを存分に扱えるトトノ重工が、うらやましく思えた。
つぎに、感動したのが、溶接技師の確かな技術力だった。溶接は、金属同士をただ張り合わせるだけでなく、文字通り溶解させることでより強固に接合する技術である。技術の習得には長い年月と確かな経験が不可欠となる。翼と胴体部分の接合は、深さも幅素晴らしく、表面に気泡もない。文句のつけようのない仕上がりであることに嫉妬する。
なにより嫉妬したのが、翼面のどこにも、金属同士をつなぎ合わせる特殊なリベットが使われていることだった。リベットの頭部が滑らかで、繋いだあとの出っ張りの部分が、翼にめりこむように滑らかなのだ。
俗に言う沈頭鋲と呼ばれるその技術は、高速で飛行する物体とすこぶる相性が良い。空気抵抗は速度の二乗で増加してしまうのだから、抵抗を生むものは極力排するのが正しい。だが、理屈ではわかっても、それを翼にも胴体にも徹底して利用させるその執念に、ヤスミンカの心は震えたのである。
機体に触れようと、ヤスミンカが手を伸ばした。
触れるか、触れないか。その絶妙な頃合いでなんの前触れもなく、コックピットが開いた。
あとで考えれば、恐怖を感じてもよかったものがだ、そのとき感じたのは、機体が動いたことによる感動のみだった。
コクピットのへりを、誰かが掴んだ。おもむろに立ち上がり、顔をのぞかせる。
「いかがかしら、わたしの機体は?」
白衣の女性が、切れ長の目の中で、黒い瞳がヤスミンカをとらえていた。
不敵かつ、蠱惑的な光を散らしながら。
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