第7話「ねえ、ヤースナ?」

 先の大戦の敗戦国であるドクツは、兵器の保有を国際条約により禁じられていた。戦車、毒ガス、艦隊に航空機等々、近代戦に必要なものは根こそぎ封じられた形だった。


 敗戦当初、国家基盤を根こそぎ破壊されたドクツは、莫大な賠償金を課せられたこともあり、明日の食事にも事欠くありさまであり、国を立て直すには、国際社会からの同情と支援が不可欠だった。従って、列強諸国に命じられるままに武装を放棄し、航空機の開発技術を手放していた。


 だが、大戦から十七年が経ち、着々と経済を立て直したドクツは、機会を待った。


 きっかけは、合衆国株式市場の大暴落だった。世界経済の中心であった合衆国の壊滅的な暴落に連鎖する形で、全世界の株価が暴落する。

 株の損失を埋めるために、投資家は様々な地域、分野から資金を引き上げ始める。資金がなければ、新しいビジネスも、技術も、サービスも成り立たない。人類が未だかつて経験したことのない勢いで、経済が減速した。


 後に世界恐慌といわれる経済恐慌は、世界の国内総生産を十五パーセント減少させる事態に陥る。大勢のひとが知恵を出し合い、明日が良くなると信じて働いたにもかかわらず、十五パーセントも減少したのである。


 世界中の都市で経済が滞り、とくに重工業に依存していた列強諸国は大きな打撃をうけた。多くの都市で事実上建設が停止し、それに関連する中小企業が連鎖倒産する。同じことが、あらゆる分野で起こった。個人の所得は減少し、税収は激減、物価も下落した。合衆国の失業率は二十三パーセントに上昇している。


 世界的なコングロマリット企業、トトノグループにとっても、世界恐慌は他人事ではなかった。むしろ、渦中のひとりである。


 トトノ重工は、銀行、商事と並ぶ、トトノグループ御三家の一角である。船舶、鉄道、発電プラントの製品を手がけるかたわらで、航空機産業にも力をいれていた。トトノ重工は、当時は金持ちの道楽にもみえた航空機の可能性についていちはやく気づき、持ち前の財力と技術力でもって、戦争の道具にまで仕上げ、一大産業にまで押し上げた立役者である。他社には絶対に真似の出来ない圧倒的な技術力を保持すると共に、航空機産業を育てあげた自負がある。


 しかし、世界経済が停滞し、どの国家も、航空機等の軍事物資の購入を控えるようになった。どの国も、自国の経済を立て直すために資金をかき集めることに必死で、ただの消費にしかならない軍事物資を購入している余裕はなかったのである。


 各国は、すでに生産していた分についても、反故にしかねない様相だった。

 トトノ重工は焦った。このままでは、会社を傾けるほどの不渡りを掴まされることになる。


 そこに、ドクツの総統は目をつけた。

 一党独裁を実現した彼は、その権限により統制経済により国内需要を急速に立てなおすとともに、蓄えた財力と工業生産能力を根拠に、トトノ重工に話をもちかけた。


 資金力のある顧客を求めていたトトノ重工にとってみれば、渡りに船である。

 直ちに、列強諸国に交渉し、輸送用航空機に限り、ドクツのライセンス生産を認めさせたのである。銀行と商社でもって、列強の経済に影響を及ぼしうるトトノグループに、ノーをつきつけられる国は存在しなかった。

今回お披露目された航空機は、軍の依頼を受け、世界的大企業であるトトノ重工が、ライセンスを提供、生産したものである。


 総帥は、次は純国産だと息巻いている。

 ドクツが本腰を入れて『輸送機』の購入望んだ理由、あるいは、トトノ重工が列強諸国に『輸送機』の売買を認めさせたことの意味を正しく理解していた者は、当時の世界にはひとりとして存在していなかった。

 それはドクツ国民も同様である。復活した兵役は、ドクツの雇用対策として、あらゆる年代から歓迎された。経営者は、軍を経験した人間が使い物になるとして喜んだし、働き口にあぶれていた若者は、無邪気に歓迎した。


 人類は、世界大戦の痛みを知り、戦争の愚かさを知っていたはずなのだから。


 その気運の結果が、今年十八歳になるリンドバーグの手元に届いた招待状であり、ヤスミンカたちが見学を許された理由でもあった。


「すごいな」


 最先端の航空機を前にして、リンドバーグは武者震いした。


「本当に」とヴェルナー。


「大したやつだぜ、我らが総裁の交渉力ってやつは」


「あと資金力も」


「どんな奴が設計したんだろうな、と一月前なら考えたんだろうが」


リンドバーグは薄く笑った。


「いまならわかるね」


 青年も同じような笑みを浮かべた。自由奔放で、あと先考えないで夢ばっかりみているような女の子を、二人とも思い浮かべていた。


「どんな奴が飛ばしてるんだろう」


「君みたいなやつじゃない?」


 ヴェルナーは軽い口調でいった。深い意味はなかった。けれど、リンドバーグは、彼は驚いた顔でヴェルナーを見つめていた。


「どした?」


「いや、なんでも。俺みたいなやつがパイロットかって思っただけだ」


「ああいう機能美の塊みたいなのが、君の好みだと思っていたんだけど」


「ばーか。もっとこう、小柄で取り回しの良いやつの方がいくぶん好みだ」


 軽い口調で答えたリンドバーグであるが、しかし彼の視線はずっと飛び立つ準備を進める機体に釘付けだった。その眼差しは真剣そのもので、滑走路にたどりつき、旗がふられ、エンジンが起動するところを、いっときも見逃すまいとしていた。


 唸り声を上げて回転する四つのプロペラが、翼を通じて寸胴な機体を動かし始め、かすかに土埃を上げながら加速していくさまをみて、リンドバーグは思わず拳を握りしめた。

 機体は機首をあげ、風にゆっくりと重さを預けていく。

 そしてふわりと浮き上がる。

 自由に天翔る鳥のように、重さを感じさせないままに、どんどん小さくなっていく機体をみて、彼は歓声を上げるのだった。

 それからリンドバーグは、自分に言い聞かせるように小声で、そうか、といった。


「なにかいった?」


ヴェルナーが尋ねる。


「飛行機もいいなあって、さ」


嬉しさをにじませながら、リンドバーグがいった。


「格好いいよね。僕たちも、いつか作ってみたいな。僕たちならどんなふうにできるだろう。ねえ、ヤースナ?」


 その段になって二人はようやく、ヤスミンカが側にいないことに気がついた。

 その自由奔放で猫のように気ままな少女は、どこにいてもヤスミンカだった。

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