第5話「ごめん、なさい」

 ヴェルナーは恐る恐る顔を上げた。

 あたりが奇妙なくらいに明るい。見上げると、空が見えた。これからの暑さを予感させる、ぎらつく太陽がみえた。


 身体の下で、ヤスミンカがもぞもぞともがいている。彼女も無事のようだ。

 耳鳴りがするのをこらえて、頭を振って立ち上がる。鼓膜が内向きに破裂しそうな目にあったのだから、当然のことではあったけれども。

 ヤスミンカがさっと、彼の下から這い出した。

 彼女を追いかけるように顔をむけて、基地の惨状を目の当たりにする。

 

 水素を燃やそうとした愚かな人類と同じ結末を辿った。

 

 エンジンの燃焼室がねじれるように裂けて、腸をさらすように内開きになっている。手術患者のごとく張り巡らされていた配管その他機材は四方に飛び散り、ヤスミンカの背丈ほどもあったタンクは基地の外で転がっている。

 爆発の大部分は基地の屋根を吹き飛ばすのに使われていたらしい。水素が軽い物質であることが幸いしていたのだと思われる。屋根を吹き飛ばす衝撃が向かってきていたらと思うと、ぞっとする。

 

 火の手はあがっていない。不幸中の幸いだった。

 彼女の視線はノズルから燃焼室、配管から燃料タンクにうつり、そのことごとくが酷くえぐれているのを見てとった。それからわしゃわしゃと髪をかき乱し、ヴェルナーに告げる。


「いいデータがとれたわ」


 ヤスミンカは、静かな口調で分析した。


「低温維持のための断熱とか、水素そのものの供給方法とか、課題が山積みすぎて実用化には五年単位の時間が必要ね。

 安全にお金をかけられない以上、個人で取り扱うにはいささか問題あり、といったところかしら。

 でも、そもそもの問題は金属疲労による亀裂の進展だろうから、材料の知見も必要だわ」


 淡々と語るヤスミンカをみて、ヴェルナーは思う。


 え、そうなるの、と。

 なにか、根本的に間違っているんじゃないのか、と。


 彼女は、自分の犯してしまった事象について、なんら後悔の念を抱いていないのではないか、と。


「いいデータがとれました?」


 ヴェルナーはヤスミンカにつめよると、彼女の胸ぐらを掴んだ。ひどく取り乱している自覚はあったが、己の中にわきあがる怒りに比べれば、非常に些細な問題だった。


「君、本当にわかっているの?

 君の浅慮な行動が、どんな結果が引き起こしたか、本気でわかっているのか。エンジンは粉々、工房の屋根はふっとんだ。

 僕たちの積み上げてきた青春は、いまや見る影も残っていない」


 ヤスミンカは大きく目を見開いた。唖然とした顔で一時固まって、それから鋭く睨みつけて、怒鳴られる覚えはないという口調で反論する。


「そんなもの、どうだっていいじゃない」


「そうだ。そんなものはどうだっていい」


 ヴェルナーは一蹴した。


「君は、君自身の命を危険に晒したことについて、なにも思うところがないというのか。

 君には家族がいるだろう。

 君が死んだら、父さんも母さんも、いたら兄弟だって、絶対に泣く。

 狂ったように大泣きする。君を支えてくれた学校の先生や友だち、夢を応援してくれた大勢のひとを悲しませることになるんだぞ」


「わたしにそんなひとは居ないわ」


「居ない?」


「わたしを悲しんでくれるひとなんて居ないといっているっ」


「じゃあ、僕はどうなるんだ」


「え」


 ヤスミンカが顔を上げた。ヴェルナーは初めて、彼女が自分を見たような気がした。

 ヴェルナーは、ヤスミンカの目をまっすぐに見つめていう。


「せっかく君と出会えて、これから一緒に夢をみようと思った僕の気持ちはどうなる?

 やっと夢をみられた、新しい友だちが出来たところだったのに」


 ヤスミンカは負けじと、ヴェルナーをにらみつける。けれど、先に目をそらしたのは彼女のほうだった。

 彼女は地面を見つめたまま、たどたどしい声で。


「ごめん、なさい」


 言葉の意味を理解するにつれ、ヤスミンカからはどんどん力が抜けていく。

 かわりに彼女の震えが、右手から伝わってくる。

 少女は、震える手で服の裾を握りしめた。

 ヴェルナーは手を離すと、その手を彼女の頭に優しく置いて、上を向かせる。

 彼女の目じりには涙が溜まっている。

 ヴェルナーはゆっくりと口を開いた。


「僕は別に、謝罪を要求しているわけじゃない。

 ただ、忘れないでくれ。君が傷ついたら、悲しむひとがいるってことを。

 君は、君自身の命を軽く扱うことで、君を大切に考え、君を支えてくれた多くのひとの気持ちを踏みにじった。考えなかった。


 君は事故を起こした。これは変えられない。だから、事故の原因を分析するなとはいわない。けれど、それよりも前に、ひとの命に関心を配るのが先なんだ。

 君のさっきの一言は、命に敬意と関心を払っていないことの現れだ。そうであってはいけないんだ。ヤスミンカ。

 僕はそのことに怒っているんだ」


 一息に言いたいことを口にして、一拍おいた。手を緩め、彼女の頭を引き寄せ、やわらかい金髪をなですける。

 彼女は、口を開き、つっかえながら言った。


「そんなこと、誰も教えてはくれなかったわ」


 スカートの裾を握りしめる手が、白くなるまで握り込まれれていることに、青年は気づいた。

 目の前の女の子、ヤスミンカは、こまっしゃくれて生意気で、底ぬけに頭がいい。けれど、彼女はまだ、十にも満たない女の子なのだ。


「ごめん、言いすぎた」


 ヤスミンカはそんなことない、というようにかぶりを振った。

 ごめんね、ともう一度静かな口調で繰り返しながら、ヴェルナーは握りしめた彼女の手にふれる。ヤスミンカの目元に溜まった涙が、一本の筋になって彼女の頬を伝ってゆく。


「ごめんなさい」


 ヴェルナーは、ヤスミンカをそっと抱きしめる。彼女はされるがままになった。

 子どもなら、それでいい。もっと子どもらしくしてもいいんだ。口にはしなかったが、背中を優しくさする手が、何よりも感情を伝えていたに違いない。ヤスミンカは青年の裾をしっかりと掴み、離さなかった。

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