第2話「とびきり夢のある話じゃない」
ヤスミンカの打ち上げに感動してから一転。
ヴェルナーとリンドバーグは、二人の力作であるエンジンについて、質問攻めにあった。
まだ答えをもらっていないから、というのがヤスミンカの言い分である。
燃料や想定する搭載量にはじまり、燃料の配合比、想定していた燃焼時間に、現実の燃料時間と、推進力について。着火方法に、燃焼質の板厚に、燃焼回数と、使用限界回数等々。
まずヴェルナーがたじたじになり、リンドバーグもたじたじになった。二人が何となくこのくらいで、とごまかしてきた点が赤裸々になっていく。
隅からすみまで把握したヤスミンカは、持ち前の金髪をわしゃわしゃとかき乱して、天を仰いだ。
「つまりこのエンジンは、工業製品というより、芸術品ってことなのね?」
「ここまでくるのに、三年かかったんだ」
ヴェルナーが肩をすくめる。
「何回爆発させたことか。おかげで俺たちは、街の有名人だ」
リンドバーグが笑う。
「どれだけお金を注ぎ込んだかって意味でも、結構がんばったよね。もちろん、学生の稼げる範囲でだけど」
「おうとも。だがら俺たち、いまじゃ工場も産業用廃棄場も顔パスなんだぜ」
「僕たちのエンジンは、廃棄場に転がっているパイプやシリンダーを組み合わせてできたエンジンだ。はじめからこんな形になることは想定していなかったし、想像もできなかった」
「あなたたちは限りなく『技術者』に寄った『科学者』なのね」
ヤスミンカが考え込むようにいった。
「むしろ、こっちから質問してもいいか?」
「どうぞ」
リンドバーグは笑いを引っ込め、真剣な口調で問う。
「なぜ、君のロケットを改造しない?」
「その問いはつまり、なぜ、構造が単純な固体ロケットではなく、動力を積んだ液体ロケットの開発を目指す理由を訊いているということかしら?」
「そうだ」
「エネルギーが足りないからよ。第一宇宙速度って数字はご存知?」
「秒速七・九キロメートルだったかな」
リンドバーグは古い記憶を辿りながらいった。
「そう。その速度はどうやって規程されたかご存知かしら?」
「地球を一周するのに必要だと聞いているが」
「そのとおり。ざっくり、一時間と半分程度しかかからなくなる速度ね。それだけの速度を得るのに、どれだけの火薬が必要かしら」
じっくりと問いの内容が二人の頭に染み込むの待って、ヤスミンカは続ける。
「実は、いまの問いは不完全でずるい質問だったわ。はじめに、ロケットでなにをしたいか考えるべきよね」
「じゃあ、質問。ヤスミンカちゃんは、なにをしたいんだい?」
「質問ありがとう。ヴェルナーさん。ずっと黙られちゃったらどうしようかと思っていたところなの」
ヤスミンカは教師のような笑みを浮かべていう。
「もちろん、ひとを飛ばすのよ」
「本気でいってる?」
「当たり前じゃない。冗談でこんな山小屋までくるとでも?」
「だが、俺たちにできるのか? ロケット技術なんかだと、トトノ重工みたいな大企業がやってのけてしまいそうだけれども」
「じゃあ、リンドバーグさんは一番になるつもりがないのに、ロケットエンジンを造ってるわけ?」
語調を強めてヤスミンカが問う。
「そりゃあ、俺たちだって、できる事ならやってやるさ。だけど。やっぱりそういうのは大人がやっちまうものだろう?」
リンドバーグが肩をすくめた。本気になりたいけれど、そうできない自分を誤魔化すように。
「あなた方はもっと歴史から学ぶべきね」
ヤスミンカは淡々という。
「ライト兄弟の前はリリエンタールの有人グライダーがあり、無人エンジン動力付き航空機のカルマンがあるのよ。
人類の初飛行はあまりに偉大すぎて枝葉がついた物語になってしまうのは仕方のないことだけれど、歴史を紐とけば興味深い事実があるのよ」
淡々と語るヤスミンカの様子は、ある種の確信を抱いている。
リンドバーグを見返すヤスミンカの眼差しは、悲嘆にくれてもいなければ、失望を感じてもいない。
そのことに気づいたヴェルナーは思わず口を挟んでしまう。
「それはどういう?」
「あのとき、あの場所、あの瞬間に、そのひとがいなければ人類の歴史が変わってしまったに違いない稀代の天才発明家というような傑物は、実のところ存在しない、ということよ。
あの瞬間にライト兄弟がやらなくても、そう遠くない未来に、莫大な資金力を背景にカルマンが組み上げたでしょう。リリエンタールがグライダーを飛んだ八十年前に地球の反対側で、日本の発明家が同じことをやってのけていたそうよ。
現実に、航空機が生まれる兆しは世界のそこかしこに存在していたの。
もちろんわたしは、ライト兄弟やリリエンタールの偉業を否定するつもりはないわ。
技術が生まれるときは、世の流れに従って、生まれてきているのが、正しい物の見方だわ」
「つまり君はこう言いたいわけだ。歴史に名前を刻むのは、幸運のなせる技だって」
「技術の進歩って、きっと、そういうものなのよ。文字を読めるひとが限られている時代に、活版印刷なんて発明しても、意味はないでしょう?
功績が認められた有名人は、その興味深い発明を、社会が受け入れられる準備ができたその瞬間に発明できたからこそなのよ」
「なんとも、夢のない歴史的解釈だなあ」
リンドバーがぼやく。ヤスミンカはわざとらしく驚いてみせた。
「とびきり夢のある話じゃない」
「どうして?」
「ようするに、わたしたちのうちの誰かが、歴史に名を刻む幸運をつかめる可能性が十二分にあるってことでしょう?」
ヤスミンカはあっけからんとしていった。
「参加条件は、何かを発明していることだけじゃない。確率をあげるためには、世の流れをよくよく観察して、自分も黙々と力をつけておく。たった、それだけのことじゃない?
わたしはなるわ。なってみせる。近代ロケットの母、ヤスミンカに。あなたたちは、どうなの?」
答えなんてイエスしかないでしょう、というように、ヤスミンカは目を細めてわらってみせる。
「それじゃあ、話を戻してもいいかしら」
二人は首肯する。いいも悪いもない。女の子に焚き付けられて、逃げられることがあろうはずもない。
「ひとを飛ばすって、すごく重たくなるのよ。酸素、窓、電球、工具、望遠鏡に温度調節機能のついた宇宙服。トン単位の重量になる。
ニトログリセリン敷き詰めて、担いで飛翔する物体を開発するとなると、ビルなみの大きさが必要になってくるの。
ならば、エンジンを抱えてでも、液体を燃焼させるほうが現実的なの。
少なくとも、いま現在、人類が存在を認知している火薬に関しての話だけれど。ツィオルコフスキー先生は液体式ロケットの開発を目指していたし、わたしも同じ意見。
それに、液体燃料ならエンジンだけ、圧力と温度に耐えられるように設計すればいい。
でも、固体燃料だと火薬を抱える筐体部分まで気を配らなくてはならなくなる。懸念事項を減らすことが、うまく物事を進める秘訣だから」
ひと仕事終えたように、えへんと胸をはるヤスミンカ。
リンドバーグはヴェルナーにこっそり耳打ちする。
「俺たちが何回爆発させたか、触れない方がいいかな?」
「聞こえてるわよ」
「耳がいいんだね」
「とうぜんよ。だからあなた達の噂を聞きつけてきたわけで。何にでもエンジンをつける困った学生がいるって噂。しかも、ひとりじゃなくてふたりなんですって」
「俺たち、有名人らしいぞ、ヴェルナー」
「そうみたいだね。あんまり上手くいっていないけど」
「当然じゃない。まともな理論も仮説もなく、見よう見まねで組み上げるんだもの。うまくいくわけないじゃない」
ヤスミンカの指摘は最もなことだった。
とりあえずで組むからでやり直しはしょっちゅうだし、廃材の形ありきで組立を考えるから、継ぎ接ぎばかりである。無理な力が掛かっていて表面も配管もベコベコだ。
肯定的に捉えるならば、環境に配慮したエンジン、あっさりいえば、ゴミの寄せ集め。
それが、二人のエンジンの現実だった。
「つまり、望み通りのエンジンを造るには、図面を形にできる優秀な職人の伝手を探すところからはじまるし、質の良い材料を供給してくれる材料屋さんも見つけなくちゃだし、そもそもの大前提として資金調達の手段を整える必要があるってことね」
そういうと、ヤスミンカは目元をおさえて黙り込んだ。
そのままの姿勢で微動だにしないヤスミンカを前にして、男二人は顔を見合わせた。
しかし、どんな言葉をかければいいのだろう?
止めておけ、といえばいいのだろうか。
こんな汗くさい小屋にこもって、貴重な子ども時代を棒に振ることはない、と。
それとも、君には早すぎるといって、勉強して、いい学校に行きなさいとか、ありきたりな言葉でお茶を濁せばいいのか。
もっと直接的な表現をする者もいる。
どうせお前たちには無理だ、と。
二人は、その言葉だけは言いたくなかった。
周りの大人たちから散々聞かされているはずなのだから。
なにくそと思ったからこそ、いまの自分たちがあるのだ。成功からは程遠くとも。
開発速度が亀の歩みよりも遅いであろうことは自覚していたし、夢と希望にあふれた女の子の期待を裏切ってしまっていたであろうことは容易に想像できた。
だからこそ、二人は迷った。だが、二人が悩んだのは、当の少女が顔を上げるまでだった。
だが、顔を上げたヤスミンカは、鋭く、力強い目で二人をみやり、やや唇をつりあげながらいった。
「そそるじゃない」
獰猛な声だった。失望した様子もなければ、悲嘆にくれてもいない。ただただ、面白いことがこれから起こるのだと、起こすのだという気概に満ちていた。
「困難じゃなければ、目標にする意味がないものね。
それに、こんなに凄い奴が二人もいるのに、みすみす手放す理由はないわけだし。これはいよいよ、面白くなってきたわ」
ヤスミンカはひとり興奮して、けけけと笑いだしそうなくらいに愉快な顔をしている。
本当にお嬢さまなのかと疑いたくなるくらいである。
でも、それよりも。
「誰が凄いって?」
「あなたたち以外にいるの?」
ヤスミンカが聞き返した。
「何もないところからやってのけちゃうんだから。普通、思いついてもやらないはずなのに、ちゃんと点火するところまで仕上げちゃってるんだもの。
理論を打ち立てることと、実際に手を動かしてみることの間には、どうしようもない開きがあることは承知しているわ。
やってみようかなを、やったにするのは、とてつもなく難しい。
でもって、あなたたちのやった証が、この工房の中には溢れているんだもの」
そういってヤスミンカは、基地を見渡した。
鎮座するエンジンを中心に、スパナにドライバーにヤスリに、いくつかの工具が置かれている。その側に、万力にはさまれた鉄板やらビスやらが転がっている。トラブル時の避難先としての分厚い鉄板があり、その裏に、旋盤とボール盤がある。
ヴェルナーとリンドバーグが、ゼロからかき集めてきた宝物たちだった。
「わたし、あなたたちを尊敬します」
「ヴェルナー、あいつの話、わかるか?」
手配するものがあるだとかで、ヤスミンカは基地を後にしている。西陽であたりがあかね色に染まるころ、二人はエンジンの後始末をしている。
「半分くらいはなんとか」
「だよなあ。あれだけずけずけと突っ込まれちゃあなあ」
リンドバーグはぼやきながら髪をかきあげた。けれど、彼の表情は希望に満ちていた。
「すげえなあの嬢ちゃん」
「うん」
ヴェルナーは足元を見つめた。焼け焦げた地面と火薬かなにかの残り香。
先ほどみたものが白昼夢ではないことを告げている。
間違いなく自分は、空を飛翔するロケットを目撃したのだ。
空気圧だけで飛ぶような軽い材質ではなく、金属でできたロケットだった。火薬を適当に詰めただけではない、まっすぐな軌跡を描いたロケットだった。
自分たちが、燃焼試験用のエンジンを組み上げているときに、彼女は空を飛ぶものを組み上げたのだ。
「僕たち、今度はうまく造れるかな」
「気を落とすな、ヴェルナー。あの子は文字通り飛んでいくかもしれないが、俺たちは歩くような速さでも、やるしかないんだ。
だから、せいぜい勉強させてもらうさ。いままで出会ったなかで一番身になりそうなアドバイスをくれたのも確かなんだから。
思い返してみろ、いままで俺たちに散々、無理だなんだといってきたやつが、根拠をもった設計だとかいってくれたか?
達成可能な目標から逆算しろって、方法を教えてくれたか?」
「僕たちは、大いに学ぶことができるってことだね」
「その通り」
ヤスミンカの横暴ともとれる態度に、もちろん二人は怒る権利があった。
だが、ヤスミンカの指摘はいちいち最もであったことに加え、彼ら自身が、自力でのエンジンの開発に限界を感じていたのである。
ヤスミンカが、簡易的にではあるが、ロケットを飛ばしていたという事実。
これは、怒りよりも、なにかをもたらしてくれるのではないか、という期待を二人にもたらしたのだった。
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