宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?

おばけの庭

第1話「わたしと一緒に、宇宙を目指してみない?」

 ヴェルナーがいるのは丘の上の古びたブリキの掘建て小屋、もとい彼らの自慢の秘密基地である。

 青春の夏を、海も水着も浜辺も関係ない丘の上。

 額に浮かんだ汗を拭いながら、ひっそりと機械をいじっている殺伐とした時間が過ぎていた。

 

 小屋の中央に鎮座しているのは、今年の夏こそは燃焼試験を成功させたいと夢見ている、気体噴射式エンジン。

 子ども一人分の背丈もない小さなエンジンではあるが、秘密基地に散乱している部品や無理やり持ち込んだ黒板などが所狭しと並んでいるために、とても場所を占めているように感じられる。

 

 午前中をまるまる使って調整を行い、点火した途端に黒いススを吐き出して停止したところである。

 エンジンの熱と夏の日差しとで、小屋の中はむせ返るように暑かった。


 そんなところに、なんの前触れもなく、女の子があらわれた。


「こんにちは」


 彼女は、形の良い小さな丸顔に、青空のように澄んだ瞳の持ち主だった。

 愛らしい唇をのせており、やや目尻のあがったところが不敵な印象を見る者に与えている。

 肩のあたりで切りそろえられた金色の髪は、彼女が顔を動かすたびにさらさらと追従し、天井の隙間から差し込んだ光が透過して、ふんわりと輝いてみえた。

 申し分なく均整のとれた肢体に、見るからに高級そうな絹のスカートにブラウスをまとったその姿は、女性としての魅力を存分に引き出していた。


 もっとも、本当に十人が十人とも振り返るようになるのは、あと五年はかかるだろう。

 背丈は痩せ形で身長ばかり高いヴェルナーの肩ほどもなく、年齢はどうひいき目に見ても十にもなっていないように思われた。


 なにより、優美さと、逆らいがたい迫力を備えた少女は、試験に失敗して煙を吐き出し続けるエンジンをみて、それからヴェルナーにむかって笑みを浮かべてみせた。


「面白いことをしているわね」


 少女がはにかむと、意外なほどに可愛くなる。

 彼女の柔らかな笑みに、ヴェルナーはしばし息をのんでみつめた。

 一秒だか、二秒だか、それとも十秒も過ぎたかもしれない。

 彼女が困ったように首を傾げたので、ヴェルナーは我に返っていう。


「褒めてくれてるのかな? ありがとう」


 ヴェルナーは目を逸らしながら返答する。


 頭の中は疑問でいっぱいである。


 身分の高い家の令嬢のように思われる身なりのいい少女が、どうして僕たちの前で微笑んでいるんだろう?

 田舎の片隅の、しかも小谷と湖しかない丘の上に足を運ぶ理由などないはずなのに。


 そもそもの話、なんで女の子が僕に微笑みかけているんだ?


 ごちゃごちゃと考えながらヴェルナーが口を開きかけたそのとき。


 少女は煩わしそうに襟元に指を突っ込み、それからシャツの前を掴んでボタンをはずそうとする。


 ほとんど悲鳴をあげたヴェルナーだった。


「駄目ですっ、こんなところで服を脱いじゃ!」


 自らの価値をまるで理解していない少女に対する、悲痛な魂の叫びである。


 ヴェルナーは背丈と素朴さだけが取り柄のような青年だ。

 少女の暴挙を役得と思う発想が出てこないていどにはまっすぐで、女性に慣れていない。


 ヴェルナーは彼は耳まで真っ赤にして、精一杯横に首を振りながら、少女の手を抑えた。

 少女は、あきれたようにいう。


「ここ、暑いわ。

 蒸し風呂みたい。それに、鉄と汗と焦げた油の匂いしかしないのよ。

 こんな、生地を汚してくださいと言わんばかりの劣悪な環境で、よそ行きのドレスを着続けるというのは、ドレスを作った職人に対して礼を失していると思わない?」


 額にうっすらと汗を浮かべながら、少女はいった。

 けれど、自分は男なわけで、兄弟でも肌を見せ合ったりしないのが御令嬢というやつで、常識的に考えて、服を脱ぎ出すというのはさわりがないはずがない。

 せめても、と腰に巻いていた上着をさしだしたところで、少女は少しむっとする。


「わたし、ここは暑いといったのよ」


「でも」


「そうだぞ、ヴェルナー。

 こんなに暑いのに、ツナギを着ろっていうほうがどうかしてる。

 それに、お前の汗まみれのものを差し出されても、こまってしまうさ。なあ、お嬢さん」


 混乱するヴェルナーを見かねて、エンジンの向こう側から声がかかる。

 声の主は上着を腰のあたりに巻いた青年で、額にびっしりと汗を書いている。けれど、少しも嫌な感じを少しも感じさせないでいるのは、こんがりと日に焼けた浅黒い肌を持った彼の健全さの為せる技だった。

 エンジンを迂回してきた彼は、煤にまみれた手袋をしまうと、ゆったりとした動作で、少女に手を差し伸べた。


「リンドバーグ・ネブラスカだ」


 秘密基地のもう一人の持ち主である。

 今年で十八になるリンドバーグは、ヴェルナーの二つ上の学年で、黒髪の偉丈夫である。

 けれど十にも満たない少女は、まったく気圧されることなく堂々と彼の手を軽く握り、にっこりとほほえんだ。


「ヤスミンカ・べオラヴィッチよ。どうぞよしなに」


「お茶の一杯でも出せればよかったんだけど、あいにくコップの準備がなくてね」


「お茶は結構。それよりも、先程の燃焼試験の結果について、解説いただけないかしら」


「これに興味あるのか? その辺で走り回ってる金持ち御用達の自動車エンジンとは毛色が違うんだぜ、こいつは」


 リンドバーグは得意そうに笑う。


「通常のガソリンエンジンは動力を得るために、燃やしたガソリンの気体膨張をピストンで捕らえ、回転運動に変換している。

 だが、俺たちの目指すエンジンは違う。ガソリンを使うところまでは同じだ。だが、燃やした気体をそのまま噴射して、噴射した気体の反力で進むんだ」


 そこに、ヴェルナーが負けじとばかりに話に喰らいつく。

 ここで離されたら終わりだ、と彼の冴えない直感が、彼を駆り立てるように突き動かした。


「そのとおり。でも何が決定的に違う難しさは、反応が早すぎて、制御できないってことなんだ」


 ヴェルナーは力強くいう。

 いつか解決してやると意気込みながら。


 事実、彼らのエンジンは、点火する毎に燃焼室か配管かあるいはそのどちらもが破断し、膨張した可燃性ガスが吹き出すという、重大な欠陥を抱えていた。それも、中途半端に燃えるものだから、運が悪ければ音を立てて燃える。街ゆく誰もが爆発だといい、まさにそれが原因で街中から追い出されて山の上に小屋を借りることになったのは、公然の秘密である。


 他にも吸入口から空気をとりこむ代わりに液体酸素を使っている等々語るリンドバーグであるが、早々に聞き流しはじめたヤスミンカは無警戒に、いまなお黒い煙を吐き出しつづけているエンジンに手を伸ばした。

そのとき。


「さわっちゃだめだっ!」


 ヴェルナーが叫ぶ。素朴な青年の思いがけない意志のある声に、ヤスミンカは意外な顔をしながら手を引っ込める。


「それは見た目以上に熱い。あぶないよ」


「ご忠告、ありがとう」


 ヤスミンカはうなずくと、腕を後ろにまわして、青年をのぞき込むように見上げた。

 スカートのすそがふわりと空をはらみ、緩やかに舞う。

 ヴェルナーが赤くなって目をそらすのを見て、少女はくすりと笑いながら首をかしげてみせる。

 なにかを期待するようにヴェルナーをじっとみつめた。

 それでやっと、彼は自分が名乗っていないことに気がついた。


「ヴェルナーです。ヴェルナー・ヴェルべット」


「よろしく、ヴェルナー。

 ところでこのエンジン、どこまで挑戦する予定だった?」


 挨拶もそこそこにヤスミンカは問う。


「どこまでって?」


「想定していたペイロードはどのくらいなの? 

 機体のサイズはどの程度を見込んでいるのかしら? 

 それから燃焼時間の目標と、その根拠が知りたいわ。

 あと、失敗の原因分析はどこまで進んでいるのかしら?」


 機械いじりとは対極に位置するような少女の口あから、次々と思いがけない質問が飛んでくるものだから、ヴェルナーは面食らう。


「まずは爆発しないこと」


 ヴェルナーがいう。ヤスミンカが白い歯を見せた。


「見事な心意気ね」


 それからヤスミンカは後ろで手を組み、順に二人を見つめた。


「でも、全然足りない。若者の夢は、もっと無謀なくらいでないと」


 ついていらっしゃい、と告げると、背を向けてすたすたと歩きはじめた。

 二人がついてくるのを信じて疑わないというそぶりである。

 二人は顔をみあわせた。

 リンドバーグがあいまいな笑みをうかべながら、肩をすくめてみせる。ヴェルナーも同じ意味合いの笑みを浮かべて、ヤスミンカを追った。


「あれ、運んでくださるかしら」


 基地の側に、見慣れぬトランクが置かれている。

 言われるがままに、開けた場所にトランクを移動させる二人。基地から少し離れた開けた場所で鍵を開ける。出てきたのは、青年らの手のひらより少し大きめの円錐状の金属製品。

 二人はぎょっとした顔で見つめ合う。


「時間は有限なのよ。はやく準備なさい」


 指示が次々に飛んでくる。


 曰く、機体と同じくらい土台が重要なのよ?

 曰く、角度は航路を決める決定打よ?

 曰く、ガソリンはそこに注いでくださる?


 言われるがままに、地面に設置し、配線し、導線をひっぱってくる。

 準備を終えた二人から導線の繋がる小箱を受け取りながら、ヤスミンカは悪戯っぽくいう。


「近づいちゃだめよ。きっと、あなたの想像するよりずっと、熱くなるんだから」


 はたして、雲ひとつない空だった。

 北北西から微風がそよぐ程度の、快適な飛行環境。

 夕焼けの光を浴びながら、『それ』は、野心に燃えた光を放っている。


 ヤスミンカが、手元のスイッチを押す。




 『それ』の内部で火花が散る。

 敷き詰められた黒色火薬に燃え移り、シリンダーの温度が急上昇する。

 内包する酸化材と化学反応し、急速に発生した気体が、シリンダー内に溢れかえる。

 暴風のごとく荒れ狂い、四散しようとするガスを押し止めるシリンダーは、ありったけの力を込めて爆風を押しとどめる。

 ある一方向を除いて。


 『それ』は、全方位に荒れ狂う爆風に方向をもたせ、内部のガスを地面に向かって存分に吐き出し、吐き出したガスを反力にして上昇する。


 ぐんぐん加速し、空を翔ける。


 『それ』にひとが乗っていたならば、目まぐるしく変わる高さに息をのんだに違いない。

 建て付けの悪い基地の屋根を越え、すぐさま黒い森の木々を見下ろせるようになり、瞬く間に山と空の地平線がみえるようになるのだから。


 山ぎわから右まわりに視線をずらせば、この地域一帯の代名詞となった黒い森が見え、森を切り崩す都市開発が見え、都市にひとと物を運び入れる長く細い鉄道が見える。

 家々が立ち並び、いくつも突き出した煙突が煙を排出しているところをぐるりと一周して、視線は再び山に戻ることだろう。

 足元に目を向ければ、落とすと、今度は、自分を見上げたまままあんぐりと口を開く青年二人と、満足そうに自分の成功を喜ぶ少女がみえる。


 『それ』は空高く舞い上がり、青年たちのプライドを打ち砕いた。




「燃焼は三秒半。飛距離は、四十メートルってところかしら。まあまあの結果ね」


 ヤスミンカは誰にともなく呟くと、百八十度向きを変え、深く息をすって、ゆっくりとはいた。それから、年上の青年たちに向きなおった。


「この燃焼が二百八十六秒続けば、このおもちゃのロケットは宇宙に到達する」


 小さな少女は腰に手をやり、ない胸を張り、不敵な笑みを浮かべていった。


「わたしと一緒に、宇宙を目指してみない?」


 一陣の風が吹いた。

 髪がふわりと舞う。夕焼け色に照らされて、髪が赤いきらめきを放った。

 ヤスミンカの頬は、まごうことなき情熱の色に染まっている。

 瞳はいっそう、青く輝いている。不敵な笑みを浮かべながら、二人を交互に見つめている。

 ヴェルナーは乾ききった唇を舐めた。

 衝撃に、胸が震えた。自分たちがやろうと思っていたことを、いとも簡単にやってのけた子どもが、目の前にいるののだから。


「お返事は?」


 ヤスミンカが短く問う。

 ヴェルナーは拳を握りしめる。その答えは、迷うべくもなく。




 小国のささいな暗殺事件。

 相互防衛を約束していた先進国の面々は、小国の事件を発端に次々と参戦の意思を表明し、人類史上初の世界大戦がはじまった。


 四年に渡る戦争のさなか、人類は気がついた。

 自分たち人類は、歴史上はじめて、自分たちを絶滅させられる力を手に入れたのだと。

 科学技術の危険性を悟った人類は、敗戦国であるドクツから武力を取り上げることで、二度と戦争の起こらない世界を創造しようとする。

 戦争で工業も経済も破壊され尽くした帝国に、世界の歪みの全てを押し付けて。


 それから十七年。


 終戦の年にうまれたヴェルナーのまわりにも戦争の面影は垣間見ることができてしまう。

 包帯を巻いた傷痍軍人がかもす重々しい退廃感は、帝国の未来に、いまだに暗い影を落とし続けている。


 だからこそ。


 都会の喧騒で消耗することをよしとできなかった彼ら若い世代の情熱は、鬱屈した空気を振りはらうように様々なものに向けらえた。


 鉄道に船舶、自動車といった気球や飛行船、そして、禁じられた飛行機に情熱を燃やし始める。

 情熱の矛先が向けられたのは、禁じられた科学技術だった。

 皮肉にも、明日を信じるために若者が必要としたのは、明日はきっとよくなるとう確証であり、科学だったのだ。


 そんななか、普通の事では満足できなかった二人の若者は、不可能だと言われる事柄にすら、手を出しはじめる。

 誰もやらないから面白い。

 無理だと言われるから、やってみたい。

 難しいから、青春を賭けるに足るのだといいながら。


 若気の至りというやつだ。


 だからこそ、彼らは目指した。


 宇宙を。


 だからこそ、彼らは青春をかけた。


 誰よりも高く、速く飛ぶという夢に。

 ロケットという名の可能性に。

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