二章~肆話

「え……い、生き……血?」

 白露の放った衝撃的な一言に、朱音は目を見張った。人間の生き血を口にするという、その一言に。

「ん? あぁ……別段不思議ではないだろう。鬼族というのはあやかしから派生した種族。そして妖は人を喰うからな」

「……妖は、人を喰うのですか」

「人間の血肉を喰えば、妖力が高まるのだ。だから、妖は人を喰う。だがまぁ、妖は人と関わらないように付かず離れずの距離に生きているからな……知らなくとも問題はない」

 にこやかに笑う白露とは対照的に、顔を歪める朱音。

「鬼族はそんな妖から派生した種族、だから人間の生き血を欲するというのは不思議ではないだろう?」

「……わ、私……私、半月は青天と共にいます。でも、そんなの……そんな様子……見たことない……私にも、優しくて……穏やかで……自然を愛する……大人しい……人間となにも変わらない存在だと……」

「隠れて人の血を口にしていれば、朱音を前にしていても平常心でいられる。あいつの懐には、人間の血をいれた小瓶が常に入っている」

「嘘……嘘……ですよね? 白露様は……わ、私を……からかっているだけ……ですよね?」

「紛れもない真実だ。嘘なんか、つくはずがない」

 真実だというその言葉に、朱音は膝から崩れ落ちた。

「朱音も知っているだろう、この山に入った人間が帰ってこない事を」

「……はい……でも、もしかしたら山を越えただけなんじゃないかって……町で暮らしているんじゃないかって……そうも、言われていて……」

「残念ながら【人喰い鬼】なんかいないと豪語した人間はみな、その血を取られ……肉も喰われた」

 白露の話す内容は、朱音には厳しいものだった。驚きと、悲しみと、言葉にできない感情に襲われただただその青い瞳に涙を浮かべるばかり。

「……嘘……嘘……です……そんなの、嘘……」

「残念ながら真実だ。だから言っただろう、俺と共に神の世界へと行けばお前を喰うような奴もいない……俺に神隠しをさせろ、と──」

「──白露に、そこまでの力があったのだな」

 静かに涙を流す朱音と、そんな朱音を恍惚とした表情で抱き寄せようとする白露の間に現れたのは、青い着物を着た一人の影。

「……なんだ、早かったな。青天」

「お前が向かう場所など、この社か先代の祠くらいだからだ」

「成る程、つまらんな」

 言葉の通り、つまらなさそうな表情をした白露は一歩後退り、そして──

「朱音、お前はどうしたい? 俺の話を聞いてもなお、人間の生き血を口にするような野蛮な鬼と共にいるか? それとも、俺に神隠しをされたいか?」

「……白露、お前」

「すまないな、青天。お前が隠していた事は全て朱音に伝えておいてやったぞ。血の事も、山に入った人間の顛末も」

「そうか。ならば……白露の言う通りだ。白露に連れられるか、俺か……あとは、山を降りて町に行くか。幸い、伝がひとつだけある」

 変わらない表情の青天は、膝を折り朱音と目を合わせる。ぽろぽろ、ぽろぽろと涙を溢す青い瞳には一人の鬼の姿が写る。

「全ては、朱音が決める事だ……だから──」

「や……い……嫌っ!」

「……っ!」

 青天は朱音に手を伸ばしたがそれは朱音により払われた。

「あ……ごめ……なさ……わた……私……」

「……答えはもう、出ているな。やはり人間と鬼族は相容れぬ間柄。このままでは苦しむというのなら、神隠しをされるのも一つの選択だ」

 無表情のままの青天はそのまま朱音を白露のもとへと力ずくで突きだし、そして、背を向け──

「好きにしろ」

 そう小さく呟くと一歩、また一歩とその場から歩きだした。振り向こうとする雰囲気は微塵もなく、もう興味もないと言わんばかりに足早になっていく。

「まっ……待って……待ってよ、青天……」

「朱音?」

「白露様……離して……離してください……! 青天に、謝らないと……あんなに、傷ついてるのに……ここで、ここで私が青天から離れたら……もう二度と誤解が、解けない……だから、離してくださいっ!」

「だが、あいつは……って、おいっ……!」

 白露の制止も聞かず、朱音は青天を追いかけた。涙で歪んだ視界で、うまく歩けない山道を進んだ。そして、静かに歩く背中に勢いのまま、抱きついた。

「……離れた方が良い。聞いているだろう、俺は人を喰いはしないが……生き血を口にするような存在だ。恐ろしく思うのも、当然」

「違う……恐ろしいなんて思ってない」

「先ほど、手を払っただろう。それが答えなんだ。言葉ではそう話しても、心はそうでは──」

「勝手に、私の気持ちを決めないでよっ!」

「……朱、音……?」

 静かに、梢の葉擦れの音だけが聞こえていた山の中に朱音の叫びが木霊した。

「さっきのは、いきなり言われて混乱しただけ! 私は自分で、青天と共にいるって決めたの! 血がどうとか、そんなの関係ない。私の知ってる青天は、優しくて……穏やかで……人間となにも変わらない存在なんだからっ!」

「……俺が、お前の血を欲してもなお同じ事を言えるのか」

「え……?」

「俺が、朱音の血を欲しても。同じ事を言えるのかと聞いた」

 振り返り、変わらない無表情でそう問いかける青天に朱音は笑顔を返した。

「言える。私の血なんかで良ければ、青天にあげる。だから、もうあんな寂しいこと言わないで」

「寂しい……こと?」

「人間と鬼族が相容れないとか、そんな寂しいこと言わないで。お互いがお互いのことを理解もしていないのに決めつけるなんて、そんな寂しいことはないよ」

 白露から聞いた話を心で想いながら、朱音は青天へと手を差し出す。

「……まずは、一緒にうちに帰ろう?」

「だが……すぐにでも、聞きたい事が……あるだろう」

「話は帰ってから聞くよ。ほら、帰ろ」

「……っ……あぁ、帰ろう……」

 差し出された手に、青天は自身の手を重ねた。そして、二人は再び歩きだした。


 その二人分の背中を見つめる、二つの存在には気付かずに──

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