二章~伍話

 帰宅するまで、二人の間に会話はなかった。ごくたまに、重ねた手と手の力を強めるくらい。風が吹き、木々の揺れる音のなか二人は帰路へと着いた。

「はぁ……なんだか凄く久しぶりに帰ってきた気分だね」

「……そう、だな……」

 何事もなかったかのように、朱音は歩みを進める。対して青天は、目を伏せたまま立ち尽くしている。そんな青天に対し朱音は、縁側に腰を下ろし自身の隣をぽんぽんと叩く。

「ほら、いつもみたいに縁側で日向ぼっこしよ」

「……朱音……その……」

「まずは、座って? 話はそれから」

「しかし……」

「もう……仕方ないな」

 小さなため息をつき、朱音は青天の手をとり無理やりと言わんばかりの勢いで縁側へと座らせた。

「ほら、お日さまが気持ち良い」

「……朱音は、どうとも思わないのか」

「驚いたよ。鬼族は、あやかしから派生した種族だったんだね」

「え……あぁ、そう……だ」

「妖が人を喰うって話も驚いた。妖は、私たち人間からしたら近いけど遠い……伝承上の種族だと思ってたから。だから、まさか人を喰うだなんて。妖も、鬼族みたいに案外近くにいたりするのかな」

 陽の光を浴びながら、朱音は笑顔で話を続ける。

「別に私は青天のことを。鬼族のことを軽蔑しないよ。なにも知らない時と違うもん。だから、話してくれる? 山に入った村の人間たちは、どうしたの?」

「……っ……あいつらは……」

「ゆっくりで、平気だよ」

「……あいつら、は……俺を……俺を一目見て、そして【人喰い鬼】と叫び……」

 そうして青天は語った。山に入り込んだ人間達の顛末を。


 麓の村に知れ渡っている【人喰い鬼】の噂を耳にしていた青天は、人間には姿を見られないようにしながら静かに山中で暮らしていた。だが、それも束の間の事だった。

【人喰い鬼】なんていないのだと豪語した村の人間が一人、また一人と度胸試しのように山へと足を運び始めたのだ。

「……また人間か……」

 人間とは関わりを持たずに暮らすのだと決めていた青天は、人間が山に入ると必ず姿を眩ませるように隠れた。だが、ある時。物音一つ立てずに山中に足を踏み入れた人間と、鉢合わせをした。

「……ひっ! お、鬼……! お前が【人喰い鬼】なのかっ!」

 人間は青天の姿を見や否や、そう叫んだのだという。そして、人間はなにも言わずにいる青天の姿に腰を抜かし命乞いをしてきた。

「喰わないでくれっ! お願いだ……まだ、生きていたい……喰わないでくれっ!」

「……人間の血肉なぞに興味はない。山中は厳しい、早く去れ」

 人喰いなどしないと青天が言うと、人間は涙を流し忙しなく立ち上がるとすぐに背を向けた。青天もまた、人間から離れようとした瞬間。

「……そうだ……ここで、俺が【人喰い鬼】を退治すれば良い。そうすれば、怯えずに暮らせるじゃないかっ! 卑劣な鬼族なんか、いなくなった方が良いからなぁっ!」

 その人間は、懐に忍ばせていた短刀を抜き青天に向かってきた。そして──


「……自分の身を守った。そうでないと、殺されると思った」

「……うん」

「鬼族は、人間よりも力が強い。だから、少しばかり腕を強く掴んだ。あいつは、痛みで気を失った」

 表情は変わらないが、どことなく声色が苦しげな青天。朱音はただただ、静かに話を聞いた。

「腕の骨を折ったのだと思う。そして、その人間をどうしようかと考えていた時。丁度同胞がここまで足を運び、会いに来たのだ」

「同胞……同じ、鬼族の人ってこと?」

「あぁ」

「そうなんだ……それで、どう……なったの?」


 現れた同胞に、事情を話すと納得してくれたのだと青天は話した。

「成る程なぁ、わかったよ。俺の知り合いに──がいるし。こいつのことは任せとけって」

「すまない、黒紅……」

「良いんだよ。困ったときはお互い様だろ? 同胞の頼みなら特にな。青天、お前は言葉足らずだし誤解されんだよなぁ」

「……誤解もなにも。人間は鬼族をまるで化物のように扱う。そんな種族とはうまく付き合えん」

 眉をひそめる青天に、同胞である黒紅は苦笑いを浮かべた。

「意外にさ、付き合ってみりゃ人間も鬼族も変わらねぇもんだよ?」

「そんなわけ、ないだろう」

「……ま、一朝一夕でわかりあえるもんじゃねぇし仕方ないけどな。じゃ、この人間は預かるぜ」

「頼んだ……」

「聞かねぇの? この人間の顛末」

 薄笑いを浮かべながら人間を背負う黒紅に対し、青天は興味ないと言わんばかりに目を伏せた。

「どうでも良い」

「そっか。ま、生き血だけは渡しに来るからな。俺ら鬼族は、無いと……理性が保てなくなるし」

「そう……だな。すまんが、それだけは頼む」

「任せとけ。じゃ、またな」


 そういったやり取りを、数度繰り返していく内に、麓の村では【人喰い鬼】の噂は以前よりも蔓延していったのだという。

「……理性が保てなくなる、っていうのは?」

「俺も、幼い頃から聞いているだけでどういうことなのかはよくわからない。ただ、人間の血を口にすることにより、鬼族としての理性を保てる……そう、教えられている」

 目を伏せ、苦しげに話す青天。朱音はただただ、青く広がる空を見上げるばかり。

「黒紅ならば、詳しい話が聞けるはずだ」

「黒紅……さんって、青天の同胞の? 今の話に、出てきた」

「黒紅は……山を越えた先の町で、人間に囲まれながら商人をしている……鬼族の時期長だ。俺よりも、詳しいことを知っているはず」

「……会わせてくれるの? その、黒紅さんに」

「すぐには……無理だ。だが、数日後……町に下りる。その時、会わせよう。約束する」

 変わらない無表情の青天。だが、目の奥は不安で震えていると判断した朱音は目を合わせ、少し考えた後「わかった」と小さく答えた。

「まったく……話は終わったか? 人の子と、鬼の子よ」

「お師匠、今すぐでなくても良いだろうに……」

「五月蝿い、お前の尻拭いに来ておるのだぞ。阿呆は黙っておれ」

 気が付くと二人の前には白露と、桃色の髪の個性的な格好をした少女が立っていた。

「……え、だ……誰……?」

「白露、そいつは……」

 狼狽える朱音と青天に、桃色の髪の少女は笑顔を浮かべ綺麗な所作で一礼すると、こう口にした。

「……妾こそは、この【人喰い鬼】が住むという劣悪な山の初代主。この山の山神である白露よりも前に存在する真の山神──桃葉だ。気軽に桃葉様と呼んでくれて構わないぞ、人間と……血生臭い【人喰い鬼】よ」

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