一章~緋の章奇譚

 あれから俺と朱音の、奇妙な同居生活は続いた。人間嫌いの俺にしては珍しく人間と半月も共に暮らせている。この事が【奴ら】に露見したとなったら面倒な事になるな、とため息が少し増えた。

 朱音は俺に、ずっと疑問に思っていた事を聞いてきた。聞かれた事は全て正直に答えた。豆が苦手な事。俺だけでなく、鬼族は例外なく豆が苦手だと話すと「豆撒きは合ってたんだ」と朱音は呟く。日の光は特に苦手ではない事も話した。日の光が苦手ならば、共に日光を浴びていないという事を話すと「確かにそうだね」と朱音は笑った。いや、まず何故日の光が苦手なのだと思われているのか。意味がわからない。

「村では、鬼はどう思われている?」

「人と違う存在。恐ろしい存在で、人を見ると人を喰う。交わえず、分かりあえない存在だって私は聞いてた」

「……そうか」

 朱音も正直に答えてくれた。鬼族の村で人間がどれほど劣悪な存在かと聞かされていたのと同じように、人間の村では鬼族が劣悪な存在だと教えられている事実に、なにか気持ちが沈んだ気がした。


 俺から話しかける事がほとんど無い事に気が付いたのか、朱音はよく話しかけてくれた。話しかけられれば、俺も答える。

「ねぇ青天、青天には家族がいるの?」

「……いた、というのが正しい。家族は皆死別していて、今は一人だ」

「そうなの……一人、なの。ごめんね、知らないからって……そんな辛い事聞いて。寂しい、よね」

「構わない、今は朱音がいるからそういった気持ちはない」

 一人でいるという事は、鬼族も人間も関係ない。寂しいものは、やはり寂しい。

「ええと……あの、私が着てるこの着物とか……あの部屋とか、元々ご家族のだったの?」

「あぁ……元々は、妹のものだった」

「妹? 青天には、妹さんがいるの?」

 話さねばならないか。小さく深呼吸をして、黄月の話を始めた。

 年が離れていて、お転婆で口達者だった妹。両親を早くに亡くし、二人で生きていた。しかし、黄月は数年前に人間の手により命を奪われた。やはり人間は狡猾で、汚い存在なのだと再認識した。黄月を一人静かに埋葬し、その後は山に籠り一人で暮らすようになった。人里は近いが、山神もいない寂れたこの山ならば問題がないと判断し、同胞に協力を仰いだ。そして一切人間とは関わらないと、その時心に誓った。


「……なぜ、朱音が泣く」

「え……?」

 黄月の話をした後、朱音は綺麗な青い目から大粒の涙を溢していた。ぽろぽろと、止まる気配がない。

「ごめ……なんか……止まんない……」

 懸命に涙を拭うが、朱音の涙が止まる気配はない。どうすれば良いのか、わからない。そういえば、昔こういう時にすべき行動を同胞に聞いた事があった。確か──

「……泣くな」

「へ……?」

 そう言いながら、朱音を抱き締めると呆気に取られた声を出された。これで、合っているのだろうか。

「泣かれると、どうすればいいかわからない。朱音には、笑っていてほしいと思う」

「あ……えっと……」

 腕の力を強くした。しかし、鬼族は人間よりも力がとても強い。だから、壊さないよう優しげに、朱音を抱き締めた。これ以上、どうすれば良いんだ。

「せ、青天……もう、平気だから……ごめんね、泣いちゃって……青天困っちゃったよね」

「いや、朱音が落ち着いたのなら良い。しかし、俺は……困っていた、のか」

 どうすれば良いかわからない、あの気持ち。そうか、困っていた……のか。俺が悩んでいると、朱音は微笑んでいた。

「……俺は今なにか、おかしな事を言ったか」

「ううん、そうじゃないの。ただ、なんだか青天の事少しずつわかってきた気がするの。青天が困ってる雰囲気だとか、今すっごく私の行動とかを不思議に思ってる事とか……それが、わかってきたのかなって。そうしたらね、なんだか暖かくて、嬉しくてつい笑っちゃった」

「暖かい……? ふむ……よく、わからないが……朱音が楽しいのならば、それで良い」

 そう、それで良い。朱音が楽しいのならそれで良いのだ。この家に住むというのならば、嫌でも俺と共にいる事になる。だが、感情表現が苦手で言葉をうまく紡げない、口下手な俺と共にいる事を苦に思う時がきっとある。

 だから、少しでも楽しいと思える時があるのなら……朱音が笑ってくれるなら、それで良い。


 しかし、何故朱音にはこんなにも心を開けているのか。人間は苦手だ。だが、朱音は何か違う。鬼族だからと、恐れない。朱音相手ならば俺も、きっと──になれるかもしれない。

「いや、それは……無用な願い、だな」

「何か言った? 青天」

「……いや……なんでも、ない……」

 不思議そうに首をかしげる朱音。そんな朱音を見て、俺は思った感情をそのまま口にした。

「朱音の目は、美しいな」

「……え?」

「朱音と出会った時、思った。まるでこの青空を映したように美しい青い目だと」

「あ……あり、がと……でも……あの……その、青天は、青天は私の目の色、変だって思わないの?」

「何故、そのような事を聞く?」

「村で、気味が悪いって言われてた。私の目の色は変だって。だから……私……自分の目が、この青い目が、嫌いで……」

 朱音は泣きそうな顔をしている。何故、変なのだろうか。こんなにも美しい色だというのに。人間は、そんな事で批判するのか、やはり愚かな存在だ。

「変などと思うはずがない。朱音はその目の色を誇るべきだ。本当に、美しいのだから」

「青天……ありがとう。本当に、ありがとう」

「俺ではなく、その容姿をくれた両親に感謝しろ」

「……それは……出来ない、かな」

 何故かと聞くと、朱音は孤児なのだと教えてくれた。まだ赤子の時にこの山の麓に捨てられていたのだと、伝えられた。

「……すまない。言いづらい事を言わせた」

「いいの。青天の妹さん事とか聞いたんだし、これでおあいこだよ」

 朱音は笑っていたが、どこか寂しそうにしていた。自分の家族と顔を合わせた事がないというは、どれ程切ない事なのかとその日は熟考した。


 そんな日々はずっと続いていた。平穏で、なにもない日々。しかしある日、山の中腹にある社へ行くと何処か普段と様子が違っていた。少しの違和感を感じたが、そのまま自宅へと帰った。

「お帰りなさい」

「……ただいま」

「どこ行ってたの?」

「あぁ。朱音には話していなかったか……この山には──」

 話そうとした瞬間、一陣の風が吹いた。

「……何だ?」

 ふと、なにか気配を感じた。だが、この山には俺と朱音しかいない……いや、まさか【あいつ】が来たというのか。人間がいるから。あぁ、そうなると朱音が危ない。

「青天? どうしたの?」

「……朱音……俺の傍を、離れるな」

「え? それ、どういう……」

 朱音の傍に立つと共に、風が吹いた。その刹那【あいつ】の薄ら笑いが見えた気がした。面倒だ。もう、来ていたとは──

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