一章~蒼の章弐話

 目元に朝日が差し込み、眩しさで目を覚ました。

「……あれ……私……?」

 確か、山の中で気を失ったはず。なのに今、私がいるのは見覚えのない部屋の中。しかも綺麗な布団で眠っていた。この部屋は、私の部屋じゃない。一体何処なのだろう。起きあがって、思い出そうとした。確か、一人で隠れて豆撒きしてた。そしたら若竹たちに邪魔されて、人喰い鬼に喰われてしまえって言われて──

「婆様が……いないとか……言ってたけれど……」

 若竹の言葉を全て信じる訳じゃないけれど、婆様に何かあったのは確か。でも、確認も出来ないまま村人全員が私を追い出そうとして。目が、嫌悪と色んな感情が混じったようになっていて。それで……。

「山の中を走ってたら……雨降ってきて、疲れて、意識が朦朧としてたら誰かが来て……私は気を失って……?」

 あれ? そうだとすると、ここはあの時の人の家なのだろうか。そうか、見知らぬ人を介抱したなんて、なんて良い人──

「じゃないよね! 山に人は住んでないって聞いてるし! それに、気を失う前に見たよね……あの人、目が赤かった……」

 この山にいる、赤い目の持ち主。それはつまり、つまり──

「ここって、人喰い鬼の、家って事……?」

「……騒がしいな、起きたか」

 私が部屋で一人騒いでいると、襖の向こうから落ち着いた雰囲気の男性の声が聞こえた。その声に驚き、身動きがとれなくなっていると部屋の襖が開かれた。

「ひぇっ……」

 襖を開けたその人を見た瞬間、恐怖と驚きで変な声が出てしまった。ざんばらになった黒髪、長羽織をはおり青色で統一された着物を着た長身の男性が無表情で立っていた。

 それだけなら、特に問題はない。特筆すべきなのは、額にある二本の角と、緋色の目。

「……やっと起きたか」

「はっ、はいっ!」

 喰われる、瞬時にそう感じた。しかし、私の考えとは裏腹に鬼は表情を少しも変えず、背を向けながらぽつりと朝餉が出来た、とだけ呟いた。

「へ……? あ……あさ、げ……?」

「身支度は後で良いのなら、ついてこい。冷めてしまう」

「あ、えっと……はい」

 拍子抜けしてしまった。とりあえず言うとおりに身支度は後回しにし、鬼のあとをついて歩いた。その先の部屋には確かに朝餉が用意されていて。ここに座れ、と指示された通りの場所に座ると、白米の盛られた茶碗が置かれた。味噌汁に、焼き魚とお新香。どれもとても美味しそうだけれど──

「……食わないのか」

 食べようかどうか躊躇っていたら、向かい側で朝餉を食べていた鬼が聞いてきた。表情は無く、声に抑揚もないので怒っているようにも見えて少し怖くなった。

「あ、えっと……た、食べます! いただきます!」

 用意した朝餉を食べなかったというので鬼に機嫌を悪くされてはいけないと思い、味噌汁を口にした。その瞬間。

「……美味しい……このお味噌汁、とっても美味しいです!」

 お世辞でもなんでもない、素直な感想が出た。とても美味しい……出汁がきいていて、丁度いい具合の味付け。私、こんな味出せない。凄い。

「……美味い、か? そうか。良かった。人に食って貰うのは初めてだったから、心配だった。口に合ったのなら、良い」

「え、これ、貴方が作ったの? 凄い……私はこんな美味しいお味噌汁作れないもの」

「……そうか」

 それきり、鬼は話さなくなり黙々と朝餉を食べ進めていた。なんとなく話しかけるのを躊躇われたので私も食べる事にした。ご飯も丁度良い具合の炊き方だったり、焼き魚も絶妙な焼き加減で全て美味しくて感想を述べたかったけれど、もしも五月蝿いと言われ機嫌を悪くされたら嫌だと思うと何も言えなくなった。


「……美味かったか」

 食べ終えると、先に食べ終えていた鬼が聞いた。表情はやはり無い。

「は、はい! とっても美味しかったです、御馳走様でした!」

「ならいい」

 そう言うと、鬼は片付けをする、と言って食器を持って行ってしまった。私は、どうすれば良いのかな──そう思っていたら鬼が戻ってきた。

「お前の着物だが、山の中で雨に濡れ汚れていたから洗っておいたが……かなり古いもののようだったから、ほつれがひどく、駄目になってしまった、すまない。お前が寝ていた部屋の箪笥に、女物の着物がある、好きなものを選んで着てくれ」

 確かに、私の着物は婆様のお下がりを縫い直したものだったし、ほつれも凄くて毎日繕っていたっけ……そう考えながらふと今の自分の格好を見ると、肌襦袢姿だということにようやく気付いた。

「──っ!!」

 言葉にならない叫びが出てきた。鬼は不思議そうにしていたが、私の様子から気が付いたのだろう。表情は変わらないままだったけれど、頭を下げてきた。

「すまない、女相手に失礼とはわかっていたが、あのままでは風邪を引くと思ってな。それに泥汚れがひどく、家に入れられなかった。着物を脱がした事は謝る、すまない。しかし誓って肌襦袢には手をかけていない」

「あ……えっと、ごめんなさい、私こそ少しでも疑って……ありがとう、ございます。着物、借りますね」

 あぁ、と鬼もまた片付けに行ってしまった。今までの態度を考えれば、本当に着物だけ……なのだろう。勝手に疑って、悪いことをしてしまった。後でまた謝ろう、と考えながら先ほど寝ていた部屋まで戻った。

「それにしても……よく見るとこの部屋。というかこの家、不思議」

 基本は和風建築だけど、所々に西洋の様な飾りや彫り物がされている。窓も一部にステンドグラスが使われているし、飾ってある物も、和風のものは勿論、舶来品の物まであった。村ではこんな洒落た家は無かったので、ついきょろきょろと見回してしまう。

「じゃなかった、箪笥……箪笥」

 言われた通り、箪笥を開けるとそこには色とりどりの着物が入っていた。私が着ていた着物は地味な色のものが多かったのでまるで宝石箱を見ているかのようだ。

「凄い……で、でもこんなにあったらどれ着れば良いんだろ……迷う……うーん……」

「着替えたか?」

 箪笥の前でうだうだ悩んでいたら、襖の向こうから鬼の声がした。入るぞ、という声と共に無表情の鬼が部屋へと入ってきた。

「……着替えてなかったか。どうした」

「えっと……全部素敵な着物で、迷っちゃって……私、いつも地味な色のしか着てなかったから、どれがいいかなって……」

 優柔不断だと飽きられてしまうだろうかと思っていたけれど鬼は腕を組み、ふむ、と考えだした。

「お前、名はなんという」

「え、名前? あ……朱音、です……」

「朱音……か。お前の名の通りの茜色の着物がある。これにすればいい、お前に似合う」

 無表情でそれだけ言うと裏庭にいる、と言いまた行ってしまった。朱音だから、茜色……安直だとは思ったけれど、お世辞にも似合うと言ってくれて嬉しかった。

 茜色の着物に、海老茶色の袴を身に付けた。鏡台があったので鏡台の前に座り、髪飾りの確認をした。二つ結びにした髪を飾るのは、実の両親からの唯一の贈り物。橙色の、村では見たことの無い花をかたどった髪飾り。赤子だった私の手に握られていたのだと婆様から聞いていた。

「これで良し……っと。えっと、これからどうすればいいのかな……とりあえず、あの鬼の所に行ってみようかな、裏庭だっけ」

 そういえば、あの鬼は名前はあるのかな。鬼、と呼ぶのは失礼だし、名前があるのなら名前で呼んだ方がお互い良いだろう。

 それにしても、不思議な鬼。人喰い鬼なら、すぐにでも人を喰うのかと思っていたけれど。一晩泊めてくれたし、朝餉を食べさせてくれたし、着物まで貸してくれた。もしかして、人喰い鬼というのは、私達人間の勝手な想像なのかもしれない……そう考えながら、裏庭へと向かった。


「……着替えたか」

 裏庭に行くと、やはり無表情の鬼がこちらを向いた。

「はっはい! どう……ですか?」

「似合うぞ。朱音に、その着物」

 真っ直ぐに、言われた。流石に照れてしまう。

「あ、ありがとうございます……ええっと」

「……どうした」

「えっと……名前! 貴方の名前、まだ聞いてなかった……なぁって思いまして」

「……青天せいてん

「へ?」

「青天。青いそらで、青天」

 表情は変わらないが、丁寧に名乗ってくれた。

「青天、さん」

「……呼び捨てで構わない。敬語も不要だ、普通に話してくれ。堅苦しいのは好きではない」

「……じゃあ、えっと……青天。改めて、ありがとう」

 私が感謝の言葉を口にすると、青天は首をかしげてしまった。

「えっと……助けてくれた事と、朝餉をご馳走してくれた事、あと着物を貸してくれた事とか、全部あわせて、ありがとう……なんだけど」

「朝餉は俺が勝手に用意しただけだ。着物も、駄目にしてしまったから他のものをと思っただけだ。助けたのは、目の前で倒れられたから……ただ、それだけだ。感謝される事ではない」

「それだけだ、じゃないよ。本当に……ありがとう。私、昨日村の人達に追い出されて……帰る場所もなくなって、山の中で、人喰い鬼に喰われるしかないって思ってたから──」

「……人喰い鬼? それは……俺の事か?」

 つい人喰い鬼、と言ってしまった。青天の表情は変わらないままだが、訝しげな様子だった。

「えっと、あの……」

 あぁ、もう駄目だ。この際聞いてしまえば良いと、青天に向き合い私は一番聞きたかった事を聞いた。

「青天は、人を喰うの? 人喰い鬼、なの?」

 私が問うと青天は無表情のまま、私をめがけ手を伸ばしてきた──

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