一章~蒼の章壱話

 日が暮れるまでに、山の麓に豆を撒かねばならない。なぜなら山には、人喰いの鬼がいるから。人喰い鬼は日の光と豆を嫌うと云われている。だから村の人間は山の麓に豆を撒く。人喰い鬼が日暮れの後に、山から人里へと降りてこられないように。豆さえあれば、人喰い鬼はそこを踏み越える事は出来ないのだと、そう云われている。

 異様と言われようが、毎日の豆撒きはこの村の風習となっている。村人は山の麓に豆を撒き、見た事もない人喰い鬼に怯える日々。

 人喰い鬼が何故人喰い鬼と呼ばれるのかも知らずに、無知な村人は豆撒きをしては村のなかに籠る日々。私もそんな、無知な村人の一人。


「……人喰い、鬼……か」

 山の麓。その隅で、一人隠れるように豆を撒いていた私の独り言は静かな村に小さく響き渡った。人喰い鬼は、どんな存在なのだろう。家で婆様に聞いたのは【赤い目を持ってて額に二つの角を持つ化物】らしいけれど……。

 それなら、幼少の時に出会ったあの子は? 確かあの子も目が赤かった。という事は、あの子は鬼なの? でも確か、あの子は「人間以外は赤い目だ」って言っていたっけ。なら、いるとされている妖や普段見えない神様も赤い目をしているはず。それに、額に角があったかはわからないし……あの子は一体、なんなのだろう。考え事をしながらふと目線を上げると、あるものが目に入った。

「……あれ? あんな所に、祠なんてあったっけ……」

 山の中腹辺りの、木々が薙ぎ倒されている辺り。小さな祠がある。祠って事は山神様のものかな。あれ? でも確か、この山には神様……山神様はいないんじゃなかったかな。村の人々が信仰心を持たない事に愛想を尽かして、この山を棄てたんだって婆様から聞いていたんだけど。

「桃の樹とか、桜の樹が近くにあるんだ……」

 その祠から近い場所にたくさんの花の樹があった。もしかして、山神様は花が好きなのかな。そんな事を考えていたから、気付かなかった。気が付いた時には、もう遅かった。

「……余所者が、山になんの用があるんだ」

「若竹……」

 私を【余所者】と嘲笑する一人である若竹が、私を睨んでいた。

「あぁ。そうだったな……お前、この山の麓に棄てられてたんだよな。可哀想にな、そんな気色悪い目の色の子どもが生まれてきて……親は絶望しただろうに」

「……目の色が、他の人と少し違うだけで……なんでそこまで言われなきゃいけないの」

「はぁ?」

「若竹はいつもそう! 他の人達も悪く言うけれど、若竹は特に酷い言葉をかけてくる……私が……私が、若竹に何をしたって言うの?」

 私は確かに孤児だ。赤子の私は山の麓に棄てられていて、この村の長である婆様に拾ってもらい育ててもらった。婆様は愛情をたくさん注いでくれた。

 村の人たちとは違う、青い目を持つ私を不気味に思わずに、本当の孫のように育ててくれた。村の人達は、私の目の色を気味悪がって中傷していたけれど徐々に受け入れてくれるようになると婆様に言われていた。でも、駄目だった。

 この村は、山々に囲まれた閉鎖的な空間。だからなのか、住人は頭が固い人達ばかり。その中でも、目の前にいる若竹とその家族。この人達は特に私に酷い言葉をかけてくる。言葉だけならまだ良い、時折物を投げてきたりもしてくる程、攻撃的なのだ。なんで、若竹達はそんなにも私を嫌うのか。いつもいつも泣きそうになりながら家に帰るのが、毎日の事となっている。

「俺……だって、本当は……たいけど……が、そう……から……」

「え? な、に……?」

 若竹が、ばつの悪そうな顔をして何か呟いていた。なんなのだろう。でも、どうせ私を誹謗する事を言っているのだろう。

「煩いっ! お前には関係ない!」

「……っ!」

 また、睨んできた。もう嫌だ、若竹と話をすることは出来ない。そんな思いに囚われた私は家に帰ろうと山に背を向けた。はずだった。

「え……?」

 気が付くと、私は山の入り口に寝そべっていた。驚いて起き上がると、目の前には若竹と、その両親。私のことを、化物扱いするように見てくるあの人達。

「若竹、よくやった。お前が気を逸らしてくれたから山へと投げることが出来た! あとは余所者を山から出さなければ良い! そうすれば、こいつは人喰い鬼に喰われるはずだ!」

「そうさねぇ。よくやったよ若竹。余所者は、あんたを──からね。人間じゃない奴は信頼できない。得体の知れない存在は全部いなくなれば良いんだよ!」

 私の目を見ながら、若竹の両親はそう叫んだ。人間じゃない奴? 私の事? 何を言っているの?

「わた、私は……私は、人間です! 帰して! 私を婆様のもとに帰して! 私の居場所に帰して!」

「そんな目の色をして、人間な訳がないだろうが余所者め! 息子を──すお前のような存在は、早く人喰い鬼に喰われてしまえ!」

「あぁ恐ろしい。人間に成り済ましていたんだねぇ。婆様も耄碌したもんだよ。人間じゃない奴を育てるなんて」

 私だけじゃなく、婆様の事までそんな風に言うなんて。怒りを抑え、奥歯を噛み締めながら立ち上がり村に帰ろうとしたけれど、目の前に石が投げられてきた。

「危なっ……え……?」

 よく村を見ると、村人達が憎しみを持った目で私を睨んでいた。婆様の姿は、見えない。

「……な……に……これ……」

「余所者、お前なんかに居場所なんてない。山で人喰い鬼に喰われてしまえ」

「若竹……っ!」

「俺ら家族だけじゃない。婆様以外の村人全員、お前を不気味に思っている。そして今……婆様がいなくなった今だからこそ、お前を村から追い出すんだよ!」

 若竹の言葉を、私はよく理解出来なかった。婆様が、いなくなった……?

「……婆様、婆様が……いなくなった……?」

「知らないのか、余所者。お前は結局婆様をなんとも思ってなかったんだな」

「婆様に何があったの!?」

「知らなくていいだろ、どうせお前はもうこの村に入れないんだからなぁっ!」

 若竹が叫ぶと同時に、村人全員が私に石を投げてきた。その中には刃物の欠片まであり、命の危機を感じた私は嫌でも山の奥へと入るしかなかった。

「余所者ぉっ! お前が喰われたとわかるまで、俺達はずっと山を監視し続ける! 下りてこれると思うな!」

 後ろから聞こえる怒号が、普段よりも数段恐ろしくて、じわりと視界が涙で滲んだ。

 もう何も考えられず、ただただ泣きながら、無我夢中で山の中へ走ることしか出来なかった。後ろで、これで余所者は喰われる! いなくなるぞ! と聞こえたが、そんなのもうどうでもよくなっていた。


 どれ程の時間、山の中を走ったのだろう。周りは暗く、雨が降ってきた。麓はもう見えない所まで登ったようだ。しかし、これからどうすればいい。私にはもう、帰る場所がない。人喰い鬼がいるというのなら、早く私を見つけて欲しい。

「もう……私の居場所なんて無いから……人喰い鬼さん、私を……早く……見つけてよ」

 山の中、一人泣いていたら、木々の中から足音が聞こえてきた。もしかして、本当に人喰い鬼が来たのだろうか。

 だとしたら、終われる。もう何もかも嫌になってしまっていた私は、人喰いの鬼に早く喰われる事を願った。

 薄れ行く意識の中、視界に入ったのは──黒い髪に、青い着物を着た、赤い目の持ち主だった。

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