第44話 夏祭り⑥

「私は宏人ひろとのことが好き。これがさっき…いえ、今まで私がずっと宏人に伝えたかったことよ」


 祭りの帰り道、なんの変哲もない住宅街に鈴香すずかの真剣な声が響いた。

そこには凛とした佇まいの鈴香と、そんな鈴香とは対照的な唖然とした俺の姿だけがあった。

俺はその言葉を聞いて、状況が飲み込めずポカンとしてしまうがすぐに我に返る。


「あ、ああ。俺も鈴香のこと好きだぞ。ってかそんな言い方やめろよな。俺じゃなかったら勘違いしてるところだぞ」


 俺はいつもの軽口を言うような口調でそう返す。

おいおい、そんな言い方じゃまるで本当の告白みたいじゃねぇかよ。

どうせいつものように俺をからかっているだけだろうけど、それならちゃんと冗談って分かるように言ってほしいもんだ。

だが俺の冗談混じりの声音とは違い、鈴香の声音は至って真剣なものだった。


「勘違いでも冗談でもないわ。私は異性として宏人のことが好き」


 言葉の通り、鈴香の表情からは冗談で言っているような雰囲気は一切無かった。

そのはっきりとした物言いに俺の頭は混乱する。

今、鈴香が言ったことは冗談じゃ無いってことはすなわち…


「鈴香が?」


「私が」


「俺を?」


「宏人を」


「好き?」


「大好き」


 あまりの衝撃的な発言に知能指数が低い会話しか出来なかったがなんとなく今の状況は理解できた。

そうかそうか!つまり鈴香は俺のことが異性として好きで俺に告白してくれたってことか。

………はっっ!?いやいや何言ってんだこいつ!?そんな事ある訳ないだろ!?

今まで一緒に過ごしてきたけどどこにそんなフラグがあったんだ!?

鈴香には迷惑ばかりかけてるから嫌われることはあっても好かれる要素なんてないだろ!?

ましては俺、鈴香のスカートをめくったことさえあるんだぞ!

そんな男のことをどうやったら好きになるんだ!?


 …そうか!これは夢だな!

実にベタな展開だけど、目が覚めたらまだ祭りの前で今度は何のトラブルもなく祭りを楽しめるってことに違いない!

そうと分かればやることはひとつしかないな。


「……なにやってるの?」


「どうせ夢オチだろ?早く目を覚さないとと思って」


 自分の頬をこれでもかと引っ張る俺を冷やかな視線でそれを見つめる鈴香。

ほら見ろ!好きな男のことをそんな目で見るはずないだろ!

これは夢と確信した俺は一刻も早く目覚めようとしたが、いくら頬を引っ張てみても意識が覚醒することはなかった。


「夢じゃないでしょ?私が今言ったことは全て現実よ」


 鈴香の言葉やジンジンと疼く頬の痛みで今起きたことが現実ということを理解した。

だが理解は出来たけど、そんな事を言われるとは思ってなかったから全く実感が湧かない。

だってあの鈴香だぞ!?

学校でも男子からの人気も高くて、誰もが見惚れるような美少女の鈴香が俺のことをなんて信じられない。

仮にクラスの男子どもにそれを聞いたら鼻で笑うか病院に行くことを勧められるだろう。

そりゃあ今までそれなりに多くの時間を一緒に過ごしてきたから、俺のことを嫌いではないんだろうけど、まさか異性として好きなんて誰が思うんだ!?


「ちなみにその……いつから俺のことを好きだったんだ?」


 こんな事を自分から聞くのは少し気恥ずかしいけど聞いておきたい。

もちろんここまできて鈴香の言葉を信じられない訳ではないし、人の好意を疑う真似なんてしていいはずがない。

ただ少しでもこの状況に納得できるような理由が欲しいだけだ。


「いつからと言われたらはっきりとは分からないけど、一年前に宏人が私を救ってくれた時から意識し始めたことは確かだわ」


「いや、俺は鈴香を助けたなんて思ってねぇよ。あのとき俺は自分勝手にやっただけだし、あの件で一番尽力したのは亮介りょうすけの方だろ」


「けど最初に動いてくれたのは宏人だった。それが私は嬉しかったし救われた。それに宏人がどんなに否定しても私がそう思っているんだったらそれが私の中では事実よ」


「だからそれはたまたまで過大評価だ。俺は…」


 そう反論しようとした時に思いとどまる。

人の想いを自分の物差しで語ってはいけない。

それは杏との出来事の時に学んだはずだ。

あの時の俺は杏からの好意にちゃんと向き合わず、そのせいで辛い思いをされてしまった前科がある。

そんな事を繰り返したくない。

それになんで俺は人から告白されたのにそれを否定するような事を言ってるんだ。

人としてまず言うことがあるだろう。


「え、えっと…鈴香の気持ちは分かった。とりあえずありがとう。それで、その…告白の返事はした方がいいか?」


「そうね。私としてはそうしてもらいたいところだけども…」


 そう言った瞬間、鈴香の表情に影が刺す。


「あんたのさっきの言い草とか普段の態度からもう宏人の答えは分かってる」


 自分の発言を思い出してハッとする。

さっきの俺はなんて酷いことを言っていたんだろう。

鈴香が本気で俺のことを好きでいてくれたなら、さっきの俺の軽率な言葉は鈴香の気持ちを否定したことと同じだ。

俺としてはいつもの軽口を言ったつもりだったが、それはなんの言い訳にもならないし、純粋な人からの好意を否定したり無下にしていいはずがない。


「…俺が無神経だった。すまん…」


「謝らなくていいわ。普段の私の接し方も悪いと思うし冗談と思われても仕方ない。けれど告白の返事は今はいいからその代わりに一つだけ聞かせて。

……宏人、今好きな人いる?」


 鈴香は俺のことを真っ直ぐに見つめ、はっきりと問いを口にした。

その様子からこの返答が鈴香にとって、そして俺にとっても大きな意味を持つということは分かった。

現時点で俺に好きな異性はいない。

ならばこの問いに対しては素直にいないと答えるのが普通なんだろう。

だがそう答えることに違和感を覚えるのも事実だ。


 理由はその言葉だけでは鈴香の問いに対しての答えとしては不十分のような気がするからだ。

そしてそれが何故かと考えた時に、俺の頭の中にひとりの女子の姿が思い浮かぶからなのだろう。

そうならば好きな人はいないが、それに準ずる存在がいるということになる。

だからそれも含めて俺の今の気持ちを全てを言うべきだ。

鈴香は自分の想いを全て伝えてくれたのに俺は言わないなんてことは出来ない。

今の自分の気持ちを全て嘘偽りなく答えるのが俺の義務であり責任だ。


「好きな人はいない…。ただ気になってる人はいるんだと思う」


 意気込んだ割には呟くような小さな声しか出なかったがこれが今の俺の答えだ。

俺に現時点で好きな異性はいないけど、それに類した気になってる人と考えた時に真っ先に思い浮かんだのはきょうの姿。

ということは俺の中で杏の存在が大きくなってきているということだろう。

杏からは好意を向けられていて、俺自身もそれに真剣に向き合うと決めた。

そして、現に杏と接していく中でいろいろな魅力にも気付いていっている。


 ただ俺が杏のことを好きなのかと言われた時にそう断言出来るほどの確信がまだ無いし、簡単に決めつけていいものでもないと思う。

今は杏の気持ちと向き合い、その上で俺自身が杏の想いに応えるだけの気持ちがあるのかを考えている最中なんだから。


「…その気になってる人ってやっぱり倉科さん?」


 鈴香はどこか分かっていたかのように口ぶりでそう言った。

俺の普段の振る舞いから俺の気持ちを見透かしていたのかも知れない。

俺は頷き肯定すると、鈴香はハァとため息を吐いた後、少し呆れたような笑みを浮かべた。


「そっか…。ほんと宏人たちってつくづくややこしい関係よね」


「まぁな…。俺と杏は普通の関係じゃないからな」


 自分のことながら本当にその通りだと思う。

今の俺と杏の関係は非常に複雑でややこしい。

まず俺と杏は契約によって恋人同士であり、俺には杏への恋愛感情は今のところ無いがそのように振る舞わないといけない。

だが例の追加内容、俺に杏以外に好きな女性が出来たらこの契約を破棄してもいいというものよってこの契約の続けるかやめるかは俺の意思に任されている。

その上で杏は俺に明確な好意を告げ、それに応えてもらえるように頑張ってくれているが、俺は返事を保留している。

これを簡単に説明すると杏の片想い状態なのに周りには本当の恋人に見えるように振る舞わないといけないということ。

他人から見たらこの関係は心底不可解に見えることだろう。

まぁこうなっているのは俺が答えを出せていないのが悪いんだけど。


 だけど、前に進んではいると思う。

あの旅行でさおりさんにアドバイスをもらった通りに杏の気持ちに真剣に向き合ったからこそ杏の魅力にも気付くことが出来た。

その結果どんな答えを出すのかはまだ分からないけど、そうしていけば答えが見つかるのもそう遠く無いと思う。


「で、宏人は倉科さんのことが気になってはいるけどまだ好きかどうかは分かってない。じゃあまだ私にもチャンスがあるってことよね」


「そうゆうことになるな…」


 自分でも何様のつもりだとは思うがそうなるのだろう。

この先、俺の気持ちがどう傾くのかは分からない。

杏のことが気になってはいるけど好意がはっきりとしてない。

仮にこれから俺の中で鈴香の存在が大きくなり、それが鈴香への好意に変わったのならこの契約は終わりになるということだ。


「それが聞けただけでも、今日宏人に想いを伝えた価値はあったわね」


「なぁ鈴香。俺って実はイケメンなのか?」


 これまで女っ気が無かった俺が杏や鈴香のような美少女に好意を持たれるなんて他にも何かしらの理由があるのかも知れない。

そう考えると今まで気付かなかっただけで、実は俺はとんでもないイケメンなんじゃないかとさえ思えてくる。


「そうね…顔は中の下ってとこかしら。背も高い方じゃ無いし、運動神経も良くも無い。ついでにどうしようもないくらいに鈍感で女心が全然分かっていない。少なくとも万人受けするような感じではないわね」


「ですよね…」


 …思いの外、辛辣な解答が返ってきた。

薄々は分かっていたことだけど、仮にも好きな男のことなんだからもう少し贔屓目に見てほしい…


「けど私は宏人がいい。例えどんなにカッコ良くてお金持ちの人より私は誰よりも優しい宏人と恋人になりたい」


 そう大真面目な顔で言う鈴香に気恥ずかしさが押し寄せてくる。

だがその真っ直ぐな言葉から改めて鈴香の想いは大きなものと言うことを理解した。


「じゃあそうゆことだからこれからは私の気持ちにもちゃんと向き合ってよね。それで宏人の答えが出たらその時に告白の返事をちょうだい」


「分かった。善処する…」


「なんだか頼りない返事だけどまぁいいわ。これからどうなるかは私の頑張り次第なところもあるし。じゃあ今日はもう帰るわ。また学校で」


「ああ、またな…」


 そう言って鈴香は去っていった。

取り残され一人になり沈黙が訪れた途端、今起きたことの実感が湧いてくる。

まさか鈴香が俺のことを好きでいたなんてまったく気が付かなかった。

いや、思えば俺に気付いてもらおうと鈴香なりにいろいろと行動していたんだろうな。

鈴香の気持ちを伝えられた今考えると思い当たる節がないことも無い。

ほんと鈍感野郎ここに極まれりだな…


「…これからどうなるんだろうな?」


 俺の気持ちがこの先どうなるかは分からない。

だが、人からの好意に真摯に向き合うというのは何があっても変わらない。

そして今までは杏のことだけを考えていたけれど、俺の中の向き合うべき人が増えたことだけは理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る