第35話 姉の想い

 日が沈み、暑さも大分収まった夏の夜。

満天の星空のもとに男女二人がたたずむ。

側から見れば、まるで今から告白といった素敵なイベントが起こりそうに見えるだろう。

この光景を見た人はそんなロマンチックな想像をするに違いない。


「あなたは杏さま…いや、きょうのことをどう思っているのですか?」


 だが、今の俺の状況はそんな輝かしい青春イベントからは遠く、むしろ修羅場な雰囲気が漂っていた。


「……」


 この質問には慎重に答えなければならない。

まず、さゆりさんが俺と杏の契約について知っているかどうかだ。

契約上、互いの家族以外には知られてはいけないという条件だから普通に考えたら知らないだろうが、さゆりさんは倉科家のメイドで杏と過ごしてきた時間も長いから知っている可能性も否定できない。

しかし、さゆりさんが契約を知らない可能性がある以上、俺は恋人らしく振る舞うべきだろう。


「俺にはもったいないくらいの彼女だと思ってますよ」


 俺はとりあえず定型文みたいなことを口にした。

俺と杏は契約上恋人同士だからこのセリフは自然だろう。

だが、そんな俺の考えを見透かしたようにさゆりさんは言葉を続ける。


「私は秋元さまと杏の契約については知っています」


「……えっ!?」


 さゆりさんは契約について知っているらしい。

杏のやつ…、こっちは律儀に守ってるのにあいつ契約内容ガン無視じゃねぇかよ…。

心の中で杏に文句を言っていると、


「契約違反では無いですよ。この契約については最初から知っていたというのが正しいですから」


 俺の考えはお見通しかのようにさゆりさんは否定する。

最初から知っていた…?どうゆう意味だ?

最初からって言うとあの契約が結ばれたところから知っているのか?

俺がさゆりさんの発言の意図を考えていると、


「私が杏に秋元さまと恋愛契約を結んではどうかと進言したからです」


 さゆりさんは俺の考えを察したかのように言った。

衝撃の事実だ。

確かにさゆりさんの言う通り、イレギュラーな形ではあるけどこれなら契約違反にはならないだろう。

…まぁ、契約違反したところで杏にはペナルティーはないけど。 

あとどうでも良いけどさゆりさん、俺の心読みすぎじゃない…?

俺はそんなに考えが顔に出てしまっているのか!?

それともこれもメイドのスキルなのか!?

それはともかく、ここで俺には疑問が浮かぶ。


「さゆりさんはどうしてあんな契約を杏に勧めたんですか?」


 これは当然の疑問だろう。

杏は俺に好意を持ってくれているから杏自身があの契約を結ぼうとするのは理解できる。

だが、さゆりさんが杏に勧める理由が俺には分からなかった。


「秋元さまには望まないであろう契約を半ば強引に結んだことを申し訳ないと思っています。ですが私は杏の秋元さまへの好意を以前より聞いておりました。そして杏の幸せを考えた結果、あの契約を提案しました」


 さゆりさんは杏のことを本当に大切に思っているらしい。

長い時間過ごしてきた二人は俺の想像以上の絆があるように見える。

そう思うと、さっきからさゆりさんの杏の呼び方が変わったことも今日一日のさゆりさんの行動も納得できる。

多分、普段は呼び捨てで呼んでいてこの旅行中は、俺たちがいることもあり外行きの姿だったのだろうし、今まで感じたさゆりさんからの警戒する視線は俺のことを見定めていたのだろう。

今のさゆりさんの発言から、それくらい互いに心を許した関係なんだろと察することができた。


「ところで、最初の質問には答えていただけますか?」


 俺の質問に答え終えたところでさゆりさんは再度俺に問いかける。


「どうと言われても…」


 だって杏から好意を伝えられた時から考えてはいるが、その答えは未だに出ていないのだから。


「私は秋元さまと杏は契約上といってもお互いに納得して男女のお付き合いを続けていると聞きました。そして契約内容では恋人らしく振る舞うようにとあったはずですが、見ている限り秋元さまは杏と恋人と呼ぶには相応しくないように見えます。私の目には、まるで秋元さまは杏の好意を軽くあしらっている様に感じたものですから」


「そっ、それには深い事情があって…」


 痛いところを突かれたと口籠ってしまう。

さゆりさんの言う通り、俺には現段階で杏への恋愛感情は無い。

契約に従って恋人らしく振る舞おうとはしていたけど、どうしても恋愛感情が伴わないとぎこちなくなってしまっていた。

第一、女子と付き合った経験が無いのに恋人らしく振る舞おうというのは無理な話しに思える。

実際に杏からの恋人同士なら当たり前のようにするだろう軽いスキンシップでさえも俺は壁を作って対処してきたところもある。


「それに契約を結んだばかりの時はそれを嬉しそうに私に話してくれましたが、最近はそれも少なく時折悩んでいるような暗い顔をします。私が理由を聞いても詳しくは話しませんでしたがおそらくは秋元さまとの関係にあの子自身も思うところがあるのでしょう」


 俺たちと過ごしている時はそんな風には見えなかったから衝撃を受けた。

俺のせいで杏に辛い思いをさせていたとしたら俺はなんてひどい人間なんだろう。

その原因は誰がどう考えても俺にある。

ああ…、俺はなんて馬鹿なんだろう。

俺に好意を伝えておきながら、当の俺自身には明確な答えを出してはもらえない。

それは俺が思っている以上に辛いことだったのだろう。

俺は杏の気持ちを軽く見すぎていたと言うことだ。


「そうですね…。俺は杏の気持ちに真剣に向き合おうとしていないですね」

 

 もちろん意図的にそうしているつもりはなかった。

自分の気持ちがどうなのかを考えてこれからの杏との付き合い方を考えている途中だった。

しかしそれは都合のいい言い訳だったのだろう。

周りから見て俺の行動がそう見えるのであればそれが正しいのだろう。

しかも現に杏は俺の中途半端な態度に悩んでいるというのならもう疑う余地はない。

さゆりさんの言葉を否定できるほどの考えが今の俺にはないのだから尚更だ。


「私は杏と幼い頃から多くの時間を過ごしてきて、分不相応ですが本当の妹のように思ってます。そして杏も普段は表には出しませんが私のことを姉のように慕ってくれていると思っています。だから私は心配なのです」


「私は杏のあんな顔は見たくない。だから秋元さまにはこの契約に対してもう少し真剣に向き合ってほしいのです。そして杏ともちゃんと向き合ってほしい」


 俺は反論ができない。

もちろん俺は契約という特殊な始まりだったけど、遊び半分で杏と付き合っている訳では無い。

あの病室での出来事で、自分の意思でこの契約を続けることを決め、それなりの覚悟をしたつもりだ。

だが、つもりになっていただけで実際には認識が甘かったのだろう。

杏の優しさに甘えて、杏からの好意をなあなあに受け流し、答えを出すわけでもなく過ごしてきた。

これは杏を弄んでいるのと変わらない。

今まで誠実に接してきたつもりだったが今の俺の行動は不誠実もいいところなんだろう。


「正直に言いますと…、俺はまだ自分の気持ちがどうなのかよく分かっていなくて…」


 そう言いかけて俺はハッとする。

こんな言い訳みたいなことを言っても仕方がない。

さゆりさんは俺たちの契約を知っているから変に何かを隠そうとする必要はない。

どうせ変に隠しても見透かされるだけだろうし。

ここは現時点での俺の意思をはっきり伝えるべきだ。


「さゆりさんの話を聞いて改めて中途半端なことをしていると痛感しました。そのせいで杏を傷つけていたとなると杏にもさゆりさんにも申し訳ないです」


 俺は今の自分の気持ちを考えながら一言一言紡いでいく。


「杏はお世辞抜きにも可愛いし、性格も…まぁきつい時もあるけど自分の考えがちゃんとあっていい奴だと思います。さっき言った通り俺にはもったいないくらいの魅力的な女の子です。過ごした時間はまだ短いけどそれだけははっきり言えます」


「だから俺は杏のことをーーー」




 俺は現時点での気持ちを伝えた。

そこには下手な言い訳や取り繕うような言葉はなく俺の本心を話したつもりだ。


「そうですか…。秋元さまの気持ちは分かりました」


 さゆりさんは真剣に俺の話を聞いてくれた。

その態度から本当に杏のことを心配してるんだなぁと改めて思う。


「それを杏に伝えてあげてください。そうすればあの子も少しは安心すると思いますから」


 それもそうだ。

本来このことを伝えるべき相手はさゆりさんではなく杏だ。

しかも杏が苦しんでいる原因が俺にあるなら、俺がちゃんと話すのが筋だろう。


「はい、分かりました。ちゃんと杏と向き合います。あの…、最後に一つ聞いてもいいですか?」


 さゆりさんが頷くのを見て俺は言葉を続ける。


「杏は昔から俺のことが好きだったと言っていました。けど俺は杏に好かれるようなことをした覚えはありません。そこが今まで疑問だったんですよ。さゆりさんは何か知っていますか?」


 これが今までの最大の疑問だった。

俺には杏に好かれるような出来事はなかったはずだ。

そもそも、杏とは2年になってからまともに話すようになったし、それ以前は存在こそ知っていたが接点などなかったはずだ。

杏の好意自体は疑っていないけど、その理由に心当たりがないとなるとどうしてもピンとこない部分もあった。

俺の問いかけにさゆりさんは少し考えているように間を置き、


「そうですね。確かに私は杏が秋元さまに好意を向けている理由を知っています。ですがそれこそ私が言うべきではないでしょう。そのことは、杏が自分から言うか秋元さまが自分自身で気付く方のが一番だと思いますよ」


 確かに前に杏にも同じ質問をして俺自身で気づいて欲しいと言われたことがある。

それをさゆりさんに聞くのは卑怯だろう。

杏のことを大切に思っているさゆりさんがそう言うなら間違いないと思うし。


「ですが、杏の秋元さまへの好意の理由は確かに存在します。これが私から言える唯一のヒントです。あとは自分で"思い出して"ください。」


「はい。ありがとうございます」


 最後の言葉に少し引っかかりを覚えたがこれ以上聞くのも野暮だろう。

そう言うとさゆりさんの話は終わりらしく別荘の方に歩いて行く。


「期待してますからね。くれぐれも二度と私の妹にあんな顔をさせないでください」


「はい。善処します」


 途中で立ち止まり振り返り俺に激励のような言葉をかけた。

そして俺の言葉に満足したのか、優しく微笑み今度こそ立ち止まることなく去っていった。

ここまで言われたら俺も覚悟を決めなければいけない。

杏と本当に向き合う覚悟を。




 旅行2日目、この日も朝から様々なイベントを行ったけど、俺はどこか上の空だった。

それもそのはず、ずっと杏にどう伝えたらいいかを考えていたからだ。

昨日さゆりさんと話して杏とちゃんと向き合うことを決めたが、そのためには自分の答えを決めてからだ。

正直、今でも自分の答えにたどり着いてはいない。

俺の追い求める理想の青春なのかどうか…

だが、杏の想いに、そしてさゆりさんの想いに応えなければならない。

おそらく今も杏は表には出してないが悩んでいるのだろう。

だとしたら、ズルズルと先延ばしにせず少なくともこの旅行中には何かしらの答えを出さないといけない。

だけど何をどう伝えたるべきなのか…


 いや、俺はバカで鈍感なんだからあれこれ考えても仕方ないな…

散々周りからそう言われてきたから誠に遺憾ながら薄々は自覚するようになった。

そんな俺に出来ることは自分の意思で決めたことをただ正直に本心で伝えるしかないだろう。

そうすればきっと杏にも伝わるはずだ。




 その日の夜、夕食を終え風呂にも入り各々が思い思いに過ごす自由時間。

みんなリビングで話をしていてそろそろ解散となったその時のタイミングを見計らい俺は覚悟を決めて杏に語りかける。


「なぁ杏、大事な話があるからちょっと来てくれるか?」


「……えっっ!?!?」


 杏にそう声をかけると、驚いたようにしてこちらを見てくる。

俺の頭とは違う真面目なトーンに案の定周りのやつも面食らっている。

こんなセリフ言ったことないし恥ずかしいからあまり見ないでくれ…


「えっと…、ここだとあれだから外に行くか…」


「う、うん…分かったわ…」


 流石にみんなの前で言うことでもないし、そんな度胸もない。

俺は杏を連れて部屋を出ようとすると、


「ちょっと宏人ひろと!……そ、その話ってなに?」


 鈴香すずかが慌てた様子で俺たちを呼び止める。

その瞳には不安と心配が入り混じっているように見える。

おそらく俺がまた変なことに巻き込まれているんじゃないかと心配してくれているのだろう。


「まぁまぁ鈴香。ここは何も聞かず待っててやろうぜ」


「でも…」


 亮介りょうすけの言葉に鈴香は納得のいかない様子だったが、鈴香も連れて行くわけにはいかない。


「杏と二人で話したいんだ。後でちゃんと話すから今はちょっと待っててくれ」


「……」


 鈴香はまだ不満気な表情でこちらを見ていたが許してほしい。

冷静を装ってるけど、内心はバクバクなんだ。

正直、鈴香に気を遣っている余裕はない。

悪いと思いつつ、俺と杏は部屋を出た。



 

 夜風に吹かれながら昨日と同じベンチに座っていた。

そしてこれも昨日同様、辺りはシンと静まり返っていて綺麗な星空が俺たちを包み込んでいた。

まさに大事な話をするには絶好なシチュエーションと言える。


「いきなり呼び出して悪かったな」


「いえ、大丈夫…。そ、それで話って何かしら…?」


「ああ、そうだな…」


 杏はどこか緊張気味にそう返事をする。

あんな意味深なことを言われたら杏が緊張するのも無理もない話だ。

俺だって杏に負けず劣らず、それ以上に緊張していて今にも逃げ出したい気持ちをグッと堪えているのだから。

だって昨日もそうだったが、こんな人気のない場所に男女二人でいるなんて告白イベントがあってもおかしくない状況だ。


 …まぁ、これから俺が言うことは告白みたいなもんだけど。


「杏、まずは今まで悪かった。杏が俺に好意を持ってくれているのにそれを肯定も否定せずに返事を先送りにしてきた。そのせいで杏も不安になったり傷つけてしまったことを謝らせてくれ」


 まずはこれを謝らないといけない。

俺のせいで杏に辛い思いをさせたから当然の行為だ。

俺の言葉を聞いた杏は意外そうな顔をしたがそれも一瞬で呆れた様子で呟く。


「…さゆりさんね。全く、あの人はなんで言っちゃうのかしら…」


「何で分かるんだ?」


「鈍感なヒロくんが気付くわけないし、そんなこと知っている人はさゆりさんしかいないでしょ。いつまでも過保護なんだから…」


 口では文句を言っている杏だが、その顔にはうっすら笑みが浮かんでいた。

『全くしょうがないなぁ』と言った感じでその姿は決して嫌がっている様子ではない。

さゆりさんが言った通り、互いに気を許し合い本当の姉妹のような関係性なのだろう。


「さゆりさんにいろいろ言われて自分のバカさを実感したよ。杏に時間をくれって言っておいて期限が決まってないことをいいことにズルズルとここまできちまった。だから今、杏に俺の答えを聞いてほしいんだ」


「もちろん適当に出した答えじゃない。俺なりにいろいろ考えて出した答えだ。一応、俺たちは付き合っていてこんなこと言うのもおかしな話だと思うけど聞いてくれるか?」


「うん…。聞かせて…」


 杏は俺の目を見て答えを促す。

その言葉を聞いて俺は一度大きく息を吸い、はっきりと聞こえるように、しっかり伝わるように答えを口にする。


「俺は杏のことが…」





 ーーー好きだ。



 俺はゆっくり時間をかけてようやくその言葉を口にした。

俺は自分の偽りのない本心を杏に伝えたのだった。


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