第17話 自分らしさ

 時は少し遡る……


 俺は学校から駅に向かうべく見慣れた道を歩いていた。

俺はきょうから言われた通りに一人で足早に帰っている途中でふと思う。


「そういえば、一人で帰るのは久しぶりだな」


 ここ最近はほとんど杏と一緒に帰っているからな。

いつも杏と話しながら歩いているので、一人で帰ることに若干の寂しさを感じる。

そして、誰とも話すことなく無言で歩いているとどうしても今日の出来事を考えてしまう。


「少し冷たかったかな…」


 あの時は頭に血が上ってつい突き放した言い方をしてしまい、杏をほっといて一人で帰ることに少し罪悪感を感じていた。

そして俺は良くないことを考えてしまう。

もし、杏に何かあったらどうするんだ?


「けど俺に出来ることなんてないだろ…」


 多分、杏は何かをやろうとしているのだろうが、その詳細は俺にはたかくなに教えなかった。

杏にだって知られたくないことはあるだろうし、いくら彼氏にでも言いたくないことはあるだろう。

あれだけ頑なに教えなかったとゆうことは、それだけ杏からしたら俺には知られたくないことなんだと思う。


 だから俺は動きようがない。


 そう自分の行動の正当性を示し、言い訳をする。

そんな自分が嫌になるな…

ハァとため息をついた瞬間、後ろからパタパタと走る足音が聞こえてきた。


宏人ひろと!待ちなさい!」


 その声に振り返ると、鈴香すずかが息を切らしながら俺を追いかけてきた。

そして、俺の側まで来ると、鈴香は息を整えながら俺に言う。


「あんた、いいの?倉科くらしなさんのことほっといて。何か変なことになってるんじゃないの?」


 鈴香も杏の姿がいつもと違うというのは気づいていたらしい。

席も近く、普段から俺と杏を見てきた鈴香からしたら異変に気づくのも当然だ。


「知らねぇよ。杏は何にも話してくれないんだから」


「だとしても、心配じゃないの?彼女の様子がおかしいのに」


 この状況で俺に何をやれって言うんだ。

そもそも俺はこの契約、すなわち杏の彼氏ということに納得していない。


「杏が自分で何とかするって言ったんだ。杏が何も言わなかった以上、俺に出来ることなんてないだろ?あいつがどこで何をするかなんて分からないし」


 その言葉を聞いた鈴香はうつむいた。

その様子は何かを思い出しているようだった。

そして顔を上げると、俺を睨むようにしてつぶやく。


「そんなの宏人らしくない…」


 …俺らしくない?

まるで杏のために動くのが俺らしいみたいな言い草だ。

俺が呆気に取られていると鈴香は再度、口を開く。


「そんなの私を助けてくれた宏人らしくない!」


 鈴香はそう言い切った。

鈴香を俺が助けた?そんな覚えは一切ない。


「おい、鈴香。何のことを言ってるんだ?」


「一年の時のこと覚えてる?」


 一年の時…

そう言われても、俺に心当たりはなかった。

俺が鈴香を"助けた"ことなんて俺の記憶ではない。


「去年の5月、宏人は私を助けてくれた…」


 去年の5月というとまだ入学したての時だ。

そんな時に、そんな出来事あったか…?


 俺は鈴香の言葉を聞いて記憶を探る。

そしてある出来事について思い出す。

……もしかして"あれ"のことか?


 俺の表情を見て鈴香はうっすら笑みを浮かべる。


「思い出してくれた?」


 多分、俺の想像した出来事のことを鈴香は言っているのだろう。

だけどあの時の俺には鈴香を助けようなんて気持ちは一切なかった。

あれは全て俺の自分勝手な行動だったのだから…


   

    ーーーーーーーーーーーーーー



 それは去年の5月、俺たちが入学してようやく高校生活にも慣れてきた頃のことだ。

その頃はまだ鈴香とはあまり接点がなくて、話す機会などほとんどなかった。

というか俺も鈴香はクラスメイトの一人くらいにしか思っていなくて積極的に話そうともしてなかった。

亮介りょうすけとかの仲良い友達と過ごしていれば別に満足だと思っていた。


 だが、鈴香は俺とは違った。

持ち前の明るさやコミュニケーション力でクラスの中心的存在になっていた。

誰にでも分けへだてなく接し、仲を深めていく。

そんな中にはもちろん男子もいた。

その結果、整った容姿と明るい性格から男子からの人気も高かった。


 そんな中、鈴香に問題が起きた。

端的にいうと、鈴香はクラスの一部の女子から嫉妬されていたのだ。

鈴香からしたら男女共に仲良くしていたつもりだろうが、一部の女子からしたら違うように映った。


『鈴香は男子に気に入られようと必死だ』

『鈴香は男子にびている』


 などという悪い噂もちらほらと聞こえるようになった。

だだ、当の鈴香はそんな噂は気にしていないのかこれまで通り、男子にも女子にも仲良く接していた。


 その姿は俺から見ても、鈴香は男子にだけいい顔をしているという感じには見えない。

男子にも女子にも平等に話しかけていて、俺は噂話なんて信じてなかった。

逆に、周りから何を言われても自分を貫き通している鈴香を尊敬したほどだ。


 けれど、鈴香の悪評は消えることはなかった。


 そんなある日の放課後、たまたま学校に忘れ物をして学校に戻ってきたことがあった。

そして、誰もいないはずの教室の扉を開けると、一人で黙って窓の外を見ている鈴香がいた。


鈴香は俺が入ってきたことに驚き、


「秋元くんか…」


 何故か安堵あんどしたような表情を浮かべていた。


「こんな時間にどうしたの?」


「忘れ物をして戻ってきただけだ」


 鈴香はそっか…と小さくつぶやくと、窓の外に視線を戻した。

その姿を見るにもう俺と話す気はないらしい。

その頃は鈴香とは多少は話すが特に仲が良いわけでもなかった俺は自分の机から忘れ物を持って教室を出ようとするが、


「なぁ、あんな噂なんで否定しないんだ?」


 俺は無意識に鈴香に話しかけていた。

そのことに自分で驚いてしまうが、もう出た言葉は取り消せない。

それに、この質問は俺がずっと疑問に思ってきたことだ。

鈴香の噂はほっとけば自然に無くなるかもしれないが、逆にさらに悪い方向にいくかもしれない。

一度しっかりと否定しておけば状況も変わるかもしれないのにと思っていた。


「否定しても意味のないことよ」


 そう言った鈴香の声は冷めていた。

それはどこか諦めたような口調だった。

普段の明るい姿からあまりにもかけ離れたものだったから俺は少し驚いた。


「あの噂を誰が流しているか知らないけど、その内容からして私のことを嫌っている。その人からしたら嫌いな私が何をしても悪く思うだけよ…」


 鈴香の言い分は分かる。

確かに、嫌いな人間のする行動はどんなことであろうと疎ましく思うだろう。

どんな行動をしようと、相手にとってどう見えるかでその行動の意味は大きく変わる。


「じゃあ、このまま噂が消えるまで我慢するのか?」


「そうするしかないわね…」


「三田村さんはそれでいいのか?」


「いいもなにも私にはどうしようもないことよ。

ただ…」


 すると鈴香は静かにつぶやく。


「私は自分を変えたくない。ましては他人の悪意で自分を変えるようなことはしたくない。それが私の生き方よ」


 その言葉には口調こそ弱かったが、確かな鈴香の意思を感じた。

鈴香がどんな噂が流れようと、自分の行動を変えなかったのはそうゆう思いからか…。

鈴香はどんなに悪い噂が広まろうと自分を変えないと言った。

それはすごいことだと思う。

周りから何を思われようと自分の意思を貫く。

俺はそんな鈴香に心から尊敬する。


「そうか。なら俺から言うことは何もないな」


 そう言って俺は教室を後にする。

俺は鈴香の生き方は正しいし、かっこいいと思う。

自分を貫き通すというのは口で言うほど簡単じゃないのも分かっているが、それをやろうとする意思だけで価値があると思う。

鈴香がそのまま変わらないことを願いながらその日は帰路についた。


 その後も鈴香はあの日の言葉通りに自分の生き方を変えなかった。

誰にでも分け隔てなく友好的な三田村鈴香みたむらすずかを貫いていた。


 だが、その姿を見てさらに噂が広まっていった。

何も反論しない鈴香なら何を言っても大丈夫と思ったのかさらに酷い噂まで流れ始めていた。


『鈴香は男に取り入って、ヤリまくっている』

『鈴香は軽い女だ』


 そんな根も葉もない噂が流れるようになった。

流石にこの噂は悪ふざけが過ぎる。

あんなひどい噂を流されて傷つかない奴はいない。

鈴香だって普通の人間なんだから。


そしてある日から鈴香の顔から笑顔が消えた。


 鈴香からは以前のような明るさは消え、一人でいる時間が圧倒的に増えていた。

心配して声をかける生徒もいたが、鈴香は「大丈夫だから」と言って関わろうとしない。

その姿を見て俺は思った。


 鈴香は自分を貫くのを諦めてしまった。

それが俺は自分のことのように悔しかった。

鈴香は何も悪いことなどしていない。

こうなってしまったのは100%他人のせいだ。

どうして他人の悪意によって自分の生き方を変えなければいけないのか。

だが、誰がこの噂を流しているか分からない以上、手の打ちようがない。


 けどこのままでは鈴香が変わってしまう。

自分の意思を他人からの悪意で変わってしまうのが俺には納得できない。

そんなことあっていいはずがない。


そう思った瞬間、俺は動かずにはいられなかった。


「三田村さん!!」


 俺はクラス中に響き渡るくらいの声を上げて鈴香に近づいた。

クラス中の視線が俺に向くが今はそんなことどうでもいい。


「な、なに…?」


鈴香は訳が分からないと困惑している様子だ。


「この後、一緒に遊びに行こうぜ!」


 その言葉に鈴香はポカンとした表情を浮かべた。

周りもいきなり何やってるんだと変な目で俺を見てくる。


「えっと、いきなりなに言ってるの?」


「いいじゃねぇか!今まであんま話してこなかったからさ!これからは仲良くしようぜ!」


 俺は出来る限り明るい口調で鈴香を誘う。

だが鈴香は心底困惑した表情を浮かべて言った。


「言っとくけどあんな噂はデマよ。私、そんな軽い女じゃないから」


 …どうやら鈴香の体目当てで声をかけていると思われたらしい。

周りからもそう思われているとしたら実に遺憾だ。


「違ぇよ!ただ俺はお前と仲良くしたいだけだ!」


「…私の今の状況でそんな言葉を信じられると思う?」


 それもそうだろう。

鈴香は今、他人からの悪意によって苦しめられている。

そんな時に、今までロクに話してこなかった男の言葉など信じれるはずがない。


 だけど鈴香の気持ちなどこの際どうでもいい。

俺は自分がこうしたいからやるだけだ。

これは俺の自分勝手な行動だ。


「ウダウダ言ってんじゃねぇ!ほら行くぞ!ほら駅前にクレープ屋が出来ただろ?あそこうまいらしいんだ。奢ってやるから行くぞ!」


 俺は鈴香の手を取って強引に引っ張って教室を出て行く。


「ちょ、ちょっと待って!カバン、カバン!」


「亮介、お前も行くぞ!カバン持ってきてやれ!」


 俺がそう言うと亮介がやれやれといった感じに立ち上がり鈴香のカバンを持ってついてくる。

突然の出来事に教室の中は誰もがポカンとした表情をしていた。

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