第6話 契約


「この契約書にサインしなさい」


 そう言って一枚の紙を差し出してくる倉科くらしなさん。

その紙には男女交際契約書と書かれている。


「あの…これは何ですか…?」


 思わず敬語になってしまった。

あれ?今から俺は倉科さんに告白されるんじゃないの?

今日の彼女の態度から見て、放課後の誰もいない教室に呼び出されたらそう思うのも無理はないだろう。

それなのになぜ変な契約を結ばされそうになってるんだ?


「あら、ごめんなさい。言葉が足りなかったわね」


 まったく、足りな過ぎるだろ。

ちゃんと説明してくれないとこんな謎の契約書にサインなんて出来るわけない。

話が通じて良かった。


「いいから黙ってこの契約書にサインしなさい」


「全然言葉足りてねぇよ!さらに威圧的になっただけだろ!」


「名前を書いて拇印ぼいんを押すだけよ。こんなこと小学生でも出来るわよ」


「なに問答無用で契約させようとしてるんだ!どんな悪徳セールスでも、もうちょっと段階を踏んでくるぞ!」


「ボールペンと朱肉しゅにくは準備してきたから安心して」


「なんにも安心出来ねぇよ!話を聞け!」


 前言撤回、全然話が通じない。

すると彼女はハァとため息をつき、


「全て、契約書に書いてあるわ」


 彼女は呆れた様子で言った。

何でお前が呆れてるんだ!

文句を思いながら胡散臭うさんくさい契約書に目を通す。


〈男女交際契約書〉


・本契約は秋元慎二と倉科銀行で取り決められた契約の一部である。

・下記の男女は高校三年間、男女交際することを誓う。(なお交際は学生の範囲で節度をもって行う)

・高校在学中は恋人関係らしく振る舞い、周囲にも恋人関係を周知する様につとめること。

・秋元宏人は契約中、他の女性との交際を禁ずる。

・高校卒業後は双方の意思を尊重して契約を継続又は破棄するかを話し合い決定する。

・本契約を互いの家族以外に口外することを禁ずる。

・高校在学中に万が一、秋元宏人の契約違反が発覚した場合、ペナルティーが発生する。


契約者氏名、倉科杏。



「………」


 なんともツッコミどころ満載の契約書だ。

まずあのハゲ親父、なに考えてやがるんだ!

俺の知らないところで、変な契約進めやがって!

いろいろおかしいとこあるけど、なんで俺にだけペナルティーがあるんだ!

契約書としておかしいだろ!

ってか親父が融資してもらうとこって倉科さんの親父さんの銀行だったのか。


「分かったかしら?それじゃあ早くサインしてちょうだい」


「まてまて!こんな契約、納得出来るか!」


 この契約書を読む限り、俺と倉科さんが高校三年間恋人関係になるということらしい。

確かに俺は彼女が欲しいとは思っていた。

しかし、俺が思い描いていたのはもっと普通の恋愛だ。

お互い好きあって結ばれる誰もが思い描くような恋愛だ。

決して契約で結ばれるようなものではない。


 それに、何で倉科さんは平然としているのか不思議だ。

彼女もこんな形で男と付き合うなんて嫌だろうに。


「倉科さんはこの契約に納得してるのか?」


断腸だんちょうの思いで仕方なくよ。『モテるものはモテざるものにほどこしを与えよ』、それがうちの家訓なの。それに平民に手を差し伸べるのも貴族の義務なのだから」


「現代日本に貴族はいねぇよ!あとそんな家訓があってたまるか!」


 それにしてもすごい言い草だ。

確かに俺と倉科さんとでは生まれ持った容姿や家柄が違うけど…


「これで事情は分かったわよね。じゃあ契約書にサインしてちょうだい」


「一旦落ち着くんだ!とりあえず帰って親父を説得するから明日まで待ってくれ!」


「いきなりで戸惑う気持ちも分かるけど、変わらないと思うわよ?」


「それでもあのハゲ親父にどうゆうつもりか聞かないと気が済まねぇ!それじゃあまた明日!」


 契約書を受け取り、俺は逃げるように教室を出た。

まさかこんなことになるとは…

とりあえず早く帰ってあの親父に事情を聞かないと。




「おい!どうゆうことだ!」


 俺は急いで帰宅してリビングでくつろぐ親父を怒鳴りつける。

ここ最近、銀行との話し合いで店を臨時休業していらからこの時間も親父は家にいるのは分かっている。


「どうした?まさかお前が買ってきたアイスを食ったことがバレたのか!」


「それについては後でシバくとして、そうじゃなくてあの訳分からねぇ契約のことだよ!」


 すると親父はコテンと小首を傾げて、


「なにか問題でも?」


「問題しかねぇよ!何勝手にあんな契約結んでんだよ」


 あと親父の小首を傾げる姿なんて殺意しか湧かないからやめろ!


「仕方ないだろ。銀行に融資を頼んだらその条件を出されたんだから」


「何が仕方ねぇんだ!息子の恋人を勝手に決めんじゃねぇ!こんな契約認められるか!」


 俺が大声で親父への文句を言っていると、お袋と妹がリビングに降りてきた。


「ちょっと、なんの騒ぎ?」


「兄貴うるさい。永遠に黙って」


 この妹はことあるごとに俺を殺そうとしてくるな。

だが今はそんなことに構っている余裕はない。


「お袋、聞いてくれ!このハゲ親父が勝手に変な契約を結んできたんだ。何か言ってやってくれ!」


 この家で最強のお袋から言ってもらえば親父も考え直すだろう。


「ああ、あの契約ね。別にいいんじゃない?」


「この家にはまともな人間がいないのか!?」


 何で息子が担保みたいにされてるのにそれを認められるんだ!

もう少し俺のこと大切にしろ!


「だってこのままだと秋元家が宏人の代で終わるのは確定だし」


「まだ分かんねぇだろ!」


「そうそう。銀行から融資をしてもらえて、秋元家も繁栄する。まさにwin-winだな!」


「その繁栄には俺の意思が全く反映されてねぇ!」


「おっ、うまいこと言うなぁ」


「宏人も腕を上げたものね」


 そう言ってカラカラと笑う親父とお袋。

だめだ、うちの両親はもう狂っている。

自分の両親がここまで頭がおかしかったなんて…

もう頼れるのは一人しかいない。


「なぁ佳純かすみ。こんなのおかしいと思うよなぁ」


 佳純は例の契約書を読んでいる。

絶賛反抗期中の妹が味方してくれるとは思わないが一縷いちるの望みにかけるしかない。

すると、奇跡が起こった。


「なにこれ、意味わかんないんだけど」


 まだこの家にまともな考えを持っている人間がいたことに感動した。

なんでこんなことで喜ばないといけないのか…


「こんな契約おかしくない?」


 いいぞ、愛しの妹よ。もっと正論を言うんだ! 

この狂人夫婦の目を覚まさせてやってくれ!

するとお袋がニヤァと悪い笑みを浮かべ、


「佳純ちゃんってば、お兄ちゃんに彼女ができて寂しいんだ〜」


「なっ!そ、そんな訳ない!こんな顔も性格も意地も悪い兄貴いてもいなくても変わらないよ!」


 佳純が声を荒げて答えた。

愛しの妹よ、そんな風に思っていたのか…

お兄ちゃん泣いちゃうぞ。


「宏人。倉科さんの娘さんすごく可愛い子じゃない。何か不満でもあるのか?」


「いや、倉科さんに不満はないけど…」


 そりゃ彼女自体には何も不満はない。

学校でも有名な美少女と付き合えるなら喜ぶべきだろう。

めっちゃ口悪かったけど…

すると、妹の表情が鋭くなり、


「あっそ、なら勝手にすれば」


 そう冷たい声で言い残し、スタスタとリビングを出て行ってしまった。

何故か知らないが、妹の機嫌がいきなり悪くなってしまった。

俺なにか悪いことでも言ったか?

理由は分からないが、唯一の味方がいなくなり俺は窮地きゅうちに立たされる。


「これも父さんの夢のためなんだ。許してくれ…」


「自分の夢より息子の青春を優先しろ!」


「もし本当に嫌だったら、ペナルティー覚悟で浮気でもなんでもすればいいだろ」


「息子に浮気を勧める親がどこにいるんだ!そんなこと言うんだったら親父の契約解消しろよ!」


「これも父さんの夢のためなんだ。許してくれ…」


「ごり押しをやめろ!!」


 その後、俺が何を言っても親父たちの意見は変わらずなし崩し的に契約を飲むことになった。

どう考えてもおかしいだろ!

俺はこんな両親じゃあこの家はもう終わりかもしれないなと危機感を持った。




    ※※※※※※※※※※※※※※※※




 時刻は午前0時を回っていて、普段では秋元家はもうみんな寝静まっている頃だ。

だが、その日は慎二と恵子は二人で晩酌ばんしゃくをしていた。


「お父さん、本当にあれで良かったのかしら?」


「確かに強引な話かもしれないけどなぁ。正直、宏人の方の契約内容はめちゃくちゃだし」


 二人とも今回の契約に息子が関わってくるなんて思っていなかった。

そして普通だったらこんな契約は拒否するべきだろう。

親として当然、自分の夢より息子の方が大切だ。


「だけど、あんなに真摯しんしに頼まれたらなぁ…」


 慎二は銀行での話し合いを思い出す。

融資の話は大した問題も無く進んでいた。

しかし最終決定の話し合い場で、普段は出てこないはずの頭取がいたことには驚かされ、その横に座る女の子の話を聞いて、この契約を了承した。

真摯に頭を下げて頼んできた、あの女の子の思いを聞いて…


「最終的にどうするかは宏人次第だ。それは向こうも分かっているだろう」


「そうだけど…。宏人には悪いことしちゃったわね…」


 宏人に対しては本当に申し訳ないと思う。

息子にこんな契約を飲ませるなんて。


「けどあの子にも頑張って欲しいと思ったからなぁ」


 難しい話なのは分かっているが、何とか宏人とあの女の子も幸せになれるような結果になって欲しい。

二人はそう思いながら、晩酌を続けた。

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