第十節 幻獣医のお仕事

 麒麟は幻獣とはいえ、ほぼ馬のような生体をしているので、手慣れているマルクやティファがテキパキと出産の準備をしていく。


 ティファ、ティファニーは俺たちの叔母であるエマの娘、俺たちとはイトコの関係になるが、厳密に言えば血の繋がりは8分の1だ。

 エマはオヤジの異母妹、アウグスタはまた別の異母兄弟の娘ということになる。

 前当主である俺たちの祖父は好色で有名で、世界中に愛人がいたからだが、世界中に親戚がいて賑やかといえばよいのか、困るといえばよいのか。


「ひぃ?!」


 機材の点検をしていたティファが、俺が見ていることに気が付いて飛び上がらんばかりに後ずさる。

 すぐに新しい寝藁を運び込んでいたマルクがティファの前で、ピッチフォーク代わりに使っていたトライデントを構えて俺を睨みつけた。


「……何、ティファをいやらしい目で見ているのさ?」

「え? いや、そんなことは全くねえぞ?」

「嘘つくんじゃないよ。前だってそうだったじゃないか」

「あん? そんなこと覚えてねえよ。いちいち突っかかってくるんじゃ……」


「コラ! ケンカはダメなのだ!」


 今にも俺に殴りかかってきそうなマルクに、俺も腹が立ってきたところだった。

 そこにイシスが飛び込んできて腰に手を当てて目を吊り上げる。


「いや、でもよ、俺が悪いわけじゃ……」

「悪いのだ! アルはあの子の前でも同じことが言えるの?」


 イシスが手をかざした先には、耳を伏せて警戒した目で俺たちを見ている麒麟がいた。


『ブルルル(嫌だわぁ。何なのよ?)』


 俺とマルクはやらかした気まずさから目を伏せ、矛を納めるしかなかった。


 全く、情けねえことをしちまったぜ。

 駄女神に正論で怒られるほど大人気ねえ真似を。


 俺はため息をつき、頭をかきながら仕事に戻った。

 

 俺のピッチフォークはトリシューラ、マルクはトライデントを使って、黙々と寝藁を馬房に運び込む。

 伝説の武器を農具代わりに使うとは、この家色々とおかしいよな、と心のなかでツッコむ。


 麒麟のリンは5メートルほどの巨体なので、当然馬房もデカい。

 運び込む寝藁の量も多くなるので、これだけで時間がかなりかかってしまった。


 リンは陣痛が来ているのか、馬房をウロウロと落ち着き無く歩いたり、波が落ち着けば座ったり、横になったりを繰り返していた。

 この間、イシスが何やら楽しそうにリンと話をしていた。

 イシスは狙っていないだろうが、リンはリラックスして出産を迎えられそうだった。


 麒麟の出産の補助が主な仕事だったが、他にも幻獣たちがいるのでやることはたくさんあった。

 エサや飲み水の取り換え、馬房の掃除など、ほとんど馬と変わらない仕事ばかりだった。

 

「いででっ!」

『ブヒヒン(モシャモシャしてて似てるから間違えた)』

「……おいおい、俺の髪は食べ物じゃねえぞ?」


 ペガサスが耳を横に向けていたずらっぽく笑っている。

 動物たちの言葉も分かってしまうから、体は大変だが牧場の仕事も楽しめる。

 俺はペガサスと冗談を言い、笑い合った。


 と、背後でクスリと小さく笑うような音が聞こえた。

 俺が振り返ると、ティファが俺たちの様子を見て笑っている。

 だが、俺と目が合うとハッとして逃げていってしまった。


「これもウマ!」


 夜食となったが、いつでも動けるように軽食のサンドイッチで休憩だ。

 バゲットに挟んだだけの簡単なサンドイッチなのに、塩味の効いたカプロスの生ハムとバターのようにコクのあるカトブレパスの白カビチーズ、シャキシャキの新鮮野菜が絶妙に合う。


「……アル、アンタ変わったねぇ」


 エマがどこか驚いたような顔で俺を見つめる。

 俺の頭の上でポロポロと食べかすをこぼすイシスをテーブルに下ろして、頭の上を払う。

 それからエマに答える。


「そうっすか? 昔の自分を知らないけど、どんなやつだったんすか?」

「うーん、そうさねえ……なんかいつも不貞腐れて、何をやらせてもすぐに飽きて放り出して、自分より小さい子をイジメたり……」


 何だか聞いていて、つくづくどうしようも無いやつだったんだなって思っちまう。

 でも、とエマはどこか寂しそうに遠くに目を向ける。


「あの子、もう一人の娘のリリだけは、そんなアンタを放っておけなくて世話を焼いていたっけ。ま、あの子もあたしたちに似たんだろうねえ? アンタの爺さんの使用人で妾になった死んじまった婆さんもあたしも、ダメな男に絆されて子供作って……おっと、湿っぽい話は無しさ! 仕事だよ、仕事!」


 エマは急に立ち上がり、目をこすって急いで厩舎へと戻っていった。

 残された俺たちはぽかんとサンドイッチを片手に椅子に座ったままだった。


「……あの、あたしも、今のアル様は変わった気が、します。前より、怖くない、かも?」

「え、ティファ? リリ姉がアル兄のせいで帰ってこなくなって、あんなに泣いていたじゃないか。それに、ティファだってお医者さんごっことかあんなこと、ボクは絶対ゆるさ……」


 マルクが怒りとともにとんでもない爆弾発言をしかけたところだった。


「ちょっと、アンタたち! 急いで来な! 破水が始まったよ!」


 エマの呼び声が休憩小屋に響き、俺たちは急いで飛び出した。

 

 厩舎の中へと入ると、リンは黄色っぽい羊水を垂らし、中から小さな足が覗いてきていた。

 言葉の分かる俺でも、リンは言葉にならないうめき声と荒い息で座り込んでいる。


「大丈夫、経過は良好だよ。ここからが大変だけど、基本は自然分娩、あたしたちは見守るだけだよ。でも、何があってもいいように、気は抜くんじゃないよ」


 エマの厳しい眼差しとともに、俺たちは気を引き締め直して見守る。


 リンは苦しいのか、立ったり座ったりを繰り返す。

 そして、時間の経過とともに、徐々に子麒麟の姿が露わになってきた。

 しかし、胸のあたりまで出かかった時、出そうで出てこなくなった。


「クッ! だ、ダメなのか? ここで足を引っ張るか?」

「いや! 下手に手を出さない方がいい。母の強さを信じよう!」


 俺がうろ覚えの知識で足を引っ張って引きずり出す提案をしたが、エマのきっぱりとした決断で自然分娩を続行した。

 その決断は正しく、すぐに出産が行われた。


 その後、子麒麟はプルプルと震え、疲労しきっているはずのリンが呼吸を整えると子麒麟を案じるようにペロリと舐める。

 子麒麟は本能で立ち上がろうとプルプルと体勢が動き出した。


「が、頑張れ! 頑張るのだ!」


 イシスの声援で俺たちの握る手にも力が入る。

 そして、子麒麟が震える四肢で……


「立った! 立った、立った! クラ◯が立ったのだ!」


 イシスが素でベタなボケをかましてきた。

 このボケを知らないみんなはただ喜び、子麒麟の命名も完了したのだった。


 ただ、俺も一仕事終えた達成感から子供らしい笑顔で喜び合うマルクとティファとハイタッチをしたのだった。

 ハッとしたマルクがティファをかばうように間に入ってきたが、ティファがマルクの手を握りふるふると首を横に振った。


「……いいよ、マルくん。あたし、リリ姉ちゃんのこと悲しいし、嫌なこともいっぱいされたけど、アル様のことを赦します」

「うう! ……はぁ、ティファは優しいよね? あんなひどいことされたアル兄を赦すなんてさ」

「だって……」

「でも、その優しさところ、ボクはだよ」

「ま、マルくん! あ、ああ、あたしも、す、す……」

「そういうわけでさ、アル兄。のティファに免じてボクも赦してあげるよ?」


 マルクは、と言われて固まるティファから俺の方を向き、手を差し出してきた。

 天然たらしで末恐ろしい弟に苦笑いしつつ、俺は小さいのに働き者の硬い手を握り返した。


 俺たちの方を見ながら、麒麟の親子たちが幸せそうに大きくいなないた。

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