第六節 ご機嫌な食卓
―三途の川ステュクス―
「……アンタ、また来たの?」
三途の川の渡し守カロンが小舟のヘリにもたれながら大きなため息をついた。
ここに来るのはこれで何度目か、最早俺たちは顔馴染みなっていた。
「……いや、来たくて来てるわけじゃ……」
「……ふぅん? で、今回はちゃんと渡し賃持ってきたでしょうね?」
「あ、いや……」
「……はぁ。おととい来やがれ、この貧乏人が!」
「にぎゃぁあああああ!」
俺はカロンにローリングソバットを喰らい、天高く舞い上がっていった。
・・・・・・・・
「ハッ?!」
俺は意識を取り戻すとふかふかのベッドの上だった。
天井が高く、何処の大富豪の豪邸なのかと思ったが、この世界随一の大貴族が俺の実家だったっけ。
「あら? 気がついたのね、アルセーヌちゃん?」
この世界の俺の母親が、何ともおっとりとほわほわした笑顔でやって来た。
どこか別世界に住んでいるかのように浮き世離れした雰囲気がある。
「……いや、まあ……」
俺はいい年こいてちゃん付けはやめてくれ、と言おうとしたところで、どこかから軽やかなベルの音が聞こえてきた。
「まあ、お昼の準備ができたわね。さ、行きましょう。アルセーヌちゃんのお友達も向こうにいるわ」
「お、おう」
母親がマイペースにぱんと手を合わせ、ツツツっと緩やかに歩き出す。
俺は慌てて起き上がり、母親の後について歩く。
本当に勝手知ったる実家ならばのんびりと寛げるのだろうが、俺はこの体の主とは別人だ。
勝手にこの体を使っているという後ろめたさもあって、どこか落ち着かない。
「ごきげんよう、奥様」
「うふふ、ごきげんよう」
二足歩行の猫と犬が、廊下の両端で恭しく頭を下げる。
妖精猫のケット・シーと妖精犬のクー・シーだろうか、貴族らしく気取っていてどこか微笑ましい。
が、俺が目を向けると、頑なに目を合わせようとしない。
やっぱり、この体の主は嫌われているようだ。
広々とした食堂に到着すると、長大なテーブルには純白のテーブルクロスに取皿や銀器がぴっちりと並べられている。
鋭い二本の角の生えた龍がタキシードに身を包み、硬質な鱗の翼を折りたたみながら恭しく頭を下げる。
龍人が執事、控える使用人たちは様々な獣人たちだ。
「ご主人たま!」
『ワフーン!』
レアとロロが俺に飛びついてきた。
いつでも甘えん坊な子どもたちの頭をワシワシと撫でて気分が落ち着いてきた。
「クックック。慕われてんなぁ? おめえも外の世界を知ってちったあ成長したか?」
この世界の俺のオヤジ、シュヴァリエ家当主『聖帝』が不敵に笑いながらやって来た。
見た目は俺によく似ていて、口ひげを生やしてワイルドにした感じだ。
もちろん、年相応に中年ではあるが、身体をしっかりと鍛えられているのか、よく引き締まっている。
「うふふ、当然でしょう? 私達の子供なのよ? 他の子達に比べて成長が遅いだけと言ったでしょう?」
「ああ、そうだな。母さんの深い愛情があったからこそ、だな」
「ええ、貴方によく似ているのだもの。立派になると思っていたわ」
と、両親たちはラテン系のノリで、イチャイチャ、チュッチュッし始めた。
バカップルか、この親ども?
俺たちが唖然としていると、母親によく似た少女が弟妹たちを連れてため息を付きながらやって来た。
「……もう、いつもお熱いんだから。ねえ、お腹すいたから食べましょうよ」
「うん! お腹ペコペコだよねぇ、ソフィ姉ちゃん」
そうして、俺たちはそれぞれ席について食事をすることになった。
「ガッハッハ! 悪かったな、アルセーヌ。おめえ記憶を失くしたんだって?」
「ん、まあな……ってなんでそれを?」
「おう! そこのおめえの彼女が教えてくれたぜ!」
「あ、いや、別に、そんな……」
大笑いしながら勘違いをするオヤジの言葉に、ロザリーが顔を赤くして口ごもっている。
どうやら俺が三途の川に旅立っている間に、ロザリーが俺のオヤジを宥めてくれたらしい。
いつもフォローばかりしてくれて、頼りになる相棒だよ。
「それにしても、あの『氷の女王』の娘とはな。あの剣幕は大したもんだ。いやあ、マジでそっくりだな!」
どうやらオヤジはロザリーが気に入ったようだ。
どこかざっくばらんでくだけていて、とてもじゃないが大貴族らしくはない。
話をしている間に、料理が運ばれてきた。
トマトとモッツァレラ、ベビーリーフのサラダ、新鮮なのか色鮮やかで美味しそうだ。
モッツァレラは自家飼育のカトブレパスの生乳で作られたチーズらしい。
「うま!」
俺はカトブレパスのモッツァレラを頬張ると思わず舌鼓を打った。
もっちりとしたモッツァレラらしさで、濃厚でありながらもクセがなくてフレッシュ、優しい甘みがトマトの酸味と見事に調和している。
「本当に美味しいですよね! こんなにも食材の味わいが強いなんて!」
ヴィクトリアも驚きを隠せていない。
いや、元々素直なお姫様だった。
それだけ正直に美味しいのだ。
「そうだろう、そうだろう? ここらは大地の恵みが豊かでな。植物も動物も元気に育つ、最高の土地なんだ」
俺たちの反応が良いことで、オヤジは心から上機嫌で目を細める。
先祖伝来の自分の領地を誇りに思っているのだろう。
真夏の暑いランチらしく、涼やかに鮮やかな領内産ロゼワインが五臓六腑に染み渡り、癒やしを与えてくれる。
次のメニューは、自家飼育のコカトリスの卵で作られたキッシュがやって来た。
色とりどりの夏野菜とカリュドーンの猪のジビエ挽き肉が具材のようだ。
「いやあ、ちょうど良い時に帰ってきたな、アルセーヌ?」
「え? どういうこと?」
「おう! 来週にソフィの結婚式があるんだ。おめえも……」
「ダメ!」
賑やかだったご機嫌な食卓が、たったの一言で凍りついた。
ずっと黙々と食事をしていたソフィが怒りに肩を震わせ、テーブルを力強く両手で叩いた。
取皿が床に落ち、不協和音を奏でるように砕け散った。
「このバカ弟が出席するなんて、絶っ対、あたしは認めないんだから!」
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