第13節 光と闇の巡り合せ

 エドガールの獣の慟哭が響き渡る。

 目の焦点の合わない狂女は、その破滅の音色をまるでアリアでも聴いているかのようにうっとりと目を細めた。


「なぜだ! なぜだ、テレーズ、なぜだぁあああ!」


 エドガールは憎悪に哀しみ、負の感情がすべて綯い交ぜになった獰猛な視線をテレーズに向ける。

 テレーズはさらに歓喜に打ち震えるかのように小さく身震いをした。


「ああ、やっとわたくしを見てくれましたね、エドガール様? うふふ、嬉しいですわ」

「お前は自分が何をしたのかわかっているのか!」

「そうですわ。貴方様が旅立たれてからは独りの寂しい夜、毎晩すすり泣いておりました」

「クッ! 私が聞いているのはそんなことではない!」

「ええ、わたくしには貴方様への愛がすべて、国だとか王族の使命などどうでも良いのです。貴方様さえお側にいてくださいますれば、それだけで良かったのです」


 二人の会話は全く噛み合っていなかった。

 エドガールの苛立ちは限界まで高まり今にも爆発しそうだ。

 テレーズはただ一方的に自身の言いたいことを語っていた。


「そうなのです。わたくしはエドガール様に愛されてさえいれば良かったのです。変わらない王宮での日々、王位継承だとか領地の安定なんて必要ありません。二人だけの小さな世界だけで完璧だったのです」

「だから、ベアトリスを!」

「ベアトリス? エドガール様の愛を奪った牝犬かぁあああ! あ、ああ、あんな下賤の者、モノにぃいいい! ゆ、許さない、許さないんだから! だ、だから、だから、花束に変えてやったのよ! ひ、ひひ、ひひひ!」

「だ、黙れぇえええ!」


 突然豹変したテレーズは醜く顔を歪めて激昂し不気味に嗤い出した。

 その狂気に当てられたエドガールは、感情が爆発するままに剣をテレーズの腹に突き立てた。

 

「ガハッ?! ……うふふ。ああ、熱い、熱いですわ。愛しい御方、やっと手の届くところまで」


 テレーズは剣に腹を貫かれているにも関わらず、さらに深く歩を進める。

 この狂気に誰もが言葉を失い、エドガールは血の気を失って剣を手放して地に膝をついた。

 そのエドガールをテレーズは血まみれの身体で抱きしめる。


「ああ、嬉しい、ですわ。に貴方様がもうわたくしを愛してなどいないと告げられた時分には、信じられずに心がバラバラになって真っ白になってしまいましたわ。この雌豚にお子を宿したと知った時、貴方様の愛が喪われたと確信いたしました。それならば、貴方様に、この生命を捧げようと。……うふふ、これでわたくしは、貴方様の中に、永遠に居続けることが、できる、のです」


 テレーズはついに力尽きて倒れ、エドガールは呟く。


「あの御方? まさか、父か? あの愚鈍で残酷な男ならば……」

「……殿下、すまねえ。俺が遅かったばかりに……」

「……良い、ギュスターヴよ。行け、そなたは大切なヒトを失うな、友よ」


 エドガールは顔を上げずに小さく言葉を発した。

 ギュスターヴは言葉を返すことなく零れそうな雫を拭い、踵を返した。


「うふふ。わたくし、幸せ、ですわ。愛しい御方が、終わらせて、くれた、もの。もう、忘れられない、わ。そうでしょう、カール?」


 テレーズは幼き日に戻ったように無邪気に物言わぬ人形に笑いかけ、そのまま目から光が喪われた。

 僕はただ人の持つ狂気に圧倒されていた。


「つッ?!」

「ジーク様?!」


 一瞬激しい頭痛がしたが、すぐに止んだ。

 僕は頭を振って、大丈夫、と心配するヨハンに笑いかける。

 それから、先へと進んだギュスターヴの背を追いかけた。


 いつの間にか来ていた狼の獣人がすれ違いざまに呟いた一言が耳にこびり付いた。


「人族ほど、残酷で最悪な生き物はいねえ」


☆☆☆


 ギュスターヴを先頭に走るジーク達一行は、メアリーが牢獄にいないことがわかり処刑台へと急いでいた。


 メアリーはすでに処刑台に移送され、処刑台の上に立っていた。

 国王が王妃の処刑の正当性を演説しているが、内容は薄い。

 しかし、民衆にとって処刑は娯楽の一種、しかも王族という大物であったため異様なまでに盛り上がっていた。


「……以上である! では、貴様の言い分を聞いてやろうではないか?」


 国王は重い身体を静かに佇むメアリーの方へと向けた。

 その姿は、牢獄に繋がれていたせいで少々やつれてはいたが、心身に異常は見られない。

 近衛騎士長アルマンの目が光っていたからか、人としての尊厳は守られていたようだった。

 メアリーは小さく息をつき、スッと目を見開く。


「特に、ございません。わたくしは不貞の罪に事実を認めません、と仰ったところで慈悲は与えられないでしょう?」

「当然だ! 嘘を言って処刑を免れようなどありえん!」

「……ならば、わたくしも最期に言わせていただきましょう。当代の英雄ギュスターヴ・ラ・フェールと密通を疑われているようですが、そのような事実は神に誓ってもございません。ただ、その心までも罪に問われるのならば、否定は出来ません」

「何っ?」

「わたくしが生涯愛したのは、唯一人、貴方様ではございませんわ、陛下」

「ぐぬぬぬ! ええい! そのアバズレの首を取れい!」


 国王が顔を紅潮させてツバを飛ばすと、騎士たちがメアリーを断頭台に首を添えさせた。

 処刑人が剣を振りかぶると処刑場はさらに異様なまでに盛り上がる。

 メアリーは気丈にも覚悟を決めて目をつぶった。


「……ギュスターヴ」


☆☆☆


 僕たちが処刑場に姿を見せた時、処刑人の剣が振り下ろされるところだった。

 まだ終わっていない。

 しかし、あまりにも距離が遠い。

 

「クソぉ! てめえら、どけぇええ!」


 ギュスターヴの焦りの咆哮によって、野次馬たちの一部が前を開ける。

 だが、まだ前方にはまだまだ野次馬がたかっている。

 僕は聖闘気を高める。


「ちょ! ジーク様! まだ前に人が……」

「関係ない! こんな悪趣味なものを楽しむヤツラなんかどうでもいい!」

「……え? じ、ジーク、様?」


 僕の言葉に、ヨハンが信じられないモノを見るように固まってしまった。

 しかし、現実にはそのような事態にはならなかった。

 処刑人が閃光と共に消し飛んだからだ。


「オーズ! ヘッ、頼りになるぜ。うるぁあああ!」


 ギュスターヴが一気に駆け抜け、断頭台を破壊し、メアリーを抱きしめる。

 間一髪間に合い、二人は歓喜の涙を流し抱きしめ合う。

 そして、僕も処刑台の上に立った。


「良かった。こっちは間に合った」

「そうですね『神の子』。ですが、本番はこれからですよ?」


 声のした方を振り向く。

 そこには、聖教会教皇と仮面の男テラーが立っていた。

 だが、それ以上にその先にいる人物に声を失った。

 

 鎖で繋がれ、無惨な拷問で穢された『魔王』カーミラが虫の息で倒れていたからだ。

 その姿に僕の中で何かがキレる音と共に視界がどす黒く染まる。

 教皇もテラーも、その隣で席に着くフランボワーズ国王もろとも消し飛ばすつもりで剣を振り下ろした。


 が


「ガハッ?!」


 いくつもの建物をなぎ倒し、牢獄の壁にめり込んだのは、僕だった。

 

 何が、起こった?


「フハハハ! 『神の子』恐るるに足らず!」


 フランボワーズ国王が高笑いをしているその姿を守るように、小柄な騎士が立っていた。

 噂のフランボワーズ王国の守護神、四百年間玉座を守り続ける戦闘人形、か?


 僕は剣を地に刺し、笑う膝で立ち上がる。

 完全に力負けをしたことは初めてだった。

 血反吐を吐いて身動きの取れないダメージを受けたことも初めてだった。


 強すぎる。


 しかし、相手も完全にダメージが無かったわけではない。

 仮面が砕け散った。


「……え?」


 その姿は、夢で見た少女だった。

 僕の中で何かが目覚め、涙が止まらない。

 

 その少女は誰よりも美しく、誰よりも強い。

 僕が、いや、僕の中の何かが巡り合せに打ち震える。

 

「ヒカリ、なのか?」


 知らないはずなのに、知っている。

 ヒカリ、修羅の国の言葉で、意味は光、聖教会圏の共通語でルクスという。


 四百年前の伝説の勇者、そして、僕の前世、大魔王の婚約者だった。

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