第5節 大切な存在

 僕は今、総本山にある転移装置の間で、各地に転移する仲間たちを見送っていた。


「ほな、またな、ジーくん!」


 アイゼンハイムは、笑いながら光とともに消えていった。

 聖教会圏最東部、世界最大の武力国家シーナ帝国との国境要塞へと戻っていった。

 アルカディア独立戦争前と同じ配置場所であり、重要拠点の一つだ。


 聖教会圏が不安定になり、シーナ帝国で不穏な動きがあるという。

 東部方面司令官であるアイゼンハイムは防衛のための編成に取り組むそうだ。


 アイゼンハイムの聖騎士序列は第五位だが、それはあくまで個人の戦闘能力だ。

 アルカディア独立戦争では、アイゼンハイム隊はほぼ無傷で任務を果たしている。

 人を喰ったような曲者の真価は、指揮官としての能力なのかもしれない。


 ちなみに、ジル・ド・クランは一足先に異端審問官たちを引き連れてどこかに旅立った。

 教皇勅命の秘密の任務だそうだ。


「……では、私も行こう」


 僕の隣に立っていたオリヴィエもまた転移装置の中へと進んでいく。

 オリヴィエは新たに七聖剣入りし、暗黒大陸の重要拠点マルザワードの司令官となった。

 

「あうう、オリヴィエさん……」


 ヨハンは目を潤ませ、今にも泣き出しそうだ。

 オリヴィエは妹のような弟分に苦笑いを返し、頭に手を置く。


「大げさだぞ、ヨハン? 今生の別れというわけでもないだろう?」

「そ、そうですけど、ボクは、ずっと慕っていたオリヴィエさんとお別れなんて」

「あはは! 大丈夫だよ、ヨハン。またすぐに会えるさ」


 僕は笑いながらオリヴィエと握手をして見送った。

 でも、僕はこの時、まだ気づいていなかった。

 頼れる兄のような友であり背を任せられる相棒、その存在の大きさに。


 僕とヨハンは、新国家アルカディア連邦との和平の調印式を行うため、教皇に付き従い、フランボワーズ王国へと転移していった。


☆☆☆


―フランボワーズ王国 河川地帯コルマール砦―


 聖教会軍との戦いからすでに1ヶ月が過ぎていた。

 エドガールは、勝利の余韻もなく政務に没頭していた。

 しかし、寝る間も惜しんで励むが、仕事が減るどころか増え続けていた。


 それもそのはず、大粛清の後の混乱、戦乱に次ぐ戦乱、ついには蝗害による大不作、物価の急騰、食糧不足、国内どころか聖教会圏各地で暴動が起こり始めていた。


 教義に基づいて人々を良識ある方向へと導くはずの聖教会は、地方で不正の発覚が相次ぎ、独立戦争の敗北によって求心力を失い始めていた。


 地方領主たちもまた、それぞれ独自に増税や民衆の弾圧に舵を取り始めている。

 フランボワーズ王国は分裂の危機に立たされている。


 だが、王家は変わらなかった。

 愚鈍な王は己の享楽にしか興味がなく、佞臣たちは己の懐を膨らませるばかりであった。


 そのような情勢であるため、各地の圧政を逃れようとする者たちは河川地帯を目指して集い始めている。

 エドガールは民衆の希望の象徴だった。

 荒れ果てた河川地帯を復興させつつあり、寡兵で10倍の大軍を破った名将、絶対に抗えない腐敗した聖教会を破った英雄だと盲信していたからだ。

 そのせいで、政務は増加の一途を辿っていたのだ。


 英雄に祭り上げられた偶像はどう考えているのだろうか?


「……殿下、夜ももう遅いのでお休みになってください」


 執務机の上に光る魔石を照明にエドガールは書簡をしたためていた。

 その目元はクマが濃く、頬も削ぎ落とされている。

 まるで何かに取り憑かれたように政務に没頭しているようだ。

 そんなエドガールの元にやってきたのは、心配顔の第三夫人ベアトリスだった。


 例の大粛清で家が没落し、かつては盗賊と成り果てていたが、エドガールに見初められた。

 並の男よりも精強な剣士であったが、今では髪も伸び、腹も大きく膨らんでいる。

 剣タコが出来ていた手も今では柔らかくなり、その腹を愛おしそうに撫でていた。


 エドガールも羽ペンを動かす手を止め、ベアトリスにぎこちなく笑いかける。


「……うむ。キリの良いところまで書きたいのだ」

「無理をしすぎですよ。殿下まで倒れられたらどうなさるおつもりです?」

「む? ……フッ、ハッハッハ! 倒れてしまったら何も出来んではないか!」

「わ、笑わないでください! わ、私のように無学な者の揚げ足を取っても面白くありません!」


 さも可笑しそうに大笑いをするエドガールにベアトリスは顔を真赤にしてそっぽを向く。

 エドガールは苦しそうに笑いを堪え、頭を下げる。


「クック、ク。すまぬ、すまぬ。そなたが愛しくてつい意地悪をしたくなるのだ」

「まあ! 褒めても何も出ませんよ? ……ですが、久方ぶりにお笑いになりましたね?」

「む? そう、だな。……生き残った私が頑張らねばならんのだ」


 エドガールは神妙な顔で顔を俯かせ、拳を握る。

 震える手を見ながら、エドガールは思いを馳せる。


 政務の大半を担当していたリュウキは、クーロンの攻撃で現在も生死の境を彷徨い倒れたままだ。

 まだ生きてはいる、それだけでもエドガールは救いはあると思っている。

 だが、未来ある忠臣アンリの死に報いようと、より良い領地にしようと張り詰めていたのだ。 

 

 エドガールの力強く握る拳が震え、その手の上にそっとベアトリスは己の手と重ねた。

 その顔には母の持つ慈愛の心に満ちていた。


「分かっております。アンリを始めとする、多くの臣下がなくなったことはとても悲しいことです。ですが、殿下は私達の太陽です。貴方様がいるからこそ、私達は前を向いて生きていけるのです。どうか笑っていてください」


 ベアトリスはエドガールの頭を己の腹に抱きしめた。

 エドガールはその中に、小さな鼓動が聞こえたのだろうか。

 静かに嗚咽を漏らした。


 しばらく、そのまま時が進んだ。

 やがて、エドガールは顔を上げるとスッキリしたように明るく微笑む。


「……ありがとう、おかげで生き返った気がする。やはり、そなたは私の大切な愛する妻だ」

「ふふ。私こそ、もったいなきお言葉ですよ。では、先に床でお待ちしております」


 ベアトリスは静かに一人で寝室へと戻っていった。

 エドガールは満ち足りたように笑いながら頷いた。

 そして、政務のキリの良いところまでやり遂げようと執務室に残った。

 

 このことを、エドガールは一生後悔することになる。


 エドガールが寝室へと戻ると、そこには愛する妻の姿はなかったからだ。

 只一つ『私を忘れないで』と刻印された薔薇の描かれた金の指輪、エドガール第一夫人テレーズの結婚指輪が存在感を残しながら床の上にあった。


 運命の糸がすぐそこまで迫り、すべてを巻き込み交わろうとしていた。

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