第2節ー① 大決戦・前

 聖教会の事実上の敗戦は、聖教会圏はもちろん、世界中に衝撃が走った。


 暗黒大陸の防衛基地マルザワードでは、人族と敵対する三大勢力、魔族、獣人族、竜族、特に獣人族の襲撃が活発化している。

 聖教会圏と大陸の東西を二分するシーナ帝国でも軍備が整えつつあるという報告もあった。

 

 聖教会圏の内部でもまた、土台を揺るがす事態となっていた。

 

 蝗害の発生により、主食である小麦は大凶作、それでも当面は問題ないはずの備蓄があるはずであった。

 しかし、アルカディア独立戦争の兵糧に使われていたせいでほぼ庶民には渡らなかった。

 聖教会圏の経済を裏で牛耳るザイオンの民が、供給をさらに制限していたからだ。

 食料価格の急騰もあり、庶民は飢えにより不満が高まった。


 かつては聖教会の教えを盲信してきた民衆たちであったが、ザイオンの民によって啓蒙思想を教えられ、知性の芽生えとともに懐疑と否定の精神も生まれた。

 市場を牛耳るザイオンの民の狡猾な誘導で、庶民の怒りはむやみに戦争を続ける聖教会、贅の限りを尽くす王侯貴族へと向けられた。


 民衆の不満は高まり続けていたが、権力者たちに恐れを抱き行動に移すことはできないでいた。

 だが、彼らに希望を与える存在がいた。


 フランボワーズ王国第一王子エドガールである。


 この男も権力者の上位に位置する出自と経歴であるが、民衆は彼を崇めた。

 

 宮廷の醜い権力闘争によってどん底に突き落とされた王太子、しかし、王家の陰謀によって没落した河川地帯を復興させつつある英雄と捉えられている。


 市井の人々は、酒場にフラリと現れる吟遊詩人の歌でその存在を知った。

 庶民最大の娯楽、野外演劇でもエドガールを始め、ギュスターヴら側近たちも演じられ、次々と支持を集めていった。


 当の本人たちはそのことを露知らず、ついに決定的な戦いが起こる。

 フランボワーズ王国聖教会軍との大決戦だ。


☆☆☆


 アルセーヌやジークフリートたちがアルカディア大陸南部でピサロたちと戦っている頃、エドガール軍もまた聖教会と対峙していた。

 河川地帯は大小様々な川が入り組む複雑な地形である。

 しかしながら、平野部の草原も当然存在する。


 現在、両軍が対峙している地は、東は聖教会圏の大動脈リーン川、西は王都郊外と隔てられる丘陵地帯との間、アルガス平野と呼ばれている。

 かつては家畜の放牧地であったが、河川地帯の治安悪化後、荒廃地となっており決戦の舞台として選ばれた。


「……これが、聖教会軍、か。タッソー共とは格が、いや次元が違うな」


 先頭に立つエドガールは、背に冷たいものが流れるのを感じてはいるが、表には出さなかった。

 短く唸り、腰に佩いた剣を握る手は冷たく汗で湿っていた。


「ああ、タッソー共との戦いの時とは逆に、こっちが10倍の数だ。だが、俺たちも奴らとは違うぜ?」


 ギュスターヴはエドガールの隣に立ち、不敵に口端を上げた。

 この男もまた英雄の風格、巨大な戦力を前に恐れを微塵も見せていない。

 

「ファッファッファ! そういうことじゃ。妾もおる、無策で挑むわけではないわ」


 幼女な見た目の竜人、軍師リュウキも双髻を揺らしながら高らかと笑った。

 それから、顔を引き締め、腰掛けていた指揮車から立ち上がった。

 エドガールは、最側近たちとともに自軍へと振り返った。


 その軍勢およそ1万、人族のみならず、獣人、オーガを始めとする魔族も旗印のもとに集っている。

 復興を目指す者、虐げられてきた者、己が欲望のため、思いはそれぞれだろう。

 だが、共通の強大な相手の前にその士気は漲っていた。


「皆の者! 戦いの時がきた! 相手は聖教会! 自らを神の信仰を護る聖なる番人、絶対正義だという! ならば、我らは悪か?」


 エドガールの声はよく通る。

 万の誰の耳にも心地よく響く。

 エドガールは言葉を区切り、一同を見渡す。


「否!」


 いの一番に声を上げたのは、千の隊を任されたクレベールである。

 かつての名門武家、しかしながら無能と称されていた若者だ。


 タッソー家との戦いで修羅場をくぐり抜け、別人のように精悍な顔つきになっている。

 目の前の王者の覇気に当てられ、力強く地を踏み込む。

 エドガールは表情を変えることなく頷き、言葉をつなぐ。


「そうだ! 我らは何も悪くなど無い! 謂れなき罪を着せられ、父母、子、友ら愛する者たちを理不尽に奪われた! なぜだ! 愛する者たちは本当に神の敵だったのか?」


「否!」


 次に前に出たのは、籠城戦で活躍した砦の主ソレルだ。

 ソレルもまた自身の嫡男を異端審問にかけられ、凄惨な拷問の末処刑されている。

 その当時、大領主ロワールの護衛騎士を務めていたので冤罪だった可能性は大だ。

 エドガールは、元来穏やかな性格のソレルが激情に駆られているのを目にし、さらに続ける。


「そうだ! 愛する者たちは悪くなかったのだ! 神の敵とはなんだ! 人族に生まれなかっただけで邪悪な存在なのか?」


「否!」


 エドガールの旗のもとに集った獣人たちも声を高く地を踏みしめた。

 人に生まれなかっただけで虐げられてきた者たちだ。

 隠れるように穏やかにひっそりと暮らしてきたが、聖教会の虐殺にさらされていた。


 エドガールは聖教会の教えに反してでも、虐げられた者たちに救いの手を差し伸べたのだ。

 それ故に此度の戦争の発端となったが、エドガールは後悔を微塵も表には見せていない。

 まばゆいばかりの笑みを浮かべ、力強く地を踏みしめた。


「そうだ! 我らは誰も悪などではない! 家畜でもない! 虐げられた者たちが尊厳を持って生きることを主張しているだけだ! 相手は決して神の使いなどではない! 権力の亡者共の巣食う腐敗した組織だ! 何も恐れることなどないのだ!」


「応!」


「声が小さい! 気迫が足りんぞ!」


『応!』


「よし! さあ、私に続け! 誇りを持って生きる権利を自らの手で掴むのだ!」


 エドガールは先陣をきり、騎馬で駆けた。


 この戦いによって、未来がどのような結末になるのか、世界の誰もが予想もしていなかった。


 運命の女神の紡いだ糸はまだ顕現していない。

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