第15節 潜入捜査

 ―アルカディア大陸東北中部 湖水地方シルバニア―


 とある娼館、そこでは激しくベッドの軋む音、獣のような荒い息遣いが各部屋に響いていた。

 各部屋には外部への防音魔道具が施されているため、娼館の女将は自身の静かな執務室で眉一つ動かさず、売上の勘定をしていた。


 その時、女将のもとに裏方で働くメイドがやって来た。

 女将は上顧客がやって来たことを告げられ、その顧客の待つ小サロンに出て行った。


 この娼館は、フランボワーズ王国王都にあるフォア侯爵の高級娼館ほどではないが、この街では有数の娼館である。

 貴族階級や経済的に成功した移民、実業家たちも利用していた。

 そのため、一見すると娼館に見えず、非日常を演出するため内装は神秘的、お忍びで訪れた客同士の鉢合わせを避けるための配慮もされていた。


「いらっしゃい、お兄さん。今日もヨハンナでいいかい?」


 女将は、すでにとうは立っているはずだが、かつての高級娼婦としての妖しい色香が漂っている。

 その笑みは、媚を売るでもないのに、不思議と男を惹きつけられる艶やかさがある。


 女将にとってはただの営業スマイルであったが、客の男オリヴィエは思わず心が乱されそうになった。

 オリヴィエは頭を振って、地に足を付けるように声を発した。

 

「……あ、ああ、頼む」


 オリヴィエは、懐から金貨の入った小袋を取り出し、女将に手渡した。

 女将は数えることもなく、ただ受け取った。


「いつもありがとうねぇ。あの子はいつもの部屋にいるよ」

「ああ、ありがとう」


 オリヴィエはすぐに部屋へと向うが、娼婦たちのいる大サロンを通る造りになっている。

 そこには、全裸、またはガータベルト、靴下、パンプス、ブーツだけを身に着けているだけの娼婦たちがいる。

 ソファーで寝そべったまま無言でオリヴィエを見つめたり、くねくねとみだらなポーズを取ってからかうように誘っていた。


 オリヴィエは、色を好むシュヴァリエ家ではあるが、遊び慣れていない。

 ただ顔を赤くして早足で通り過ぎていった。

 そして、案内された部屋の前にやってくるとノックをして中に入っていった。


「あ! オリヴィエさん、お疲れさまです!」


 中に待っていたのは、女装したヨハンであった。


 このVIPルームで待つヨハンは、他の娼婦たちとは違い色気はないが、実に愛らしい。

 それでいて、初々しくも際立つ繊細な美しさがあった。

 オリヴィエは毎日訪れているが、今日もまた思わず息を飲んでしまった。

 ヨハンは固まっているオリヴィエを見て、不思議そうに首を傾げた。


「……あの、オリヴィエさん?」

「ハッ!? い、いや、何でも無い。……と、ところで、何か変わったことはないか?」

「いえ、何もありません」

「そうか、こちらはアイゼンハイム様が出撃したがな」

「あ! あの北部のヴァイキング!……だ、大丈夫なのでしょうか? 確かヴァイキングって、オリヴィエさんたちの元上司の『七聖剣』だった方を……」

「ああ。ライアン隊長を倒した男と同じ民族だ。だが、いくら何でもあのエイリークという男と同格以上の者などそうはいないだろう。それに、アイゼンハイム様は、強い!」


 オリヴィエ自身、アイゼンハイムが本気で戦っているところは見たことはない。

 だが、強者だけが感じる何かを見抜いたのだろう。

 オリヴィエは、根拠もないのに相手を持ち上げることは無い、実直な男でもある。

 ヨハンもまた、オリヴィエがそういう男だと分かっていて、その言葉を信じた。


「それにしても、アイゼンハイム様は謎の多い人ですよね?」

「ああ、そうだな。この作戦を思い付くのは良いが、まさかこの娼館の上顧客だったとは。まあ、おかげで紹介されただけで私も顧客入りできたわけだが」

「あはは、そうですね。ボクだって、まさか仲介業者と繋がっているとは思いませんでしたよ。こんなにすんなりと潜入できちゃって。ボクのことを調べようともしなかったんですよ。本当は男だってバレたらどうしようかと思いましたよ」


 ヨハンは軽く笑った後、突然申し訳無さそうに俯いた。

 キレイにベッドメイキングされた、大きなベッドに腰を下ろした。


「……あの、ボクは本当にこんなことしていて良いのでしょうか? 何の成果も上げられずに、無駄に経費ばかり使わせてしまって」


 オリヴィエはフッと笑い、ヨハンの頭に手を置いた。

 それから、ベッドに腰を掛けているヨハンの横に腰を下ろした。


「気にするな、ヨハン。焦っても仕方のないことだ。潜入捜査は、忍耐強く慎重にやらないと危険だ」

「で、ですが、ボクばっかり楽なことを。皆さんは外で大変な仕事をしているのに」

「ハッハッハ。そうでもないぞ? 私は毎日のようにお前に会いに来ているし、ジークなどブリュンヒルデの世話しかしていないぞ? あいつは不器用だから、気まぐれなブリュンヒルデに振り回されているのは、なかなかの見ものだ」


 と言って、オリヴィエは楽しそうに笑った。

 ヨハンは、少し頬を赤らめて上目遣いにオリヴィエを見上げた。

 その目は、とろんとしていて、オリヴィエは思わず胸が激しく高鳴った。


「……あの、オリヴィエさん、何だか暑くありませんか?」

「む? そ、そうだな。確かに暑く……っ!? お、おい、ヨハン! な、なぜ脱ぐのだ!?」

「え? な、何をおっしゃいますか。ボクたちは男同士ですよ? 恥ずかしくはありませんよ?」


 ヨハンの線の細い体は、後ろから見れば少女のようでもある。

 オリヴィエの頭の芯は、まるでチョコレートのように甘く溶け出していた。


「お、おい、ヨハン!? 何をやる気……」


 ふと気がつくと、オリヴィエもまた上半身には何も着ていなかった。

 火照った顔のヨハンが、オリヴィエの分厚い胸板の上に手を置くと、うっとりとした顔でそっと擦り寄った。

 オリヴィエは、ゾクリとした何か得体の知れないモノが自分の中で湧き上がっているのを感じた。


「ぐ、ぐぅ!? な、何だ、これは? お、おかしい、理性が溶けていく?……ハッ!?ま、まさか、催淫魔法!? ま、まずい、ぞ……」


 オリヴィエは、自分たちが敵を罠にかけようとしていたが、逆に罠にかかったことを悟った。

 だが、最早遅かった。


 理性の失ったオリヴィエは、胸の中にいるヨハンを抱きしめ、そのままベッドの上に倒れ込んだ。

 そして、部屋のドアの開く音が聞こえ、足音が一歩一歩床を軋ませた。


―アルカディア大陸東北中部 湖水地方シルバニア郊外 ブラックスミス―


 ここには連邦軍の宿営地の小村がある。

 いくつか候補地があったのだが、ワトソンの優れた選択である。


 シルバニアの中心部に程々に近いので、シルバニアの街を占領している連合軍を牽制できた。

 さらに、連合軍の急襲の恐れを少なくする程度には離れていた。

 周囲の山々の高台に位置し、北にある川と相まって、守るにはやさしい地形であった。


 もう一つ、ここは川の畔にある鍛冶場にちなんで名付けられた場所で、ドワーフたちが細々と暮らしていた。

 この村に住むドワーフたちも移民ではあるが、独立戦争には関与していなかった。

 ワトソンの地道な交渉により、彼らの協力を取り付けることが出来たのだ。


 しかしながら、この小村では連邦軍の軍隊を賄うには、全てが足りなかった。

 すでに、連邦軍はその数を3万から半数の1万5千にまで減らしてはいたが、それでも食料は乏しく、雨露を防ぐ宿舎は絶対的に足りていなかった。

 装備品も全体的にボロボロ、宿舎は混み合い、栄養不足に衛生状態の悪さから兵たちは病気にも襲われた。

 

 連戦連敗に加えてこの状況だが、意外にも士気は低くなかった。

 暗黒大陸の最前線基地で、伝説の傭兵とまで謳われたワトソンの統率力は流石であった。

 軍隊を維持していくうえで物資の供給と同じくらい重要なこと、戦闘の実効性や士気、訓練度を上げていくということをよく理解していたのだ。

 有効な訓練計画を立て、実行に移す任務を冒険者ギルドマスター、アダムスに与えた。


 アダムスも、下積み時代に暗黒大陸で最前線で戦った経験がある。

 その当時は、マルザワードの現冒険者ギルドマスター、リリー・シェイドがリーダーを務めていたパーティーの補佐をしていた。

 アダムスは先頭に立つリーダーではなく、参謀役や後進の育成を得意としている。

 新たな組織構造、戦術マニュアルを次々と整えていった。


 それまで各部隊の訓練は、出身地や所属ギルド毎にバラバラな指導書によって行われており、実際の戦闘場面では兵士の連携が円滑さを欠き困難であるという欠点を抱えていたのだ。


 ピサロの戦略で連合軍を足止めしている時間を無駄にせず、ワトソンは今できることを行っていた。

 ワトソンの将として優れている点、それは部下に仕事を任せることができるということだろう。

 仕事を任された部下も成長ができる、それは人を育てるということになる。

 つまり、未来を築き上げる意味をこの老将は理解しているのだ。


 もちろん、直属の部下である現傭兵ギルドマスターにも別の仕事を任せている。

 有能な人材を見抜き、適材適所配置することは、先頭で戦うよりも将としての必要な能力なのかもしれない。


 そのワトソンが険しい顔で、全体の訓練を眺めている時だった。

 シルバニアの街からアダムスの息子サムとワトソンの孫娘イヴが帰ってきた。


「ただいま戻りました!」

「ただいま、お祖父様!」


 ワトソンの険しい顔は一転して破顔した。

 訓練をしていた兵たちはもちろん、目の前で訓練の指揮を取っていたアダムスも緊張から解き放たれた。

 ワトソンの不機嫌な圧力を実戦並みに感じていたのかもしれない。

 ワトソンはそんな兵たちの気の緩みも気にせずに満面の笑みのままだ。


「おお、イヴよ、よくぞ無事に帰ってきた!」

「もう、お祖父様、大げさよ!」

「お、大げさでないぞ! あの街には敵がウヨウヨいるんだぞ? もしお前がワシの孫だとバレたらどうするのだ! ワシは、心配で、心配で……」

「大丈夫よ! あたしにはサムが一緒だったもの!……ね、サム?」

「あ、はは……」


 イヴは隣に立つサムにニコリと微笑みかけたが、サムはワトソンの手前ぎこちない笑顔だ。

 ワトソンの額にビキッと青筋が浮かんだが、イヴは気が付いていない。


 イヴは着替えるために部屋へと戻っていった。

 ワトソンはイヴが部屋へと戻っていったのを見届けた後、ガシッと力強くサムの肩を抱いた。

 サムはただ青い顔で引き攣っている。


「……サム、イヴに何もしていないだろうな?」

「は、はい! も、もちろんです!」

「……そうか。だが、その時は貴様の####ピー※※※ピーして$$ピーするぞ?」

「ひ、ひぃいいい!?」


 サムがワトソンにいつものように責められているのを、誰もが見てみないふりをしていた。


 その後、サムはワトソンにシルバニアの娼館前の出来事を報告した。

 ワトソンは一考し、ピサロを含む連邦軍幹部を作戦会議室に召集した。


「……以上がサムから報告のあったことだ」


 ワトソンが一同を見回すと、誰もが厳しい顔をしていた。

 ただ一人、ピサロだけは不敵にニヤリと笑った。


「そうか。やっと連中も動き出したか」

「……本当に、あなたの作戦通りで大丈夫なのか、ピサロ殿?」

「クックック。当然だ、アダムス。我輩をナメるなよ?」

「だが、これ以上兵たちを犠牲にはできんぞ!」


 傭兵ギルドマスターの怒声を合図に、一同は非難の目をピサロに向けた。

 しかし、ピサロは意に介さず、不敵なままだ。


「心配するな。今回の作戦では、雑魚どもは囮になどせん。真っ向からぶつかり合わせてやる。好きに戦うが良い」

「ぐ! 何て言い草だ! 兵たちの命は、貴様の道具じゃないぞ!」

「フ! 文句があるなら吾輩以上の力をつけるが良い、小僧! 吾輩がおらねば、貴様らなんぞ、とうの昔に聖教会の連中に滅ぼされておるわ!」


 聖闘気を迸らせたピサロの恫喝で、サムは悔しそうに口をつぐんだ。

 ピサロは鼻で笑い、席を立った。


「まあ良い。次の戦いには吾輩も出陣する! 確実に勝利の美酒に酔うためにな! クハハハ!」

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