第13節 事件
―アルカディア大陸東北中部 湖水地方シルバニア―
この街にも大都市の例にもれず、娼館は存在する。
一説には人類史上最古の職業といわれ、男女という性別が存在する限り、永遠に失われることは無い職業だろう。
娼館の上顧客に軍人が存在することは想像に容易いことだ。
いつ果てるかわからない命、一瞬の快楽に癒やしを求めることは何も恥ずべき事ではないだろう。
それは、聖教会連合軍も例外ではなかった。
一部の聖騎士達を除けば、多くの兵たちはただの人間である。
厳格な規律だけでは、兵士の暴走を防ぐことはできない。
多くの若い兵士は独身、軍の基地内はほぼ男所帯であるため、どこかで鬱屈した感情を吐き出さなければならない。
娼館は、若い兵たちの欲望のはけ口として治安維持に貢献しているため、軍上層部もその存在は黙認していた。
この日もまた、屈強な肉体をした若い聖騎士が娼館の中にいた。
事が終わり、その聖騎士は甘えるように娼婦に抱きついている。
娼婦は慰めるように子守唄を歌い、聖騎士の頭を撫でていた。
見た目が屈強な男ほど、その内面は脆いものがあるのかもしれない。
虚勢を張る相手ではない娼婦だからこそ、自分のすべてをさらけ出しているかのようだった。
その後、事件は起こった。
この聖騎士と娼婦が抱き合ったまま、めった刺しにされた死体で発見された。
犯人は不明。
聖教会司令部は血眼になって犯人を探した。
しかし、犯人はなかなか捕まらなかった。
「当たり前やで! 聖騎士は目立ちすぎるんや! しかめっ面で歩いとるんやから当然や、遠くからでもすぐ警戒されるで!」
アイゼンハイムは、捜査に手間取っている団長の前で力説していた。
団長は執務机に座り、顔をしかめて腕を組んでいる。
「では、何か良い案でもあるのか?」
「ありまっせ! 潜入捜査やで!」
「潜入? だが、どこに潜入するつもりだ?……まさか、娼館か!?」
団長は驚愕の表情で席を立ち上がった。
自信満々なアイゼンハイムだが、団長の傍に控えているアリスは憤慨した。
「ふざけんじゃないわよ! うちの連中を使おうっていうの!?」
「アホ抜かすなや。ロリババアの部下なんか、女捨てとるようなメスゴリラばっかやんか。しいて言うなら、シュヴァリエの娘っ子なら見た目はええが、あの性格やと無理やろ?」
「あんたは、言いたい放題言って……」
まるで挑発するような口調のアイゼンハイムに、アリスは闘気を爆発させそうになった。
「まあ、待つんだ、アリス。……アイゼンハイムよ、自分から言い出したということは、何か良い考えがあるのだろうな?」
団長は不安そうな顔だが、アイゼンハイムはニヤリと笑った。
☆☆☆
「……って、どうしてボクがこんな格好をしないといけないのですか!」
僕の従士で従弟、教会騎士ヨハンは悲鳴を上げていた。
何がどういうことなのか、娼館への潜入捜査にまさか、男のヨハンが選ばれてしまった。
ヨハンは女装させられ、ひらひらとした薄いドレスを着せられている。
でも、正直に言って、その辺の女の子より、いや、控えめに言っても、高級娼婦よりも美人だ。
あれ?
何かおかしいけど、まあいいや。
「ブワッハッハ! ええやんけ! よう似合うとるで、お嬢ちゃん?」
「違います! ボクは男です!」
ヨハンは顔を真赤にして怒っている。
でも、余計に可愛く感じてしまうのはなぜだろう?
「クッ!? こ、これが、男……だと……?」
アウグスタは、まるで敗北したかのように驚愕の表情だ。
今にも膝から崩れ落ちそうになっている。
「ま、まあまあ、アウグスタさん? 比べる相手が悪すぎますよ。ね、オリヴィエさん?……あれ? ど、どうしたんですか?」
僕がアウグスタに苦笑いをし、隣りにいるオリヴィエに話しかけた。
でも、オリヴィエは無言で固まっていた。
「……む!? べ、べべ、別に何でもない!」
「ブワッハッハ! 何やねん、オリー? もしかして、見惚れとったんかいな?」
「ち、違います! ば、ばば、バカなことを言わないでください!」
「おお! 何やねん? もしかして、そっちの道に目覚めよったか?」
「……ふん! 汚らわしい」
真っ赤になって否定するオリヴィエをアイゼンハイムはからかった。
アウグスタはオリヴィエを汚物を見る目で蔑み、またアイゼンハイムを笑いに誘った。
もしかしてアイゼンハイムは、潜入捜査のためなんて言っているけど、本当は男の娘のヨハンをからかいたかっただけじゃ……
「何やねん、ジーくん? ワイがふざけとるだけと思っとらへんか?」
「い、いえ! そ、そんなことは!」
僕はアイゼンハイムに図星をつかれてドキリとした。
『奇術師』は心も読めるのか!?
焦る僕を笑い、アイゼンハイムはキリッと真面目な顔になった。
「ええか、よう考えてみい?」
「な、何をです?」
「いくら女の股ぐらで油断しとるからって、聖騎士がそう簡単に殺られると思うか?」
「あ! そ、そういえば!」
「せやろ? 聖騎士を殺れるほどの手練れ、ただの素人の訳があらへん」
アイゼンハイムの推理は的を得ている気がする。
僕は頷いた。
「それから、次が重要や」
僕だけではなく、他のみんなも聞き入っていた。
「あの日は、殺られた聖騎士だけが通っとったわけやない。下っ端の教会騎士も何人か他の部屋におったんや。そいつらは、何もやられんかったんや。それがどういうことか、分かるか?」
「……そういうことですか。無差別なら誰が狙われていてもおかしくなかった」
オリヴィエがすぐに答え、僕もピンときた。
「始めから、標的は聖騎士だった。そして、どこにいるのかも分かっていた」
「そういうことや。証拠はあらへん。ただの偶然やったのかもしれん。だがの、相手はピサロのおっさんや。何を仕掛けてくるのか分からへん。街全体に敵が潜んどるんや。こう疑ったとしても考えすぎなことはないで。娼館が敵に通じとるとしたら?」
ありえないこと、ではない。
誰が敵で味方なのかもわからない。
いつどこで襲ってくるのかもわからない。
僕たちは、この戦いの難しさに身震いをした。
―数日後 湖水地方シルバニア中心部―
「ねえ、サム、これどう?」
連邦軍司令官ワトソンの孫娘イヴは、店先に置いてあった羽飾りのついた帽子を被り、天真爛漫な笑顔でサムの方へと振り向いた。
「……うん、いいと思うよ」
サムはぼんやりとして気のない生返事で答えた。
このサムの態度に、イヴは一気に不機嫌になり、ぷぅっと頬を膨らませた。
「もう、サム! ちゃんと見てよ!」
「え、あ!……ご、ごめん」
サムはイヴに申し訳無さそうに頭をかきながら謝った。
それから、ハァッとため息をついて声を潜めてイヴの側で呟いた。
「……でもさ、イヴ、分かってるの? なんでオレたちが敵の真っ只中に来ているのか、忘れてないよね?」
「当たり前でしょ!」
イヴはまだ不機嫌なまま、プイッとサムから顔を背けた。
サムはただ困ったように苦笑いだ。
サムとイヴは現在、シルバニアの街に潜入している。
他の連邦軍の工作員も潜入しているが、サムは司令官副官として、他の工作員たちを管理する側としてだ。
だが、実際は先の『ブラッディーワインの戦い』での責任を感じて思いつめていたサムのガス抜きのためでもある。
ワトソンの粋なはからいではあったが、イヴが付いて行くことには猛反対をした。
それは、イヴが強引に押し切ったのだが。
「うん、だったらいいけど。オレたちは、任務通り恋人同士を演じないといけないんだからさ。あんまりはしゃぎすぎてボロを出したりしたら……むぎゅ!?」
そんな裏の事情を知らないサムは、長々と説教を始めようとしていた。
しかし、怒ったイヴによって顔を両手で挟まれ、無理矢理口を閉じられた。
サムは、なぜ自分が逆に怒られているのか分からず、混乱していた。
「ふん! そんなこと言われなくても分かってるわよ! サムのバカ!」
「みぇ!? みゃ、みゃむみぇ……」
「何言ってるのか、分かんな……あ」
イヴは、自分がサムの口を塞いでいたことに気が付いて、慌てて手を離した。
サムは笑いながら顔を擦っていた。
「……全くもう。イヴはすぐ感情的になるんだから」
「う!……ご、ごめんなさい」
イヴはシュンと小さくなって申し訳無さそうだ。
サムはくすっと笑った。
「イヴは素直でいいよ」
「え! 本当に? 嬉しいわ!」
「まあ、犬みたいに単純だけど」
「むぅ! またからかったのね!」
イヴはプイッとそっぽを向いた。
サムはやれやれと頭をかいた。
本当は、いつもイヴの明るい性格に助けられているが、素直に感謝していることを伝えられない自分のひねくれた性格が嫌になった。
「でもさ、イヴのおかげで少し元気になった気がするよ」
「ふふん! あたしがデートしてあげるんだから感謝しなさいよ」
「……デートしているふりだよね?」
「そうよ! でも、せっかくだから楽しまないと!」
「アハハ、イヴは相変わらず自由だよ」
二人が本当のカップルのように歩いている時だった。
「ヒャッハー、汚物は消毒……ぐわぁああ!?」
「押さえろ! 反乱軍の工作員だ!」
潜入していた傭兵の一人が火を放とうとしたが、見回りの教会騎士に取り押さえられていた。
サムとイヴは、工作員の大失態にただ唖然としていた。
「……何やってるのよ、あのバカ。どうして傭兵ギルドの下っ端にはロクなのがいないのかしら?」
「……確かに、汚物は処分された……あ!」
サムは呆れて皮肉を言おうとしたが、慌てて路地に隠れるようにイヴの手を引っ張った。
そして、イヴを抱きしめ恋人のフリをし、ある男たちが通り過ぎるのをやり過ごした。
その男たちが通り過ぎた時、サムはハァッと大きく息を吐き出し、膝を付きそうになった。
「ちょ、ちょっと、サム!? い、いきなり、何を!?」
「あ、ご、ごめん!?」
イヴは真っ赤な顔になってオロオロとうろたえている。
サムも、とっさにイヴを離して顔を真赤にして距離をとった。
いつもの雄弁さは欠片もなく、純情なただの思春期の少年のようだった。
「あ、あの、その、い、今のは、わざとじゃなくて……」
「う、うん。そ、それぐらい、分かってるわよ!……そ、それで、何があったの?」
「あ、ああ。……知ってるヤツだった」
「知ってる? 今の聖騎士が?」
「ああ。ヤツは、聖騎士最強『神の子』ジークフリート・フォン・バイエルンだよ」
「あ、あの人が。すごく、キレイね」
イヴは、ハァッとため息をつきそうにジークフリートの背中を見つめていて、サムは言い表せないような不快な気持ちがこみ上げてきた。
だが、すぐに頭を振って気持ちを切り替えた。
そして、ジークフリートたちの後を付けていった。
ジークフリートたちは、とある宿屋の前にやってきた。
そこは表向きは宿屋だが、実際は娼館である。
ジークフリートはもうひとりの男と別れ、その男は娼館の中に入っていった。
「……まずいな」
「え、どういうこと?」
サムは顔をしかめて呟き、イヴはわからないというように首を傾げている。
「別の娼館で、聖騎士の暗殺があったことを覚えてる?」
「う、うん。あたしはよく知らないけど、ピサロ総督が指示したって」
「ああ。あの男の戦略の一つらしいけど、オレたちはみんな反対した。でも、あの男が独断で強行したんだ。……クソ! あの男が無理やり作り出そうとしているうねりに、オレたちまで翻弄されている。オレたちの自由を掴む戦いが、あのゲス野郎の醜い欲望に利用されているんだ!」
「ちょっと、サム。声大きいわよ。……でも、それが何か関係あるの?」
「ああ、ごめん。……さっき中に入って行ったのは、ジークフリート・フォン・バイエルンの相棒、あのシュヴァリエ家の長男オリヴィエだ。シュヴァリエ家の前当主は好色で有名だったけど、あの男は硬派な男だ。普通に考えれば、あの男がこんなところに来るはずがない。実行犯の身元がバレたのかもしれないな。……これは、まずいことになりそうだ」
サムとイヴはすぐにその場を離れ、人気のないところで携帯型の転送装置で連邦軍本部へと急行した。
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