第12節 泥沼

―アルカディア大陸東北中部 湖水地方シルバニア―


 聖騎士団団長ライネスは、占領したシルバニアの元連邦軍司令官の執務室で難しい顔をしていた。

 執務机に腰を下ろしているが、書類の山に手がつかないようだ。


「……どうしたの、団長?」


 そこに現れたのは、副団長アリスである。

 少女のような見た目をしているが、実に勝ち気で上官である団長の前でも遠慮がない。

 団長もまた、そんな副団長の前では唯一肩の力を抜くことが出来る。

 団長はふぅっとため息をついて、懸念を口に出した。


「うむ。君はおかしいと思わないか? あの強欲なピサロがこうもやすやすとこの重要拠点を手放すものか?」 


 アリスはあごに手を当て、少し考えるような仕草をした。

 副団長なだけあって、見かけによらず頭もキレる。

 すぐに団長の懸念に同意するように軽く頷いた。


「ええ、そうね。あの男が何か企んでいることは間違いないわね」

「そうか、君もそう思うか。君の考えを聞かせてくれないか?」

「ええ、いいわよ。……あの男は、間違いなくあたし達をこの地に来させるために誘っているわね。戦線を長く伸ばして補給路を断つのが目的か、さらに奥地にある自分の領地に引き込んで罠を張っているか。それとも、その両方か。いえ、あの男は『ザイオンの民』とも組んでいるでしょうから、想像もつかない兵器を出してくるかもしれないわね」


 アリスは、次々と思いつく限りの可能性を示した。

 気に入らない相手ではあったが、かつての同僚であり、その実力も認めていた。

 それ故に、油断できない相手だということも分かっている。

 推測に決め手が欠けていた。


 団長も同じ意見だというように、頷き口を開いた。


「そうか、分かった。君のおかげで私の懸念も考えすぎでは無いことだけは確信できた。だが、ヤツが何を企んでいるのか。……クソ! 厄介なヤツが裏切ってくれたものだ。どうすれば……ぬ!? な、何を?」

「ほら! また眉間にシワが寄ってるわよ!」


 と、アリスは団長の眉間のシワを伸ばそうと指を当てた。

 団長は不意をつかれて驚きに固まっている。


「まったく! 自分で何もかも背負うんじゃないわよ。頭も白髪ばっかりだし、年以上にくたびれてるわよ?」

「う、うむ。しかしだな……」

「またそんな事言って! 少しは部下たちに頼りなさいよ! どいつもこいつも好き勝手やってる連中ばっかりだけど、こういう時だけは役に立つんじゃないの?」


 団長はアリスの叱責にハッとした。

 そして、憑き物が取れたかのような顔になり、フッと笑った。


「……そうだな。すまない。君にはいつも助けられる」

「……何言っているのよ。団長には返しても返しきれない恩があるのよ。あたし達を助けてくれたことを感謝しているわ」

「そんなことはない。私は君たちを……」


 アリスは静かに首を振り、団長の言葉を遮った。

 団長は口をつぐみ、アリスは執務室を去っていった。


「おや? これは副団長殿、いかがされました?」


 アリスが次にやって来たのは、とある建物の地下室。

 その扉の前で、ジル・ド・クランは工具箱を持って中に入ろうとしていた。

 相変わらず、不気味な笑顔を貼り付けている。


「……別に。あの男の情報は聞き出せたのかしら?」

「いえ、捕虜共が下っ端ばかりのせいか、ロクな情報を持っていなくてですねぇ」

「フン! あんたらのやり方が悪いんじゃないのかしら?」

「おや? それは心外ですねぇ? それとも、副団長殿にご指導いただきましょうか?」


 ジル・ド・クランは、手に持っていた工具箱を持ち上げ、アリスの前に差し出した。

 アリスは一瞥しただけで、踵を返した。


「……まあいいわ。あんたのやり方に任すわ」

「はい、お任せください、フッフッフ」


 アリスが階段を登っていくとジル・ド・クランはふぅっと大きなため息をついた。


「やれやれ。副団長殿は、団長殿に忠誠を誓っているのは良いのですがねぇ。団長殿に何も知らせずに悪役に徹するのですから、そこだけは尊敬できますよ。しかし、私情を挟みすぎるのは、いただけませんねぇ。神聖なる聖騎士たる者、最も忠実であるのは、教義であるはずなのに。やはり、亜人では致し方ありませんか。所詮は、人族に比べれば、その辺りの意識は低いでしょうからねぇ」


 ジル・ド・クランは、クスクスと笑うと重い扉を押し開けた。


「グヒィィぃ!? も、もうカンベンじでぇ!」

「ギヒィィィ!? や、やべでぇ!」


 阿鼻叫喚の中、異端審問官たちが尋問という名の拷問に精を出していた。

 ジル・ド・クランは、その様子を見て実に満足したように笑った。


「フッフッフ。さすがは、総本山の異端審問官たちですねぇ? 見事な腕前、惚れ惚れしますよ。さて、私も負けていられませんねぇ」


 ジル・ド・クランは工具箱を開き、鼻歌を歌いながら、皮剥ナイフを取り出した。


「ひいぃぃぃ!? お、おれは、何も知らn……いギャはぁァァ!?!!?」


 そして、哀れな捕虜の頭皮を不気味な笑顔で剥ぎ出した。


☆☆☆


「ほら、よー見とれや! 行くで? 3、2、1……タラーン!」

「「うわー、すげえ!!」」

「ブワッハッハッハ! どうや、こいつがホンマモンのマジックやで!」


 シルバニアの中心部にある広場で、聖騎士『七聖剣』序列第五位アイゼンハイムは、この街に住む子どもたちに奇術を披露していた。

 どの子供も目を輝かせてアイゼンハイムの奇術を楽しんでいるようだ。


 僕たち聖教会連合軍がこの街を占領し、住民たちには悪感情が広がっている。

 でも、子どもたちには関係なさそうだ。


「お? 何やあんさんも暇そうやな?」

「え、いえ、僕はそんな……」


 アイゼンハイムは僕を見つけて、笑いながら近づいてきた。

 子どもたちは、他の聖騎士がやって来たことで怖がって逃げていってしまった。

 子供にまで怖がられてしまったことで、僕は少し悲しい。


「ブワッハッハッハ! 何ヘコんどんねん? たかがガキどもにビビられたぐらいで何や、豆腐メンタルやなぁ?」

「う! どうせ僕は戦闘以外は何もできませんよ」


 僕はアイゼンハイムにからかわれて拗ねたように顔を背けた。

 そんな僕を見て、アイゼンハイムは呆れたように笑った。


「何言うとんねん。その戦闘能力がブッ飛んどるんやろうが。羨ましいのこっちや!」

「そ、そうですか? 僕は、そのコミュニケーション能力が羨ましいですよ」

「アホ抜かすなや! 何でもかんでも出来てたまるかい! そないな完璧超人なんかおるかいな!」

「ま、まあそうでしょうけど……」

「ったく! 贅沢言うとんなや。適材適所、それぞれの持ち味を生かしていくんが、組織っちゅうもんやで!」


 アイゼンハイムはふざけたような人だけど、意外といい先輩のようだ。

 僕は悪役になって気分が暗くなっていたけど、少し楽になった気がする。

 アイゼンハイムにお礼を言って、僕たちはそれぞれの持場に戻っていった。


 持ち場とはいっても、僕には特にやるべき仕事は今のところない。

 僕の遊撃騎士長としての仕事は、戦場に出る以外は緊急時に備えるだけだ。


 この次の日に、その緊急時が起こった。

 

「うおお! てめえら今までよくもやってくれたな!」

「な、何しやがる!? てめえらはどっちの味方だ! この裏切り者が!」

「いやあぁぁ! や、やめて!」

「うええーん! ママー!」


 この街の住民同士が大乱闘をしていたのだ。

 ほとんど暴動のような騒ぎになり、中心部の商店街では一部の暴徒によって略奪まで起こっていた。


「こ、これは、一体?」

「ふぅ、やれやれだな。これまでくすぶっていた住民同士の対立が表面化したようだ」

「あ、オリヴィエさん。それってどういうことですか?」

 

 僕は隣に立つ兄貴分のオリヴィエに詳しい話を聞いた。


 この街では、聖教会圏からの独立を支持する独立派とこれまで通りの体制を支持する王党派で主義が二分していた。


 つまり、この大陸の独立を全ての住民が賛成していたわけではなかったのだ。

 各地で武力蜂起が起こり、独立派は植民地内を掌握していく過程で王党派を追い落としにかかっていた。

 王党派の人々は、厳寒の北部や荒野の広がる中央部など、人が住むには厳しい環境の植民地外に駆逐されていた。


 僕たち聖教会連合が、独立派の連邦軍をこの街から締め出したことで、王党派の人々がこの街に戻ってきた。

 そして、これまでの報復行為として王党派が暴動を起こしたのだ。


「だが、いくらなんでも戻ってくるのが早すぎる。まさか連邦軍が呼び込んだのか?

いや、おそらくこれがピサロの策略なのだろうな。住民同士の憎悪を煽り、治安を悪化させ我々をこの地に足止めする気なのかもしれん。まさか、我々の進軍を妨害するためだけに、戦火を拡大させる気か? クソ! 何と卑劣な! だが、治安維持を目的とする我々に対して、最も適確な戦法かもしれんな」


 オリヴィエは冷や汗を流して、拳を握りしめた。

 僕はどういうことなのか分からなかったが、この後すぐに理解できた。


 民衆の暴動の鎮圧は、戦場で戦うよりも遥かに難しかった。

 民衆の中に連邦軍が紛れ、破壊工作を行っていたのだ。

 誰が敵なのかもわからず、うかつに手を出せないまま、僕たちは泥沼に足を絡め取られていった。

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