第3節 曲者達
―プリマヴェーラ諸島 補給基地フェンネル―
海沿いのなだらかな開けた広場に、飛空艇は降り立った。
今日の旅はここまでだ。
すでに半数の聖騎士達は先に降りて、宿となるこの島の聖教会へと向かっていた。
他の半数と船員たちは、飛空艇に残って夜を明かしつつ、アトランティス海を渡るための補給を済ませる。
僕はすでに降りていて、カゴの中に入れられていたブリュンヒルデを外で自由に羽根を伸ばさせていた。
ブリュンヒルデは気持ちよさそうに、真っ白いウロコ雲の間の青空を羽ばたいている。
「……う、うぅ。し、死ぬかと思いました」
ヨハンが青い顔をして、フラフラとおぼつかない足取りで、飛空艇から降りてきた。
そこに、オリヴィエが笑いながら飛空艇から現れ、苦しむヨハンの頭に優しくぽんと手を置いた。
「ハッハッハ! 先はまだまだ長いぞ? 今のうちに慣れておけ」
「で、でも、ボクには無理ですよ! だって、何回も墜落しそうに揺れるし、ネジだって飛んでる途中に飛んでいったんですよ!」
「大丈夫だ。いざとなれば、ジークがいる。空から落ちたぐらいじゃ死なないはずだ、そうだろ?」
オリヴィエは笑いながら、僕に呼びかけてきた。
僕が、返事をしようと答えようとした時だった。
「通行の邪魔だ!」
飛空艇から降りてきたのは、褐色肌の茶色い短髪、背はヨハンと同じぐらいで、気が強そうに目が吊り上がり、茶色い瞳のアマゾネス隊の聖騎士だった。
なぜかオリヴィエをきつく睨みつけた。
オリヴィエは、やれやれというようにため息をつき、その相手に前を開けた。
「……ふぅ、お前は相変わらず態度が悪いな、アウグスタ?」
「ふん! 何が悪い? 貴様が邪魔だから、邪魔と言っただけだ」
アウグスタはオリヴィエとヨハンの間を歩いて、飛空艇の外に歩いていった。
そして、その後をアマゾネス隊がぞろぞろと歩いてきた。
「うぅ、き、気持ち悪い」
「死にそうでし」
「……」
聖騎士副団長のアリスと従者たちが青い顔で、フラフラと降りてきた。
どうやら、船酔い?をしているようだ。
最恐の『氷の女王』は、乗り物に弱いらしい。
アマゾネス隊の女性聖騎士達は、その隊長を心配そうに支えていた。
アウグスタも困ったように大きなため息をついて、その中に混じって、町へと歩いていった。
「あの、オリヴィエさん? さっきの方って知り合いですか?」
僕は気になったので、その女性聖騎士の後ろ姿を暖かい目で見ているオリヴィエに話し変えた。
オリヴィエは、フッと笑って答えてくれた。
「ああ。私の従妹だ」
「え!? そ、そうなんですか? 何か因縁がありそうな……」
僕は聞いていいのか分からず、口ごもってしまった。
でも、オリヴィエは気にせず話を続けてくれた。
「まあ、私は気にしていないのだがな。あいつは、シュヴァリエ本家の者を嫌っていてな。それというのも、私の祖父のせいでもある」
「あ、ああ、確か戯曲で有名な人でしたね」
「ハッハッハ、そうだな。だが、あの話は完全な作り話ではないがな。祖父の名は、女たらしの不名誉な代名詞となってしまったが、隠し子が世界中にいるのは事実だからな。あいつの母親はその一人で、子供時代は苦労していたな」
「なるほど」
僕はそれ以上詳しい話を聞かなかった。
流石に、常識に鈍い僕でも人のプライバシーを聞くのは、良くないかなぁと遠慮した。
ブリュンヒルデをカゴに戻し、僕とヨハンも町に向かって歩いていった。
オリヴィエは、ブリュンヒルデの世話で飛空艇に残ってくれる。
本当に頼りになる友だ。
この町フェンネルは、大航海時代の幕開けとともに、発展を遂げた町である。
それまでは、町はなく、無人島であった。
この地を発見したのが、新たな貿易航路の開拓を進めたアーゴン王国であり、現在もそのアーゴン王国の領地になっている。
かつては、魔族や魔獣が多数生息していたそうだが、アーゴン王国の騎士団や冒険者などの活躍により討伐され、開拓されていった。
この島には、巨大な樹木がいたるところに生い茂っており、木が摩天楼のように林立している。
これらの巨木が金を生む良質な材木となり、アトランティス海を航海できる大型船の建造を可能にした。
そして、新大陸アルカディアが発見されたことにより、補給基地として大きな役割を果たしている。
僕たちは宿へと向かって歩いていたが、船乗りや商人、様々な人々で途中の市場は賑わっていた。
「バナナあるよ、バナナ!」
物売りの背の低い幼女が見たこともない、黄色い細くて長い物を持っている。
他にも、そこには色とりどりの聖教会圏では見たこともない物が並んでいた。
食べ物なのかな?
「バナナ? 何、それ?」
「え!? バナナ知らないの!? 美味しいよ!」
と、黄色い皮を手でむいて、僕に食べさせてくれた。
「お、美味しい! すごい、甘くてなめらかで、こんなのがこの世にあったなんて!」
「えへへ! 美味しいでしょ? いっぱい買ってよ!」
物売りの少女は満面の笑顔でもっとバナナを持ってきた。
僕は気軽に答えてしまった。
「うん、いいよ。ヨハン、僕の財布持ってたでしょ?」
「あ、はい。ボクの分も……うわ!?」
「わーい! こっちも買ってよ!」
「こっちも、こっちも!」
僕とヨハンは、物売りの子どもたちにあっという間に囲まれてしまった。
色とりどりのフルーツや花、中には剣のような細長い不思議な魚まで売りつけようとしてくる。
頼れるオリヴィエがいないので、どうすればいいのか分からなくて僕たちは焦って戸惑っていた。
「おい、やめんか!」
物売りの子どもたちは、突然大声で怒鳴られて退散してしまった。
その怒鳴り声を出したのは、聖騎士団団長ライネスだった。
隣には、秘書の教会騎士が、僕たちを苦笑いで見ていた。
団長も同じように呆れて、僕たちを見て大きなため息をついた。
「……ふぅ。やれやれ、物売り相手にぼんやりしていたら、つけあがられるだけだぞ?」
「す、すみません」
世間知らずの僕とヨハンは、ただただ申し訳無さそうに縮こまるばかりだ。
そんな僕たちを保護者のように団長は、脱力したように大きく息をまた吐いた。
「まったく、お前は戦闘能力は誰よりも高いのに、常識がなくて困る。まあいい、行き先は同じなのだ、私の後について来い」
「は、はい」
僕とヨハンは団長の頼れる背中に付いて、宿になる聖教会に歩いていった。
―フェンネル郊外―
オリヴィエは、ひとり静かにガルーダのブリュンヒルデにエサを与えていた。
その様子を、小さな岩に腰掛けながら、何とも暖かい目で見つめていた。
「おお、何や? あんさんは留守番かいな?」
そこに現れたのは、聖騎士『七聖剣』序列第五位アイゼンハイムだった。
その手には、ワインボトルと銀カップを持っている。
「これは、アイゼンハイム様」
「かたっ苦しいことは、やめえや! ここには、エライさんは誰も居らへんやろ?」
立ち上がって敬礼をしようとするオリヴィエに、アイゼンハイムは笑いながら手を振ってやめさせた。
この男は、見た目通りおどけた態度だった。
「アイゼンハイム様は、町での宿泊組ではなかったのですか?」
「ああ、せやで。せやかて、固っ苦しゅうてつまらへんねん。この島には、せっかくええワインがあんねんけど、団長がうるそうて、聖教会ん中で飲めへんのや」
アイゼンハイムは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
オリヴィエは何と答えればいいのか、苦笑いだ。
その目には、遠くの急斜面に、春の新芽が顔を出しているぶどう畑が目に入った。
「まあええわ。あんさんも飲もうや!」
「え!? し、しかし、私は飛空艇の警護の任務が……」
「ええねん、ええねん。そんなもん、ジル・ド・クランの堅物に任せとけばええやろ?」
「し、しかし、私は……」
「ビビらんでもええねん。ワイに無理やり飲まされた言えばええねん。あいつが文句言いよったら、ワイがかばったるわ!」
オリヴィエは、アイゼンハイムの強い押しに渋々了承した。
「ほな、はよ乾杯しようや!」
「え? し、しかし、私はまだ……な!?」
オリヴィエが戸惑っていると、その足元にはすでにワインの注がれた銀カップが置いてあった。
オリヴィエが驚いた顔を見て、アイゼンハイムは楽しそうに笑った。
「ブワッハッハ! タラーン、マジックや!」
「は、ハハ。さすがは『奇術師』ですね」
オリヴィエは戸惑いながら足元の銀カップを手に取り、アイゼンハイムと杯を上げた。
二人がブランデーで酒精強化された甘い赤ワインを一口二口含んだ時だった。
「ウオオオ! ヒトゾク、コロス! シンリャクシャ、コロス!」
「む、魔族! 樹人族か!?」
オリヴィエは銀カップを急いで置いて、手元の剣を抜き放った。
アイゼンハイムは、余裕の表情でまだ銀カップを持ったまま座っていた。
相手の樹人族は殺気立ち、その両手の太い枝を槍のように硬質化させている。
次々と姿を現し、その数は20体にもなっていた。
「フフフ、樹人族ですか。ちょうどいい運動になりそうですねぇ」
飛空艇の中からジル・ド・クランが、警備組の聖騎士たちを引き連れて外に出てきた。
その不気味な笑顔には、狂気とも取れる殺戮への喜びが浮かんでいる。
「ウオオオオ! ナカマノ、カタキダ!」
樹人族達は、怒りに任せて突撃してきた。
しかし、強力な聖騎士たちの前では、無残にも切り倒されていった。
「グ、クソ。オレタチノ、モリ、ウバイヤガッテ」
「フフフ。魔族は神の敵、滅ぼすべきものです。人族の繁栄とともに、穢れを浄化されなさい」
「ググ。ゴウマンナ、ヒトゾクニ、テンバツヲ……ギャ!?」
ジル・ド・クランは、足蹴にしていた樹人族の核に剣を突き刺した。
そして、バラバラに両断して不気味に笑った。
「さて、ちょうどよく薪が手に入りましたね。中に積み込みなさい」
ジル・ド・クランは部下たちに命令し、アイゼンハイムのところに歩いてきた。
アイゼンハイムは樹人族との戦いに参加せず、一人でワインを美味しそうに煽っていた。
そのせいで、ジル・ド・クランの怒りに火を付けた。
「あなたは、一体何をしているのですか!」
ジル・ド・クランは、アイゼンハイムの銀カップを叩き落とし、怒りを爆発させた。
その白く長い髪は聖闘気によって鬼のように逆立ち、先天的に透けるほどの真っ白な肌は燃えるような赤に変わり、透けて見えていた青い血管までも浮かび上がってきた。
不気味に笑う笑顔も今では、悪鬼の形相になっている。
だが、アイゼンハイムは涼しげに転がっていく銀カップを見つめている。
「何すんねん。せっかくの上物ワインやのに、もったいないのう」
「巫山戯ないでください! あなたには、神聖なる『七聖剣』の自覚は無いのですか!」
「何言うとんねん? ワイは、本来は警備組や無いんやで? 非番みたいなもんやろ?」
アイゼンハイムは悪びれる気もなく、人を食った態度でジル・ド・クランを挑発するかのようだ。
ジル・ド・クランの中で何かがキレ、双剣を抜き放とうとした。
「お、お待ち下さい、ジル・ド・クラン殿! 今は、仲間割れをしている場合ではありませんぞ!」
それを止めたのは、遊撃隊副長オルランドだった。
冷や汗を流しながら、二人の『七聖剣』の対峙する真横に跪いていた。
「……ふぅ。そうですね。私達には、裏切り者の断罪という大事な任務がありましたね。オルランド殿に免じてこの場は収めましょう」
ジル・ド・クランは、ベテラン聖騎士に敬意を表し、抜きかけていた双剣を収めた。
そして、興奮冷めやらず、鼻息の荒いまま飛空艇の中に戻っていた。
オリヴィエもまた、この二人の聖騎士幹部のにらみ合いに、息もつけぬままに立ち尽くしていた。
ジル・ド・クランが去っていったことで、ようやく息をつくことが出来、荒い呼吸を整えようとしていた。
「……何や、つまらへんのう。狂信者いうても、誰にでも噛み付く狂犬や無いんやな?」
アイゼンハイムはつまらなそうにため息をついて、空を見上げた。
その視線の先には、ジル・ド・クランのいた位置をいつでも撃ち抜けるように、無数のナイフが展開されていた。
そして、右手を一振りするとそのナイフ達は一瞬にしてその姿を消した。
「ほな、さっきの続きでもしよか?」
アイゼンハイムはニッと笑い、その手にはいつの間にか二つの銀カップを持っていた。
その銀カップを、曲者流の挨拶に血の気の引いていたオリヴィエの手に押し付け、チンッと銀カップを合わせた。
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