第9節 作戦開始
―アルカディア大陸南部 ピサロ領 旧ダークエルフ帝都ケチュア近郊上空―
『クァアアア!』
今日のブリュンヒルデは、いつになく上機嫌に鳴いた。
今の僕にはそのブリュンヒルデの気持ちが分かり、嬉しい反面複雑な気持ちだ。
アルセーヌは何故とは教えてくれなかったが、世界中の民族、魔獣(動物)に至るまですべての言語が理解できるそうだ。
僕が『修羅の国』の言葉を覚えるのに、あんなに苦労したのに。
動物たちとも会話が出来るなんて羨ましいスキルだ。
それで、ブリュンヒルデが気まぐれな理由をアルセーヌに教えてもらった。
アルセーヌが言うには、ブリュンヒルデはヤキモチを焼いているそうだ。
そうと分かれば、これまでのことを思い出してみた。
『修羅の国』にいる間は雛だったから、食べ物をくれる相手には誰にでもなついていた。
その後、聖教会総本山に戻ってからは、ほとんど僕、たまにヨハンが世話をしていた。
だから、僕に良くなついていたし、言うことを聞かないことはなかった。
でも、アルカディアに来てから僕は忙しくてブリュンヒルデの相手は少しずつ出来なくなっていった。
ヨハンとオリヴィエに任せっきりにすることが多かった。
それからは僕の言うことを聞かなくて、気まぐれなんだなと決めつけてしまった。
でも、違った。
子供が親に甘えたいのと同じ感情なのかな?
僕は親に捨てられたように育ったからよく分からないけど。
アルセーヌが言うには、それとは少し違うらしい。
ブリュンヒルデは僕の恋人のつもりでいるそうだ。
それで、アウグスタとの立ち会いを遊んでいると勘違いしたりして、ヤキモチを焼いて拗ねていたと言っていた。
ブリュンヒルデにとって、僕を背に乗せて空を飛んでいるのは、デートのつもりらしい。
うーん、僕にとってはただの相棒のつもりなんだけどなぁ。
あと、カーミラには特に敵対心を持っている。
カーミラが僕に近づこうとするとすぐに怒る。
ブリュンヒルデも雛の頃は、カーミラに世話をしてもらったので、育ての母親のようなものだ。
でも、成長した今ではそうは思っていないようだ。
アルセーヌとの立ち会いの後、ひと悶着あったけど、まあこれは置いておこう。
カーミラも初めは僕と一緒に来ようとしたのだが、ブリュンヒルデが怒るのでカーミラとは別行動になった。
僕としては、お互いに仲良くしてほしいので、こういう理由で複雑な気分だ。
『クァアアア!』
ブリュンヒルデが声色を変えて鳴き声を上げた。
僕は思案から戻ると、前方にあの不思議なエルフ、ロクサーヌの小型飛空艇が見えた。
どうやら、事前に決めていた予定通り、みんなを途中で降ろしてピサロの居城に向けてやってきたようだ。
僕たちはお互いに並んで飛んでいった。
『グオアアアアア!』
僕たちがピサロの居城に近づいた時、相手も当然迎撃に出てきた。
翼を持つ巨大な蛇神ケツアルコアトルが僕たちの前に現れた。
なるほど。
巨躯から溢れんばかりの闘気は、並のドラゴンよりもはるかに格上の相手のようだ。
『クゥアアアアアア!』
ブリュンヒルデも再戦でケリつけようというのか、気合十分だ。
さて、僕たちが派手に囮を務めようじゃないか!
作戦開始だ!
☆☆☆
―アルカディア大陸南部 ピサロ領 旧ダークエルフ帝都ケチュア ピサロ居城―
「いや、いやぁ、いやぁあああああ!」
「キャハハハ! 泣き叫んだって無駄よ? あんたはもう囚われの身、あたしのおもちゃなのよ!」
「こ、こんな、こんなのって……」
「口では嫌がっても、身体はこんなにも正直じゃないの? 素直になりなさいよ?」
「何という屈辱。わたくしに、このような恥辱を……くっ、殺せ!」
「ヴィ、ヴィクトリア様! 潔く死を選ぶよりも、虜囚の恥を晒してでも、アルたちを信じてください!」
「ですが、ロザリーさん! こんな女にいいように汚されて、アルセーヌ様にどう顔向けをすればよいのですか!」
「もう遅いわ、あんたたちはもうあたしのモノよ! キャハハハ!」
「……ねえ、ジュリー? 何を遊んでいるのよぅ?」
黒いシルクハットからピンク色の長い髪を垂らした燕尾服を着た男『十字路の悪魔』ゲーデは、真っ赤な目をジトッとさせて呆れている。
暗黒騎士ジュリアは自分の居室に勝手に入って来たゲーデを睨み、フンッと鼻を鳴らした。
「何ですか、ゲーデ様! 淑女の部屋に勝手に入らないでくださいません?」
「はぁ? あなたのどこが淑女なのかしらぁ? 自分の欲望のままに好き勝手やっているじゃないのよぅ?」
「そうですわ! あなたのどこがです! わたくしたちにこのような真似をして!」
「あらぁ? あたくしもよく似合っていると思いますわよぅ?」
女みたいに高い声を作っているゲーデは、私とヴィクトリアをからかうように笑いをこらえている。
ヴィクトリアはピンク色の一角ウサギのつなぎに身を包み、悲鳴を上げるように叫んだ。
「ううう! わたくしは着せかえ人形ではありません!」
私は半ズボンで蝶ネクタイという、少年のような男装をしている。
そう。
私達はジュリアに着せかえ人形にされていた。
「まあまあ、ヴィクトリア様。このくらいですんでいるだけ良しと思いましょう」
「よくありませんわ! 無理矢理裸にされて、舐め回すように見られるのですよ! 目だけで汚されてしまいましたわ!」
ヴィクトリアは目に涙をためて地団駄を踏んでいる。
私が慰めるが、いつまでも憤慨したままだ。
「キャッハー! あんたの膨らみかけのピンクの蕾は、見ているだけであたしはもう! ハァハァハァ。でも、まだむしゃぶりつくには早いわ! もっと、もっと熟してから……むふむふふふぅううう!」
「ひ、ひぃ!?」
ヴィクトリアは、瞳孔が開いて鼻息の荒いジュリアに、鳥肌を立てて震え上がった。
明らかに常軌を逸している。
話に聞いていたとおり、悪魔との契約は魂の本質を堕落させるようだ。
その契約した悪魔であるゲーデですら、付き合いきれないと呆れてため息をついた。
「……はぁ。ああ、そうそう、忘れるところだったわぁ。ピサロからの命令が出てるわよぅ。あの坊や『神の子』とあのエルフ『大魔道士』が空から攻めてきたわぁ。戦闘準備に入りなさいってぇ。他の連中の姿は見当たらないけどぉ、きっと近くにいるわよぅ?」
『十字路の悪魔』ゲーデはひらひらと手を振って去っていった。
「ああ、アルセーヌ様! やはりわたくしが助けてほしい時には必ず来てくださるですね?」
「はぁ!? あのバカアルはあたしが殺すわよ! あんたらの目の前でグチャグチャにして殺す! キャハハハ!」
ジュリアはバカ笑いをしながら部屋を出ていった。
部屋には私とヴィクトリアだけが残された。
どうやら、私達を脅威ではないと甘く見ているようだ。
「ヴィクトリア様。私達もアル達の手助けができるように、何か手を考えましょう」
「はい! わたくしたちも一時休戦ですね?」
ヴィクトリアはニコリと笑いかけてきた。
私もコクリと頷いた。
☆☆☆
―アルカディア大陸南部 ピサロ領 ケチュア旧市街地 地下トンネル―
こいつはすげえな。
俺は、地下トンネルの入口である石組みの門の継ぎ目にナイフの先端を突き刺していた。
ナイフどころか、紙一枚すら入りそうにない。
「うにゃ? ご主人たま、何をしているのですかニャ?」
前を歩くレアは不思議そうに後ろにいる俺を振り返った。
俺はナイフをしまい、レアに返事をした。
「……いや、何でもない」
俺は、元の世界でクスコの街中にあるインカ帝国時代の建築物と比べていた。
「かみそりの刃一枚通さない」精巧な石組みの建築物は、インカ技術の先端性の証左として紹介されることが多い。
実際比べれば一目瞭然だが、インカ帝国時代の石組みはその後に来たスペイン人の作った石組みに比べてはるかに正確で、古い時代の技術の方が進んでいるという不思議な逆転現象をみることができる。
そのインカ帝国によく似たダークエルフの帝国、その技術が現役で目の前にあるんだ。
興味をひかない方がおかしいってもんだろ?
「おい! 遊んでおらんで、さっさと行かんか!」
「ぐえ!?……いってえーな、何すんだよ?」
俺を後ろから蹴っ飛ばしたカーミラは、不機嫌さを隠そうともしていない。
「まったくよ、ジークフリートと別行動になったからって、俺に八つ当たりすんなよ」
「黙れ!……おのれ、ブリュンヒルデめ! 雛の時分に可愛がってやった恩をわすれよって! せっかくジークフリート様とお会いできたというに、邪魔をしよって!」
カーミラは、暗いトンネルの中がさらに暗くなるほどの暗黒闘気を迸らせた。
ああ、マジで面倒くせえ、このメンヘラ魔王。
鳥にヤキモチ焼くなよ。
「ニャーン! カーミラたま、魂の絆があれば、すぐにジークたまと会えますニャ!」
「う、うむ、そうだな! レアの言うとおりだ! 我と、私とジークフリート様の愛の絆に距離など関係ない!」
カーミラはすっかり落ち着いてレアの頭を撫でている。
うーむ、魔王の怒りを鎮めるとは、にゃんこ最強だな。
『わふーん! ボクも撫でて!』
『アタシも、アタシも!』
「むむ! どうしたのだ、お前たち? そうか、構ってほしいのか?……うっふっふ。よーしよしよし!」
カーミラは、ムツ◯ロウみたいにロロとフレイヤもモフり出した。
全く魔王の威厳もない、無邪気な笑顔になっている。
こうして見れば、超美人のいい女なのになぁ。
奴隷解放を手伝った時に初めて知ったのだが、意外にもカーミラが恐ろしい魔王になるのは、人間に対してだけだ。
あと、配下の軍人魔族たちにもだが。
それ以外の非戦闘員の魔族や獣人たち、魔獣(動物)に対しては、別人のように優しくなる。
特に、子供たちに対しては大甘だ。
「……あの、みなさん? 早く行くっすよ」
フィリップが先頭で、光る魔石を入れた魔道具『光石ランタン』を手に持って、呆れ顔で俺達を見ていた。
俺達は、斥候を務めるフィリップの後ろについてトンネルを歩き出した。
トンネルは複雑に張り巡らされ、どこを歩いているのか俺にはすぐに分からなくなった。
フィリップはロクサーヌから受け取った地図を片手に、罠などに注意して俺達を先導している。
フィリップのやつも冬の間は遊んでいただけではなかったようだ。
ギュスターヴの戦闘訓練はサボっていたようだが、ベテラン冒険者ハーフリングのドミニクに斥候の技術を叩き込まれたらしい。
俺はドミニクと一緒に仕事をしたことはないが、かなりの凄腕冒険者という話だ。
情報収集と斥候を専門にやっているから、7番目の
フィリップが何をやっているのか細かいところまでは俺には分からないが、このお調子者を見直した。
適材適所、仲間たちがそれぞれの得意分野で努力することで、パーティー全体の実力も底上げされるってもんだな。
近い内にダンジョンに挑戦して、トレジャーハントでもするか?
と、俺がフィリップの成長をうんうんと感心しながら眺めている時だった。
「うおーっ!?」
「ギャーっ!?」
俺は命の危険を察知し、とっさに体を捻った。
壁から突然鋭いミスリルの槍が飛び出てきて、反対側の壁に突き刺さった。
俺の顔の前に槍の柄がある。
「こらー、何をするのだ!」
「あはは! ワリぃっす、イッシー。ミスったっす」
俺の頭の上にいたイシスは、プンプン怒ってフィリップの頭をゲシゲシと蹴っている。
マジで、笑い事じゃねえし!
後少しで俺、死んでたぞ!
やっぱりこいつはまだまだダメだ!
カウボーイハットの考古学者にははるかに程遠い!
俺達は更に進み、突き当りにぶつかった。
普通なら、ここで何もないと引き返すところだが、ここが俺達の目的地だ。
カーミラがロクサーヌから受け取った石板を壁の窪みにはめ、鍵となる呪文を唱えた。
そして、壁に光が灯り、中央から左右に分かれて道が開いた。
『な、何だ、貴様らは!?』
壁の先には、褐色肌のエルフ、このアルカディア南部の原住民ダークエルフたちの集落があった。
ここが俺達の目的地、ピサロの支配に抵抗するゲリラたちのアジトである。
『まあ待てよ? 俺達は敵じゃねえ』
敵対する意思がないと見えるように、俺は両手を見せながらロクサーヌから預かっていた伝言の手紙をそっと床に置いた。
ダークエルフの一人が警戒しながらその手紙に目を通すと、俺を見て頷いた。
どうやら、話はすでに通っていたようで警戒を解いたようだ。
俺もホッと緊張感を解く事ができた。
俺達は、ゲリラのリーダーの元に通され、ピサロたちに対抗するため詳しい作戦を話し合った。
そして、トンネルを通り、ピサロの居城に繋がる秘密の通路を進んだ。
俺達の潜入作戦は開始した。
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