第6節 自由と……

―アルカディア大陸南東沖 カリナゴ海―


 ヨーホー、ヨーホー、俺達無法な海賊さ!

 略奪、誘拐、欲しい物何でも奪っちゃうぜ!

 道徳心なんざ、ラム酒と一緒に飲み干した!


 ヨーホー、ヨーホー、俺達ならず者の悪党だ!

 襲った船を燃やして沈めちまえ!

 思いやりなんて、ヘドと一緒に吐き出した!


 ヨーホー、ヨーホ……


『うるせえ!』


 船首で大海を前に座り込んでいた俺は、甲板でラム酒を昼間から飲んで、くだらねえ海賊歌を歌って騒いでいた海賊共に怒鳴った。

 海賊共はビクッとして一瞬黙ったが、またすぐに酔っ払って騒ぎ出した。


 ああ、クソ、イライラする!

 俺が無い頭を振り絞って考え事をしてんのに、楽しそうにしやがって!

 どいつもこいつも俺のことナメてんのか!

 チクショウ、チクショウ!

 こっちは、攫われたロザリーとヴィクトリアをどうやって取り返しに行くのか必死に考えてんのによ!

 

「少しは落ち着け。貴様が焦ったところで事態は変わらん」

「……何だよ、カーミラか」


 イライラしていた俺の横に、カーミラがスッと腕を組んで立っていた。

 威風堂々とした貫禄があり、海賊船の女船長のようだ。

 実際のところ、俺達が奴隷貿易のシステムを潰すために海賊たちを使っているのだから、カーミラが船長、俺が副船長と言ってもあながち間違いでもないだろう。


 俺達はお互いに見ず、黙ったままエメラルドグリーンのサンゴ礁の先、青い空と碧い海の交わる地平線へと視線を向けていた。


「奴隷貿易を潰そうと動き出した時点で、今回の事態を想定しておくべきだったのかもしれんな」

「あ?……まあな。今まで三角貿易で儲けていた連中からしたら、俺達は明らかな敵だからな。怒り狂って報復してくることぐらいは分かってはいた。自由を求めるってことは、代償を伴うってことだからな。だけどよ……」

「貴様にとって大事な二人が攫われたのは想定外か?」

「ああ。俺は考えが足りなかった。いつだってそうだ。俺よりも狡猾で頭のキレる人間なんてゴロゴロいるって知っていたのによ。多少知識があるからって調子に乗って……いてっ!?」


 俺がウジウジと弱音を吐き出している時に頭にガツンと衝撃が走った。

 見上げると、カーミラがゲンコツを俺に落としたようだった。


「何すんだよ!」

「何、ではない! 貴様が女々しくグチグチとくだらんことを言っているからだろうが!」

「うぐ!……悪いかよ?」

「ああ、悪い! 貴様は自分のやったことを後悔しているのか?」


 カーミラの睨みつけてくるきつい目からそらして、俺は少し考えた。

 俺は今回やったことをどう考えているんだ?


「……俺は後悔はしていない。俺は自分の中で正しいと思った事をやったんだ。他人にどう思われようと俺は自分のやるべきことをやった。やり方はまずかったかもしれねえけど、でも、俺は間違ったことはしていないはずだ」

「ならば、良いではないか。失敗したと思えば、挽回すればいい。まだ取り返しのつかないことにはなっていないのではないか?」


 俺は何も答えず黙っていた。

 カーミラは話を続けた。


「貴様のやった成果を見てみよ。我が同胞たちは誰もが生き生きとしてはおらんか?海賊となってしまったが、奴隷として鎖に繋がれておるよりもはるかに輝いておらんか?」


 俺はカーミラに言われたとおり、甲板で騒いでいる海賊たちを見た。


 元奴隷だった魔族や獣人たち、今では自由の身になり、太陽の下で最高の笑顔で笑っている。

 奴隷船から解放したばかりの頃は、目には光がなく虚ろだったな。

 魔族たちの言葉で話しかけ、少しずつ打ち解けていくことが出来たんだった。

 少しずつ、奴隷として支配されることが当然だった精神は自立し、自分たちで独自の掟を作り、考え行動している。

 

 彼らは今はまだ、海賊という無法者だ。

 だが、同胞たちの奴隷解放が主な目的だ。

 差別による弾圧に、自ら戦いを挑んでいる。

 海上の義勇兵のようなものだ。

 

 いずれはきっと、この海域の島々に根付くかもしれない。

 故郷の暗黒大陸に戻るかもしれない。

 奴隷制度の崩壊したアルカディアに残るのかもしれない。


 全ての選択は自由だ。

 掟が新たな法となり、秩序になっていくかもしれない。

 それはまだ分からない。

 彼らはまだ、自分たちの足で歩き出したばかりだ。

 奴隷解放者となった俺に出来ることは、彼らの歩みを見守ることだけだ。


 そうだな。

 これが俺のこの世界の管理者としての成果か。

 悪くはない。

 俺はちょっと元気になってカーミラに笑いながらお礼を言った。


「ありがとな、カーミラ。やっぱり魔王様だな? 人の上に立つ才能があるぜ?」

「な!? き、貴様にそんなこと言われても、う、嬉しくなんかないぞ!」


 カーミラは顔を赤くしてそっぽを向いた。

 へへ、かわいいツンデレ魔王様だな。

 昨夜、心の内をさらけ出したことで、少し雰囲気が柔らかくなったかな?

 

 俺は立ち上がり、いつの間にか側に駆け寄ってきたレアからラム酒の入ったカップを受け取った。

 そして、一気にあおり、甲板の海賊たちの方へと号令をかけた。


『野郎ども! 南部に向けて面舵いっぱい! 全速前進フルアヘッドだぜ!』

『『おお!!』』


 でも、奴隷解放はまだ始まったばかりだ。

 本当の戦いはまだまだ先だ。

 今は全力で前に進むだけだ。

 

 よし!

 元気百倍!

 気合い入れていくぞ!

 無事でいてくれよ、二人共!


・・・・・・・・・


―フランボワーズ王国王都、王宮内―


「キィイイイ! どうしてエドガール様は、異端な考えに! やっぱり、あのクソ女が……」


 この日もまた、エドガールの第一夫人テレーズはヒステリーを起こしていたが、リシャールはその部屋の前を通り過ぎた。


 おそらく、テレーズの次の行動はすでに暗に誘導済みなので、用はなかったのだろう。

 歪んでいる顔をさらに歪めてニヤニヤしている。


 リシャールが向かったのはその先、今では王に次ぐ地位にいる『ザイオンの民』フォア侯爵の執務室である。


「クフフフ。いかがされました、殿下?」


 分厚い脂肪で覆われた巨体を重そうに執務椅子から持ち上げ、リシャールを出迎えた。

 その顔には愛想笑いが貼り付けられているが、その心中は穏やかならざるものがあった。

 リシャールはそのことを見抜いているのか、いないのか、その顔には同じように作られた笑顔が貼り付けられている。


「いえいえ、大したことではございませんよ。世間話をしに来ただけです」

「ほう? 世間話とな?」

「ええ、河川地帯におられるエドガール兄上が自由派閥だと公言されたようですね」

「ええ、そのお話でしたら、私も聞き及んでおります」


 フォアは何を言いたいのだというように、目の前の悪魔の子を訝しげに見ている。

 リシャールの底を見せぬ昏い瞳と目が合うと、思わずフォアは目をそらしそうになったが、気付かれないようにグッと堪えた。

 リシャールは何が楽しいのか、クスクスと笑った。


「……そうですか。それならば、このお話も? 公言するように勧めたのは、噂の龍の軍師だそうですが?」

「そ、れは。……ええ、そう聞き及んでおります」


 フォアは、なぜそれほど詳しい話を知っているのだと動揺しそうになった自分を律した。

 自分は『ザイオンの民』のスパイ、クレベールの副将リューセックから細かい情報を聞いて知っている。

 だが、リシャールはどこから情報を仕入れているのだろうか? と。

 しかし、リシャールはあっさりとその疑問を自ら解いた。


「ああ、やっぱりそうですか! アハハ、これでスッキリしました。何となく、かの隠者ならそんな奇策をやりそうだと思ったのですよ」


 リシャールは楽しそうに笑った。


 そうか。

 リシャールは知っていたのではなく、ただそう推察しただけだった。

 フォアは目の前の王子が『ザイオンの民』以上の情報網を持っていないことに、内心ホッとしたのも束の間だった。

 

「まったく! ももう少し気を利かせて、詳しい情報をよこしてほしいのになぁ」

「な!?」


 リシャールが不意にとんでもないことを呟き、フォアは思わず驚愕の声を上げてしまった。

 リシャールはしたり顔でニヤリと笑った。


「ダメですねえ、侯爵? この程度で終わりですか? 『ザイオンの民』の大幹部も張り合いがありませんよ?」


 フォアは自分がこの悪魔の子に遊ばれていただけだと悟った。


 もし、が本当に存在すれば、おそらく元宰相ジラールの情報網を乗っ取ったということでもあるのだろう。

 だが、いつの間に?

 この悪魔の子には、腹芸では、いや、謀全てで勝ち目が無いのではないかと冷たい汗が背を伝った。


「さてさて、あの龍の軍師は何を企んでいるのかな? 自由派閥だと公言すれば、聖教会と真っ向から対立するのに。……あ! あなたたち『ザイオンの民』も自分たちに協力させるためかな? うんうん、そうじゃないと聖教会に潰されちゃうもんね」


 リシャールは、フォアの存在を無視したかのように一人で幼い口調で話し出した。

 何を考えているのか分からない王子に、フォアはただ混乱していた。

 

「ああ、ところで。自由派閥を立ち上げたのって、『ザイオンの民』なのでしょう?」


 リシャールは不意に核心をついた。

 完全に不意をつかれたフォアは何も答えられなかった。

 リシャールはその沈黙を肯定と受け取り、満足したようにニコリと笑った。


「そっかそっか。そうだよね。普通の聖教会の人族だったら、思いつきもしないほど異端な考え方だもんね。聖教会を内部対立させるためかな? だとしたら、いい考えだね。聖教会の強大な戦力を削ぐのに一番効果的かもね。……あれ? もしかして、アルカディアの独立派も自由派閥?……アハハ! そうだよね。そうでもないと、独立しようなんて思わないよね。本当に、あなたたち『ザイオンの民』は悪巧みが好きだなぁ」


 リシャールは楽しそうに笑いながら去っていった。

 一人残されたフォアは、しばしの間呆然とし、その後顔を紅潮させて執務机を両手で叩きつけた。


 フォアは、第7王子リシャールにコケにされ憤慨した。

 それ以上に、『ザイオンの民』では制御しきれないほど危険であることも悟った。

 この日、フォアは自分たちが担ぎ上げたリシャールを排除することを決意した。


 だが、それもまた、リシャールにとっては計略通りだった。


・・・・・・・・・


―アルカディア大陸南東部 大農園地帯、ニューオルレアン―


 ロクサーヌは一人残り、アルセーヌたちとは別行動を取っていた。

 相手が出ない通信魔道具を切り、不機嫌に早足に歩き出した。


「お、いい女! へっへ……」

「お、おい! やめとけよ!」

「あ? 何だよ?」

「バカ! お前知らねえの? 最近噂のやべえエルフだぞ! こないだ声かけたヤツなんかタマ潰されそうになったんだぞ!」

「げ! ま、マジかよ」


 傭兵ギルドのザコの格好をしたゴロツキたちが、ロクサーヌを恐れながら遠巻きに見ている。

 そのせいで、ロクサーヌの不機嫌さは三割増しになっているのかもしれない。


 独立戦争の主戦場から離れているこの地域では、戦争の影響はそれほど大きくはない。

 しかし、この街は現在、失業者が溢れ、治安が悪化している。


 その理由として、アルセーヌたちが海上封鎖をしたせいで船が出せないことが最大の原因だった。

 奴隷解放者としては、その行為は讃えられるかもしれない。

 だが、奴隷制度擁護者や必要悪と考える者たちによっては、職を奪い、治安を乱した最悪の悪党だろう。

 今回の件は、捉え方によっては善悪どちらとも取れる。


 人という生き物は、民主主義を称えると同時に、偉大な指導者を称えるものである。

 自由を求める一方、何かに従属したり、依存したがる矛盾した生き物だ。

 自身の立つ立場によって、善悪の価値観も変わってくる。

 どちらが正しいのか、どちらも間違ってはいないのかは、簡単に答えは出せないのが人間という生き物だ。

 そのために、様々な議論を交わしていく必要があるのだが、最もやってはいけないのは思考の停止、自ら考えるということを放棄することだろう。

 

 アルセーヌたちがやったことは、人々に考えるキッカケを与えただけに過ぎない。

 奴隷解放を目指して行動に移したが、所詮は大海に一石を投じただけにすぎない。

 それだけではあるが、アルカディア南部では大きな影響が出ている。


 今は変革の時、変革の時には混乱が生じるものである。

 どのように未来が決まっていくのかは、この時の行動次第だろう。

 どの方向に舵を取って行くのかは、本来はその土地の人々が考えていくことだ。

 管理者に、為政者に何でもかんでも委ねて、無関心でいてはいけない。

 ここは、この世界のこの土地に住む人々の物なのだから。


 さて、ロクサーヌはそのような事情は特に気にしていない。

 我が道を行く唯我独尊なエルフは、用事を済ませて隠蔽魔法で隠しているシャトル◯ッドへと向かっていた。

 南部にいるはずの古い友人と連絡が取れなかったので、一人で現地へ向かおうとしていた。

 

「やめてください!」


 ロクサーヌはうんざりしたようなため息をついた。

 どうしていつもいつも同じようなことばかり起こるのだろうかと思ったのだろう。


 若い少女がゴロツキたちに絡まれている。

 15歳位の金色の髪をした美少女、なぜか男の冒険者のような服装だ。

 ロクサーヌは不思議に思いながらも、ゴロツキ達をあっさりと薙ぎ払った。


「あ、ありがとうございます!」


 うん、実に可愛らしい笑顔だ。

 ロクサーヌの中で、創作意欲が少し芽生えたに違いない。

 だが、まだ何か物足りない顔だ。


「あの、どうかしましたか?」


 自分の世界に入りかけていたロクサーヌに、目の前の美少女は首を傾げた。

 どこか小動物を思わせる愛らしさ、間違いなく世界有数の美少女だ。


「ああ、いた! 急にはぐれたから探したぞ!」

「あ、オリヴィエさん!」


 と、身体のガッチリとした生真面目そうな男がやって来て、身近な誰かに似ていると思ったようにロクサーヌは考え込んだ。

 美少女は男に、ロクサーヌに助けられた経緯を話している。

 男はやれやれというようにため息をついた。


「ダメじゃないか、ヨハン。私達は目立ってはいかんのだぞ」

「う、す、スミマセン」


 美少女ヨハンはシュンと小さくなって謝っている。


 ん?

 ヨハン?

 男の名前!

 美少女じゃないんだ!

 わーい、男の娘だ!

 隣には体育会系なイケメンアニキ!

 ぐふふふふ!


 ロクサーヌの心の声が漏れ、何かがカチリと音を立ててハマった。


「あの? ど、どうかしましたか?」


 ロクサーヌは完全に自分の世界にトリップしていた。

 どんな腐った妄想をしているのだろうか?

 きれいに整った顔が、実に残念なことになっている。


 オリヴィエとヨハンが、目の前のおかしなエルフに困り果てている時だった。


「こら! あんたら何やってるのよ! 子供じゃないんだから勝手にどっか行くんじゃない!」


 気の強そうな青い髪の美少女が怒りながらやって来た。

 二人を子供扱いしている青い髪の少女のほうが幼く見える。


 ロクサーヌがその相手に気づくと、驚愕したように大声で叫んだ。

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