第7節 邂逅
―アルカディア大陸南部 ピサロ領 アンディ山脈上空―
何て気持ち良いのだろう。
これが、空を飛ぶという感覚なのか。
飛空艇とは全然違う。
僕は今、ブリュンヒルデの背に乗って、アルカディア大陸南部にあるピサロの居城を目指している。
眼下には、世界の果てまでも続いていきそうなほどの急峻な山脈が伸びている。
ピサロの領地は広く、ニュー・オルレアンと接する温暖な平野部の北側から南側の寒冷な氷河地帯まである。
ピサロの居城は、僕たちの眼下に伸びる天然の要塞、アンディ山脈の中央部に位置している。
でも、僕は目的を忘れそうになるほど気分は最高に高揚していた。
僕はついに夢にまで見た、相棒の背に乗ることが出来たのだから!
「ああ、ブリュンヒルデ! 君は最高だよ!」
「クァアアア!」
僕は、風をも切り裂く速さで飛ぶブリュンヒルデの上で立ち上がり、両手を広げて空を感じていた。
ブリュンヒルデも最高に機嫌が良さそうに鳴いた。
もし、僕が聖闘気で障壁を作っていなかったら空中に吹き飛ばされているけど、それでも僕の気分は格別だった。
ガルーダは成長の早い神鳥らしく、ほんの半年前はまだ雛だったのに、今では人一人を乗せても飛べるほど大きくなった。
まだ完全な成鳥ではないけど、それでも驚異的な成長の早さだ。
さて、今は僕たち一人と一羽でピサロの居城へと向かってはいるが、もちろん他のみんなも向かっている。
他のみんなは、ニュー・オルレアンで出会った奇妙なエルフ、ロクサーヌの小型の飛空艇で別方向から向かっている。
本当は、僕たちは徒歩でピサロの居城へ向かおうとしたのだが、色々とあってロクサーヌに同乗させてもらうことになった。
そのせいで出発も遅れたけど、それ以上に早く到着できるので、結果的に良かった。
ただ、オリヴィエとヨハンが絵のモデルにされていて疲れ果てていたけど……
「……『天地一体の剣』か」
僕はふと『修羅の国』で出会った大剣豪の剣を思い出した。
僕が生まれて初めて剣の立ち会いで圧倒された相手だ。
勝負がつかなかったどころか、剣を交えずただ向かい合っていただけだった。
でも、剣の高み、深さを思い知らされた。
僕はその後、その剣について考えた。
さらなる高みを目指すには、『天地一体の剣』を極める必要があった。
でも、僕は考えてもよく分からないままだった。
今、僕は空、『天』にいる。
ならば、『天』とは何か、感覚で感じ取ることが出来るのではないだろうかと思ったわけだ。
僕は丹田で息を吸って吐き出し、『無』となり『天』に融け込もうと意識を集中させた。
と、その時だった。
『地』から完全に解放された感覚がした。
「……え?」
いや、違った。
僕は不意に空に放り出されてしまっていた。
ブリュンヒルデが突然、急降下をしたのだ。
「ええええええ!?」
そして、天から地に向けて、僕は真っ逆さまに落ちていった。
・・・・・・・・・
―フランボワーズ王国河川地帯 コルマール砦―
エドガールが自由派閥だと公言してから様々な反応があった。
保守派閥である聖教会は、聖騎士団の派兵を着々と進め、周囲の他領の領主たちは静観の状態である。
河川地帯の土着の貴族たちは、エドガールの側についた。
その理由として、エドガールが自由派閥だと公言したことが大きかった。
河川地帯は、自由派閥が多く存在していることはすでに述べている。
ただ、先の陰謀事件で多くの前任者たちが粛清され、聖教会を恐れて公言していなかった。
今回のエドガールの公言によって、土着の河川地帯の有力者たちは恐れを捨て、堂々と表に出てきた。
陰謀事件以降の弾圧に対して、真っ向から戦う姿勢を取ることを決断したようだ。
もう一つの理由が、エドガールが自由派閥だと公言したことによって、王家と訣別したと見なしたからである。
フランボワーズ王家は、聖教会の救世主、伝説の勇者末裔の本家本元である。
それ故に、国内における保守派閥の筆頭である。
つまり、自由派閥とは真っ向から対立する派閥だからである。
そして、保守派閥だった元宰相であり枢機卿ジラールを失い、王家は最早風前の灯と見なしている有力者たちは多い。
その最大の理由が、アルカディアの独立戦争に参戦したことである。
しかも、聖教会の敵対勢力である独立派についている。
元々多くの有力者たちは、王は無能で、宰相のただの操り人形に過ぎないと見ていた。
今回の参戦で、恐ろしくもあったが有能な宰相を失い、王家は迷走し、破滅への道を進んでいることを悟った。
エドガールが、圧倒的な寡兵でタッソー家を打ち破ったことで、自信と勇気を持ち、新たな英雄候補の旗のもとに集い出した。
河川地帯の隠れていた有力者たちは、今が、王家に対して反旗を翻す時であると動き出したのだ。
しかしながら、エドガール軍の内部も混乱していた。
多くの者達は、自由派閥である河川地帯出身だ。
エドガールの第三婦人であるベアトリスやその家臣たちはそうだ。
だが、他の地区からやって来た者たちはその限りではない。
エドガールの公言によって、出奔する者たちも当然出た。
その多くは、タッソー家から吸収した者たちだったが、騎兵隊の有能な指揮官であったヴァルミー父子を失ったのは痛手であった。
このヴァルミー父子は、元宰相ジラールの配下だったから厳格なまでの保守派閥であったので、どうしようもないことだった。
それほど、宗教というのは侮れないものである。
そして、もうひとりエドガール軍の主力も深く悩んでいた。
若き将にして出世頭、エドガールの養子となったアンリである。
その理由もアンリの生い立ちから説明せねばならない。
アンリは、元々宮廷貴族の私生児である。
そして、エドガールの第二夫人の年の離れた異母弟でもあった。
そのような縁からエドガールの従者となっていたのだが、かつてのエドガールは大して気にもとめていなかった。
かつてのエドガールは王位継承権の筆頭で大派閥だったので、それだけ取り巻きが多く、全ての従者を把握していなかったからである。
だが、アンリはその当時からエドガールを崇拝していた。
7歳の頃からエドガールに仕え、従者の末席について使い走りをしていた。
当然、魑魅魍魎の中の王宮生活は幼い子供には過酷な日々だった。
アンリにとっては、それだけではすまなかった。
第二夫人の異母弟ということもあり、第一夫人のテレーズには陰でいじめ抜かれていたからである。
エドガールはそんなアンリを何度も助けていたが、エドガール自身はそのようなことは完全に忘れている。
エドガールにとっては、人助けなど日常茶飯事となっていたからである。
だが、アンリは忘れなかった。
エドガールが陰謀事件で全てを失っても、アンリは側に仕え続けた。
河川地帯へ向かうことになっても、その背を守るために戦い続けた。
そして今、アンリは崇拝する主君とともに、強大な敵と戦いたかった。
しかしながら、アンリにはどうすればいいのか分からなかった。
アンリは、保守派閥だったからである。
・・・・・・・・・
―アルカディア大陸南部 ピサロ領 アンディ山脈―
「なあ、みんな大丈夫か?」
俺は急峻な岩だらけの山道を振り返った。
俺の隣りにいたカーミラも一緒に振り返った。
ついでに、俺の頭の上にいたイシスも。
「ハイですニャ! レアはまだまだ元気ですニャ!」
『うん、ボクも歩くの大好き!』
『アタシもだよ!』
うん、うん。
レア、ロロとフレイアはまだ子供だが、獣人と
この6千メートル級のアンデス並みの登山でも俺とカーミラに付いてこれている。
当然、登頂するわけではないから6千メートルまではいかないが、それでも4千メートルは超える標高を歩き続けている。
富士山の標高をはるかに超えているわけだから、この子供たちの体力には驚かされる。
「……ぜえひぃ、ぜえひぃ。お、オレはも、もう、無理……」
だが、こいつだけはダメだ。
フィリップは高山病になりかけているのか、これ以上は限界のようだ。
「……やれやれ、情けない男だ。まあ、あの男の息子ならば仕方のないことか」
カーミラはふぅっとため息をついて空を見上げた。
まだ日は高く、雨も降り出しそうにないぐらいの青空だ。
だが、無理をしてフィリップを急がせることはしなかった。
高山病は危険だしな。
今日のところは、これ以上進むのは止め、野営できる場所を探しにカーミラは一人で歩いていった。
魔王なのに、野宿だとか泥臭いことも平気でできるし、自分から進んで雑用も出来る。
本当は、3歩後ろを歩く、大和撫子のような尽くすタイプの女なのかもしれない。
俺は、この旅でカーミラのことを少し見直していた。
ちなみに、海賊たちは入り江で俺達を降ろして、再び海上の戦いに戻っていった。
今、ここにいるのは俺達だけだ。
3日前、俺達は海賊たちの船から降り、ピサロの支配する帝都を目指してひたすら歩いている。
本当は、ロクサーヌのシャトルポ◯ドで空から乗り込めばはるかに早い。
だが、相手が待ち構えていると分かっているとはいえ、堂々と真正面から乗り込むのは愚策すぎる。
空からはロクサーヌ一人が囮になって、俺達は山側からピサロの居城に乗り込もうというわけだ。
「……うぅ。す、すまねえ、アニキ。オレが足引っ張ってるせいで、遅れちまって」
フィリップは青い顔をして申し訳無さそうに俯いて座り込んでいる。
俺はフィリップの肩に手を置いて、余裕があるようにニッと笑ってみせた。
「気にすんな。焦って向かったところで、辿り着く前に力尽きちまったら意味ねえだろ?」
「あ、ああ。そうだけどよ。でも、オレが遅いせいで、もしロザリーの姉御や姫様に何かあったら……」
「それは、大丈夫だ。きっと、二人ならうまく立ち回ってくれているはずだ」
俺はそう言ってはみたが、何の根拠もなかった。
俺自身、そうでも思い込まないと気が狂いそうになるほど、二人が心配でたまらなかったからだ。
「……そうか。アニキですら焦ってねえんだったら、オレもアニキを見習うよ」
フィリップは、ハァッと大きく息をついて肩の力を抜いた。
どうやら、俺の気休めを信じてくれたようだ。
「おい、貴様ら! こっちに来い!」
カーミラの呼ぶ声が聞こえて、俺達は腰を上げて向かった。
切り立った岩山を横から通り抜けると、そこには巨大な湖が現れた。
湖の近くではアルパカみたいな魔獣を放牧している。
「ニャー! すっごいですニャ! こんな山の中に海がありますニャ!」
「ハハハ。レア、あれは海じゃないぞ。湖だな」
「ウニャ? でも、ご主人たま、船がいっぱいありますニャ」
レアは首を傾げて不思議そうにしている。
まあ、レアが海と勘違いしてしまうのも無理はないだろう。
湖と言うにはあまりにも広いし、島まで浮かんでいる。
港のように船がいくつも浮かんでいるしな。
俺は、レアの無邪気な可愛らしさに思わずわしわしと撫でてしまった。
ああ、癒やされる。
うちの子は何て可愛いのだ!
ついつい緊張がほぐれてしまう。
「ニャニャ!? ご、ご主人たま! いきなりはやめてほしいニャ!」
「ハッハッハ! 良いではないか、ういやつよのぅ!」
「……はぁ。貴様は本当に緊張感のないバカモノだな。あの山を越えたら、ピサロの待ち構える元ダークエルフの帝都なのだぞ?」
カーミラは、無理矢理明るくなろうとする俺に呆れたようにため息をついた。
俺だって、それぐらい分かっている。
敵の本拠地はもう目と鼻の先だ。
だが、俺は一人だとすぐに挫けそうになるほど弱い。
分かりきったことだ。
だから、大切な相手に奮い立つための力をもらいたいんだ。
俺は、山頂に白い雲のかかる、そびえ立つ一際高い山を見据えた。
「ふっふっふ! ついにここまで来たのだ! さあ、あたちに続くのだ! とう!」
イシスは張り切って湖に向かって飛んでいった。
やれやれ、今から急いだって、到着できるのは明日だろうが。
俺は、目先の勢いで行動する駄女神の後をゆっくりと歩いていった。
「ニャ! 待つのだ、イッシー! レアが先ニャ!」
『わーい、レーちゃんボクも行く!』
『もー! 置いていかないで!』
イシスを追いかけて子供たちも走り出した。
俺とカーミラはついつい笑顔になってしまった。
しかし、思いがけないことが起こった。
『へへ! いっただきー!』
「フギャン! な、なな、何なのだ!?」
飛んでいたイシスをまるで小鳥のように、黒い獣が前足で捕まえた。
ピューマのようなネコ型の魔獣だ。
イシスはジタバタともがき、子供たちは突然のことに唖然として立ち止まった。
「お、おい、そいつを離せ!」
「そ、そうなのだ! あたちは美味しくないのだ!」
『へへん! そんなこと言われて獲物を逃がすバカがいるかってえの!……あーばよー!』
ピューマのような魔獣はイシスを咥えたまま湖の畔から逃げ出そうとした。
だが、湖が急にせり上がり、巨大なバケモノが姿を現した。
魔獣は、あっと口を開いてイシスを離し、巨大なバケモノにバクンと一飲みにされた。
『『「「「「え?」」」」』』
俺達は状況がつかめず、ただ唖然としていた。
巨大な化け物は、蛇のような魔獣だった。
長く赤い舌をチロチロと出し、俺達を冷たい目で見ている。
魔王であるカーミラですら、何が起こっているのか分からず混乱していた。
「ギャー、でっけー!」
イシスの悲鳴で俺達はハッと我に返った。
俺とカーミラは目の前の巨大な蛇に対して構えようとしたときだった。
『うっふっふ。美味しそうなゴハンがいっぱい。何から食べようか……ギェエエエ!?』
『もらったわ!』
『『「「「「ええ!?」」」」』』
今度は空から何かが降ってきて、巨大な蛇の魔獣を仕留めた。
これが食物連鎖か?
弱肉強食か?
空から降ってきた巨大な鳥は、蛇の魔獣の首を巨大な爪で握りつぶし、翼を大きく広げて俺達をジロっと見下ろした。
ロロとフレイヤは、レアも、しっぽを股の間に挟んで固まっている。
本能で勝ち目がないと悟ったようだ。
こいつは、巨鳥の魔獣?
ヤバいな。
恐ろしく強そうだ。
だが、俺達に襲いかかってくる気配はない。
『……なんざんす、バケモノを見るような目で見なんすな。あちきを与太郎な魔獣と一緒にしなんすな? あちきは、この世で最も優美で華麗な
ガルーダはバサッと翼を広げて不機嫌そうに鳴いた。
それから、爪で握りつぶしていた蛇の魔獣の首をさらに握りつぶし、蛇の魔獣をついばんだ。
『あらん? 水の中の蛇もいけるでござりんす』
俺達は蛇の魔獣をついばむガルーダを唖然と見続けていた。
カーミラはハッとして、目を輝かせて突然叫んだ。
「まさか、この
と、同時だった。
空からまた何かが彗星のように降ってきた。
土煙が舞い上がり、その正体は見えなかった。
「……ああ、もう! ブリュンヒルデ、いきなり急降下しないでよ! 上にいたのが僕じゃなかったら、死んでたよ!」
土煙の中から少年のような声が聞こえてきた。
まさか、人間、なのか?
信じられねえ。
普通なら、地面に激突してトマトみてえに潰れてるぞ。
一体何者だよ?
「ああ、やはり! ジークフリート様!」
カーミラは恋する乙女みたいに頬を赤らめ、最高の笑顔でその声の主に抱きついた。
やがて土煙が晴れると、少年は姿を現した。
俺は不覚にも思わず息を飲んでしまった。
絵画から抜け出てきたみたいに何て神々しいのだろうか、と。
繊細でいながら圧倒的に力強い存在感のある、まるで神に創り出された芸術のような存在に思えた。
これが、『世界の管理者』シュヴァリエ家のアルセーヌと『神の子』ジークフリート・フォン・バイエルンではなく、ただの俺とただのジークフリートとの邂逅だった。
この二人が、この世界の命運を握る存在なのだとは、この時の俺はまだ知らなかった。
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