第17節 開戦の狼煙
―アルカディア大陸東北中部 湖水地方シルバニア―
「ジュ、ジュリア、どうして、お前が……」
聖騎士暗殺者の正体が、自分の妹であったことで、アウグスタは今にも崩れ落ちそうに呆然と立ち尽くしていた。
対してジュリアは、姉の複雑な気持ちなど意に介さず、楽しそうに笑っている。
「どうしてって、アグお姉ちゃん? だって、これがあたしの仕事だもん!」
「だ、だが、お前は、虫も殺せないほど優しい子だったはず……」
「優しい? 違うよ、弱虫だっただけ。今は生まれ変わって、殺すことが楽しいの!」
「な、なぜだ! 何がお前を変えた? あいつか? ピサロのせいか!?」
アウグスタは拳を握りしめ、激情のままにジュリアを睨みつけた。
だが、ジュリアはただ笑っているだけだ。
「うーん、そうなのかな? ピサロ総督が力をくれたのはそうだけど。……でも、どうでもいいじゃない? あたしは、殺しがしたくて仕方がないの。好きになった人を殺したくなっちゃう体質になっちゃったの。大好きなお姉ちゃんを殺したくてウズウズしてるの。あたしね、カッコいいお姉ちゃんにずっと憧れてたの。だからね、一番大好きなアグお姉ちゃんを殺させて?」
ジュリアはクスクスと笑い、アウグスタに向けてレイピアを構えた。
アウグスタは変わり果ててしまった妹を前に、めまいを起こしそうに足元がよろけた。
「あ、ああ、ジュ、ジュリア、そんな……」
「しっかりしろ、アウグスタ!」
倒れそうになるアウグスタをオリヴィエが後ろから支えた。
オリヴィエは、戦意を喪失したアウグスタを守るように剣を構えた。
ジュリアはさらに、パァッと表情を明るくした。
「キャハハ! オリヴィエお兄ちゃんもカッコいいなぁ! あたしね、男なんて大っ嫌いだけど、お兄ちゃんだけは好きだよ?……だからね、男のくせに騙してたあんたは、汚く殺してやる!」
「ひ、ひぃいい!?」
ジュリアは急に表情が反転し、般若のように目がつり上がった。
ヨハンはジュリアの突然の豹変に小さく悲鳴を上げて後退りした。
「落ち着け、ジュリア。お前に何があったのかは私には分からん。だが、聖騎士を殺害したお前を放って置くわけにはいかない。おとなしくしていろ。怪我はさせたくない、抵抗するなよ?」
オリヴィエがじりっとジュリアの前に出たことで、ジュリアは落ち着きを取り戻し、ニコリと笑った。
「キャハハ! 今のあたしを昔と同じと思わないでよ、お兄ちゃん!……やぁあああ!」
「な、何!? こ、これは、バカな!?」
ジュリアが纏っている闘気は、暗黒闘気であった。
しかも、瞳の色が血のように真っ赤に染まっている。
聖騎士が纒う闘気は聖闘気であり、暗黒闘気は通常ならば魔族、ヴァイキングなど、他種族では稀だ。
だが、ジュリアは人族であり、聖教会の教会騎士であったが、そもそも生まれ持った属性は違った。
通常では属性が後天的に変わることはありえないことで、オリヴィエはあまりにも異常なことに驚愕の表情は隠せなかった。
「びっくりしちゃった、お兄ちゃん? じゃあ、イクよ!」
「な!? は、速…ぐぅ!?」
ジュリアはレイピアを構えて、オリヴィエを突き刺そうとした。
オリヴィエは剣の腹で受け止めたが、アウグスタを抱き抱えていたため足に踏ん張りがきかず、砕けた窓から外へと放り出された。
「お、オリヴィエさん!?」
ジュリアはオリヴィエを突き出した後、華麗に体を回転させ、ヨハンを突き刺そうとした。
「死ねやぁああ!」
「う、うわぁああ!?」
ヨハンはとっさに後ろに飛び、窓から外へと飛び降りた。
一応、3階ではあるがヨハンは仮にも教会騎士なので無事に着地した。
「オリヴィエさん、大丈夫ですか!?」
「……ああ、これぐらい大したことではない。だが、ジュリアがこれほど強くなっているとは。聖騎士並みの実力だ。私も気合を入れねばやられる。だが……」
オリヴィエはちらりと腕の中にいるアウグスタに目を落とした。
未だにショックから立ち直れていないようで、呆然としている。
ヨハンは意を決して、ぐっと気合を入れた。
「……わかりました! アウグスタさんはボクが守ります! ボクだって、教会騎士の端くれです!」
「ヨハン、お前……分かった、任せる!」
オリヴィエが立ち上がった時、ジュリアも外へと飛び降りてきた。
ジュリアはオリヴィエの気合の入った目を見てクスリと笑った。
「へぇ? お兄ちゃんが相手してくれるの? こんなこと、初めて、嬉しいなぁっと!」
ジュリアは再び高速の突きを繰り出した。
教会騎士レベルのヨハンでは、目にも止まらない速さである。
しかし、オリヴィエは流石は遊撃騎士、並の聖騎士よりも実力は上だった。
ジュリアの突きを何合もさばいていた。
だが、防戦一方である。
「どうしたの、お兄ちゃん? 手が出せないの?」
「……ああ、そうだな。これは、無理そうだな」
「そっか、じゃあ、これで一気に決めて……」
「勘違いするなよ? 無傷でお前を捕らえることは無理だということだ。すまんが、多少の怪我は覚悟しろ」
オリヴィエは距離を取って、剣にも聖闘気を纏った。
本気になったオリヴィエに、ジュリアは一瞬気圧された。
だが、すぐに楽しそうに笑った。
「キャハハ! やっぱりお兄ちゃんはすごいなぁ! うーん、あたし一人じゃ無理か。……じゃあ、みんな、来て!」
ジュリアは、天高く漆黒の闇の闘気を放った。
青い空には一筋の黒い線が引かれている。
「何をした?……むぅ!?」
それを合図に、次々とピサロ配下の騎士たちが転移してきた。
誰もが暗黒闘気を纏い、真紅の瞳をしている。
最後の一人が現れると、そこには一個小隊の暗黒騎士たちが集まっていた。
☆☆☆
―シルバニアにある司令官執務室―
「……ほう? 反乱軍の基地が分かっただと?」
執務机で書類仕事をしていた聖騎士団長ライネスは、思いがけない報告に顔を上げた。
その先には、副団長アリス、ジル・ド・クランが立っている。
「ええ、そうよ。先日捕まえた放火犯が知ってることを洗いざらい吐いたわ」
アリスは腕を組んでツンとすましている。
上官の前で無礼ではあるが、この二人の関係では最早どうでもいいのかもしれない。
これは吉報ではあるが、団長は少し顔をしかめた。
「だが、あまりにも急だな? 非道なことはしていないだろうな?」
「……さぁ? あたしは知らないわよ」
アリスは、団長の追求にぷいとそっぽを向いてとぼけた。
団長も長い付き合いで、嘘をついているとすぐに分かったが、深くは追求しなかった。
隣に立つジル・ド・クランをじろりと見たが、不気味な笑顔のまま肩をすくめただけだ。
「……まあ良い。詳しい話を聞かせてもらおうか?」
「フフフ。もちろんです、団長殿」
ジル・ド・クランは、秘密の拷問によって聞き出した情報を団長に全て伝えた。
連邦軍の基地の位置、兵の数・状況等、当然ピサロや配下の聖騎士の存在も確認できていた。
団長は報告を聞き終え、腕を組んで少しの間熟考した。
そして、目を開いた後、号令を発した。
「……よかろう! 全軍に集合をかけろ! 出撃だ!」
「「ハッ!!」」
アリスとジル・ド・クランが気合を入れて動き出した。
と、ちょうど同時間、空には黒い一筋の線が走った。
☆☆☆
―アルカディア大陸東北中部 湖水地方シルバニア郊外 ブラックスミス―
「ほぅ? 街に潜伏していたジュリアから合図が上がったか」
見張りについていた兵からの報告を受け、ピサロはニヤリと笑った。
作戦会議室から席を立っていたピサロは、自身の執務室に戻ろうとしていた。
その後ろには、副官のグウィネスが同行している。
「吾輩配下の暗黒騎士たちはすでに街の内部に転移した頃だな。さぁて、最後の詰めだ。ここまで周到に策を積み上げてきたのだ。クックック。ライネス、待っていろよ? 貴様に屈辱を味わわせてやる」
ピサロは黒い笑いをし、グウィネスとともに転移していった。
☆☆☆
「……なるほど。これがピサロの言っていた開戦の狼煙、か。」
ワトソンは空を見上げて呟いた。
その傍らには、アダムスもいる。
アダムスは唸るように言葉を発した。
「あのピサロという男、私達を駒扱いしてきて気に入りませんが、これほどの戦略を描くとは背筋が凍りますよ」
「ああ、そうだな。ヤツほど狡賢い男はワシですら知らん。かつての同僚だったコローネも悪知恵が働いたが、ピサロはそれ以上かもしれんな」
「ですが、こうも相手の先手、先手を取れるなんて」
「それは、ヤツが聖教会の内情を熟知してるというのもあるだろう。フランクリンと組んでおるから、ワシらの知らぬ魔道具も使っているかもしれん。それに、聖教会の司令官『雷帝』ライネスに異常なまでに対抗心を持っているからな」
「二人の間には、一体何があったのでしょう?」
「さあな。ワシには分からん。……む? どうやら、ワシらも出撃の準備が整ったな。ワシもピサロは気に入らんし、ワシらの理想とヤツの野望は違う。だが、この戦いで勝利を収めるという目的だけは同じだ。今はヤツの策に乗ってでも、勝つぞ!」
「はい!」
連邦軍もまた動き出した。
この戦争に決着がつくのだろうか?
今はまだ分からない。
運命は刻々と時を刻み込む。
☆☆☆
―そして、忘れてはならない主人公―
僕たち連合軍は、これから連邦軍との戦いを今度こそ終わらせようと出撃の準備をしていた。
僕も当然、その準備をするはずだったのだが……
「もう、ブリュンヒルデ! 早く街に戻らないと!」
「……クァー」
僕は岩山の上で動こうとしないブリュンヒルデに悪戦苦闘していた。
ブリュンヒルデは、そっぽを向いて気怠げに一鳴きしただけだ。
ああ、もう!
ヨハンやオリヴィエの言うことはちゃんと聞くのに、どうして僕の言うことを聞かないんだよ!
この大陸に来る前はあんなに仲良くなついていたのに!
動物の言葉が分かればなぁ。
いや、そんな夢みたいなことはありえないか。
などと、言うことを聞いてくれないブリュンヒルデに僕が困り果てている時だった。
街の方から一筋の黒い線が走った。
「ん? 何だ、あれ?……え、ちょっと、ブリュンヒルデ! どこに行くの!?」
ブリュンヒルデは突然羽ばたき、街へと飛んでいった。
僕は大慌てで追いかけようとした。
でも、僕の行く手を阻む者が現れ、足が止まってしまった。
「……やぁ、ジークフリート・フォン・バイエルン、久しぶりだな?」
「君は……サム・アダムス?」
「へぇ? 聖教会の宝の『神の子』様でも、オレ如き庶民のことを覚えていたなんてね?」
サムは皮肉を言うようにフッと笑った。
やっぱり、僕のことをよく知っているようだ。
世間で僕がどんな風に考えられているのかは知らないけど。
「ああ、もちろんさ。君は初めて会った時に、他の連中とは一味違うって思ったんだ。命を懸けてでも戦う理由っていうのに興味があってね」
「そいつは光栄だね?……でも、聞きたかったら、力づくで聞き出してみろよ!」
サムは、腰に下げていたショートソードをスラリと抜いた。
そして、聖闘気を纏った。
「へえ、やるね! 聖騎士でもないのに、聖闘気を使えるなんて!」
「ああ。ワトソン将軍に鍛えられてね。あの日から毎日血反吐を吐いてきたよ」
「あの日?」
「……別に、教える気はない!」
サムは一気に鋭く踏み込んできた。
僕は思いもよらないできる相手が現れたことで、歓喜の笑いが思わずこみ上げてきた。
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