第8節 遠征

 ハァ、すごい。

 なんだろう?

 体がほぐれて蕩けていきそうだ。

 生まれたままの姿で、気分もすごく開放的になっている気がする。


「うふふ、良いお顔ですわよ、ジークフリート様?」


 だらしなくリラックスしている僕の顔を見て、カーミラは雪のように白い肌を仄かに上気させている。

 カーミラも、一糸まとわぬ姿でいい笑顔だ。

 ほんのりとボヤけやた視界のせいか、いつもよりも更に妖艶な雰囲気になっている。


「うん、最高だよ。これが、極楽ってやつなんだねぇ」


 僕は何もかも忘却の彼方にやって、この快楽に浸っていたい。


 僕とカーミラは今、二人っきりで温泉にやって来ている。

 初めは『修羅王』オダ・カズサの行軍に加わっていたのだが、僕が温泉に入ったことが無いという話をすると、少し山奥に入ったこの温泉に行って来いという話になった。


 今回の行軍は、東の元最強大名家を征伐するためらしいのだが、総大将はカズサの嫡男オダ・タダノブという男だ。

 この長男は、次男とは比べ物にならないほど優秀らしいので、決着を見に来ただけのようだ。

 そのため、僕たちは気軽に息抜きにやって来たわけだ。


「ハァ。こんなに良いところだったら、みんなも連れてきたかったなぁ」


 僕たちは今、オリヴィエとヨハンに、ガルーダの雛ブリュンヒルデの世話を任せて遠征している。

 ルイスは元気に布教活動をしているのだろうけど、みんなで来ても楽しいだろうなぁと思う。


「もう! ジークフリート様は、私と二人っきりでは楽しくないのですか?」


 と、カーミラは拗ねたように口をとがらせた。

 カーミラは見かけによらず、たまに子供っぽくなってしまうから困ってしまう。


「え!? そ、そんな事無いよ! カーミラがいつも側にいてくれて嬉しいし、色々と教えてくれるから頼りにもなってるよ!」

「まあ! 私も嬉しいですわ! ジークフリート様に良く思われているだけで天に昇りたい気分です!」

「あはは、大げさだよ。……ところで、カーミラって、どうしてこの国のことにそんなに詳しいの?」


 僕は前々から疑問に思ったことを聞いてみた。

 独特なこの国の言葉も現地人と同じように話せるし、様々な文化についても詳しい。

 いくら『魔王』で長生きとはいえ、普通はここまでのレベルにはならないはずだ。

 カーミラは少し考えて口を開いた。


「……ジークフリート様は、あの御方、大魔王と呼ばれている御方の事をどのくらいご存知ですか?」

「え? 大魔王?……うーん、暗黒大陸から大軍勢を率いて世界征服をしようとしたぐらいしか知らないな」


 僕は考えても特に何も出てこなかった。


 そう言われれば、今の聖教会の教えも大魔王と戦った伝説の勇者の功績を讃える逸話が多いけど、最大の敵である大魔王についてはほぼ言及がない。

 その理由としては、大魔王を研究することは、悪魔崇拝になり、最大の禁忌とされているからだ。

 そういえば、なぜなんだろう?


「今の時代では、ジークフリート様の認識が普通なのです。あの御方の人物像が知られれば、聖教会の欺瞞が暴かれるからです」

「そうなの? でも……」

「もちろん、聖書の内容が全て悪ではありません。いえ、大部分の戒律はより良い生き方を導くための教えです。それ故に、聖教会圏の人族に受け入れられているのでしょう。しかし、解釈の仕方によって、強烈な悪意が浮かび上がるのです」


 カーミラは、激しい怒りを噛み殺すかのように歯を軋ませた。

 カーミラの初めて見せる感情に、僕はゴクリとつばを飲み込んだ。

 それで、僕も真剣に考えた。


「……そうか! それで異端者についての言及があるのか」

「そういうことです。初代教皇、大賢者と呼ばれていたあの狂人は、それほどに狡猾で凶悪な知略の持ち主なのです。我々魔族を、いえ、あの御方を貶めるためなら、どんな手でも使ったのです」


 そうか。

 にわかには信じられない話だ。

 でも、僕は『魔王』カーミラと直接話をして、魔族も人族もその本質は変わりないことを知った。

 この世界の同じ住人だ。


 魔族や獣人たちが、400年前の聖魔大戦で人族と争ったから、聖教会の教えで敵と定義されただけなのだろう。

 なぜ、こんな教えを付け加えたのかは、カーミラの口ぶりからすると、初代教皇の個人的な恨みのようだ。

 400年前の聖魔大戦の生き証人であるカーミラが言うのであれば、間違いでは無いのだろう。


 だけど、聖教会の信者がみんな悪人なわけではない。

 むしろ、ほとんどの人々は善良だと思う。

 ただ、裏を知らないだけだ。


「……でも、カーミラ、僕が聞きたいのは……」

「ええ、分かっていますよ。どうして私がこの国について詳しいのかは、まずあの御方について知ってもらわないといけなかったのです。少し話がズレてしまいましたね」


 カーミラが言葉を区切ると、眩しいばかりの月明かりを見上げた。

 そして、ふふっと笑うと話を続けた。


「あの御方、大魔王様は、この国の人族だったのです」

「え!? そ、それじゃあ……」

「つまり、聖教会の定義する絶対悪の存在は、人だったということになります。もし、この真相が暴かれれば、聖教会の教えは根底から覆されます。まあ私には、今更どうこうするつもりはありませんけどね」


 と、カーミラは軽く鼻で笑っただけだった。

 カーミラは、言葉も出せずに黙り込んでしまった僕に笑いかけ、白い帽子をかぶったような遠くの山頂に目をやった。


「それが、私がこの国に詳しい理由です。かつて愛したあの御方の生まれ育った故郷を知りたかったのです。あの400年前の大戦の後、何度もこの国にやってきて、何年も住んだこともあります。若き日の御屋形様とお会いしたこともありますよ」

「それが、理由……」

「うふふ。あの御方は、暗黒大陸だけではなく、私にとっても救世主でした。そして、ジークフリート様はあの御方と……きゃ!?」


 僕は、胸の中がよくわからない感情でモヤッとした。

 そのせいで、カーミラを強く抱きしめていた。

 カーミラに、僕とかつての大魔王と比べられた気がして、心の中に波が立つように揺れ動いているようだ。

 僕は自分を抑えることもしないで、いつもよりも乱暴に湯面を揺らした。

 カーミラもまた、いつもより激しく乱れた。


 僕たちは近くの温泉寺に泊めてもらい、翌朝、カズサたちと合流するために、さらに東へと進んだ。

 途中で何度か山賊に出会ったが、僕たちの相手ではなかった。

 そして、カズサと合流した時は、ちょうどどこかの寺を焼き討ちしているところだった。


「心頭滅却すれば火もまた涼し!」


 誰かがそう叫びながら、炎の中に消えていった。

 その様子をカズサは、表情を変えずに眺めている。

 そして、僕たちに気がつくと破顔して出迎えた。


「おお! ジンスケではないか! 湯浴みはどうであったか?」

「え、ええ、素晴らしかったです」


 この国の言葉にほぼ慣れた僕が、この焼き討ちに唖然とした顔をしていると、カズサが説明してくれた。

 残党の武将を匿ったとして、敵大名のタケダ家の菩提寺を焼き討ちしたそうだ。

 な、なんて容赦のない。


 この次の日、この遠征軍の論功行賞を近くの占領した寺で行った。

 その後、この東の地を平定するための大名を残し、カズサと僕たちは帰っていった。

 その帰り道。


「おお! すごい綺麗です!」


 僕は開けた山道から、他の山から群を抜く均整にバランスの取れた美しい山に感嘆の声を漏らした。


「クックック。あれが、この国の象徴、霊峰フジ山である。見事なものよなぁ。タケダを滅ぼして、ようやくこの天下の大名物が手に入ったわ」


 カズサはこの山を見てニヤリと笑い、黒駒で駆けていった。


 さらに、同盟を結んでいる大名の領地を帰還途中に通った時だった。

 この領地に入ってから行く道々が急に広くなり、川には見るからに新しい橋が架けられ、山は切り拓かれ、道端の兵も隙間なく配され、その道はキレイに清掃されていた。

 一夜の陣所ですら、金銀を装し、軍兵用の千を超える小屋までも作り、その食事の賄いを下々の者に申し付けていた。


「お待ちしておりました。お渡りください」


 出迎えた大名は、かなりガッシリとした体型で、耳たぶが大きい福耳だ。

 この大名は堂々としているが、家臣たちは『修羅王』を恐れているのか、小刻みに震えながら冷や汗を流している。

 他の者達は平伏して顔を上げようともしていない。

 これは最早、王者を歓迎しているどころか、神を畏怖するかのようだ。


「クックック。これは、見事な趣向よな、マツチヨ?」

「はっ! 我が三奉行が心の限りを尽くして舟橋を普請致しました!」


 この大名が答えた舟橋、何十メートルもある幅広い川に、無数の小舟を大きな太い縄で繋ぎ、その上に板を敷いて橋を造っている。

 『修羅王』がただ通るだけだというのに、この歓待は常軌を逸している。


「む? 随分とボロを纏った民が多いな。ニカワはそれほど財政は逼迫しておるのか?」

「畏れながら。我が領は慎ましく暮らしております。ニカワ武士は、忠義に厚く、質素倹約を美徳としております」

「ふん! うぬは、童の頃から変わらんな。……まあ良い。此度の歓待、見事である!」


 カズサは、この歓待に感服し、黄金50枚分、兵糧8千俵をこの大名に配分した。


 カズサは居城に帰陣し、僕たちもまた聖教会へと戻った。


 僕たちが大聖堂の中に入ると、ガルーダの雛、ブリュンヒルデがちょこちょこと走り回っていた。

 まだ羽は生え揃っていないけど、立ち上がれば僕よりも頭一つ分背の低いヨハンと同じぐらいまで大きくなっている。

 まだまだ大きくなるみたいで、飼う場所も考えないといけなくなってきた。

 普通の人族よりも頭が良いらしいので、しつけに関しては、一度言って聞かせれば問題は無いそうだ。

 飼育はロック鳥よりも簡単だとオリヴィエは言っていた。

 でも、撫でてあげると甘えたような声で鳴くので、まだまだ子供だね。

 

 さらに次の日の夜

 僕は、カズサと二人で天主から夜景を眺めていた。


「どう思う、ジンスケよ?」

「え、ええと。何というか、贅沢な眺めです」

「贅沢、か。ならば、此度の道中の民についてはどう思う?」

「民、ですか。……サムライたちとは違って、おとなしいというか。質素な人も多かったですね」


 カズサは我が意を得たりというようにニヤリと笑った。


「で、ある。民は最早、この乱世の熱情が終わりに近いと感じておるのだ。民が賢しく、温和になりつつある」

「それは、良いことでは?」

「否。万民が保身に走り、懐に銭を貯め出すと、この国の銭の流れが止まる。つまり、我が国は仰向けに沈む」


 カズサは、僕の方を見ずに、贅沢に明かりを灯している城下町を見下ろしている。

 自分の滅ぶ可能性を予見しているのに、動じることなく仁王立ちのままだ。


「でも、どうすれば……」

「銭を流れさせるには、さらなる富の確保が必要になる」

「この国はもう御屋形様の天下、これ以上は……あ!」

「で、ある。この国を出て、シーナ帝国に入る」


 カズサがニヤリと笑った。

 この『修羅王』は、さらなる戦乱を望むのか!

 でも、そんなことは……


 あれ?

 この理論でいけば、聖教会圏も同じなんじゃ?

 もし、聖教会圏の金の流れが止まったら?

 国が破綻し、群雄割拠の乱世になる?


 まさか!


 これが、カーミラの言っていた、戦乱の気運?

 もし、世界中の金の流れが止まったら?

 400年前の大戦と同じことが起こる?

 いや、それ以上にひどいことが……


「クックック。ジンスケよ。うぬも楽しみなのか?」

「え? 僕は……あれ?」


 僕は、震えながら笑っていることに気が付いた。

 僕も乱世を期待しているのか?

 力を振るうことを楽しみにしているのか?

 『覇王』を目指そうというのか?

 わからない。


「ジンスケよ。ワシはこの島国だけでは足らん。まだまだ高みへと登るぞ。どれほどの景色が見えるかのう! ハッハッハ!!」


 『修羅王』オダ・カズサは高笑いをしている。

 僕は同じように笑うことは出来なかった。

 でも、僕は人の持つ留まることを知らない欲望に、戦慄とそれ以上の興奮を覚えていた。

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