第9節 運命の日

「ときは今 天が下しる 五月哉」


 明智光秀 『愛宕百韻』


 この句は、明智光秀が「愛宕百韻」で発した、織田信長討伐を決心した句と言われています。

 この3日後、日本史上屈指の大事件「本能寺の変」が起こりました。

 

 しかし、「本能寺の変」の真相は、依然として謎のままです。


・・・・・・・・・


ー運命の前日、午後 タンバ、ツルヤマ城ー


「……コレトウ殿、御屋形様から拝領された八角釜を出されなかったということは、ご決断されたという事ですね?」


 黒衣を身にまとった『茶聖』イッキュウは、ちらりと茶釜を見た。

 そこにあるのは、ただの真鍮釜で、キンカン頭のコレトウは『修羅王』オダ・カズサから拝領した八角釜、自ら茶会を開ける立場の証を使っていなかった。


 オダ家中では、茶会を開く事はひとつの特権であり、それは重臣の筆頭とみなされたことになる。

 その茶釜を個人の密会とはいえ、『茶聖』との茶の湯で使わないということは、忠義の心を失ったことを示す。


「某も、もはや疲れ果てました。太平の世を目指し、生まれし頃よりの乱世をひたすら駆け抜けてきました」


 コレトウは、深いシワの刻まれた顔の中で、ぽつりと口を開いた。

 そして、髷を結うにも足りなくなってきた白い髪の乗った頭を下げながら、茶を点てている。


「そうですか。コレトウ殿も気に病んでおられるようですね、あのシーナ帝国に攻め入るという御屋形様のお考えに?」

「それだけではありません。我が所領であるタンバ、ヤマシロ、サカモトの三領も没収され、約1万人いる家臣とその家族を、いきなり路頭に放り出される格好となりました。その先は、キシバ殿が攻めている、まだ討ち取ってもいないモリ側の所領を「切り取り次第」だ、と言われました」

「なるほど、長年、領国を治めていたコレトウ殿の苦労も一瞬にして水の泡となってしまったわけですか」

「ええ、かの辺境では、家臣たちの労も報われません。この老体に滅びよと言うのと同じことです」

「狡兎死して走狗煮らる、ですか。しかし、窮鼠猫を噛む、ということわざもあります。コレトウ殿は、どちらがお好みですかな?」


 コレトウは、イッキュウのこの言葉には何も答えなかった。

 代わりに、命がけの殿を務めた若き日の目で茶を出した。

 そして、イッキュウは満足したように茶を飲んで去っていった。


 この後、コレトウは八角釜を砕き、腹心を集めた。

 すでに、西部へと向かう軍勢1万5千の兵は集結していた。


「これより、進路を都へと取る。ホンオウ寺の『修羅王』オダ・カズサを討つ」


 コレトウは静かだが、重い言葉を発した。

 そして、腹心たちは覚悟を決めた目で涙を流し、深く頭を垂れた。


―運命の前日、同刻 都、ホンオウ寺―


 僕は、『修羅王』オダ・カズサに伴って、この国の都に上洛した。


 あの夜カズサが語った野望、シーナ帝国に攻め入るために、動き出したのだ。

 そのための足がかりとなる西部方面の平定、そしてそこを拠点にするためだ。


 今動き出したのは、西部方面軍の司令官キシバという男から準備が整ったという連絡があったからだ。

 今回も僕とカーミラだけで出掛け、オリヴィエとヨハンはブリュンヒルデの世話に残ってもらった。

 

 僕たちが逗留することになる寺、ホンオウ寺で名物茶道具を披露するため、カズサは大茶会を開いた。

 すでに様々な物が運び込まれていて、供の者たちはその整理で忙しそうだ。

 相手は『テンノー』の下にいる貴族たち(この国では公家衆)や西の大商人たちを呼んでいた。

 そして、ここでカズサはシーナ帝国へ攻める事を仄めかした。


「ホッホッホ! さすがは『修羅王』様、狂言は都よりも上どすな!」

「……ほう? 大うつけの戯言だと?」


 誰もがカズサの冗談だと思って大笑いしている。

 カズサは何も言わずに、パンと手を叩いた。

 そして、カズサの小姓たちが次々と名物茶道具を持ってきた。

 これには、ずる賢い商人や貴族たちは驚愕に目を零さんばかりに見開いた。


「こ、これは、まさか?」

「ふ! 気付いたか、コノエよ? サツマのシマダが調達中の物であったな?」


 コノエと呼ばれた貴族は、ガタガタ震えて冷や汗を垂れ流している。

 さらに、カズサは続けた。


「シマダがワシに面会する際の進物が、これでは無いのか?」

「ま、まさか、シマダ殿の動きまで筒抜けとは。すでに、サツマまでも掌の上だとは」


 この言葉に、カズサは鼻で笑った。

 そして、カズサは次の相手に話しかけた。


「クックック。このワシがその程度だと思っているのか? のう、ソウエツ?」


 ソウエツと呼ばれた商人は、苦しそうに茶入を出して頭を下げた。

 これに、集まった一同は驚きの声を上げた。


「こ、これは!? まさか、天下の三肩衝『楢柴肩衝』!?」


 カズサは満足そうにニヤリと笑うとソウエツに話しかけた。


「ソウエツよ。うぬが懇意にしておるオオモトと敵対しておるシマダの和睦を取り持ったのは誰か覚えておるか?」

「も、もちろん、オダ様でございます。し、しかし、ま、真に畏れながら、この茶入は命よりも大事であり、その……」

「……ふ! 分かっておるわ。だが、譲るというのであれば、保護してやっても良いのだぞ? もし、シマダがさらに台頭したら、うぬの特権が無くなるのではないか?」


 ソウエツは、カズサの威圧感の前に平伏して震えるだけだった。


「これで分かったであろう? 球州全土もすでに我が掌の内だ。西部も残るは、モリ、死国のナガソカベのみよ。ワシに従うかどうかは、ようく考えるが良い」


 カズサが睨みつけると、一同はただ黙って頭を垂れるだけだった。


―運命の日、夕刻 都、ホンオウ寺―


 この茶会という名の恫喝が終わると、カズサは長男タダノブを呼んだ。

 見た目は、カズサに比べればアクが強くないが、顔立ちは精悍である。

 次男のノブオに比べれば、遥かに出来る男のようだ。


「よう来た、奇妙丸(幼名)。これをうぬに与える」


 カズサはそう言うと、小さな木箱から茶入を取り出した。

 これに、タダノブは驚愕の表情でアゴが外れそうになっている。

 こうして見ると、確かに奇妙な顔だ。


「こ、これは、もしや、天下の三肩衝『初花肩衝』!?」

「ワシの意が分かるか?」


 カズサは、真剣な目でタダノブを見据えている。

 タダノブはこれを理解したかのように真面目な顔に戻った。


 でも、僕には全くわからない。

 確か、次男のノブオが欲しがっていたけど?


「この国を、天下をこのタダノブに任せると?」

「ふ! さすがは、ワシの倅よ。うぬが最も我が血を色濃く受け継いでおるわ」


 カズサはこれまでで一番嬉しそうな顔で、普段飲まない酒を一気に煽った。


 なるほど。

 だから、無能の次男に渡さなかったんだ。

 あの茶入が、天下人の証明みたいなものか。

 聖教会圏の王冠みたいなものなのかな?


―運命の日、深夜 ヤマシロ、山陰街道分かれ道―


 この時は、まだどちらにでも進むことが出来た。

 だが、ここでコレトウは運命の選択を迷うことはしなかった。

 西部への道を選ばず、都への道を選んだ。

 キシバ援軍への士気を高めるために、『修羅王』オダ・カズサにコレトウ軍を見せるのだ、と腹心は兵たちに語った。

 これで、クーデターに進むしか道はなくなった。

 コレトウは、不意に空を見上げた。

 そこには、暗い朔があるだけだった。


―運命の日、深夜 都、ホンオウ寺―


 僕は、ほんの一瞬、鋭い殺気を感じて目が覚めた。

 体を起こしたが、殺気は何も感じなくなっていた。


「ジークフリート様も気が付かれたようですね?」


 隣で寝ていたカーミラも、すでに起きていて、脱いでいた着物を着直している。


 どうやら、気のせいではなかったようだ。

 気配を探知してみたが、賊が侵入している気配は感じなかった。

 僕も戦闘用に『七聖剣』の鳳凰の鎧を身にまとった。


 僕たちは、静かに素早く外に飛び出した。


 ほんの一瞬感じた殺気の方へ向かうと、深い林の中に二人の男の姿があった。


 一人は、灰色にまでなった髪を長く伸ばし、口の周りにも灰色のヒゲを蓄えている老人で、涼しげな雰囲気もあるが、まるで雲のように実態が掴めない。

 もうひとりは中年ぐらいのようだが、四角い顔で黒髪を長く伸ばし、黒いヒゲを蓄え、まさに野獣のようだ。

 そして、落ち着いた色合いの羽織袴に腰には大太刀を佩いているので、二人共サムライのようだ。


「ほう? 南蛮一の剣豪だと聞いてきたが、まだ子供ではないか!」


 中年の男は、僕を見て不満そうに怒鳴った。

 だが、この態度に老人の方は笑いながらたしなめた。


「ひゃっひゃっひゃ! おめえもまだまだだな? 見た目で判断しちゃいけねえよ。この坊やは強えよ」


 老人は、もうひとりの男を手で制して前に出てきた。


 一歩前に出てきただけで分かる。

 纏う雰囲気が、別の次元にいる。

 僕はまたも歓喜に震えてきた。


「……ふむ? だが、危ういなぁ。まさに、抜身の刀そのものだ。強さを履き違えとる」

「ん? 強さ?」

「ひゃっひゃっひゃ! わからんか? おいらも若い頃はそうだったなぁ」


 と、老人は遠い目をして笑い出した。


 僕はどうすればいいのかわからずに混乱してしまった。

 刺客のはずなのに、どういうつもりだ?

 やる気があるのか?


「うふふ、ジークフリート様。その老人は、『剣聖』カミイズミ・ムサシモリ、天下無双の大剣豪ですよ」


 カーミラは混乱する僕を見て、笑いながら説明してくれた。


 へえ?

 それは、面白い!

 僕はまたやる気が出てきた。


「な!? 貴様、なぜお師匠様の素性を!?」

「落ち着けい、セキシュウ。おめえもまだまだ未熟だな? もうちっとまろやかに角が取れて一人前だぜ?」


 カミイズミは、カーミラの言葉で心を乱されるセキシュウを笑いながらたしなめている。

 それから僕の方を向いた。

 カミイズミは、背の剣に手をかけて笑っている僕にため息をついた。


「おめえも天下無双に興味あるのか?」

「ああ、僕は剣の高みに登って自分の限界を試したい」

「ふーん? 天下無双ってのは、ただの言葉だ。そんなものは、ないよ」

「え!? どういうことだ!?」

「天下無双ってのは、天下に二つと無いもの。天下ってのは、この世界そのもので、それで一つだ」

「ん? 全然、意味がわかんないけど?」

「ひゃっひゃっひゃ! おめえもおいらぐれえ年取れば分かるさ」


 カミイズミは、大きく笑い、また一歩僕の前に進んだ。

 だが、僕は動けなかった。


 なんだ、これは?

 目の前にいるのは、本当に「人」なのか?

 遠くから見た時は、「雲」のようだと思った。

 でも、近づくとさらに大きい。

 まるで、「空」

 これが、剣の更なる高み?

 「天」の領域なのか?

 ならば、「天」をも斬ってみせる!


「っ!? ……なんで、抜けない?」


 僕が剣を抜こうとしても、剣先で押さえつけられるかのように手が動かなくなった。

 闘気で制されている?

 いや、違う。

 そんな小手先の技術じゃない。

 カミイズミは、そんな僕にさらに一歩近づいた。


「おいらの剣は、天地一体、その道を極めたなら、刀は抜くまでもないよ。ま、この境地に辿り着くまでに、何百、何千、数え切れねえほど、死ぬほど命かけて、相手をぶった斬ってきたけどな」


 そして、カミイズミは剣の届く間合いまで近付いていた。

 見た目は、僕よりも小柄の老人なのに、押し潰されそうで、飲み込まれそうだ。

 このまま、負けを認める?

 

 ……

 …………

 ハハハ。

 ……ありえないね!


「っ!?」

「ジークフリート様!?」

「お師匠様!?」


 僕が踏み込もうとした時だった。

 カーミラとセキシュウが驚きの声を上げ、思わず駆け寄ろうとしていた。

 その先には、僕とカミイズミが予想外の事をしていたからだ。

 だが、すぐにその動きを止めた。


 カミイズミの刀は、非緋色のオリハルコンの鎧ごと、僕の胸を居合抜きで斬っていた。

 だが、倒れるほど深くはない。

 

 ハハハ!

 刀を抜いた気配すら感じなかった。

 これが、天下無双の大剣豪!

 

 僕は、紅く滾る血を流しながら、歓喜の笑いを浮かべていた。

 カミイズミは、驚愕の表情で冷や汗を流している。


「……ふ。ひゃっひゃっひゃ! まさか、おいらが刀を抜かされちまうとは! 何てえ「業」の深さよ! いや、おいらがまだまだ未熟だってぇことだな? 道を極めたと思ってたけど、まだ極めてなかったんだなぁ。ひゃひゃひゃ」


 と、言って嬉しそうに笑った。

 そして、カミイズミは構えを解いた。


「これが、南蛮一の剣士か。なかなか面白え依頼だったぜ」

「依頼? あんたたちの狙いは、僕か?」

「まあな。南蛮の『神の子』の相手をしてくれって言われたけど、ただの神じゃねえな。おめえは『武神』の子供かもな!」


 カミイズミは、笑いながら刀についた僕の血を払って、鞘に収めた。


 これで、終わり?

 僕は意味がわからずに首をひねった。


「……どういうつもりだ? 僕を殺しに来たんじゃないのか?」

「ん、ああ。依頼は、ってだけだから、殺さなくていいんじゃね? まあ、おいらみてえなジジイじゃ、おめえみてえな若えやつの相手してたら、へたばっちまうぜ」


 カミイズミは、トボけた老人のように笑った。


 僕は物足りなかったけど、やる気のない相手に剣を向けるほど凶暴ではない。

 はぁっと息を抜いたら、膝から崩れ落ちそうになった。

 ここでようやく、途方も無い濃い密度のやり取りをしていたことに気付いた。

 でも、剣の更なる高みの一端を知れてよかったかも。


「依頼とは、どういうことです?」


 いつの間にか、カーミラが僕たちの近くまで来ていた。

 そして、僕の胸に手を当てて回復魔法をかけている。

 でも、その目はカミイズミに向けて睨みつけるかのようだ。


「おお、怖えお嬢ちゃんだな?」

「さっさと答えよ!」


 カーミラが怒鳴りつけると、カミイズミは一歩後ろに引いた。

 たじろいでいるカミイズミの代わりに、弟子であるセキシュウが答えた。


「うむ。我々も詳しい話は知らないが、ホンオウ寺にいる南蛮人の二人を外におびき出して相手をしてくれという依頼でな。おそらく、アレのためだろうな」


 と、セキシュウはその理由を指で指し示した。

 林の開けた場所に出ると、その先には、黒煙が高く舞い上がっていた。

 その方角は、ホンオウ寺だった。

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