第十一節 大海原
大海原に出たのはいいが、とにかく寒い。
北からの吹きさらしの風が痛いぐらいに冷たいのだ。
防寒着は全員分買って、かなり対策はとったし、闘気を纏ってはいるが、それでも寒いものは寒いのだ。
だが、寒いと感じているのはおそらく、俺だけだろう。
他のみんなは、ユーリの側に固まって、ユーリの熱魔法で暖まっている。
ストーブというか電気毛布というか、ユーリの周囲にいるだけで体が暖まる魔法を使っている。
寒さの厳しい北の大陸で生き延びるために、
と、オーズが言っていた。
「……よし、アルセーヌ。そろそろ漕がなくていいぞ。」
オーズはある程度沖に出ると、帆を張って、後は風に任せた。
そして、俺はやっと暖まれると、ガタガタ震えながらユーリのそばに来た。
「ああ、生き帰るぜ。」
「お疲れさまです、アルセーヌ様!アルセーヌ様とオーズ様が働いてくださるおかげで、わたくし達はとても助かります。」
ヴィクトリアはニコリと、俺のために場所を少し開けてくれ、ねぎらいの言葉をかけつつ、冷え切った俺を暖めるかのように左手側に抱きついてきた。
このお姫様は、こういうねぎらいの言葉を言えるから大したものだと思う。
中世時代の王族や貴族は、下々の者が働いて当然だと思っているので、下の身分の者に礼を言うことなど決してなかったはずだ。
さすが、身分嫌いのメアリー王妃の娘だと感心してしまう。
「ありがとうございますニャ、ご主人たま!お礼にレアもご主人たまを暖めますニャ!」
と、今度はレアが右手側に抱きついてきた。
辛い目に遭っていたレアも、無事にいい子に育っている。
「ありがとうございます、ヴィクトリア様。レアもな、ありがとう。」
俺はお礼を言って、二人の子どもたちを抱きしめた。
子どもたちは俺のこの態度にご満悦だ。
『おい!オレにはお礼はねえのかよ!』
ユーリが体を起こして、不貞腐れて俺に悪態をついた。
普段の俺ならケンカをおっ始めるだろうけど、今の俺は心の中までほっこりと暖まっている。
「おう、ありがとよ、ユーリ。お前がいてくれるから、快適な旅が出来んだぜ?こんなに便利な魔法が使えるんだから大したもんだ!」
『ふ、ふん!お前が素直に礼を言うなんて、調子狂うぜ!』
ユーリは、照れくさそうにプイッと、またもとに戻って寝っ転がった。
「ありがとうね、ユーリ!」
「ありがとうございますニャ、ユーリ兄たま!」
子どもたちは、今度はユーリにもふもふと抱きついた。
俺は、もうちょっと暖めてほしかったんだけどなぁ。
でも、みんな笑顔だから、まあいいか。
「俺も、お前たちと一緒で感謝しているぞ。こんなに楽しい旅は初めてだ。」
オーズは、丸太並みに太い腕で帆の確認をしていると、俺達の会話に入ってきた。
口の端を軽く持ち上げて、ニッと笑っている。
「俺こそ、連れてきてもらって感謝しています。知らなかったことをたくさん教えてもらったし、この旅を今まで一人でやっていたことに驚きを隠せません。」
「ふ!だが、まだ旅の途中だ。それに、ついてからが本番なのだぞ?」
オーズはそうは言っているが、どこか嬉しそうなままだ。
俺達は海に出て、少し浮かれているようだ。
辺りは、真っ暗になり、夜の帳が落ちた。
今夜は月も出ていない闇の中なので、これ以上船を進ませるのは危険だということで、帆を降ろして船の上で夜を明かした。
真っ暗などす黒い夜の海は、不気味で吸い込まれそうなほどだ。
子どもたちは、この闇が怖くなったようで、早々に眠りについた。
俺もまた、オーズと交代で念の為の見張りをすることにして、先に眠っていた。
そして、ふと目が覚めた時、海が異常なぐらい静かだった。
起きているオーズを見ると、緊張して顔が強張り身動き一つしなかった。
「あれ?オーズさん、どうかし……」
「し!静かにするんだ。」
俺はオーズに声をかけようとしたが、口に指を当てているオーズを見て口をつぐんだ。
冷や汗を流しているオーズを見て、俺もわけが分からずに冷や汗が出てきた。
「動くなよ。動かずに静かにじっとしていろ。」
「は、はい。一体、どうかしたんですか?」
俺達は、声を潜めてやり取りをした。
オーズはゴクリとつばを飲み込んで、俺の質問に答えてくれた。
「……下に、クラーケンがいる。」
「く、クラ……」
俺は、思わず叫びそうになったが、何とか気を保ってその言葉を飲み込んだ。
クラーケン。
海に棲む伝説の怪物。
俺のいた世界でも有名な、イカなのかタコなのかははっきりとはわからないが、超巨大なバケモノだ。
この小舟では、一瞬にして海の藻屑になってしまう相手だ。
「で、でも、本当にあのクラーケンがいるんですか?」
「あ、ああ、間違いない。普通なら、この海がこんなに静かな凪になることはない。そして、海面が泡立ってきているからな。それに、海が異常に黒く染まっている。確実に、クラーケンが近くにいる証拠だ。」
な、なるほど。
オーズの説明には、確かな説得力がある。
俺は緊張して心臓の鼓動が大きくなり、呼吸も荒くなってきた。
「は、はは。俺達、生きて、朝を迎えれますかね?」
「だ、大丈夫だ。この船の大きさなら、黙っていれば気づかれない。それに、クラーケンは、比較的おとなしいモンスターだ。こちらから刺激しなければ、そのまま通り過ぎてくれるはずだ。」
オーズのその説明で、ホッとしたのも束の間だった。
ヴィクトリアがむくりと起き上がり、寝ぼけ眼をこすっている。
俺とオーズは、あんぐりと口を大きく開けたまま塞がらなかった。
こ、このじゃじゃ馬姫!
な、なんちゅうタイミングで目を覚ますんだよ!
でも、ヴィクトリアはまだ半分夢の中だ。
お、落ち着け、俺。
「ヴィ、ヴィクトリア様。まだ朝には早いですよ?も、もう少し寝ていても大丈夫ですよ。」
「むにゃ?はいぃ~。」
ヴィクトリアは、パタンと横になって、また幸せな寝息を立て始めた。
俺とオーズは、ほぉっと大きく安堵の息をついた。
そして、俺達は息を殺して、クラーケンが通り過ぎるのを待ち続けた。
一分一秒がどこまでも長く感じた。
どれだけ時間が過ぎたのかわからなくなった頃、月明かりが差し出した。
海も少しずつ揺らめきだし、クラーケンが通り過ぎたのだと、俺達ははぁっと大きく息を吐きだして、どっと座り込んだ。
その時、突然目の前で島が浮かび上がったかのような光景を目にした。
クラーケンがイカ頭を出し、船が大きく揺さぶられた。
「きゃあ!?」
「ニャー!?」
『キャイン!?』
叩き起こされた子どもたちは、騒ぎ出し、ユーリは吠えだした。
あ。
終わった。
多分、オーズも同じことを思ったのだろう、ポカーンとした顔のまま俺と顔を合わせて動けないようだ。
だが、そうはならなかった。
クラーケンはすぐに海に潜り、そのままどこかに消えていった。
その後は、キャーキャー、ニャーニャー、ワンワン騒ぎ、みんな一睡もできなかった。
オーズが、あれはクラーケンだと言うと、また騒ぎ出した。
俺とオーズはぐったりと疲れ果ててしまったが、子どもたちは興奮して楽しそうだった。
夜が明けると、オーズは再び帆を張って、船はひたすら北を目指して進んだ。
二度目の夜が近づいて来ると、オーズと同じ型の海賊船が横からやって来た。
並ぶと、オーズの船よりも3倍は大きい。
『おう!誰かと思ったら、お前か、リレ!』
やって来た相手は、第一声オーズに豪快に笑いながら話しかけてきた。
オーズ自体かなりの大柄だが、相手はそのオーズですら見上げるほど大きい。
他にも10人ほど乗っていて、その男よりは少し背は低いが、その全員はオーズよりも大きい。
俺からしたら、まさに巨人だ。
『ああ、久しぶりだな。『豪胆』ビョルン。』
オーズもまた、ニッと笑ってビョルンと拳を合わせ、抱き合った。
そして、ビョルンは俺達を見ると不思議そうな顔をした。
『あんだぁ、オメエ?小人でも拾ってきたのか?』
『いや、そうでもない。このアルセーヌも冬将軍に参加するために連れてきた。』
オーズは、笑いながらぽんと俺の肩に手を置いた。
それを見て、ビョルンは大声で笑った。
『ガハハハ!マジで言ってんのか?オメエよりリレ(チビ)じゃねえか!』
『ああ。こいつは見かけによらず使えるぞ。』
『ふーん?』
と言って、ビョルンはジロジロと俺を値踏みするように見ている。
俺は確実にナメられて良い気はしないが、一応挨拶をしておいた。
『どうも、アルセーヌです。フランボワーズでオーズさんの後輩やってます。』
これには、オーズを含めてビョルン達は驚愕の表情で大声を上げた。
『お前!?お、俺達の言葉も出来るのか!?』
『うっす!なんでか分かっちゃいました!』
『……はぁ、お前にはいつも驚かされるぞ。』
オーズは呆れ顔で俺を見て、子どもたちはポカーンとしている。
ビョルンは、唖然としていたが、大声で笑い出した。
『ガハハ!面白え野郎じゃねえか!今夜は飲み明かすぞ!』
俺達は案内され、離れ島の小さな砦にやって来た。
すでに、ここの兵は本土に戻っているのか、無人だった。
ここで1泊して、ビョルンたちと宴をした。
次の日、俺達はビョルンたちの船と連れ立って、更に北へと進んだ。
大陸がついに見え始めると、最後の海が少し凍りかけていた。
『おう、リレ!ここはオメエに任すぜ!』
ビョルンが隣の船から大声でオーズに呼びかけた。
オーズが一言で了解すると、暗黒闘気を解放し、槍に集中させた。
『がああ!
オーズのブラッディー・◯クライドみたいな技で、凍っていた海を無理矢理破壊して、更に先に突き進んだ。
そして、俺達は海賊国家ロジーナ王国へと到着した。
・・・・・・・・・
ベアトリスは目が覚めた。
ベッドの横には、第一王子エドガールがまだ眠っていて、自分が夢を見ていたわけではないと実感した。
冬の始まりとはいえ、すでに部屋の中は息が白く、床から出ると、何も着ていない肌では体を震わせるだけだった。
脱ぎ散らかした婚礼ドレスをどけ、掛けてあったローブを身にまとった。
そして、燃えカスになりかけていた暖炉に薪を焚べ、小さくふぅっとため息をついた。
「どうかしたのかな、我が妻よ?」
「で、殿下!?起きていらっしゃったのですか!?」
ベアトリスが驚きの声を上げると、エドガールは困ったように笑った。
ベッドの上に寝転がり、優しい目で新妻を見上げている。
「そのような他人のような呼び方をせんでくれ。私達は昨日、婚礼の儀を結んだではないか。」
「は、はい。ですが、私にはまだ信じられなくて……」
ベアトリスは、居心地が悪そうに俯き、ちらりと自分の眠っていた床の上の血の跡を見た。
自分の中に残る鈍痛が、昨夜の出来事が夢では無いと再び実感させる。
エドガールたちが、ベアトリスたちの砦を制圧したその日、ベアトリスはエドガールの第三婦人になることが決まった。
ベアトリスは、訳も分からずにそのまま流され、数日後には簡易的にではあるが、近くの村に住む司祭の立ち会いのもと、婚礼の儀を結んだ。
そして、初夜を迎えたのが昨夜のことである。
「私のような者を嫁に貰ってくださるお相手がいるとも思えず、それのみか、そのお相手がはるか雲の上の身分の殿下だとは……」
ベアトリスは、困惑した顔で目を伏せた。
しかし、そのベアトリスの困惑をエドガールは笑い飛ばした。
「ハハハ!私がそなたを気に入ったからだと言ったであろう?自分に自信を持たんか!昨夜のそなたは可愛いものだったな?そなたの鍛え上げられたしなやかな肢体に触れた時など……」
「で、殿下!お、お戯れは、お、お止めください!わわ、私など……」
ベアトリスは顔を真赤にして狼狽え、エドガールの甘い言葉を遮った。
この純真な乙女のような女子が、盗賊と化していた砦の兵を束ねる剛の者だと、誰に想像が出来ようか。
「ハハハ!……さて、私は、まだまだそなたと床を共にしていたいが、そう長くは休んでおれん。早急に仕事に取り掛からねばならん。」
「は!それならば、私もすぐに参ります。」
ベアトリスは少しホッとしているように見える。
甘い新婚生活よりも、仕事のほうが気が楽だと思える女のようだ。
エドガールとベアトリスが砦の外に出ると、ギュスターヴがエドガールの配下や砦の兵をまとめて調練していた。
新たに砦の主となったアンリは、他の兵よりも明らかに厳しい訓練に励んでいる。
ギュスターヴが、感心したように見ているエドガールに気がつくと、調練を止め、一同揃ってエドガールに跪かせた。
「ハハハ!手を止めなくとも良いぞ、ギュスターヴよ。皆のもの、面を上げい!」
「は!ありがたきお言葉!」
ギュスターヴが立ち上がると、他の兵も揃って立ち上がった。
その様を見て、エドガールはほうっと感嘆の息を漏らした。
「これは、見事だな?たったの数日でここまでまとめるとは。」
「いえ。これは俺の力ではありません。元々、ここの兵たちは質が高いようです。ベアトリス様の手腕は見事なものです。」
「ぎゅ、ギュスターヴ殿!?わ、私に様など……」
「ハッハッハ!良いではないか!そなたは我が妻となったのだ。これから先ずっとこうなるのだぞ?」
エドガールは、困惑するベアトリスをからかうように笑った。
古参の兵も、主の女としての顔を見て、ほっこりとしている。
ギュスターヴもまた、笑ってはいたが、キリッと顔を引き締め、姿勢を正した。
「ですが、殿下。そう笑ってはおれません。」
「ほう?それはどういう事だ?」
「ええ。ここの兵の質の高さを見て、俺は思い違いをしていました。」
エドガールは、ギュスターヴの言葉の続きを何も言わずに、真面目な顔で聞こうとしている。
ギュスターヴは話を続けた。
「あの時、俺達が楽に勝てたのは、ベアトリス様がご不在だったことと不意をつけたことです。もし、ベアトリス様があの場におられたら、俺達は苦戦どころか返り討ちにあっていたでしょう。それほどまでに、軍を率いる将の存在は重要です。」
「うむ。私では役不足か?」
エドガールは落胆したように眉根を下げた。
それを見て、ギュスターヴは勘違いさせてしまったかと慌てて訂正した。
「いえ!俺の見立てでは、殿下は間違いなく王者の器です。ですが、その王者の率いる兵力が少なすぎるのです。古参の兵によりますと、王都に比べれば質の高いこの砦の兵でも、この河川地帯では平均を少し超える程度、これから先はこの砦の何十倍、何百倍もの相手になってきます。殿下お一人では不可能です。」
「ふむ。そなたがいても無理か?」
「ええ。俺は、一騎打ちならば、大抵の将軍を前にしても勝てると自負しています。ですが、俺は一軍を率いる将ではありません。アンリならば、将来的に将になれる才能がありますが、今はまだその域に達していません。」
「ならば、諦めるのか?」
エドガールはギュスターヴの否定的な言葉に、ピクリと肩を怒らせた。
だが、ギュスターヴは否定的な言葉を吐くが、表情は暗くない。
「そのつもりもありません。このままやっていては、自殺行為だと俺は言いたいのです。初めは、殿下の王者としての器を見せつければ、この地もまとまるものだと思っていました。ですが、この砦の兵たちと交流する内に、それだけでは足りないと悟りました。ここまでは、運良く俺達だけで出来ました。ここから先になると、運任せでは無理です。戦略を練れる者を招こうと思います。」
「戦略?……まさか!あの御仁を!?」
ギュスターヴの提言に初めに反応したのは、ベアトリスだった。
エドガールは興味深そうに、隣に立つ新妻に問いかけた。
「ほう?知っている相手なのか、ベアトリスよ?」
「え、ええ、存在だけですが。この砦の近くの村の隣りにある、とある森の奥地に隠者が住んでおります。かつて、前領主のロワール様の相談役だったそうですが、何分変わった御仁のようで、富も名声も全て捨てて隠れ住んでいると、今は亡き父から聞き及んでおります。」
「うむ。……よし!その隠者とやらに会ってみようではないか!」
エドガールは少し考えた後、バシンと自分の両手を叩き合わせた。
この突発的とも言えるエドガールの決断の早さに、ベアトリスは大慌てで驚愕に目が見開かれている。
「で、ですが、殿下!前領主様ですら、繋ぎ止めるのが無理だった御仁なのですよ?そ、そのような相手を……」
「ハハハ!無理ならば、私はその程度の器までのことよ!試す前に諦めるものではないぞ、我が妻よ!そなたの夫が、誇れる男であることを見せてやろうぞ!ハーッハッハッハ!」
エドガールは高笑いをしながら、砦の中に入っていった。
その後ろ姿を、ベアトリスは呆然と見つめているだけだった。
「ふ!ベアトリス様、あの御方についていけば、これから先、度肝を抜かされることばかりだと思いますよ?今のうちに慣れておきましょう。」
ギュスターヴと忠臣アンリは、まるで眩しい者を見るようにエドガールを見つめていた。
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