第八節 ハンティング

 フランボワーズ王国からロートリンゲン大公国に入った。


 オーズの持っていた通行手形のおかげなのか、何の問題もなく入国できた。

 関所で、ヴィクトリアを合わせた人数分の通行税を払うだけでよかったので、拍子抜けをするぐらい簡単だった。


 フランボワーズ王国の河川地帯がかなり荒れているのに対して、この先は何とも穏やかな旅になった。

 ヘアピンカーブが多くなったが、天候もいいし、盗賊も気にしなくて良くなったので、グランディルを逃げ出すように出てきた俺達だったが、川下りを楽しむことが出来た。


 この辺りの川沿いの急斜面には、葉はもう落ちてしまっているが、いい感じのぶどう畑が広がっている。

 元ソムリエの俺の血が疼いてしまったので、みんなをそそのかしてロートリンゲン大公国のリーン川沿いのワイン産地の宿屋で一泊した。


 この時には、何のトラブルもなくおいしい食事と暖かいベッドにありつけた。

 ここで飲んだワインがドイツのリースリングに似ていて、グランディルで荒れていた俺の心は、華やかな白い花の香りと桃のようなほのかな甘味で、スッキリと落ち着いた。

 子どもたちにはワイナリー特製のブドウジュースを飲ませたのでみんな気分は良くなった。


 ぐっすりと寝ることの出来た俺達は、今日の目的地、ロートリンゲン大公国の工業都市ラインハルトを目指して元気に出発した。

 今朝はほんのり霧が出ているが、視界は問題なさそうだ。


「アルセーヌ、ちょっと待て。」


 俺は、オーズに言われて船を漕ぐのをやめた。

 この旅で、毎日のように船を漕いでいたので、かなり慣れてきたかな?


「どうかしました、オーズさん?」

「あれを見てみろ。」


 オーズの指差した先には馬のようだが、ヒレのある生き物が川岸に佇んでいる。


「まあ、綺麗ですね。ですが、ユニコーンにしては角がありませんわね?」

「そうですニャ。ケンタウロスとも違いますニャ。」


 ヴィクトリアとレアは、猛スピードで走る船の上でバランスを取る遊びをやめて、馬を眺めていた。

 何度注意してもやめなかったので、そのうち船から落ちるんじゃないかと心配だった。


「あれは、水棲馬ケルピーだ。ユニコーンなどと同じ馬型のモンスターだが、水辺に生息している。」

「へえ。あれがケルピーですか。初めて見ました。……何をしてるんですか、オーズさん?」


 俺は、オーズが槍を手に持ち出したことを不思議に思った。

 オーズは、さも当然の如く答えた。


「あいつを、狩る。」

「え!?そんな、あんなに可愛らしいのに!」


 ヴィクトリアは、オーズのあっさりした態度にショックを受けたような顔をしている。

 しかし、オーズは考えを変えなかった。


「だが、ケルピーはああ見えて凶暴だ。人肉を好んで食べるような生き物だ。」

「うう、それならば仕方ありませんね。」

「ケルピーは美味しいのですかニャ?」

『ああ、うまいぞ!』


 ユーリは尻尾を大きく振ってヨダレを垂らしている。


「いや、でも、人肉を食うんだろ?食べるのはやめたほうがいいんじゃね?」

『「「「え?」」」』

「え?」


 あれ?

 俺なんかおかしいこと言ったっけ?

 だって、食物連鎖で人肉を食ったやつを人間が食うんだろ?

 何か、ヤバくねえのか?

 やっぱり、俺はこの世界の人間と考え方が違うのか?

 気を取り直して、気になることを聞いてみた。


「……えっと、ケルピーを狩ってどうするんですか?」

「ああ、これから行く工業都市の領主が美食家なんだ。ケルピー肉を手土産にしようと思っている。いつもは泊めてくれるついでに、晩餐を振る舞ってくれるからな。」


 やっぱ、食うのか。

 うーん……まあいっか。

 郷に入っては郷に従えだな。

 俺自身、その土地の変わった肉を食うのも好きだから、楽しみだ。


「よし、それじゃあ、アルセーヌ。静かに船を近づけろ。」


 俺は、オーズに言われた通り、静かに船を漕いだ。

 そして、船がある距離まで近づいた時、オーズは闘気の纏った槍をケルピーに向けて投げ放った。

 オーズの槍は、見事にケルピーの頭に突き刺さり、一撃で仕留めた。

 それから、俺は船を川岸に止め、ケルピーの血抜きを手伝った。


「うう、何だか酷いことをしてしまった気がします。」


 ヴィクトリアは、少し泣きそうな顔をしてうつむいている。

 このお姫様は、感情のおもむくままに行動して、素直で純粋だとは思う。

 でも、人が生きるという現実も教えておいたほうが良い気がする。


「ヴィクトリア様、それにレア。」


 俺は、オーズの作業を興味津々に見ていたレアもヴィクトリアの横に呼んだ。


「俺たちが今していることは命を奪う残酷な行為です。全ての動植物は俺達と同じ、魂を持つ生き物です。ですが、何かを食べるということは何かの命を奪う行為なのです。肉だろうと野菜だろうとそれぞれの命を奪っているのです。だから、食べる命には感謝をしましょう。」


 子どもたちは、俺の言っている意味がわかったのかはわからないが、こくんと頷いた。

 俺だって、こんな講釈を偉そうに語れるほど偉くはない。

 だが、子どもたちには食べるという行為がどういうことなのか、知ってほしいと思う。


 血抜きを終えると、俺とオーズは船にケルピー肉を運んだ。


「おい、バカ犬。盗み食いすんじゃねえぞ。」


 俺は、シッポを振って俺たちの周りを跳ね回っていたユーリに釘を差した。


『あ!?そんなことするわけねえだろ!オレをその辺のバカウルフと一緒にするんじゃねえよ!』

「けっ!ヨダレ垂らしながら偉そうなこと言ってんじゃねえよ。説得力が全くねえ。」

「うにゃ?不思議ですニャ。ご主人たまがユーリ兄たまと喋っているように見えますニャ。」


 俺とユーリのやり取りを、レアは不思議そうに首を傾げて見ていた。


 俺たちは船に乗ると、ケルピー肉と共に快速を飛ばした。


「そういえば、ケルピーに船を引かせれば、この川も簡単に進めるんじゃないですか?」 


 俺は、ふと疑問に思ったことをオーズに聞いてみた。


「いや、それは無理だな。ケルピーは気難しい生き物だ。少しでも酷使されるとその相手に呪いをかける。だから、家畜化は出来ないな。」


 ちぇ、残念、なかなか人生楽は出来ないようだ。


 俺とオーズで交代しながら船を漕いでいくと、ロートリンゲン大公国の工業都市ラインハルトが見えてきた。

 これで、今日の旅は無事に終わりそうだ。


・・・・・・・・・


 あの夜、私は頭が悶々として寝付けなくて、つい自分を慰めてしまった。

 フォア侯爵の娼館への届け物について行って見てしまったもののせいだ。

 男の人がああいう事が好きなのは知っていたけど、その練習を見ただけで体が火照ってしまった。

 アルセーヌもああいうことが好きなのだろうかと、想像してしまったからだ。


「あら?おはようございます、ロザリーちゃん。今日は学校休みなのですか?」


 冒険者ギルドに遊びに行くと、マリーはいつもの笑顔で出迎えてくれた。

 相変わらずの美人で羨ましくなってしまう。

 この冒険者ギルドも新規登録者が増えて、マリーの笑顔はいつもより輝いて見える。


 今は、その新人たちはみんな出掛けてしまっているようだ。

 自分の家のようにくつろいでいるベテラン組もいないので、今日はとても静かだ。


「おはようございます、マリー先輩。はい、もうすぐ卒業なので、講義もほとんど無いんです。」

「そっか、ロザリーちゃんももう卒業なのですね。早いものです。それで、卒業したらどうするのですか?」

「うーん、正直、まだ迷ってます。一回、実家には帰ろうとは思いますけど、王都には戻るつもりです。」

「ふーん、やっぱりアルセーヌくんとは離れたくないのですね?」

「え!?いや、そんな、ち、違います!」


 マリーは慌てる私をからかうように笑っている。

 私は、いつもからかわれるので、今日は仕返ししてやる!


「……うぅ、マリー先輩だって、オーズさんといつも一緒にいるじゃないですか。」

「あら?オーズさんは仕事を手伝ってくれているだけですよ。あの方は本当にいい人ですよね。」


 でも、全く効かなかった。

 そうだった。

 この人は他人のことには敏感なのに、自分の事は全くの鈍感なのだ。

 こんなに美人なのに、浮いた話がほとんどないのはそのせいに違いない。

 だから、突然いなくなるような婚約者に騙されてしまったのだ。

 このほとんど完璧に近い女性を捨てるなんて、バカな男も世の中にいると思う。


「おや?ロザリーちゃんや、来ていたのかの?」

「はい、お邪魔しています!」


 階段の上から、冒険者ギルドマスターでマリーの祖父が降りてきた。

 このギルドマスターは、かつて『魔導の巨人』と呼ばれていたらしいけど、見た目は小柄の老人だ。

 正直に言って、マリーとはあまり似ていないと思う。

 でも、私も初めて会ったときから孫のように可愛がってもらっているので、悪いことは言えない。


「あら?おじいちゃん、どこかに出かけるのですか?」

「うむ。何かはわからんが、ギルド本部から呼び出しがあったのじゃ。」


 ギルドマスターは少し困ったような顔をしている。

 ギルド本部へ出向くために、各支部のギルドマスターの象徴、東方の国ハポングの霊鳥、ヤタガラスの翼の紋章のついた毛皮のマントを羽織っている。


「あ!もしかして、あのことでしょうか……」

「あのこと?」


 ギルドマスターは困った顔をしたマリーに怪訝な顔をした。

 マリーは、ロクサーヌの通信魔道具で知ったグランディルでの件を話した。


「あんの、バカモンが!」


 ギルドマスターは頭から湯気が出るほど真っ赤になった。


「ま、まあまあ。落ち着いて下さい、マスター。アルはレアのために怒ったのですから、仕方ありませんよ。」

「そ、そうですよ、おじいちゃん。おじいちゃんも、私が子供の頃に同じようなことをしたではありませんか。」

「む、うむ。そうじゃな、うむ。相手も死んではおらんし、仕方がないから、ワシがかばってやるかの。」


 ギルドマスターは、かわいい孫娘のマリーと、同じように扱っているその友人である私に諭されて落ち着いたようだ。

 そのままこの王都にあるギルド本部に出掛けた。


「それにしても、あのアルセーヌくんがそこまで怒るなんて、本当にレアちゃんを大切に思っていますね。」

「そうですよ、アルが本気で怒るのっていつも他人の為なんですよ。特に、アルはレアのことを娘のようだと言って可愛がってますし。でも、年齢的には妹ぐらいのはずなんですけど。……な、何ですか、先輩!」


 私は、マリーがニヤニヤしながら見ていることに気がついた。


「うふふ、だって、ロザリーちゃんはアルセーヌくんのことをよく見ているなと思って。」

「ち、ちが、そういうわけじゃ……!?」


 私達は、ドアがバンと勢いよく開けられたことにビクッとして振り向いた。


「た、助けて欲しいっす。」


 フィリップが、キズだらけに傷付いてギルドに駆け込んできた。

 かなり傷が深いのか、息苦しそうによろめいている。


「え!?フィリップ、大丈夫!?」


 私はフィリップのところに急いで駆けつけた。


「危ない、ロザリーちゃん!光の盾ルクス・シルト!」

「え?……きゃあ!?」


 私は、マリーのとっさに張った防御魔法の光の盾によって助けられた。

 フィリップを追いかけてきていた黒い何かが、目の前まで迫っていたのだ。

 私は急いでフィリップを連れて、マリーの後ろに下がった。

 黒い何かは黒いローブを羽織って、両手にダガーを構えている。


「ここは冒険者ギルドです!今すぐここから立ち去りなさい!」


 マリーは大きな水晶をはめたロッドを持って、毅然と立ち向かった。

 黒いローブを羽織った相手がもうひとり現れ、マリーに襲いかかった。


「……はぁ、まったく、もう。光の盾ルクス・シルト!」


 マリーは、襲いかかってきた相手達の前に立ちふさがるように、防御魔法を唱えた。

 しかし、相手は両サイドに飛んで避け、カベや天井を足場に使って素早く動き続けた。


「は、速い!?」


 私は相手の動きを目で追うだけで精一杯だった。

 相手は、確実に私達を仕留めるために、隙きを伺っているようだ。


「……仕方がないですね。」


 マリーが突然床に手を置いた時、相手は襲いかかってくるような気配を感じた。


 や、やられる!?


「汝の主が血脈の名において命ず、悠久なる時の眠りより目覚め、侵入者を捕らえよ!眠れる巨人の牢獄ギガース・プリズン!」


 もうだめだと思った時、マリーが床に魂の力を込めると、ギルドの建物が大きく揺れた。

 階段が大きくせり出すと、相手の一人の脇腹を打ち付けて吹っ飛ばした。

 そして、床板が口を開くように広がると、頭だけを外に出すようにスマキにした。

 もうひとりは大きく開いた口が閉じるように、床と梁に挟まって捕らえられた。


 私とフィリップは何が起こっているのかわからず、口を開けて唖然とするだけだった。


「あ、あの、マリー先輩、今のは一体?」


 マリーは私達が驚きを隠せないのを見て、嬉しそうに笑った。


「うふふ、実は、この冒険者ギルドの建物は、動く要塞なのですよ。」

「え!?そ、そうなんスか!?て、てっきりただのボロい建物だと……」

「ちょっと、フィリップ!何を失礼なこと言ってるの!」

「うふふ、いいのですよ、ロザリーちゃん。この建物が古いのは本当ですから。なぜなら、400年前の聖魔大戦の遺物ですからね、古くて当然です。ですが、代々ギルドマスターのセニエ家の血筋だけが操ることが出来るという、冒険者ギルドの最終兵器です。ですので、このことは秘密ですよ。」


 マリーの威圧感のある笑顔に、私達は何度も首を縦に振って頷いた。


「あ、あの姐さんたち、ホッとしたら、何か体から力が抜けてきたんスけど。」


 いつの間にか、フィリップの顔が土気色になってきた。

 マリーがフィリップに近づくとテキパキと診察をした。


「……どうやらこれは『コラーナ』ですね。新大陸のアルカディアで発見された毒です。アルカディアの原住民が黒魔術で作る毒ですね。とても危険な毒ですが、まだ初期症状なので『サーバル豆』で作った解毒薬で大丈夫です。それでは取ってきますので、ロザリーちゃんは見張っていて下さい。」


 私が了承すると、マリーは受付の奥に入っていった。

 そして、戻ってくると手に小さいツボを持っていて、フィリップに解毒薬を飲ませた。


「これで安静にしていれば大丈夫です。では、キズの治療をしましょう。」


 マリーがフィリップの背中のキズに手を当てると、あっという間に治ってしまった。

 やっぱり、マリーは凄い。

 私はほとんど何も出来なかったのに、テキパキとあっという間に全てを片付けてしまった。

 唯一、私の得意な魔法ですら、この女性には勝てる気がしなかった。


「それでは、この方達に話を聞きましょうか。……って、死んでますね。」

「「え!?」」


 私とフィリップは驚いて、マリーの方を見た。

 マリーが黒いローブのフードをあげると、そこには口から血の泡を吹き出した、黒い犬の獣人の顔があった。


「どうやら、仕込んでいた毒を自分で使ったようですね。捕まった時に、背後関係がバレないようにするためなのかな?ふぅむ、徹底しています。」

「あ!もしかして、ギュスターヴさんが前に言っていた、闇ギルド!?」

「ええ、そのようですよ、ロザリーちゃん。……フィリップくん、一体何があったのですか?」

「いや、お、俺は知らねえっすよ!ただ、オヤジの仕事で色々な場所にパシリに行かされてただけっす!」


 フィリップは慌てて手を振っている。

 どうやら、本当にフィリップは知らないみたいだ。

 そのフィリップを見て、マリーはアゴに手を当てて何か考えているようだ。


「だとしたら、また何か陰謀が動いているのかもしれませんね。」


 私は、マリーの言葉にゴクリとツバを飲み込んだ。


「い、陰謀……そうか!あの過保護なジャックさんが、ヴィクトリア様をアル達について行かせたのも、何かおかしな気配を感じていた、から?」


 マリーは私の言葉に何も答えずに、静かに考え込んでいた。


「……本当に困りましたね。河川地帯に連れて行かれたギュスターヴさんが心配です。」


 この言葉で、マリーは何か薄々感づいているんじゃないかと思った。

 でも、私にはこの先を聞く勇気がなかった。

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