第五節 盗賊

 いつも通り、外が明るくなり出した頃に、ネコの本能に従うレアに叩き起こされた。

 いつも通り、俺はノロノロと起き出して、早朝トレーニングの準備をした。

 いつも通り、じゃないのは、半分夢の世界にいるヴィクトリアも一緒だったことだ。


 ヴィクトリアのいつものふわふわパーマのジンジャーヘアは、まるでライオンのたてがみのような寝癖のままだ。


 昨日、服を着替えさせた時にわかったのだが、ヴィクトリアは今まで自分で服を着替えたこともなかった。

 その時に、中世の頃の王族は侍女か誰かに着替えをやらせていた、というのを何かの本で読んだ覚えがあるのを思い出した。


 俺だって、王侯貴族の着るドレスの着付けなんてわからないし、レアにドレスを着させるのは、いつもロザリーに任せていたのでやったこともない。

 だから、俺でも手伝うことの出来る平民用の布の服を着させてあげていた。

 布の服程度ならレアでも自分で出来るので、今日はレアに着替えを見てもらった。

 着替えるのにかなり時間がかかったようだが、これからは自分で簡単な服ぐらいは着替えれるようにしてもらうつもりだ。


「ア、アルセーヌ様~。さ、寒いですぅ。」


 ヴィクトリアは昨日、俺たちのトレーニングに付き合うと張り切っていたが、早くも心が折れそうに体を震わせている。

 河原の吹きっ晒しでやっているので、冬の冷たい風が薄着に厳しい。


「ヴィッキーたま、最初はこうやって、ストレッチをして体を温めるのですニャ。」


 と、レアは冬毛に変わって暖かいみたいで、元気に動き回っている。

 レアは、ヴィクトリアをもうあだ名で呼ぶほどの仲良しだ。


「キャー!レアちゃん、体がすごい角度で曲がっていますわ!うぐぅ~、こ、こんなの出来ませんわ!」


 ヴィクトリアは、ネコらしく恐ろしい柔軟性を見せるレアに驚いていた。

 そのヴィクトリアは、体を無理矢理曲げようとしている。


「ヴィクトリア様、それは獣人のレアだから出来ることです。俺たち人族はこれぐらいやれればいいですよ。」


 と言って、俺はうろ覚えだが、どこかのメジャーリーガーがやっていたストレッチをやってみせた。

 ヴィクトリアは俺の真似をして、真面目にストレッチを始めた。

 じゃじゃ馬姫として、離宮内を縦横無尽に走り回っているだけあって、普通の人間よりは体が柔らかいようだ。


 じっくりとストレッチをしたら、次は素振りを始めた。

 離宮にいた頃に、少しヴィクトリアに教えたこともあったので、俺達は自分のペースでやった。

 ヴィクトリアは、俺たちがいなくなった後もちゃんと素振りをやっていたようで、少しは様になっていた。

 今は旅の途中だから、体が鈍らないように、軽く汗が出る程度にした。

 俺たちのトレーニングが終わる頃には、オーズも船の準備が出来たので出発した。


 今日は曇り空なので、荷物のかげの風が当たらない場所は子どもたちに譲った。

 早朝トレーニングで程よく疲れた子どもたちは、ユーリを布団代わりに気持ちよさそうに仲良くくっついて昼寝をしている。

 見ていてつい顔が綻んでしまう。


 俺とオーズが交代で船を漕ぎ、順調に進んでいた。

 その時に、川のカーブを曲がった先に不自然に傾く船を見つけた。

 その周りには小さい小舟がいくつも接舷している。


「……あれは、事故でしょうか?」


 船を漕いでいた俺は、うとうとしていたオーズに話しかけた。

 オーズは、少し警戒したように顔を引き締めた。


「……いや、あれはおそらく盗賊だな。」

「盗賊!?それは、ヤバイですね、どうしますか?」

「ううむ、こっちは子供連れだからな。助けに行くのは難しそうだな。」

「でも、進行方向ですから、このまま行ったら、俺たちにも被害があるかもしれませんよ?」


 俺とオーズは、ああでもないこうでもないと話し合った。


「何をおっしゃいます!盗賊に襲われている方を見捨てるなど、言語道断です!」


 いつの間にかヴィクトリアが起きてきたようで、逃げ腰になっていた俺たちに鼻息荒く怒鳴ってきた。

 このじゃじゃ馬姫は、勇敢というか無謀というか、困ってしまうほど正義感が強い。


「しかしですね。もし俺たちが首を突っ込んで、ヴィクトリア様に何かあったらどうしますか?俺は知らない他人よりも、大切な仲間のヴィクトリア様をお守りしたいのです。」

「ああ、アルセーヌ様、そこまでわたくしのことを……って、違います!困っている者を助けなくて、何が騎士ですか!あのシュヴェリエ家ともあろう御方が何をおっしゃいます!このままあの船の方たちを見捨てたら、わたくしはアルセーヌ様を嫌いになります!」


 ヴィクトリアは、真っ赤になって熱くなっている。

 そういえば、初めて会った時もこんな感じで、傭兵ギルドの雑魚どもに突っかかって行っていたな。


「そうですニャ!目の前で何も出来ずに誰かが死んでしまうのは、レアはもう見たくないですニャ!ご主人たま、お願いしますニャ!」


 レアまでヴィクトリアの熱さに当てられてしまったようだ。

 子どもたちは、もし俺たちが行かなかったら、無理してでも助けに入る気かもしれない。

 俺は、子どもたちをどう説得しようか困ってしまった。


「……アルセーヌ、お前は子どもたちを守れるか?」


 オーズは、盗賊に襲われている船を見ている。

 どうやら、オーズもやる気になったようだ。


「ええ、俺の命よりも優先しますよ。」

「そうか、わかった。ユーリを残すから、お前がここで子どもたちを守れ。」

「はい。……って、オーズさん、一人で行くんすか!?無茶っすよ!」

『大丈夫だ、相棒は一人の方が強いからな。』


 ユーリはオーズがしくじるはずがないと、絶対の信頼を寄せているようだった。

 しかし、どこか不安そうに情けない顔をしている。


『でも、いいのか、相棒?オレは、相棒が……』


 ユーリはオーズを止めるように足元にまとまり付いている。


「気にするな、ユーリ。俺が行けば、すぐに済む話だ。」


 オーズはユーリの頭にぽんと手を置いた。


『……クッ、わかった。』


 ユーリは渋々了承したようだ。

 俺は迷った。

 あの生意気なユーリが、オーズを行かせないようにしているのが気がかりだった。

 だが、オーズは覚悟を決めたような目をしている。


「……わかりました。オーズさんに盗賊はお任せします。後ろは任せてください。」


 そう言うと、俺は剣と盾を持ち、オーズは長い槍と盾を持った。


 覚悟の決まった俺達は、少しずつ船に近づいていった。

 そして、船首の竜頭の上で待機していたオーズは、離れた距離から一気に船に飛び移った。


 船の上で、何が起こっているのかはわからなかった。

 しかし、矢が何本も俺達のいる船にも飛んできたので、俺は闘気で強化した盾で弾いた。

 どうやら小舟にも何人か残っているようで、俺達の船が近づくのを警戒しているようだ。


 そして、船の上から盗賊が逃げ出すのが見えると、小舟は反対岸の支流に向かって逃げ出した。

 それを見て、俺たちは船を接舷して、船の上に乗り込んだ。


「キャー!」


 ヴィクトリアは、甲板の上の血だらけの肉片に近い死体に驚いて、俺に抱きついてきた。

 武装している死体は盗賊だろうし、他の死体は盗賊にやられた商人だとは思う。

 損傷が激しいのは武装している方なので、盗賊なのだと思いたいだけかもしれない。


 ヴィクトリアは、この惨劇に、船の外に向かって吐いている。

 このように普通なら、血や臓物のむせ返るような悪臭で吐き気をもよおしてもおかしくないのだが、なぜか俺は平気だった。

 この世界の残酷さに慣れてしまったせいなのか?


「あ、オーズさん!?」


 俺は、血に塗れている槍と盾を構えている息の荒いオーズを呼び止めた。


「フゥフゥ。」

「ひ、ひぃ!?あ、あひあひ。」


 オーズの目の前には、命乞いをして完全に戦意の失っている盗賊がいる。

 オーズは俺の方を振り向くと、全身を黒い闘気で纏い、血走った目でニタリと笑った。


 や、やばいぞ。


 完全に理性がぶっ飛んでいる。

 全身に粘りつくような死の恐怖が襲ってきた。

 でも、俺は後ろにいる子どもたちだけでも守ろうと、夢幻闘気を解放した。


『アオオォォーン!!』


 でも、俺達は助かった。

 ユーリが遠吠えをすると、オーズはビクッと目を覚ましたようになり、闘気を解いて膝をついた。


「だ、大丈夫ですか、オーズさん?」


 俺は恐る恐るオーズに近づいて、声をかけた。

 オーズは、ああと言っただけで、フラフラと船に戻って行った。


 一息ついて、俺は助かった船員に話しかけようとした。


「ひぃ!ば、化け物ー!」


 だが、俺が近寄ろうとしたら、狂ったように頭を抱えて叫んでいる。

 他の船員たちも怯えきったような目をしていた。


「あ、あんな、あんな恐ろしい化け物、初めてだ!」

「あれが、あれがヴァイキング、と、盗賊が可愛く、思えちまう。」

「むぅ!あなたたちは何を言っているのですか!せっかく助けてもらったのに、化け物扱いだなんて……」

『……いいんだ、姫さん。いつものことだから。』


 ヴィクトリアはもっと文句を言おうとしていたが、目の前に立ったユーリの悲しそうな顔を見て口をつぐんだ。

 俺たちは震える船員たちをおいて自分たちの船に戻った。


 船では、オーズが返り血で汚れた装備を川の水で洗っていた。

 俺たちが全員船に乗ったところで、また船は進みだした。


「……わたくしは、納得できません!どうして、オーズ様が助けた相手に化け物扱いをされなければいけないのですか!……むぎゃん!?」


 しばらくして、ヴィクトリアは船の上の沈黙を破った。

 憤慨して立ち上がったが、船の風圧ですぐに倒れた。


『……相棒が戦うといつもこうなるんだ。だから、一人でいったんだ。』


 口を開かなかったオーズの代わりにユーリが答えた。

 俺以外はわからなかったので、船の上は静かなままだった。


「こうなることがわかってたから、お前はオーズさんを行かせたくなかったのか?」

『ああ、そうだ。相棒は本気を出せば、強いことはわかっている。だが、相棒は戦うことが嫌いなんだ。』

「なるほどな。あの死体のキズ、かなり酷いことになってたな。ただ倒しただけだとああはならないはずだ。船員の怯え具合から見て、多分ヴァイキングの戦い方に何かありそうだな。」

『何だと!?てめえ、相棒を批判する気か!』


 ユーリは牙を見せて唸った。


「……落ち着け、ユーリ。そうだ、アルセーヌ、お前の言うとおりだ。」


 ずっと黙っていたオーズが口を開いた。


「すいません、オーズさん。俺は批判したつもりじゃ……」

「ああ、わかっている。全ては俺たちヴァイキングの戦い方に問題があるのだ。」

「問題?そんなに違うものですか?」

「ああ、全く違う。アルセーヌ、お前も闘気を操れるだろう?その時に、何か精神的に変化はあるか?」


 オーズにそう言われ、少し考えた。

 命の危険を感じた時に、突然現れたこの能力、誰とも違う不思議な能力、身体能力を異常に強化する能力、

 しかし、


「ええと、特には無いですね。異常に疲れるだけで。」

「そうだ。聖騎士たちも同じようなものらしい。だが、俺達は違う。俺たちヴァイキングが使う闘気は、魔族と同じ暗黒闘気だ。」

「それがなにか問題でもあるのですか?」

「ああ。この闘気は絶大な効果があるが、厄介な副作用がある。」

「副作用?」

「そう、暗黒闘気は人族では扱いきれず、感情が高ぶり、異常なほど好戦的になる。それこそ狂ったように、敵味方関係なく残忍に殺してしまうのだ。俺達自身もそれがわかっていて、狂戦士化と呼んでいる。優れた戦士は感情をコントロールできるが、俺には出来ないことだ。そのくせ俺は、少しでも手こずると、すぐにこの力に頼ってしまうんだ。」


 オーズは自嘲するように小さく笑った。


「……狂戦士。だから、助けられた船員があんなに怯えていたのか。」

「ああ、そうだ。あの姿を見たら普通はああなる。」

「ですが、わたくしはオーズ様が本当は優しい方だと知っています!」


 ヴィクトリアは真剣な目でオーズを見た。


「だが、あの姿を見たせいで、今すぐにこの船から降りたくなったんじゃないか?今度暴走したら、お前たちも殺すかもしれないんだぞ?」

「いいえ、絶対に降りません!オーズ様も大切な仲間です!」


 ヴィクトリアはそう言うと、オーズの目から涙がこぼれた。

 それとも、雨が降り出したせいで、濡れただけなのかはわからない。


「……そうか、ありがとう。アルセーヌもよく止めようとしてくれた。感謝しているぞ。」


 オーズは軽く口元を持ち上げただけだが、気持ちは伝わったようだ。

 俺は、ほとんど何もしていない。

 だが、何もかける言葉がなかったので、ただ頷いた。


「申し訳ありません。わたくしがけしかけたせいで、オーズ様につらい思いをさせてしまったみたいで。」


 ヴィクトリアは、慰めるようにオーズの頭を抱きしめた。

 オーズは少し嬉しそうに、小さく笑った。


 この後、本格的に雨が降ってきてしまったが、俺達は船旅を続けた。

 そして日が暮れた頃、今日の目的地、国境の街グラン・ディルに、ようやく到着した。


・・・・・・・・・


 私は、いつも通り学校から家路についた。

 でも、気分はいつも通りではない。

 帰っても、アルセーヌもレアもいないので、家の中が寒々しく感じると思うと少し憂鬱だった。


「あれ?ロザリーの姉御、今おかえりっすか?」

「うん、そうだけど、フィリップは出かけるの?」


 話しかけてきたのは、私達がいつもお世話になっている商人のロチルドの息子のフィリップだ。


 フィリップはアルセーヌのパーティーに入っているが、私は直接一緒に仕事をしたことはない。

 でも、休日に、アルセーヌたちと一緒に遊びに出掛けることもあるので、知らない仲ではない。

 なぜかこのフィリップは、同い年の私のことを姉御と呼んで敬語で話しかけてくる。


「はい、そうなんスよ。アニキ達が北の大陸に行ってる間、オヤジに仕事を手伝えって言われたんスよ。」

「何だか嫌そうな顔してるね。本当はアル達と一緒に行きたかったんでしょ?」

「う!やっぱわかります?俺は男を磨くためにアニキの下についたのに、オヤジに無理矢理残らされたんスよ。」

「へえ、あのロチルドさんが?もっと放任主義なのかと思ってたけど。」

「マジっすよ!オヤジのやつ、あんなにどうしてもやってほしい仕事があるとか言ってたくせに、俺のやってることなんて、ただのパシリっすよ!王都の中で届け物するだけっすから!」


 フィリップはすねたように愚痴をこぼした。

 やっぱり甘やかされて育っただけあって、アルセーヌに比べると仕草はまだまだ子供っぽく感じる。

 私は思わず苦笑いをしてしまった。


「何すか。姉御も俺のことバカにしてんすか?」

「あ、ごめんね。そういうわけじゃないから。アルと比べちゃってつい。」

「ああ、アニキっすか。マジで不思議っすよね。年下のくせに、老けたおっさんみたいに妙に落ち着いてる時ありますもんね。」

「お、おっさんって。」

「あ、スンマセン。姉御の前でアニキの悪口を言っちまったっす。」


 フィリップはふざけたように舌を出して、しまったという顔をした。

 私は、冷静な顔を装っているけど、内心焦っている。


「……何で、私に謝るのかな?」

「だって、姉御ってアニキにべた惚れっしょ?」


 フィリップは全く遠慮もしないで、堂々と言ってのけた。

 私は一瞬で顔が熱くなるのを感じた。


「な、何を、そ、そんなわけ……」

「へっへっへ。隠しても無駄っすよ?とっくに、みんなにバレバレっすから。」


 バレ、てる?

 嘘、みんなって、もしかして……

 私は目が回りそうになってきた。


「大丈夫っすよ、アニキだけは気づいてないっすから。あ、俺が代わりに言っておきましょうか?」

「や、ダメ!」

「へへ、冗談っすよ!」

「コラァ!」


 私は怒ってカバンを振り回そうとしたら、フィリップは走って逃げていた。

 本当にあのお調子者は!

 ……あら?

 フィリップは盾の紋章の封蝋がついた手紙を落としていった。


 私はフィリップの後を追いかけて走って行った。


「よかった、追いつけた!」


 私が息を切らしながら走って来たことに、フィリップは驚いていた。


「何すか、姉御?俺を殴るために走ってきたんすか?」

「はぁ、何言ってるのよ。これ!」

「あ!」


 私の差し出した封筒を見て、フィリップは懐に手をやって青い顔をした。


「あ、ありがとうっす。これをなくしたら、さすがのオヤジもブチ切れるかもっす。」

「あのロチルドさんを怒らせれるなんて、あんたもある意味すごいよ。……もう!心配だから私も一緒についていくわよ!」

「いやあ、姉御はやめたほうがいいっすよ?だって、届け先、フォア侯爵の娼館っすから。」

「あ。うぅ……でも、女に二言は無いわよ!」


 私はまた真っ赤になっているに違いない。

 

 この後、一緒についていったことに後悔した。

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