人物録2

ギュスターヴの過去

 俺は負け犬だった。

 これについては、俺自身だけではなく、誰もがそう認めるだろう。

 王都の酒場で酒浸りの毎日、生きているのか死んでいるのかも分からねえほどの腐った目をしたクズだった。

 酒代を稼ぐために、冒険者の仕事をして金が無くなるまで酒を飲み続けた。

 酒だけが、後悔と自己嫌悪をほんの一時だけ忘れさせてくれた。

 ダイスゲームのセブンイレブンであぶく銭が稼げれば、酒場にいる娼婦を買うこともあった。

 俺は誰もが軽蔑するような生活を15年以上も続けてきた。

 だが、そんな俺でもガキの頃は夢があった。

 

 俺は、フランボワーズ王国王都郊外に住む貧乏騎士の息子として生まれた。

 父親は、真面目さだけが取り柄の不器用な男だった。

 猫の額ほどの小さな畑を自分で耕し、王家直轄領の荘園を代理管理する下級貴族よりも下の身分の小間使いだ。

 俺にとっては、騎士の嗜みとして、剣術を教えてくれるごく普通の父親だったと思う。

 だが、母親はそんな父親と幼かった俺を捨て、どこかの男と共に王都から消えた。

 俺が覚えている母親の姿は、玄関から出ていく後ろ姿だけだ。


 その後、父親はまるで当たるかのように、俺に厳しく剣術を叩き込んだ。

 まだ幼かった俺は、泣きながら必死に耐えた。

 そんな俺に、父親は呪詛のごとく同じ言葉を吐いた。

『強くなれ!力のないやつは、この世界では何も出来ない!』

 俺は、その言葉の意味がわかったつもりになって、何度も立ち上がって剣を振り続けた。


 少し成長した俺は、近所でも評判の悪ガキになっていた。

 父親に厳しく剣を仕込まれたせいか、近所のガキ共の間では負け知らずのお山の大将だった。

 そんな俺でも、自分からケンカを仕掛けたことはなかった。

 母親に捨てられた負け犬とか、男と逃げた淫売の息子とか、意味も分からないで人を傷つける言葉を使っていたガキどもを叩きのめしたぐらいだ。

 俺は、誰に嫌われようがどうでも良かった。

 だが、そんな俺の後をついてくる変わった小さいガキもいた。

 俺は鬱陶しかったので何度も追い払ったが、目を離すといつの間にか俺の後にいつもいた。

 

 ある時のことだ。

 荘園の管理代理をしていた下級貴族の息子が、俺の後をついてきていたガキを痛めつけていたので俺は止めに入った。

 どういう理由だったかは忘れたが、ほんのちっぽけなことだったに違いない。

 相手は、その当時の俺よりも5つ年上で、見上げるほど大きい相手だった。

 俺は何度もやられたが、何度も立ち上がり、何度も立ち向かった。

 理不尽な暴力には屈したくなかったからだ。

 この時に、俺は爆炎魔法に目覚め、相手の顔に大やけどを追わせてしまった。

 今に比べればただの火遊び程度の威力だが、ガキのケンカで使うにはあまりにも危険な魔法だった。

 

 当然ながら、この件は相手の父親である荘園主代理に知られた。

 激怒したこの下級貴族は、俺の父親を解雇、俺を処刑するとまで言い出した。

 しかし、誰も反対しようとする者はいなかった。

 誰もが、権力者には逆らうことなど出来なかったからだ。

 俺は牢屋に何日もブチ込まれた。

 捕らえられる時に徹底的に痛めつけられていたので、意識が朦朧として生死の境をさまよった。

 俺は、理不尽な暴力に抗おうとしただけだった。

 暴力では勝てた。

 だが、ただの暴力では権力には勝てなかったのだ。

 ここでまた思い知らされた。 

『力のないやつは、この世界では何も出来ない。』


 俺が目を開けると、見たこともない少女が俺を見下ろしていた。

 あまりにも幻想的なまでの儚い美しさで、天使が迎えに来たのかと思った。

 俺は死んだのだと。

 だが、違った。

 少女は、俺が突然目を開けたことに驚いて、椅子から落ちてしまった。

 椅子から落ちたショックで、すぐに大泣きをして、近くに控えていた侍女らしき女になだめられていた。

 俺は、何が起こっているのか分からずに、ただおろおろと混乱するだけだった。


 何事かと、この少女の父親が駆けつけてきた。

 後には俺の父親も一緒だった。

 侍女が説明すると、少女の父親はにこやかな笑顔で少女をなだめ、泣き止んだ少女は外へと出ていった。

 俺がわけも分からずに放心した状態で、ベッドに体を起こしたままでいると、父親は何があったのかを全て説明してくれた。

 

 王都へと向かおうとしていたこの親子と従者一行が、たまたま俺たちのいた荘園を通りかかった。

 その時に、俺の事件を知ったそうだ。

 少女は、俺の後をついてきていたガキから話を聞いて、俺のことを助けてほしいと父親に直談判したそうだ。

 この父親は娘を溺愛していたので、すんなりと了承した。

 そして、荘園主代理の元に出向き、俺を牢から出して、自身の宿泊先で俺を看病してくれたそうだ。

 

 なぜ、こんな事が出来たのか?

 この少女の父親が、隣国ブリタニカ王国の王族で外交官だったからだ。

 荘園主代理は、下級貴族の身分であり、この隣国の王族が荘園主である王家に頼めば、その意向に逆らうことなど到底出来ないことだからだ。

 俺にとってはどうにもならない権力も、その更に上の権力には有無も言わさずに屈服させられた。

 自分が、この世界でいかにちっぽけな人間なのかと思い知らされた。


 職を失っていた父親は、この隣国の王族の護衛騎士として雇われた。

 権力者のただのお情けだったのだろうが、俺の父親は生涯に渡って忠誠を尽くした。

 そして、俺もまた、少女の護衛として雇われることになった。

 俺は、この誰よりも美しく心優しい少女に永遠の忠誠を誓った。

 この少女を守るためなら、このちっぽけな命を捧げると。

 この隣国の王族たちが、この国にいる間だけのことだが、俺たち親子は恩に報いるため懸命に励んだ。


 俺は成長し、やがてこの少女を愛するようになった。

 だが、俺はこの身分違いの叶うはずが無い想いを押さえつけた。

 高望みをしてはいけない。

 主君に対して、恩を仇で返すマネはしてはいけないと。

 しかし、少女もまた、俺を愛していると想いを打ち明けた。

 俺はそれは一時だけのことだと、ふさわしい相手が現れると、己の心を引き裂く想いで、諦めさせようとした。

 だが、少女の心を変えることが出来なかった。

 少女は、俺と駆け落ちしてまで結ばれたいと頑なに諦めることを拒んだ。

 俺はここでもこの呪詛の言葉に縛られていた。

『力のないやつは、この世界では何も出来ない。』


 俺は、最後の手段で主君に申し出た。

 自分をクビにしてほしいと。

 この頃には、俺の父親は他界していて、俺の主君は少女の父親だった。

 仕事の内容は、少女の護衛と変わりはなかったが。

 主君は当然、その理由を尋ねた。

 俺は打ち明けるべきか迷ったが、全てを打ち明けた。

 当然、主君は激昂した。

 すべてを打ち明けた後、俺は主君に殺されてもいい覚悟でいた。

 だが、この怒りの理由が俺の予想とは違った。

 どうして、娘を諦めるのか。

 娘の気持ちに答える勇気はないのか。

 お前の娘を愛する想いはその程度なのか、と。

 

 通常、身分が高くなればなるほど、姻戚関係は家柄で決まる。

 個人の感情など無視されるのが当然のことだ。

 だが、この主君はその常識を破るほど、娘を溺愛していたのだ。

 当然ながら、主君の周囲は俺との婚姻を許さないだろう。

 俺には、二人の愛には不幸な結末しか見えなかった。

 しかし、主君は思いがけないチャンスがあることを教えてくれた。

 それは、俺自身が爵位を手に入れるということだった。


 その方法は、王宮に入り、騎士として剣技試合に参加して優勝することだ。

 この試合は毎年行われ、トーナメント方式になっていて、騎士の実力によってランクが分かれている。

 新人・下位レベルはCランク、中位レベルはBランク、上位レベルはAランクに分かれている。

 そして、Bランク以上のトーナメントの優勝経験者のみが参加できる、4年に1度のトーナメント、剣聖祭に参加できるようになる。

 その剣聖祭で優勝すれば、子爵位と領地が与えられるのだ。

 当然ながら、剣聖祭に参加できるのは国内の騎士でも最強クラス、狭き門で命がけの戦いになる。

 だが、俺は唯一の希望にかけた。


 俺は少女と将来を誓い合った。

 俺が剣聖祭で優勝し、子爵位と領地を手に入れたら、結婚しようと。

 隣国の王族である少女を娶ることになったとしても、剣聖祭の優勝者で子爵位と領地、『剣聖』の称号まで兼ね備えていたら、誰にも文句は言えない。

 この時の俺は、そう思っていた。


 俺は、15歳の成人になり、王宮に入った。

 始めは、下っ端の騎士見習いからだったが、1年目でCランクトーナメントを優勝した。

 賞金、甲冑を賞品としてもらい、この優勝で正式に騎士として認められた。

 最下級クラスの爵位だが、貴族の仲間入りになった。

 もちろん、俺はこれぐらいでは満足しなかった。

 その後、社交界に招かれても断り、自己鍛錬に明け暮れた。

 これが、俺の最初のミスだということに気が付かなかった。

 

 2年目に入った俺は、Bランクトーナメントも優勝した。

 この時の優勝で、賞金や宝石で彩られた派手な宝剣と他に準男爵の爵位をもらった。

 これで、俺は次の年に行われる剣聖祭の出場権を手に入れた。

 この頃には、爆炎魔法もかなりのレベルで扱えるようになっていた。

 世界中を探しても、ほんの一握りしか使いこなせない魔法剣を得意技に『爆炎剣』とまで呼ばれるようになっていた。

 だが、俺は不用心すぎた。

 社交界でどの派閥にも属さずに、一気に出世の階段を登りすぎた。

 出すぎる杭は打たれる。

 王宮が魑魅魍魎の棲む伏魔殿だとは、この頃の俺は知らなかった。


 3年目の俺は、剣聖祭の前哨戦として、Aランクトーナメントに出場した。

 この時は、剣聖祭に出場する強豪は、参加していなかった。

 それでも、Aランクは強敵ぞろいでかなり苦戦した。

 だが、俺はAランクトーナメントを制して、男爵位まで手に入れた。

 そして、近衛騎士に任命され、『三勇士』という実力者の一角にまで数えられるようになった。

 目標まであと一歩と迫っていた。

 

 しかし、この時に主君であった、結婚を誓い合った相手の父親が他界した。

 詳しい原因は不明だが、病死と発表された。

 この時の俺は、何か嫌な予感がした。

 俺にとって、いや俺達にとって最大の後ろ盾がいなくなってしまったのだ。


 その嫌な予感は的中した。

 俺にとって最愛の相手が、王の第4王妃として王宮にやって来ることになった。

 成長して大人になった最愛の相手は、稀代の美女と称されるまでになっていた。

 その相手を好色なこの国の王が見逃すはずがなかった。

 この婚姻を反対したであろう、俺の真の主君はおそらく密かにこの世から消されたのだと悟った。

 そして、このタイミングで婚姻を結ぼうという意味は、俺に絶望を味合わせるためだった。


 俺は全てがうかつだったのだ。

 俺達は、近況の報告、愛を語り合う内容、その全てを手紙でやり取りしていたのだ。

 どの派閥にも属さずに出世していく俺を厄介に思う連中が、その手紙の内容を盗み見ていた。

 俺を追い落とすため、王に取り入るため、その生贄として俺の最愛の相手は選ばれてしまったのだ。

 その悪意は見事に成功し、動揺した俺は剣聖祭の一回戦で惨敗した。


 その後、王と第4王妃の婚礼の儀が結ばれた。

 俺は近衛騎士として、すぐ側でその様を見させられた。

 この王宮に巣食う魑魅魍魎共は、どこまでも俺をいじめ抜きたいようだった。

 俺には、第4王妃となった最愛の相手の顔をまともに見ることが出来なかった。

 

 そして、今でも悪夢で見る最悪の夜がやってきた。

 俺は王の寝室へと呼び出された。

 どういうつもりなのかは分かってはいた。

 だが、近衛騎士という役職のせいで、王の命令は絶対で拒否することは、反逆を意味した。

 俺は、最愛の相手が陵辱される様を見せつけさせられた。

 最愛の相手は泣き叫び、俺に助けを求め続けた。

 しかし、俺は一歩も動けなかった。

 王の命令に従ったわけでも、拘束されていたわけでもない。

 俺は、王の傍に控える、何者にも畏れを抱かせ、人知を超えた美しさを持つ人形によって、気圧されていただけだ。

 血の涙を流し、ただ震えながら立ち尽くしていた。

 そうだ。

 俺は、我が身の可愛さに、命を捧げてまで守ると誓った最愛の相手を、見捨てたのだ。

『力のないやつは、この世界では何も出来ない。』

 この言葉ですら、何の言い訳にもならない。


 そして、俺は王宮を去った。

 権力を傘にきた悪魔たちに打ちのめされた俺を、見送る者は誰もいなかった。

 仕組んだ連中が影で嘲笑っているのだけは感じた。

 ただの負け犬と化した俺は、無意識に王都の酒場に足を向けた。

 後悔と自己嫌悪に押しつぶされていた俺は、浴びるように酒を煽った。

 生まれて初めて正体をなくすまで飲んだ。

 次の昼頃に目が覚めると、ベッドの隣には貧相な体の娼婦が眠っていた。

 俺にとっては初めての相手だったが、もうどうでも良かった。


 それからの俺は、クズが服を着て歩いているようなやつだった。

 夢のために貯めていた金もすぐに飲み干した。

 絡み酒をする俺は、用心棒の傭兵ギルドの連中と揉めた。

 そいつらを叩きのめして、金を巻き上げると次の酒場でも飲み明かした。

 いつ川に浮かんでいても、さらし首にされてもおかしくないほどのクズに成り下がった。


 俺は無様に生き続けた。

 腕っぷしだけはまだ残っていた俺は、傭兵ギルドの雑魚どもを蹴散らし、幹部の連中も倒して酒代を巻き上げた。

 荒れ果てていた俺だったが、ついに王都の傭兵ギルドマスターに半殺しにされた。

 そのまま殺されてもいいかと、何もかもどうでも良かった。

 しかし、そうはならなかった。

 何の気まぐれかはわからないが、冒険者ギルドマスターのエマニュエルの爺さんに拾われた。

 この当時は、爺さんってほどの歳でもなかったな。

 俺は爺さんに拾われて冒険者にはなったが、相変わらず酒浸りのままだった。

 まあ、少なくとも酔っ払って暴れることだけはなくなったか。

 そのまま15年はクズな生活だった。


 しかし、そんな俺にも転機が訪れた。

 今思い出しても、変なガキだったぜ。

 いつものように酔っ払って酒場から出てくると、無様に地面に這いつくばるガキがいた。

 立ちションするために裏に入っただけだったのによ。

 つい、声をかけちまった。

 それにしても、ボロボロのボロ雑巾にされても、減らず口の生意気なガキだったな。

 そのまま放っておくわけにはいかねえし、世話を焼いてみたくなっちまった。

 何となく、俺を拾った時の爺さんの気持ちが分かっちまった気がした。

 

 始めは、ただ面白がって眺めているだけだった。

 調子のいいヘラヘラしたガキだなと思っていた。

 だが、ある時仕事に付いて行った時のことだ。

 トラブルが起こり、奴隷にされかけていた獣人の子供を見つけた。

 それをあのガキは、何の考えもなしに引き取ろうとした。

 俺は当然の如く激怒した。

 その時に、聖教会の狂信者が現れた。

 目の前で惨劇が起こり、あのガキはキレて圧倒的な化け物に飛びかかろうとした。

 俺は、自分でもわからない内に勝手に体が動いて、あのガキをかばっていた。

 狂信者が去っていくと、俺は自分の中に刷り込まれている呪詛の言葉を吐いた。

『力のないやつは、この世界じゃ何も出来ない。』

 これで、あのガキも現実を思い知らされたと思った。

 だが、あのガキは俺とは違って、諦めなかった。

 力がなかったら、本気で強くなろうと決めたようだ。

 そして、俺に師匠になってほしいと言い出した。

 俺はあのガキの本気の目を見て、魂の輝きに当てられたせいか、憑き物が取れた気がした。

 あのガキを本気で鍛え上げようと決意した。

 俺のようになってほしくなかったからだ。


 それからの俺は、酒を絶った。

 始めの内は、手が震えたりして禁断症状がきつかったが、ガキどもの前ではそんな素振りを見せなかった。

 一人になると、俺は錆びついた力を再び鍛え直した。

 これが、俺に与えられた人生をやり直すチャンスだと思った。

 俺は自分に課した修練を必死に耐え抜いた。


 全盛期には及ばないが、ある程度力を取り戻した頃、運命の歯車が再び動き出した。

 終戦記念日の日、かつて愛した相手と瓜二つの少女に出会った。

 そして、かつて愛した相手と再び会うことが出来た。

 俺にもやっと、過去の後悔と自己嫌悪の呪縛から解き放たれる時がやって来たのだ。

 俺は跪き、再び誓った。

『貴女様をお守りするという誓い、今度こそ果たしてみせます。』

 俺は長い苦悩を乗り越え、ついに立ち上がった。

 最愛の主君を守るため、己の命を捧げる騎士として。 

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