第7節 新たなる道へ

 傭兵ギルドマスター、ドン・コローネが死んだ。


 死因は心臓発作らしいが、真相はわからない。

 様々な憶測が飛び交った。

 それでも、マルザワードの街は何も変わってはいないように見える。


 一年中変わらない刺すように強い日差し、雲ひとつない青空、乾燥した大地、活気のある市場。

 しかし、裏通りに入れば傭兵ギルドの跡目相続で、傭兵同士の抗争が激化している。


 これは、マルザワードの街に何十年も君臨していた裏の王が消えたということが原因だ。

 だが、これを治安維持と最前線防衛基地を受け持っている聖教会は黙認した。


 一般の住民に被害が出ない限り、という条件付で傭兵ギルドとの取り決めでそうなった。

 すでに、傭兵ギルドの次のマスターは決まっているそうで、不満を持つ者たちを排除すれば、すぐに収まるだろうと判断したそうだ。


 僕にはこの判断が、正しいのか間違っているのかはわからない。

 だが、頭が変わっても、戦いがある限り傭兵の本質は変わらないと思う。


 そして、表の統治者である聖教会もまた大きく動いた。

 最前線基地マルザワード聖騎士隊隊長、七聖剣序列第七位ライアンという聖教会の最高戦力の一角を失った。

 この地の統治者でもあった。


 現在は、聖騎士団副団長、七聖剣序列第六位アリス・サリバンが代理で指揮をとっている。

 『氷の女王』の異名はさすがで、この地の荒くれ者達を難なくまとめている。

 だが、あくまで次の隊長が決まるまでの代理だ。

 統治者の席は空席のままだ。


 軍法会議にかけられていたオリヴィエ・ド・シュヴァリエの処分は比較的軽かった。

 マルザワードの小隊長から降格され、役職のない聖騎士、そして総本山に転属になった。

 他に、処分らしい処分はなくて僕はホッとした。

 オリヴィエは最前線に立つことはなくなったが、聖騎士であることには変わりない。


 マルザワードの他の聖騎士たちは、変わらず士気が高い。

 自分たちこそが、最前線を守る最精鋭だという自負があるのかもしれない。

 だが、聖騎士と傭兵の二つの大きな力を持つ組織の頭を失った。


 これを好機と見た獣王軍の襲撃が激しくなった。

 傭兵たちは内部抗争が激しく、前線に出てきても浮足立つことが多い。


 そのため、冒険者ギルドや連合軍騎士たちが出向く機会が増え、傭兵ギルドの影響力は明らかに弱くなっている。

 聖騎士隊も仕事が増え、盤石の体制とは言えなかった。


 これに対して、竜王軍が動かないのは、四天王の一角を失った影響なのだとは理解できる。

 しかし、魔王軍がいまだに沈黙を守っているのが、連合軍では不気味に感じていた。

 さらなる激震が起こるかもしれないと、連合軍の重鎮たちは警戒をしている。


 今では、マルザワードの勢力図が大きく変わった。

 これは、大事件と言ってもいいだろう。

 誰もが口に出していないが、何か大きな流れが動き出したことに気づいている。

 たった一人の流れ者が、大きく何かを動かしたきっかけだったことを。

 嵐のように突然現れ、永遠にこの世を去った。


 僕もまた、この流れに大きく動かされた。

 僕は今、聖騎士七聖剣序列第一位となっている。

 聖騎士の白銀のペガサスの鎧は、七聖剣の非緋色の鳳凰の鎧に変わった。

 七聖剣の象徴の七つの星を背負ったマントを羽織っている。


 僕が第一位の席についたことで、聖騎士団も変わり始めた。

 20年動かなかった聖騎士の頂点が、力ずくでその座を奪われたのだ。

 その相手が15歳の若造なのだから、大きな波紋を呼んだ。

 総本山ではゴタゴタが続いているようだが、僕は知らない。


 元最強だったアキレース・ステュクスは、僕に無様に負けたことで自信を喪失して引退した。

 アキレースは、かつてシグムンド先生に引退を決意させた相手だった。

 そのアキレースをシグムンド先生の弟子の僕が引退に追い込んだ。

 何とも皮肉なことだと思う。


 僕は幼い頃から目標にしていた聖騎士の頂点に立った。

 しかし、不思議なことに何の感慨もなかった。


 何かが物足りない。

 あっさりと目標を達成してしまったせいなのか。

 それとも、この一連の流れの中で、僕の内面も変わってしまったからなのかはわからなかった。

 僕が、あの『狂戦士』エイリーク・ゴームの影響を大きく受けたことは間違いない。


 僕はアキレースの後を継いで、総本山の遊撃騎士長になった。

 僕の行動を制限できるのは、聖騎士団団長ただ一人だ。


 制限のない僕は、毎日のようにマルザワードに来ている。

 僕に大きな影響を与えたもうひとりに会うためだけに。

 どこに行けば会えるのかわからなかったが、初めて出会った決闘の荒野で何日も待っていた。


「やっと、来てくれましたか」


 後ろを振り向くと、そこにいた。

 赤い満月の妖しい光に照らされ、銀髪の女性カーミラが変わらない姿で立っていた。


「ジークフリート様、私も会いとうございました」


 カーミラは、相変わらずの妖艶な笑顔だった。

 しかし、僕は表情を変えず冷静にカーミラを見た。


「君は一体何者なんだ?」


 僕は総本山から帰り、カーミラの泊まっていたはずの宿屋に出向いた。

 しかし、カーミラはいなかった。

 そして、カーミラが泊まっていた記録もなく、誰もカーミラのことは知らなかった。

 様々なところで調べても形跡すら全くなかったのだ。


「どうやら、私の事をお調べになったようですね」


 カーミラは笑顔を崩しはしなかった。

 それが少し不気味に感じた。


「ああ、調べたけど何もわからなかった」

「そうですか。私のことを知りたいですか?」

「ああ、是非とも」

「そう、ですか。 ……では、お見せしましょう、私の真の姿を」


 そう言うと、カーミラは両手を大きく広げた。

 カーミラの細身な姿はそのままに、両目は血のように真っ赤に輝き、小さな口には鋭い牙が生え、耳も尖りだした。

 背中にはコウモリのような大きな翼が生え、そして漆黒の暗黒闘気に包まれた。


「魔族!?」


 僕は反射的に剣を抜いて斬りかかった。

 しかし、カーミラの予想外の行動に剣を止めた。


「どういう、つもりだ?」


 カーミラは首を差し出すように、僕の前に跪いていた。

 僕はそのカーミラの首筋に剣を当てたままだ。


「私は貴方様に敵対するつもりはございません」


 カーミラの声は、恐れも敵意も何もなく穏やかだった。

 僕はその静かさに心を乱された。


「なぜだ? どうして? 君は魔族なのだろう? 僕たち人族とは敵同士のはずだ!」

「ええ、今はそのようになっていますね。ですが、それは聖教会の認識です」

「な、何を言っているんだ? 君は一体?」

「私は、ヴァンパイア・クイーン、カーミラ・バートリ。そして『魔王』とも呼ばれています」

「ま、魔王だって!? ば、バカな? 君が? 何で? でも、あれ?」


 僕は言葉にならず混乱していた。

 カーミラはそんな僕を見て、クスクスと笑っていた。

 僕はいつの間にか剣を下ろして、わなわなと震えていた。


「ふふふ、落ち着いて下さい、ジークフリート様」

「お、落ち着けだって!? そんな、君は魔王なのに何をこんなところで!?」

「それは、私が貴方様にお会いしたかったからです」


 カーミラはあっけらかんと気軽ににこやかに答えた。

 でも、僕はまた混乱してしまった。


「ぼ、僕に!? な、なんで?」

「ジークフリート様。貴方様のお噂は、この大陸の奥地にいても聞こえてきました。生まれながらに聖闘気を纏った『神の子』がいると。そして、ご成長されこの大陸へとやって来られました」


 カーミラはすぅっとどこか遠くを見ていた。

 僕には、カーミラが何を考えているの全く読めなくて、剣を力強く握りしめた。


「そ、それじゃあ、僕を殺すために?」


 カーミラは僕の言葉に声を上げて笑った。


「ふ、ふふ。アッハッハ!」

「な、何が可笑しいんだ!?」

「いえ、申し訳ございません。そのようなこと考えたこともなかったもので、つい。ふふ」


 僕はからかわれているような気がして、顔が真っ赤になってしまった。

 カーミラはまた、クスクスと笑った。


「……私も、ジークフリート様がこの大陸にやって来られたことはすぐに知りました。ただ、私は自分でこの地に来ようとは思いませんでした。貴方様が暴走した暗黒竜を仕留めるまでは」

「ということは、その僕を操るつもりで近づいたのか?」

「いいえ、貴方様を見極めるつもりでした。そして、ジークフリート様に直接お会いし、戦うお姿を見て、確信いたしました」


 カーミラはそう言うと、真面目な顔になり再び僕の前に跪いた。


「ジークフリート・フォン・バイエルン様! 貴方様こそ、全てを統べる『覇王』となられる御方です!」


 僕は何を言っているのか意味がわからなかった。

 カーミラは真面目な顔で跪いたままだ。


「は、覇王? 何を……」

「私は本気です。貴方様は文字通り、魔族、獣人、竜族、人族、他の亜人達、全ての王になるべき御方だと、私の目には映りました」

「な!? 君は、僕に次の大魔王になれと言いたいのか?」

「いいえ、貴方様はそれ以上の存在になることも出来ます。それに、今では大魔王などと呼ばれていますが、あの御方はこの大陸の救世主でした。貴方様もこの大陸の窮状を知れば、きっとそのお考えは変わるはずです」

「でも、僕は違う。前にも言った通り、戦うしか能がない」

「それでもいいのです。貴方様の戦うお姿に味方は心酔し、敵は恐れ慄き、人々はひれ伏します。他のことは他の者がしますのでご心配なく」

「そんなこと、この平和な時代では夢物語だ。穏やかに暮らす人達の幸せを壊してまで、王になる気はない」

「ですが、その時代は目の前まで来ています。戦乱の気運は膨らみ、弾ける寸前まで来ています。その時、中心にいるのは貴方様です」


 カーミラは、確信に満ちた目で予言めいたことを言った。

 魔王軍が動かなかったのは、僕を取り込む、ため?

 僕はそんな事を拒むように、カーミラにきつい目で向き直した。


「そうやって、僕を操ろうというのか? 君の本当の狙いは何だ?」

「いいえ、貴方様を操る気は毛頭ございません。ただ、貴方様の隣に立てればそれでいいのです」

「え? 隣って一体?」

「ふふふ、種族が違うとはいえ、私も女ですよ? そのような感情もあります」

「あ、ということは、こないだのは、その……」

「こないだ? ああ、夜伽のことでございますか。それは、私が貴方様に見惚れてしまったのですよ。このような感情、あの御方以来です。久方ぶりに、愛するという感情を思い出しました」


 カーミラは、胸に手を当ててうっとりとした顔をした。

 僕は顔が真っ赤になって、汗がダラダラと流れてきた。


「う!? そ、そんなにはっきり言われると、その……」

「ああ、申し訳ございません。人族とは文化が違うのでしたね。この通り、私達魔族は明け透けなのですよ」


 真っ赤になって黙り込んでしまった僕を見て、カーミラはクスクスと笑った。

 そして、急に真面目な顔に戻った。


「ジークフリート様、この度は、聖騎士序列第一位のご就任、誠におめでとうございます」

「え? どうしてその事を?」

「ふふ、私達はこの大陸だけではなくて、人族の領域にも目と耳を持っているのですよ」

「な!? そんな大事なこと、僕に言っていいのか? 僕は聖騎士で君は魔王だろう? たとえ、君が僕に好意を持っていても、僕たちの立場は敵同士だ!」

「ええ、問題ありませんよ。貴方様に信用してもらえるなら、これぐらい些事なことです」


 カーミラの魔王としての答えに、僕は絶句してしまった。

 あまりにも素直すぎて、僕はもうわけがわからなかった。


 疑うということを知らないのか、魔族というのは?

 狡猾で、残忍で凶暴、信用することも出来ない最も危険な敵。

 今まで教えられてきた聖教会の教えと何もかもが違いすぎる。


 それに、誰かを愛することが出来るなんて、人族と何が違うんだ?

 これが本当に神の敵なのか?

 しかも、目の前の美しい細身の女性が、魔王という全ての人族が恐れる厄災だとはとても思えなかった。


「僕は何を信じればいいのかわからなくなったよ」


 僕はがっくりと脱力して呟いた。

 カーミラはまた、楽しそうに笑った。


「ふふふ、もし大戦前であれば、すぐにご理解いただけますよ」


 カーミラは一呼吸おいて、話を続けた。


「……しかし、ジークフリート様は、聖騎士の頂上に立たれましたが、まだ人族の頂点ではありません」

「何を!? 聖騎士の頂点は人族の頂点だろう?」

「ええ、聖教会圏という意味ではそうですね。ジークフリート様もよくご存知でしょう? 聖騎士の上位の七聖剣を倒した北の海賊、その海賊と互角に戦った東の武人、そういえば聖教会圏にはあの男もいましたね。他にもまだ見ぬ強者はまだまだいます」


 僕は黙ってカーミラの言葉を聞いていた。


「どうやら、お気づきになったようですね、世界の広さに。もちろん、この大陸の魔族や獣人、竜族。王と名のつく者は、誰もが想像を絶する怪物です。ただ、私は魔王などと呼ばれていますが、暫定の地位にすぎません。私より強い魔族もいますよ。そして、世界の最上位には……あら? ジークフリート様、嬉しそうですね」


 僕はいつの間にか笑っていたようだ。


 これなのか?

 僕の中で足りないと思っていたのは。

 まだ先があったのだ。

 自分の力がどこまでか試したくてウズウズしている。

 どうやら、僕が一番あの流れ者に影響を受けたようだ。


「でも、カーミラ、一つ言っておくよ」

「はい、何でしょうか、ジークフリート様?」

「僕は覇王にはならないから」

「ふふふ、それは、まだわかりませんよ」

「あと、僕の血もあげないよ?」

「あら、それは残念です。でも、別のものをいただきますから」


 僕たちは見つめ合って笑った。

 そして、肉欲のままに抱き合った。


 これを愛と呼ぶのか。

 今の僕にはまだわからなかった。


ジークフリート編 第2章 完

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