第十一節 証人
時は少し遡る。
王都郊外、サントワーヌ監獄の入り口で、王妃の老執事ジャックは第七王子との面会を終えて帰ろうとしていた。
ここは監獄ではあるが、貴族以上の身分になれば、調度品や様々な差し入れを持っていくことが出来る。
独房の中に隔離をされ、自由に外を出歩くことが出来ないが、比較的快適な暮らしはできる。
王子の場合は、他の囚人や看守などに第二王子暗殺があったことを知られないように、鉄仮面を被せられていた。
それ以外は他の貴族の囚人同様、王宮にいたときと同じように自分の調度品などを持ってくることが出来たようで、何不自由なく生活できていた。
それに対して、平民は首かせが付けられ、逃げられないよう壁や柱と鉄製の鎖で手足も繋がれていた。
牢獄の中でも、身分差別があるのだ。
「これは、ジャック殿。このような場所でお会いするとは」
銀髪の巻き毛のカツラを被った男、第二王子派であった大貴族パトリック・フォア候爵が話しかけてきた。
まだ中年ではあるが、会食が多いせいか体が幾分重そうである。
「これは、侯爵様。私のような下賤の者に声をかけていただき光栄であります」
ジャックは胸に手を当てて、大げさに頭を下げてみせた。
フォア侯爵は、身分の違う相手ではあるが、ジャックに対して敬意を表した口ぶりである。
「クフフ、何をおっしゃいますか。第四王妃様の執事である貴殿を軽んじる輩はおりませんぞ? それに先日の会食では、我が妻も楽しませていただいた礼を言いたいそうです」
「そのようなもったいなきお言葉、ありがとうございます。我が主であるメアリー王妃様も、フォア侯爵様ご夫妻にお越しいただいて、感謝の言葉もありません」
フォア侯爵は、その時の余興を思い出して笑っているようだ。
ジャックとしては、一緒になって愉快に笑ってなどいられなかった。
大失態になりかねなかったあの会食の出来事を聞いた時、心臓が口から飛び出すほどに驚いた。
それ以上に、あの冒険者の若者がその大失態を挽回したと聞いた時は、ジャック自身かなり驚いた。
ギュスターヴに推薦されたが、まさかそこまでのことをしてくれたのは、予想外だった。
そのおかげもあって、敵に回ってもおかしくないこの大貴族と繋がりを持つことが出来たのだ。
また、このフォア侯爵は今回の一件で権力争いから外れてしまい、第七王子側に悪い印象を持っていてもおかしくなかった。
しかし、捜査によって黒幕がわかれば、また権力の中心に戻れるかもしれないという打算もあり、捜査に協力的である。
そして、このフォア侯爵はさすがは元第二王子の懐刀の大貴族であり、様々なところで顔が利いた。
おかげで、ギュスターヴたちは事件の関係者たちとスムーズに話をできているようだった。
ジャックはそのことでも礼を言って、フォア侯爵と別れた。
その後、ジャックは王宮内の捜査機関の責任者と話をした。
予想通り、特に捜査に力を入れていないようで、進展はなさそうだった。
辺りは暗くなったが、まだ定期連絡には時間が早かった。
とりあえず、ジャックは隠れ家に顔を出してみることにした。
中に入ってみると、すでにギュスターヴとフィリップが来ていた。
そして、もうひとり見慣れない若い男が、青ざめた表情で椅子に座っていた。
「お疲れっす、ジャックの旦那。今日は早いっすね?」
王都有数の大商人の息子フィリップは、上機嫌だが声を潜めてジャックに挨拶をした。
ジャックは何か良い収穫があったのだと、ピクリと眉を動かした。
「ご苦労さまです。ギュスターヴ殿、フィリップ殿。こちらの方は?」
ジャックは、目だけでちらりと椅子に座っている見慣れない男を見た。
その男は、青ざめた顔でビクッと身を震わせた。
「ああ、こいつは第七王子の従者だった野郎だ。まさか生きて見つかるとは思わなかったぜ」
ギュスターヴはニヤリと笑いながら答えた。
その答えに、ジャックは目を光らせた。
「ほう? それは嬉しい誤算ですね。ですが、本当にご本人なのですか?」
「ああ、これは間違いない。本人の自供した名前と他のやつに聞いた名前も一致した。特徴も合っているし、念の為に聖教会で魂の鑑定書も確認してきた」
「聖教会? そんなに目立つことをして大丈夫なのですか?」
ジャックはそのことで眉をひそめた。
ギュスターヴは、自信ありげにまたニヤリと笑った。
「ああ、そいつも問題ねえよ。聖教会にちっとツテがあってな。こっそりと調べてもらった」
「そうですか。ならば、問題はないでしょう。一応、念のために、貴方のお名前は?」
「……ジャン・モンテスキュー」
この男は自分の名前を名乗ったが、それだけで口をつぐんだ。
ジャックは一瞥しただけだが、納得したように頷いた。
「ふむ、殿下からの情報とも変わりはないようですね」
「へえ、王子と面会してたのか?」
「ええ、少々時間はかかりましたが、どうにか。フォア侯爵様の力はさすがですね」
「で、王子はどうだった?」
「はい、少々憔悴しているご様子でしたが、我々が尽力していることがわかるとホッとしているようでした」
そのことがわかると、ギュスターヴは安心したように顔が綻んだ。
この安堵の雰囲気を壊すかのように、ドアをノックする音が部屋に響いた。
この音に三人は顔を見合わせて、それぞれ動き出した。
ギュスターヴとフィリップは、証人になる男を連れて部屋の奥に隠れた。
ジャックは慎重にドアを確認しに行った。
ドア越しに、相手と何かやり取りをしているようだ。
しかし、突然ドアを蹴破り、二人の仮面を被った黒いローブ姿の人間が乗り込んできた。
ジャックはドアを蹴破られた勢いで倒れたまま動かない。
「チッ、お前はここで隠れていろ」
ギュスターヴは小声でフィリップに指示を出した。
フィリップは証人を奥の物陰に連れていき、一緒に隠れた。
ギュスターヴは、二人が隠れたことを確認して、刺客の気配を伺っている。
ギュスターヴは気配を殺したまま刺客の背後に回り込み、腕で首を締めたと思ったら一気に絞め落とした。
「な!? 貴様……っ!?」
もうひとりの刺客がギュスターヴに向き直ると、倒れたふりをしていたジャックが、年を感じさせない素早い動きで、刺客の後頭部に椅子で一撃を食らわせた。
椅子はバラバラに壊れたが、この一撃で刺客は昏倒した。
「おい、もう出てきていいぞ!」
ギュスターヴは、奥で隠れているフィリップたちに呼びかけた。
フィリップと証人は恐る恐る物陰から出てきた。
「うひゃー、やばかったすね! もうちょっとで殺られてましたよ!」
「ふん、そうだな。だが、核心に近づいたか、それとも、そいつが本当にヤバイ情報を持ってるか、だな」
ギュスターヴは、事態を理解したのか顔面蒼白の男を見た。
ジャックは証人の男を脅すかのように、刺客の正体を明かした。
「ええ、どうやら突いた藪から蛇が出てきたようですね。この二人はおそらく、暗殺を生業にする闇ギルドのようですね」
「ああ。だけど、仕事が下手な奴らで助かったぜ。一流の殺し屋は、こううまくはかわせねえからな」
「はい。ですが、早めにここから立ち去りましょう。もうここも安全ではありませんからね」
「そうだな。だがどこに行く? 他に隠れ家はあるのか?」
「あ! それならオレが知ってますぜ!」
フィリップは調子が良さそうな笑みを浮かべた。
ギュスターヴとジャックは、意外そうにこの調子の良い少年を見た。
「二人共、何すか、その顔は? オレだって伊達に、愚連隊の副長をやってたわけじゃないんスよ。こういう時のツテぐらいあるんすから」
「そのツテは信用できんのかよ?」
ギュスターヴが不安に顔を歪めて聞いてみた。
フィリップは、自信満々で胸を叩いた。
「大丈夫っすよ! そういう商売は信用が第一って言ってましたから!」
「……逆に心配になってきたが気のせいか?」
「……まあ、この状況なら行くしかなさそうですね」
ギュスターヴとジャックは、さらに不安そうにため息をついた。
とりあえずは、フィリップの言う隠れ家へと行くことになった。
刺客たちを完全に縛って動けないようにして、ギュスターヴとジャックで一人ずつ運び、証人はフィリップと共に歩いている。
目立たないように、裏口から裏路地を進んで歩いていった。
「ぐわあ!?」
突然、証人の男が悲鳴を上げたと思ったら、左腕にボウガンの矢が刺さっていた。
「何!? バカな、全く気配を感じなかったぞ!?」
ギュスターヴは刺客を下ろし、剣を抜いて警戒を高めた。
ジャックもまた同じようにして、ギュスターヴと共に証人を守るように立っている。
「どうやら、こっちが本命のようですな」
ジャックは冷や汗を流し、緊張した面持ちで細身の剣を懐から抜いた。
「ああ、厄介だぜ。暗闇に紛れて、しかも高度な隠密魔法を使ってるようだな……っと、危ねえ!」
ギュスターヴは飛んできた矢を剣で弾いた。
「姿だけじゃなくて、矢まで隠してやがる。こいつは相当な使い手だな。フィリップ、おめえは動くなよ!」
「お、押忍!」
フィリップは恐怖に体を震わせているが、ギュスターヴ達の足を引っ張らないように、じっと物陰に身を潜めている。
ギュスターヴは飛んできた矢をまた剣で弾いた。
そして
「甘え! 何度も同じ手を使ってんじゃねえよ!
手のひらサイズの小さな炎の塊を、矢の飛んできた方向へ投げつけた。
そして、爆発とともに炎が舞い上がり、ギュスターヴは不自然な炎の揺らめきを見逃さなかった。
ギュスターヴは一足の踏み込みで、空中に逃げた刺客を一太刀に切り伏せた。
しかし、ローブの下に鎖帷子を着込んでいたのか、刺客は立ち上がると湾曲したナイフでギュスターブに斬りかかった。
これをギュスターヴは難なくかわすと、
「しゃらくせえ!
爆炎を纏った魔法剣で、鎖帷子ごと刺客の上半身を吹き飛ばした。
後には、上半身を失った下半身と散らばって焦げた肉片だけが残った。
「ごぼっ!?」
ギュスターヴの離れたスキを突いて、倒れていた刺客の一人の胸に矢が突き刺さった。
ジャックが1本は弾いていたが、もう1本は手が足りなかったようだ。
屋根の上に、他の刺客がボーガンを構えて立っていた。
「チッ! うおお、
ギュスターヴは両足の裏から爆炎を放ち、爆風を利用して一気に三階の屋根の上まで飛び上がった。
そして、その勢いのままに屋根の上の刺客を、爆炎を纏った剣で胴切りに真っ二つにした。
対面のもうひとりの刺客は、ギュスターヴに向けて矢を放ったが、ギュスターヴは切り伏せた刺客の上半身を盾にして防いだ。
刺客はそのまま逃げようとしたが、ギュスターヴの踏み込みに追いつかれ、一突きで胸をえぐられた。
ギュスターヴは周りを見渡したが、他に刺客は見当たらなかった。
「オジキ! ヤバイことになりました!」
ギュスターヴが屋根の上から降りると、証人は何かを言いたそうな苦悶の表情で息絶えていた。
「……これは毒ですな」
ジャックが証人の様子を確認して、悔しそうに呟いた。
「くそったれが! ここまできて無駄足かよ!」
ギュスターヴも悔しそうにカベを殴りつけた。
もうひとりの捕らえていた刺客は、仕込んでいた毒を飲んだのか、血の泡を吹き、すでに息絶えていた。
これで手にあった証拠はすべて消されてしまった。
重い沈黙が、この場に流れた。
「オジキ、旦那! ここから離れましょう!」
フィリップに呼びかけられて、二人ははっとした。
まだギュスターヴの放った炎が燻り、焦げた石の外壁から煙が上がっている。
そして、騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり出していた。
三人はこのまま路地裏を静かに立ち去っていった。
フィリップに案内されていった先は、スラム街にある潰れた酒場だった。
フィリップは、独自のそのツテからカギを借りてきたようだった。
中のテーブルや椅子は壊れていて、床は穴だらけ、虫などが這いずり回っている。
「くっくっく、見事に、今の俺様達の心境だな、ここは」
ギュスターヴは自嘲気味に笑った。
「そうですな。あまりにも無様すぎますよ」
ジャックはがっくりと肩を落とし、床に座り込んでいる。
「何すか、二人共打たれ弱いっすね? もう諦めたんすか?」
フィリップは一人あっけらかんとジュースを飲んでいる。
状況の分かっていなそうなフィリップに、ギュスターヴは声を荒げた。
「あ!? 何のんきなこと言ってやがる!」
ギュスターヴは床をドンと殴った。
「まあ、ここまで見事にやられてしまっては」
ジャックも言葉に力がない。
「オレはど素人っすけど、やばい状況なのはわかるっす。でもオレは、諦めの悪いアニキの下についてますからね。そのアニキが今の二人の姿を見たら、何ていうかわかりませんッスけど?」
フィリップは何とも嫌らしい言い方をしている。
「けっ! わざとらしい挑発しやがって。 ……だが、このままだとあのバカが調子こいたことを言うのは、目に見えてるな」
「そうですな。私もこのままでは王妃様に顔向けできませんからね。まだ起死回生の策がきっと残っているはずです」
「ああ、このまま諦めてたまるかよ! この事件を仕組んだやつに、目にもの言わせてやろうぜ!」
「押忍! オレにもできることをどんどん言ってください! あ、とりあえず飯買ってきますね!」
フィリップは買い出しに出掛け、ギュスターヴとジャックの目に再び火が灯った。
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