第三節 冒険者ギルド

 俺は声のした方を、目だけでじろりと見た。


 無精髭で赤ら顔の酔っぱらいのおっさんが、俺を見下ろしていた。

 着ているものの素材は悪くはなさそうだが、身だしなみに気をつけていないのか、だらしなくよれよれだ。

 背格好は、俺の基準で中肉中背といった感じだ。

 赤みがかった髪はボサボサで、手入れもされていないようで不潔な感じがする。

 だが、意外にも整った顔の中の赤みがかった瞳が暗い中でもよく見える。


「何だよ、おっさん? 見ての通り、身ぐるみ剥がされて、無一文の俺にたかったって何も出てこねえぞ」


 俺は吐き捨てるように言って、自嘲気味に笑った。

 こんな相手にしか粋がれないんだから、ダセえ男だ。


「ほう? まだ減らず口を叩く元気はあるみてえだな?」


 酔っ払いは何がおかしいのか、ワハハと愉快そうに笑っている。

 俺はこの酔っぱらいの態度にイラッとした。


「チッ! そんなに人の不幸が楽しいのかよ?」

「おお、わりいなあ。そんな状態でも強がってる若者が微笑ましくてな」

「ケッ! どう聞いたら強がってるように聞こえるんだよ? もう、悲しくてまた泣きそうだぜ」


 と言って、俺は無理矢理立ち上がろうとした。

 しかし、足に力が入らなくてまた倒れそうになった所を、酔っぱらいは腕で受け止めて支えた。


「ははは! 無理すんなよ。立ってるのもやっとじゃねえか。 ……なあ、どっか行く当てでもあんのか?」

「ああ、とりあえず冒険者ギルドに行くよ」


 と言って、俺は懐から冒険者ギルドの認識表を取り出した。


「ほう? そいつは奇遇だな。俺様も冒険者だ。連れてってやるよっと」


 それを見て興味ありそうに笑った酔っ払いも、懐から認識表を取り出した。

 俺のとは色違いの銅製で、少し立派な作りのものだった。


「俺様はギュスターヴだ。よろしくな」

「……俺は、アルセーヌだ。助け感謝するぜ」


 まだこの男を信用するわけではないが、今は考えるのもどうでもいい気分なので好意にはありがたく乗らせてもらうことにした。


「いいって事よ。困ったときはお互い様だぜ」


 ワハハと、ギュスターヴは高らかに笑った。


 俺はギュスターヴの肩に掴まって表通りに出た。

 人通りはほとんどなかったが、道行く人々はこっちをジロジロと見ていた。


 クソ!

 どこまでも情けねえ気分だぜ。


 冒険者ギルドはすぐ近く、2ブロック進んだ先の角にあった。

 お世辞にも立派とは言えないが、古めかしい3階建ての石造りの建物だった。

 ドアには認識表にあった烏の翼の紋章が描かれている。

 ギュスターヴは、認識票で触れただけでドアを開けると、中に入っていった。


「うおーい、マリーちゃん! いるかい!」


 ギュスターヴは遠慮なく、バカでかい声で叫んだ。

 そして、壁際にあるガラスの中の石に触れると、次々と光が灯されていった。

 それほど明るくはないが、ろうそく以上の明るさが感じられる。


 すげえ。

 これが、魔道具ってやつか。


 中は意外と広くて、年季の入った重い色合いの木製のカウンター、椅子の上げられている大きな木製のテーブルがいくつもある。

 階段の上から灯りがもれ、人が降りてくる足音が聞こえた。


「もう、何ですか、ギュスターヴさん? また酔っ払っているのですか?」


 マリーと呼ばれた女性は寝ていたのだろうか、目をこすりながら階段を降りてきた。

 薄い生地の上下でパジャマ、いやネグリジェだろうか?


「きゃっ! だ、大丈夫ですか? 一体何があったのです?」


 マリーは俺に気づくと、急いで駆け寄ってきた。

 そして、テーブルの上に上げられていた椅子をおろして、俺を座らせてくれた。

 俺は、マリーに経緯を説明しようとした。


「あ、ちょっと待ってくださいね。今キズを見てみますね? うん、骨は折れてなさそうです。あ、でも鼻が。ギュスターヴさん、お願いします」


 と言って、マリーはギュスターヴの方を向いた。

 ギュスターヴは何をするのかと思ったら、俺の鼻を指でつかみ、曲がっている鼻を無理矢理真っすぐ伸ばした。


「ぐわあああ!? な、何すんだよ、いきなり!」


 俺は激痛に悶えた。

 目から涙が出てきたのを感じる。


「ああん? こうでもしねえと曲がったまんまくっついちまうぞ」


 ギュスターヴはこともなげに言った。


 俺は、何を言っているんだと思いながら、ギュスターヴを見ていると、マリーは俺の顔に手を当てた。

 突然のことに胸がドキッとし、何をしているのか不思議に思った。


光回復ルクス・レメディ


 マリーは、たった一言つぶやいた。

 すると、マリーの手から淡い光が出て、ほんのりと暖かく、気分が和らいでいく。


 あ、これ、もしかして、回復魔法、か?


 マリーは、俺の全身にゆっくりと丁寧に手を当てていった。

 俺の全身から痛みはすっかり無くなった。


「これで、もう大丈夫ですよ」


 マリーは優しい笑顔でニコリと俺に笑いかけた。


 ああ。

 何て、天使な笑顔なんだろう?

 暗くてはっきりと顔まではよく見えないが、そのおかげで更に清らかに感じる。

 俺はこの笑顔でヤサグレていた心までも癒やされてしまった。


「それにしても、一体何があったのですか? 昨日、初仕事でパーティーでゴブリン退治に出かけて、すぐに全滅したっていう報告があったのに」

「そう、ですか。実は、教会で目が覚めまして……」

「ええ、その事なら聖教会の方から連絡はありました。君だけ奇跡的に蘇生したって」

「そうでしたか。俺に一体何があったのですか?」


 俺は、マリーに事情を聞いてみることにした。


 この体の元の主は、昨日冒険者の登録をした足で、地元の仲間達とゴブリン退治に出かけたそうだ。

 新人のガキらしさで、簡単にできると調子に乗っていたようだ。

 だが、途中の森の中で運悪く、怨霊スペクターに遭遇したそうだ。


 スペクターというのは、かなり強力なゴースト系モンスターらしく、討伐専門の上級冒険者でも下手をしたら取り殺されるレベルらしい。

 討伐した聖騎士の話によると、この世に強い恨みを残した強力な魔術師の自殺者ではなかろうかということだ。

 そうでなければ、このあたりには出ないというほどのレベルだそうだ。


「そんな君が、どうしてこんなにもひどいことになっているのですか?」


 俺は、遺体安置所モルグを出てからの経緯を説明した。


「傭兵ギルド、ですか。ひどい話です」


 俺の話を聞いて、マリーは困り顔でため息をついた。


 傭兵ギルドは、この街で一番力を持っていてやりたい放題らしい。

 近隣の酒場から用心棒代と称してみかじめ料を取ったり、裏稼業の縄張り争いの助っ人になったり、他にもやっていることは、ヤクザみたいなものだ。


「本当に申し訳ないです。私としてもどうにかしたいのですが、冒険者ギルドは実はこの街では弱小なのです。伝説の勇者様の時代ならいざ知らず、今みたいに平和な時代だと無用の長物でして」


 マリーは申し訳なさそうに顔を伏せている。

 話を聞いたギュスターヴは、どこかへと歩いていった。


「ふふ、幻滅しましたか、冒険者に? おとぎ話みたいな冒険なんてもうほとんどなくて、地味で大変な仕事ばかりです。せっかく助かった命です、ギルドを抜けても、私は何も文句は言いませんよ」


 マリーは何かを諦めているかのように自嘲気味に笑った。

 何か事情があるのだろうが、俺にはわからないことだ。

 だが、俺には行くアテもないので、抜けるという選択肢はない。


「いえ、せっかく助けてもらったんです。少しは恩返しをしたいので、もうちょっと居させてもらってもいいですか?」


 それに、ここまでしてもらって、はいそうですかと去ってしまっては、日本男児の男が廃るというもんだ。

 こんな話を聞いてしまったら、逆に冒険者ギルドでマリーのために働こうという気になってしまった。


「よく言った、ボウズ! おめえも漢だな!」


 ギュスターヴがいきなり後ろから背中をバンと叩くので、びっくりしてしまった。

 そして、俺の目の前のテーブルに何かを置いた。


「いてえな……ん、これは?」

「おう、ちっと古いけど、やるよ。今よりはマシだろ?」


 今、俺が着ているのはボロボロに破れたゴミ臭い服に、ションベン臭いパンツ。

 確かに、ひでえ格好だ。


 手に取って広げてみると、少しほつれたところはあるが、RPGの初期中の初期装備、シンプルな無地のデザイン、布の服だった。

 何だか、今の俺にぴったりのような気がして、口元が緩んで笑ってしまった。

 マリーもそんな俺を見ていて、嬉しくなったのか笑顔になった。


「あ、そういえばお腹空いてませんか? 残り物ですけど、シチューとパンがありますよ」


 マリーは俺の返事も聞かずに奥にパタパタと行ってしまった。


「マリーちゃん、俺もお願いね!」


 とギュスターヴが叫んでいる。

 言われて気がついたのだが、何も食べていなかったので異常に腹が減っていた。


 俺たち3人は、テーブルを囲んで食べ始めた。

 マリーが温め直してくれたシチューが、やたらと美味しく感じた。

 マリーは、俺とギュスターヴが食べているのを暖かい笑顔で見ている。

 本当に心の優しい人なんだな。

 どうしようもなく落ち込んで、こんなに誰かに優しくしてもらって、腹が減っているくせに、やたらと胸から何かがこみ上げてきた。

 気がつくと目から涙がこぼれていた。


 はは。

 何だよ、この体?

 涙腺緩すぎるだろ。

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