第5話 林光『セロ弾きのゴーシュ』

 本まとめの第二回でまとめたブリテン『ねじの回転』と同じく、オペラとしてはあまり有名ではないが原作小説が有名な作品ということで、今回は林光のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』を紹介したい。


 林光とは、1931年東京生まれ、東京藝術大学作曲家を中退するも、尾高尚忠氏に師事し、管弦楽曲から声楽曲まで多くの作品を発表している作曲家である。日本語の響きを徹底的に追求し、宮沢賢治の音楽作品を広めた。またオペラシアター「こんにゃく座」の音楽監督でもある。


 本作は、6人の歌手を一台のピアノとで物語るオペラである。6人は、ゴーシュ、楽長、ネコ、かっこう、仔だぬき、野ネズミのおっ母さんの役を、それぞれ受け持つだけでなく、語り手を務めたり、風や、ゴーシュや動物たちの内心の声を表したりして、物語を進める。

 歌われる言葉はほとんど宮沢賢治の原作そのままで、これはこのオペラの大きな特徴となっている。一度読んだら忘れられない賢治コトバの楽しさを、丸ごとオペラにしている。しかし、オーケストラが練習し、発表するベートーヴェン「第六交響曲」をシューマン「第三交響曲」に、仔だぬきが持ってくる曲を「愉快な馬車屋」ではなく沖縄のわらべ歌「てぃーちでぃーる」に変更すること、同じく仔だぬきが賢治の詩による「あまのがは」を歌うこと、ゴーシュが弾く「なんとかラプソディー(おそらく、ラプソディーインブルー)」を、賢治の詩「原体剣舞連」に曲をつけたものに変更することなど、原作と異なるドラマの世界を展開させるために必要な変更を大胆におこなっている。


 本作のあらすじ

演奏会を控えたある日、いつものように楽長に叱られたゴーシュ。

その晩遅く、住んでいる水車小屋に戻り、水を飲んでから猛練習を始めた。すると扉をとんとんと叩いてやってきたのは、三毛猫。

さて、その晩から、次々にいろいろな動物がやってきては、ゴーシュの練習の邪魔をしていく。ネコは「トロイメライ」を弾いてくれ、と言う。かっこうはドレミを教えてくれ、と言う。たぬきの子は、自分は小太鼓の係だから、とゴーシュとにわかの二重奏。

そして野ネズミの子の病気は、ゴーシュのごうごう弾くセロの音で治るのだ。演奏会当日、人々は見違えるようなゴーシュの演奏に出会うのだった。

 

 本作のプログラム

第一夜   1.ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係でした...

      2.だめだ!だめだ!

      3.おいゴーシュ君。君には困るんだがなぁ。

第二夜   1.その晩おそくゴーシュは...

      2.ホーシュ君か。

      3.そうか。トロメライというのはこういうのか。

      4.ははぁ、すこし荒れたね。

第三夜   1.次の晩もゴーシュがまたセロの黒い包みをかついで帰って...

      2.「ブドリが学校へ行くようになりますと...」

      3.猫、まだこりないのか。

      4.こら、

間狂言

第五夜   1.次の晩もゴーシュは...

      2.おまえこそはいいかい

      3.おい、おまえたちはパンはたべるのか

六日目の晩 1.「交響曲」終わる。

      2.どこまでひとをばかにするんだ。

      3.こんやは変な晩だなぁ。


 原作である宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』は、異常なまでに鋭い音感覚をもち、多忙な中にもセロやオルガンの練習に不断の精進をつづけ、レコードによる西洋音楽の鑑賞に熱中し、農村青年を集めて管弦楽団を作ることを念願していた、賢治自身のカリカチュアライズした自画像ともいうべき作品であろう。

 ゴーシュが十日間のうちに上達する物語であるが、テクニックが上手くなっただけのことではない。恐らくこの場合の上達は、もっと内面的なものであり、「知る」ことから、「感じる」ことへの切り替えが行われたのだと考えなければならないだろう。なぜなら、ゴーシュが「何故上手くなったのか」について、もう少し詳しく知りたいと考え、注意深く文字面を追ってみると、多くの人が「変だな」と思うほど、そういったことが描かれていないのである。「かっこう」に、ドレミを正されたり、「狸の子」に「二番目の糸を弾くときに遅れる」ことを指摘されたりしているものの、これはたいしたことではないだろう。ゴーシュ自身、そうしたことを教えられて、大いに反省したり、新たに発見したりしている風ではないのだ。

 つまり、「かっこう」にドレミを正されたことより、「狸の子」に「二番目の糸を弾くときに遅れる」ことを指摘されたことよりも、第一日目に「猫」に対して怒り、第二日目に「かっこう」に対して驚き、第三日目に「狸の子」に対して愛し、第四日目に「野ネズミの親子」に対していたわったことの方が、はるかにおおきな体験だったのだ、と考えるべきであろう。

 何も考えずに、素直に読んでいる時、私たちの知性ではなく、私たちの身体が、このことを体験しているのである。従って誰もが、「ゴーシュが何故上手くなったのか」について、言葉では説明できないとしても、納得しているのだ。


 林光の『セロ弾きのゴーシュ』はその創意工夫と晴朗な楽しさ、面白さで多くの人の心を捉え、最も成功した日本オペラの傑作だと思う。舞台空間上にあふれる賑やかさ、拡がり。それはそのまま地上に偏在する命の生き生きとした姿そのものである。そして音楽する喜びだ。

金星音楽団のシューマンも、ネコもかっこうも、仔だぬきの沖縄民謡も、野ネズミの原体剣舞連も、おかげでいやがうえにも盛り上がり、賢治と林光の喜びとユーモアを見事に増幅している。

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三度の飯よりクラシック 脳髄ぱんち。 @genomen

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