第八章:命の選択 02
「ヴィヴィアン嬢。ブーシュ島とは違う趣の庭を愛でる気はございませんか」
翌朝。眠れない夜を明かしたヴィヴィアンの部屋を訪れたのは、金色の髪に鮮やかな緑の目をした男だった。
ニコラ・プレヴェール伯爵。
エムを見つけ出し、手紙を出した人物である。ニコリと笑う様は、美形ではないものの、人に警戒心を抱かせない親近感と品の良さがある。
そして、あの性格のひん曲がっていそうな皇帝・アラン1世の乳母兄弟でもある男だ。
てっきり20歳そこそこだと思っていたけれど、人は見かけによらないわ。私の倍以上は生きているなんて、信じられない。
「ああ、貴女がエムと呼ばれる彼には、ちゃんと許可を取ってきております、ご安心を。必ず指輪をしていくようにとも、言付かっております」
若さの秘訣は何なのかと、ヴィヴィアンがじっと見つめているのを彼は警戒していると勘違いしたらしい。
プレヴェールは柔らかい笑顔のまま、言葉を重ねてきた。
ヴィヴィアンとしてそうではなかったと否定したかったが、確かにこのままドアの前で立ち話というのもおかしい。
「今準備いたします。少々ドアの前でお待ちいただいてもよろしいでしょうか」
* *
昨日宮殿に入る為に見た庭園は、馬車の中からだった。
だからこうして歩いてみると、ますますその素晴らしさがわかる。
一番ブルーシュ等の庭園と違うと思ったのは、緻密さだった。
ティンダルの庭園は、田園風景を良しとする傾向がある。もちろん木の形や、植込みを剪定し整えることはあるが、薔薇を植えたらそのまま季節に移ろう薔薇を愛でるし、マリーゴールドやマーガレットも同様だ。
しかし、マーソン帝国の庭園は違った。四角い枠のような植込みをつくり、その中に季節の花を植えこんでいる。
今盛りの花を、外から持ってきて、季節ごとに植え直しているのだ。
そしてその花も、同色や似た傾向の花を集めるのではなく、色も、背の高さも違う花々をはめ込むように植えているのだ。
ラベンダー色のアフタヌーン・ドレスと、揃いのカクテル・ハットを被ったヴィヴィアンは、強い個性が調和したそれを、覗き込むように見つめた。
「まるで、植込み一つ一つに、花の絵画が描かれているようだわ」
ヴィヴィアンの思わず零れた言葉に、プレヴェールはそうでしょう、と頷いた。
「私はこの庭園こそ、我々のようだと思うのです。違う個性が寄り集まり、各々の色や能力をもって、帝国という国を形成している」
「では、陛下はさながら庭師かしら? でも、あの方ならもっと過激な花も盛り込みそうよ」
「――ははっ! 貴女はずいぶん我が陛下について理解されていらっしゃる」
全くその通りです、とプレヴェールはヴィヴィアンの言葉に肩を揺らして笑った。
「――プレヴェール伯爵は、何故今日わたくしを此処へ誘ってくださったのですか」
もうそろそろ本題を切り出して良いころだろう。
ヴィヴィアンはプレヴェールの緑色の目を見つめる。
プレヴェールはヴィヴィアンの強い目力に動じることもなく、受け流すような柔らかな顔で口を開いた。
「貴女が聞きたい事を、私がお答えできればと思ってお誘いしました」
プレヴェールはあの皇帝が何を話し、何を話さないままなのか見当がついているのだろう。
見た目も立場もずっと違うが、ヴィヴィアンに対してのエムのような関係性が、アラン1世とプレヴェールの間にはあることが、その言葉でヴィヴィアンには理解できた。
「そうですね、たくさんあります。でもその前に一つお礼を言わせてください」
「礼、ですか」
「ええ。エムを――私の影に礼服を貸してくださって、ありがとうございます」
ヴィヴィアンは軽く頭を下げた。
いくらあの皇帝が態度を気にしないと言っても宮廷のルールや貴族のルールは存在する。
むしろ、それが大前提で話が進む。皇帝が良くても、あの従僕が眉をひそめてしまえば、あっという間に噂が回るのだ。
ヴィヴィアンはそれを身を以て知っている。だからこそ、目の前の彼はヴィヴィアンの命の恩人でもあった。
「頭を上げてください。あれは私の為でもあったんですから、気になさらないで」
「そう言っていただけること、痛み入ります」
「――貴女は、私が聞いていた方とまるで違う方のようだ」
「え?」
ヴィヴィアンが思わず顔をあげると、プレヴェールは、少し失敗した、とでも言いたげな苦笑を浮かべていた。
「これはまた後程お話ししましょう。 ――今はヴィヴィアン嬢、庭園を愛でながら、貴女の聞きたい事を」
「……お話ししたい事をまとめますから、少しだけお時間をください」
さあ、と手を差し伸べられる。ヴィヴィアンは少し当惑しながらも、そのエスコートを受けることにした。
ヴィヴィアンは頭の中で、聞きたい事に1番、2番と順位を付けた。そして聞きたいことを端的に言えるように、文章を整理する。
まだ慣れないので、組み立てるのに少し時間がかかるが、エムとの話し合いの時よりは時間はかからなかった。
ロベルタに殿方との話し方を聞いておいて、本当に良かった。
ヴィヴィアンは今はティンダル王国に帰ったあの騎士のような少女に、もう何度目になるかわからない感謝を捧げた。
「聞きたい事は大きく2つございます。まず1つが、どうしてエムを見つける必要があったのか。2つ目が『稀代の魔法使い』と『湖の貴婦人』が出てくる物語について、私とエムにどんな関連性があるのか、お聞かせ願えますか」
「――なるほど。では先に1つ目についてお答えします。端的に言えば、彼の力が欲しかったからです。しかも彼はカラムの民の族長の息子。 領土拡大もできる一石二鳥の逸材でした。 彼の行方は一般的には消息不明でしたが、クロムウェル公爵家にいる事を私は理解してましたから」
「あなたは望む者がどこにいるか、たちどころに判るそうですね。どうやってわかるのですか」
「――ヴィヴィアン嬢は、魔法が使える仕組みを知っていますか」
途端に眉をひそめたヴィヴィアンに、プレヴェールは彼女が何も知らない事を察したのか、その前提になっている話を簡単に説明してくれた。
この世の中には、妖精という存在があり、万物に宿っている。妖精は本来人間に干渉しないが、一定数、人間に関わる変わり者がいる。
関わり方は様々だが、彼らが関わった結果が、本人かその子孫に表れるのだという。
その証が、髪か目、または両方に影響して生まれてくる。
証を持った者は、彼らにとって仲間と同類になるのだという。人の身でありながら、妖精の仲間。その証こそ、赤い髪と緑の目であり、そしてその色が濃ければ濃い程、妖精と近くなるのだと。
「私の場合は目が妖精のものです。だから妖精たちを見ることが出来、彼らの目を通してみたいものを見ることが出来ます。だから彼の生死や、今どこにいるのか、姿を確認することが出来ました。しかし、私の魔法は視るだけです。それも彼の場合、私が見ていることを察知して遮断されてしまったので、以降は全て人力でした。ありとあらゆる伝手を頼りましたよ、いやあ大変だった」
そして昔を思い出したのか、プレヴェールはどこか懐かしそうな笑みを浮かべた。
さらりと言っているが、クロムウェル家の影であることを掴み、あげく手紙まで渡しているのだ。
影たちの優秀さを知っているヴィヴィアンとしては、目の前の男が途端に得体のしれないものに見えてくる。
「ヴィヴィアン嬢、魔法は本来1つだけの限定的なもの、という事を知っていますか?――たとえば、貴女が偽物の王子様と踊った時、実は3人の魔法使いが関わっています」
「え?」
「1人は、髪色や目の色を変えられる者、もう1人は周囲への見た目の認識を改変させられる者、そしてもう1人は、他人の魔法を受けることが出来る者です」
「――待ってください、マクラウド将軍が、魔法使いだって言うんですか?」
「彼の場合は魔法というより体質に近いですがね。だから鈍くとも赤と緑を持っているんですよ、赤と緑の両方の色持ちは、魔法が受容できる器の証です」
もっとも、どちらも持てば妖精に近くなるので、通常はひどく鈍い色になりますがね、とプレヴェールは付け足した。
ヴィヴィアンはそこまで聞いて、あの晩マクラウドに言われたことを思い出した。
確か、マクラウド将軍はこう言っていなかったか。『私の髪と目が魔法の適性があったようでして』と。
証を持つ者が持てる力は1つとして、そして、魔法は受ける事にも適性が必要だというのなら、ヴィヴィアンは確実におかしな体験をしている。
思わず口に手をやったヴィヴィアンに、プレヴェールはお分かりになったようですね、とにやりとした表情をした。
「髪の色や目の色を変え、他の人の意識を変え、まして、魔法適性のない人や物にそれをかけることが出来る、などという芸当は、我々魔法使いからしても異常なのです。――彼の力は異常です。彼は恐らく妖精とのあいの子だと、私は考えています。人ならざる者。だからこそ、世界を変えることが出来る。ゆえに私は彼を世界を変えるに相応しい陛下に献上したかった。だから見つける必要があったのです」
「……貴方の口ぶりだと、我が国への領土侵攻は、まるでついでのように聞こえます」
皇帝の話だと、領土拡大のためにエムが必要なような口ぶりだったが、彼の言葉はどうも逆のようにヴィヴィアンに聞こえた。
「事実、私の意見は逆なのです。――陛下は、私だけいればいいと仰ってくれますが、偉業のために力は多く、強い方がいいに決まっています。ただその強い者を得た時、とある領土が侵攻できる正当性が同時に手に入るなら、侵攻した方が得でしょう?」
ヴィヴィアンは目の前の人物の頭の中身こそが異常ではないかと思った。
やはり、あの皇帝あってこの臣下ありだ、とヴィヴィアンは思った。プレヴェールは表向きものすごく無害な常識人に見える分、余計性質が悪い。
「貴方の陛下への忠誠は素晴らしいです。ですがその為に、多くの無辜な血が流れても、あなたは厭わないというのですか」
「私の使命は彼の選び取った覇道を陰日向どちらからも支える事。そして覇道とは得てしてそのようなものです――しかしヴィヴィアン嬢、やはり貴女は噂とは全く違う。とても聡明に感じます」
とても好ましいですね、とプレヴェールはほほ笑えんだ。
先ほどまで、柔らかいと思っていた笑みを一切そう感じられなくなったヴィヴィアンは、彼の言葉も同様に一切嬉しくなかった。
なにせ、目の前の人物が自分にとって全く好ましくないものだと分かったからだ。
ヴィヴィアンの感情は筒抜けだろうに、プレヴェールはにこやかな表情をそのままに、口を開いた。
「さて次に2つ目のお話をしましょう。『稀代の魔術師』と『湖の貴婦人』が出る話と、貴女方の関係性について。こちらも結果から申しますと、『稀代の魔術師』の想い人が『湖の貴婦人・ヴィヴィアン』なのです」
「――は?」
「ずっと昔の、死んでしまった物語です――今ではこの話を、聖マール教を信じない異教徒の民が伝えています」
昔、1人の魔法使いがいた。彼は稀代の魔法使いと呼ばれていた。
その魔法使いは地上にいる全ての精霊と語らうことができ、全ての精霊から好かれていた。彼は何でも見え、聞こえ、言うことが出来た。
あるときは城の下に竜がいることを言い当て、またあるときは一人の村人を一国の王にした。
すべてを見通す魔法使いは、それ故に孤独だった。そしてその寂しさを享楽に耽ることで紛らわせていた。
あるとき、彼は一人の女性と出会った。不思議なことに、その女性のことだけは見通すことが出来なかった。
女は湖底の国の王女だった。ゆえに地上のすべてを見通す魔術師も見通せなかった。
魔法使いは湖底の王女に夢中になった。彼女のために地上の全てを見て聞き、それら全てを王女に教えた。
王女は魔法使いに靡くことはなく、魔法使いから地上の全てを聞くと、それらをすべて湖底の国に持ち帰った。
そうして湖底の国は地上のすべてを手に入れた。地上の精霊たちは沈黙した。
利用された稀代の魔法使いはそれでも王女を愛していた。
今際の際、無力になった魔法使いは精霊たちの子、妖精たちに願ったのだ。
またニミュエと巡り合う時を。何百、何千の夜を超えても、彼女と再びまみえる時をくれ。
それまでずっと私が彼女を忘れないように。
だから妖精は赤い髪と緑の目を探している。かつての愛しくも憐れな魔法使いを探し、彼の欠片を愛すのだ。
また再び、彼を湖底の王女と見えさせる為に。
「王女の名前は物語でこそニミュエなのですが、綴りを変えればヴィヴィアンです。稀代の魔術師はアンブロシウス……貴女たちの言葉でアンブローズと言いました。――このアンブロシウスがバッチェ地方だとエムリスというのですよ」
「……陛下がとても博識で、詩人でいらしたことだけは解りましたわ」
つまり、単なる言葉遊びだったという事だ。
昔からあった話なら、異教徒で魔法使いの多かったバッチェ地方で、その話が伝わっていても不思議はないし、赤髪に緑目の特徴の多い地域であれば正統性のため普及していてもおかしくない。
そんな中生まれた、世にも鮮やかな赤い髪に緑の目の子。かつての魔法使いの名前を付けたくなるのもうなずける。
ヴィヴィアンの名前だって別に珍しい名前ではない。ティンダル王国ならばごく一般的な名前だ。
前世が前世だったから『物語』に過剰反応してしまったわ。
安堵から息を吐くヴィヴィアンに、プレヴェールが、そうでしょうか、と言葉をかけた。
見れば、彼は先ほどまでの胡散臭い柔らかい笑みを消し、至極真面目な顔をしていた。
「地上の国をティンダル王家に、湖底の国をクロムウェル公爵家に置き換えれば、今のあなたの状況は、辻褄が合うと思いませんか?――名は体を表すのではなく、縛るのかもしれませんよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます