第二章:嵐の前の穏やかさ 02
マクラウド将軍からもらったバラのサッシェは、匂いからか、帰宅早々にエムにばれた。エムにいい顔はされなかったが、取り上げられることはなかった。
エム曰く「本当に匂い袋なだけらしいから」とのことだったが、サッシェが匂い袋でなくて、何なのだろうか。むしろ、貰っていたお守りにはドライフラワー以外の何かが入っていたという事か。
ヴィヴィアンはエムを問い詰めたが、彼はいつもの飄々とした口調に戻ってしまい、ヴィヴィアンの問いに答えてくれなかった。
それ以来ヴィヴィアンはバラのサッシェを部屋に置いていたが、マクラウドとの仲をデボラと宝飾店の店主に誤解されていたことはすっかり忘れてしまった。
正確には考える余裕がなかった。
新緑祭に向けての準備と、自分があと1か月で死ぬルートを選ばないように本の内容を思い出して書き記すことに注力していたからだ。
「お嬢様、私はマクラウド様との仲を応援しておりますからね」
新緑祭の開催場所である王城へ向かう道中、同じ馬車乗ったデボラの言葉に思わず閉口した。デボラは荷造りから出立の際まで、馬車に乗る時まではいつも通りだったのだが、二人きりになった途端、今日イチの凛々しい顔でデボラがはっきりと伝えてきたのだ。
「だから、誤解なのよ」
ヴィヴィアンはこの時、沈黙は肯定として取られてしまうという事を、身を以て知ったのである。
ティンダル王国、王都・アスキス。
サミュエル殿下の治める王領・キャラハンの北方にあり、四方を山々に囲われた天然の要塞都市だ。王都に入るには唯一の入り口である南方から行かねばならず、当然キャラハン領を経由することになる。ヴィヴィアンは、王領に入る為の長い行列を窓から眺めながら、これはしばらくかかるなと思った。
「そういえば、お嬢様本当によろしかったんですか?」
「マクラウド将軍のことなら、もう何も言わないわよ」
「違います。ドレスです。いつもよりずっと少ないじゃありませんか」
デボラは本当に最近ヴィヴィアンに遠慮がない。今までなら黙っていたことを素直に聞いてくるようになった。それはいい変化だ、とエムは笑っていたが、ヴィヴィアンはあまりわからない。正直に言うと、使用人のデボラに遠慮されないということに、まだちょっと不快感があるのだ。
だが、同時にこの不快感は自分の問題なので、デボラに当たるのは筋違いと解っている。
それに、聞かれたことに答えないのは決まりが悪い。
「通行料よ。持ってきたらその分だけかかるじゃない」
他領地を通行するには交通費を払う決まりがある。1つの馬車につき5ルペソ。特に貴族が通過する場合、移動に荷物と人が多いため、1家族当たりの単価も大きい。新緑祭は王家主催で参加費は請求していないし、実際にかかる金額は知らないが、この交通費用が多少なりとも新緑祭の費用を補填しているのは確実だ。
どうせ歓迎されてないのに、多くの金を払う必要はない。だからヴィヴィアンはドレスを少なくし、荷馬車を1つ分浮かせた。
「はあ、お嬢様もお金のことなど考える様になったのですね」
「デボラ、あなた本当に遠慮がなくなったわね」
不快感を誤魔化す為、扇子で顔を覆った。デボラは申し訳ございません、と、全く反省していない顔で謝ってきた。
ちなみに、今回ヴィヴィアンが節約した金はドレスで6ルペソと荷馬車代で5ルペソの計11ルペソ。ルゥル地方で取れる税収が年間70ルペソなので、今回の新緑祭だけでルゥル地方の税収1/7分の金を節約をした。
逆を言えば、去年はこの1か月のために豊かな土地の1/7の税金を使っていた。
エムが言っていたルゥル地方の税収を食いつぶしている説は、あながち間違ってないことを、ヴィヴィアンはもう知識として理解していた。
しかし、前世もちの私はともかく、なんでそんなことをエムが知っているのかしらね。
色々解ればわかるほど、教えてもらえば貰う程、信用している影の出来の良さが怖くなるヴィヴィアンだった。
* *
それから眠くなりそうな時を経て、ヴィヴィアンとデボラはようやく王都・アスキスに到着した。隣領で、午前中には自領を出たというのにこの時間のロス。前世の感覚からは考えられない不便さだ。
クロムウェル公爵家は星陵の宮という離宮に案内された。七公爵家は離宮で、他は王城内の宿泊施設で1か月の間過ごすこととなる。
王城から一番遠く一等豪華で最も権威のある宮が、この星陵の宮だ。正妃の終の宮でもありそのため滅多な人物は入れることが出来ない。そして王城への移動は馬車を使うことになるので、維持費が馬鹿にならない。
まさに、クロムウェル公爵家を迎えるのにもってこいの宮なのだ。
婚約者の私がリリスと殿下の逢瀬で一切出てこないのは物理的に距離があったからなのね。
窓の向こうにそびえる王城を見る。王城に入れるのは、子爵以下の人間だ。上位の爵位をあえて遠くに、下位の爵位をあえて近くに置くことで、平等さをアピールしているのだ。
勿論、そんなことをヴィヴィアンが思いつくわけもなく。
「やあ、ヴィー」
「エム」
この、何でも知っている影の言葉である。
エムはやはりドアを使わず、音もなく現れた。
星陵の宮が初めてではないとはいえ、年に一度、1か月しかいない屋敷の構図を知り尽くしているとでもいうのだろうか。それとも本当に影から現れているのか。
「お前が私を殺す暗殺者なら、きっともう殺されているでしょうね」
「何それ、本気?」
「まさか。 思っただけよ」
実際、エムはヴィヴィアンが手を伸ばせば届く距離にいる。殺そうと思えば、殺せる距離だ。
ヴィヴィアンが自嘲気味に笑う。エムは笑えないなあ、と頭を掻いたかと思うと、ヴィヴィアンの前に跪き、恭しく礼をした。
まるで騎士が主人に献身を誓うような。
「いきなり、何……」
「右手を」
普段おちゃらけているエムが至極真面目な声音で言うので、ヴィヴィアンは何も言えなくなった。言われるがまま、素直に右手を差し出す。
「……僕を暗殺者と言う割には素直に従うんだね」
普段の飄々とした声なら、冗談だと思えたのにその声では笑えない。固まるヴィヴィアンの右手の小指にすっと華が添えられた。
カボションカットの石に金のリングだけで構成されたシンプルな指輪。しかし、石は貴石ではなかった。エメラルドにミルクを混ぜたような、不思議な色。
「きれい……」
ヴィヴィアンの素直な感想だった。今まで貴石以外は全てクズ石だと思っていたのに。優しい色合いに、角のないカボション・カットはとても合っている。
「クリソプレーズっていう半貴石。今度こそちゃんとしたお守り」
エムはそれを言うと、また恭しく指先に口付けを落とした。いつかの夜を思い出す。その時も急ごしらえのお守りをくれた。
「ね、騎士っぽかったろ? あのクソ将軍と比べてどう?」
真面目な雰囲気はどこへやら、顔を上げたエムの口にはいつもの品のない笑みが浮かんでいた。
「……今ので台無しよ」
「きびしいなあ」
「でもおかげで思い出したわ。私の余裕が、私を助けるのね」
「あれ、覚えてたの」
立ち上がったエムが少し意外そうに声を上げるので、少しだけいい気分になったヴィヴィアンは得意げな顔をして笑った。
「わたくし、最近物覚えがよいのよ」
* *
華やかな楽器の音がロビーに響く。老若男女、様々な貴族がそれぞれに着飾り自己の力を誇示する。
ついに始まってしまった新緑祭に、ヴィヴィアンは深いため息を吐いた。
大丈夫、大丈夫よ。
自分に言い聞かせて、御者の手を借りて馬車から降りた。
ヴィヴィアンは首にサミュエルからもらったエメラルドにダイヤモンドをちりばめた首飾り、真珠のタッセがついたエメラルドの首飾りと、2つに合わせて新調した真珠とダイヤとエメラルドのちりばめられた髪飾りが目立つように髪を結いあげた。
ドレスはベルラインを採用し、デコルテラインにはストレートビスチェで生地はシルクをラベンダー色に染色させた。その上からうっすら白のバラの花を刺繍している。スカートはシルクオーガンジーを何重にも重ねて、デコルテラインと同じラベンダー色。一番上のオーガンジーの裾ににビスチェと同じバラの花の刺繍を施した。
二の腕まである手袋もラベンダー色にした。エメラルドを際立たせるためだ。優しげなラベンダー色の手の先、右手の小指にはエムからもらったクリソプレーズの指輪が優しく寄り添っている。
ヴィヴィアンの派手な顔と、輝かしい貴石の装飾、柔らかな風合いのドレスは見事に調和し、エスコート役の父を待つヴィヴィアンの姿はまるで何かの絵画のから出てきた女神のようだったと後に社交場で話題となるのだが、当の本人は緊張の真っただ中でそれどころではない。
ヴィヴィアンが不安で早くなる鼓動をどうにか鎮めようとしていると、もう、という鈴のような声が聞こえた。
「もう、おじい様ったら遅いわ、レディを待たせるなんて!」
それほど大きな声でなくても響いてしまうのは、彼女の声質のせいだろう。少し高めでよく通る声をしていた。
ドレスは落ち着いた水色のプリンセスライン。デコルテラインはオフショルダーでレース地のデザインだ。スカートはカッティングの高さの違うシフォンがサンゴ礁の様に幾重にも重なってパニエを作っていた。落ち着いた水色なのは、輝く首元に輝く3連のパールと、自前の宝石である艶のあるストロベリーブロンドのソバージュと淡緑の翡翠を目立たせるためだろう。
革新的なデザインである、あのドレスは高いだろうな、と、ヴィヴィアンのどこか冷静な部分がドレスを評していた。
「リリス・サリンジャー……」
ヴィヴィアンは思わずその名前を口にした。
シートン領の子爵令嬢であり『リリスの花道』のヒロイン。
そして、ヴィヴィアンを殺す存在だ。
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