第三章:そして物語の幕は上がる
第三章:そして物語の幕は上がる 01
ヴィヴィアンが何とか前世の記憶を引っ張り出して思い出した新緑祭の出会いは、以下の通りである。
16歳になったヒロインのリリスは新緑祭のため上京してきた。今まで本の世界であった社交界に心躍るリリス。しかし、今まで子爵領に引きこもっていたリリスを、周りは知らない上に、クロムウェル公爵令嬢が美しいリリスに嫉妬し、彼女を壁の花にしてしまう。
手持無沙汰になったリリスは一人で踊ろうと外に出た。
そこでクローバー士爵という一人の青年と仲良くなる。
誰もいない月明かりの中、リリスはクローバー卿とダンスをする。クローバー士爵は「また君と会いたい」と言い、リリスは顔を真っ赤にして頷くのだ。
リリスはこの時知らなかったが、その彼こそがこの国の王太子、サミュエルなのだ。
この出会いのダンスを成立させるためには2つ条件がある。
1つ、ヴィヴィアンがリリスをいじめて彼女をつまはじきものにすること。
2つ、今回の主催のホストの息子であるサミュエルがこっそり抜け出すこと。
1つ目について、確かにリリス・サリンジャーは可愛らしい顔立ちで、大変目を引く存在だ。本のクロムウェル公爵令嬢が意地悪をした気持ちが、ヴィヴィアンには理解できる。豪奢で豪華に囲まれていたい彼女にとって、天然素材で無敵そうなリリスは脅威でしかなかった。
しかし、既にヴィヴィアンはその見栄と虚勢から脱却しつつある。自分主導での彼女のつまはじきはなくなったので、彼女が一人で庭に出ることもないだろう。
次にサミュエルがクローバー士爵と名乗ることについては、ほぼ不可能だと、ヴィヴィアンは思っている。
サミュエルは既に王領領地として、王太子殿下として、王都中に顔が知れ渡っている。知らないのはリリスくらいだろう。
何より形式とはいえヴィヴィアンと婚約している。ホストの息子・王太子殿下が婚約者とのファーストダンスを、全員の前で踊らない訳がない。
そのあとそのお綺麗な顔に群がる、数えきれないご夫人ご令嬢とも彼はダンスを踊らなくてはならないのだ。ホストの息子として。
つまり、外に出る時間と暇なんてありはしないのだ。
だが、それでもヴィヴィアンの一抹の不安が消えない。殿下が分裂しない限り、リリスとのダンスは成立しないのにもかかわらずだ。
「浮かない顔をしているな」
後ろから響いた重厚な声に、ヴィヴィアンは思わず振り返った。そこには真っ黒で艶のある燕尾服を纏ったブロンドに碧眼の壮年男性が気品ある出で立ちでそこにいた。
目元は鋭利と言ったほうが正しい目つき。白髪交じりのブロンドの口髭で口角も見えない。10人が10人冷酷そうだと評するその面立ちに、ヴィヴィアンはすっかり慣れている。
「お父様」
クロムウェル公爵、その人だ。
「些末な問題に、頭を悩ますな」
「……はい」
クロムウェル公爵は酷薄な顔そのままに冷たく言い放つと、ヴィヴィアンを一瞥して、手を添える様に促してくる。
舞踏会に入る場合、女性は男性のエスコートが必須だ。夫婦であれば夫が。そうでなければ父親か後見の男性がエスコート役になる。当然、ヴィヴィアンは未婚なので、父親であるクロムウェル公爵以外はエスコートが出来ない。
クロムウェル公爵に付き添われながら、ヴィヴィアンは優美な戦場へと足を踏み入れた。
一面に手の込んだ装飾が施された天井からは、絢爛なシャンデリアがいくつもぶら下がっている。壁面にも蝋燭がいくつも立てられ、夜だというのに昼間のように明るい。
神の使徒たちが描かれた壁画がダンスホールをぐるっと取り囲み、まるで守られているかのようだ。柱頭装飾のある白大理石の柱が等間隔に並び、豪華な室内に荘厳さを加えている。壁に沿う様に、装飾の素晴らしいソファーや、王家直属のシェフたちが腕によりをかけた食事が並んでいる。
中央はダンスのために大きく空間を開けられていた。今はその空間で多くの人が社交を求めて挨拶をしているようだ。
「クロムウェル公爵!並びにヴィヴィアン公爵令嬢ご到着!」
フットマンの高らかな声が響くと、ホールにいた紳士淑女の目が一斉にこちらに向いた。
全員が振り向くのは有力者の証だ。この光景に少し前のヴィヴィアンは恍惚となり、気分がよくなっていたが、今は全ての目が針と感じられた。
いつどこを刺されるかわからない恐怖。ヴィヴィアンは口を一文字に閉じ、息を吸い込む事で、なんとか気品ある姿勢を保っていた。
「これは、クロムウェル公爵」
「サージュバル公爵」
「ヴィヴィアン嬢も、今日は一段とお綺麗だ」
「まあ、サージュバル公爵様にそう言って頂けて光栄ですわ」
声をかける順番は決まっていないものの、やはり高い爵位から段々と声をかけていくのが、暗黙の了解となっていた。その声をきっかけに、まるでランタンに惹かれる蛾のように、頭の禿げあがった人々が一斉にこちらを向き、挨拶しようとソワソワと落ち着かなくなる。
ヴィヴィアンは社交用の笑顔を振りまきながら、早くこの時が終われと強く願った。父に対するおべっかも、ヴィヴィアンに対する定型文の賞賛も、とても時間の無駄だと思ったからだ。ベルトコンベアで運ばれてきているのか、と思う程多くの燕尾服を見送る。クロムウェル公爵が懇意にしている貴族たちからの挨拶が終わると、漸くヴィヴィアンはその作業から解放された。
喉がカラカラだ。ヴィヴィアンは渇きを癒そうと給仕に声をかけようとした瞬間、別方向から高い声で呼びとめられた。
「ヴィヴィアンさん、ごきげんよう」
「……コーネリアさん、ごきげんよう」
鮮やかな蜂蜜色のドレスに、ブルネットの髪。コーネリア・ハーヴェイ伯爵令嬢だ。彼女はヴィヴィアンのイエスマンご令嬢の筆頭のような存在だ。あの本では、取り巻きの伯爵令嬢程度にしか描かれていなかった。
「今日のお召し物もとっても素晴らしいですわね」
「ありがとう。すべてはこの首飾りのおかげよ。この首飾りを殿下が下さったの。それにあわせて、ドレスを新調し直したんです」
「まあ、殿下が。素敵なお話だわ、常に殿下はヴィヴィアンさんを思ってらっしゃるのね」
「ええ。本当におやさしいお方。わたくしはとても幸せ者ね」
「殿下こそ幸せ者ですわ。ヴィヴィアンさんのような素敵な淑女を迎えることが出来るんですもの」
「……相変わらず、コーネリさんは本当に素晴らしい人だわ」
「真実ですわ。ああ、他の皆もヴィヴィアンさんと話したいと来ております。新緑祭の前にお会いできなかったから。きっと皆様積もる話があるのですわ」
「まあ」
コーネリアの後ろに、色とりどりな令嬢がソワソワしているのを知っていた。知っていたが、ヴィヴィアンは敢て無視をしてた。このまま無視が出来ればと思っていたのだが、やはりそうは問屋が卸さないらしい。
「ヴィヴィアン様……」
名前も知らない令嬢から、挨拶をされた。お前は誰だと言えず、にっこりと笑いかける。
過剰な世辞と世辞のやり取り。それが貴族であると理解していたし、その世界にずっといたにもかかわらず、ヴィヴィアンは既にこのやり取りがうっとうしいと感じていた。
今まで如何していたか、全く思い出せない。デボラの遠慮ない物言いが恋しいとすら思っている。
そして、最後の令嬢とあいさつを終えた後、それは起こった。
「あら、あの方はだあれ?」
本来はヴィヴィアンが言うセリフを、コーネリアが言った。
ヴィヴィアンが、しまった、と思う時にはすでに遅く、ヴィヴィアンの近くにいた令嬢の全員がストロベリーブロンドのご令嬢に目を向けていたのだ。
「ああ、あれはシートン子爵令嬢です……お名前は確かリリアン、だったかと」
最後に挨拶をした令嬢が答える。しかも名前が間違っている。あまり良い印象を持たなかったのだろう、目に不機嫌が灯っていた。
嫌な方向に、話が向かっている。
「リリアン子爵令嬢、ねえ。ヴィヴィアンさんに挨拶にも来ないなんて、非常識だわ。……皆さんもそう思うでしょう、未来の王妃に挨拶も出来ないなんて」
公爵令嬢が言ったセリフをすべて、コーネリアが言ってしまった。周りの令嬢も、そうですわ、と口々に言いながら頷いている。イエスマンの下はイエスマンしかいないのか。
「わたくしは気にしないわ。見たことがないという事は、今日がデビュタントなのでしょう? 優しくしてあげましょう」
「ヴィヴィアンさん、ですが」
「わたくしが言っているのよ、コーネリアさん」
「……わかりました」
これで、一安心だわ。
ヴィヴィアンは人知れず、ほっと溜息をついた。
私が言っているのよ、という言葉は以前、ヴィヴィアンがよく使っていた言葉だ。それを言われたら執事もギュンター夫人も、デボラそしてご令嬢も何も言えなくなっていた。
彼女たちがリリスを貶めることはない。
そう思うヴィヴィアンだったが、彼女は大事なことを2つ、忘れていた。以前の彼女のもう一つの口癖『言わなくてもわかって頂けるでしょう』を。
そしてコーネリアをはじめとする令嬢たちは、癇癪持ちのヴィヴィアンが選りに選りすぐった、イエスマンの精鋭であることを。
社交に立食にと賑やかなロビーに、ひときわ大きなファンファーレが響く。
その音と現れた人物に全員の手が止まる、ダンスフロアの上座、天蓋付きの玉座から唯一冠を頂ける人物が現れる。
「皆の衆」
あまり大きな声でないのに、その声はよく響いた。
「今年も、皆のおかげでこの豊かな季節を平和に迎えることが出来た。今日からおよそ1月。諸侯らの尽力をこの城で存分に労わってもらいたい」
その言葉を称賛する様に拍手が響く。国王は手を上げてそれを制すと、サミュエル、と自慢の王太子を呼んだ。
ミッドナイトブルーの燕尾服を纏った王太子は、自身の銀糸の髪と紫の目もあって正に端整だ。周りの令嬢や夫人たちが、ほう、と甘いため息をついているのをヴィヴィアンは感じた。
反面、ヴィヴィアンはその佇まいに眉をひそめた。
「私事ではありますが、先日私の婚約者であるヴィヴィアン嬢が成人を迎えました――そのため、本日のファーストダンスは私とヴィヴィアン嬢の二人で務めます」
その言葉にわっと拍手が再度上がり、ヴィヴィアンから王太子までの道が、大地を割ったように一斉に開いた。その道を、さながら恋物語の王子のように優美に歩いてくるサミュエル。すべてが事前に決められていた事のようだが、ヴィヴィアンは初耳である。混乱をどうにか内に秘めながら、さも知っていましたよ、という余裕の笑みを浮かべる。
そして、こいつは誰だ。
髪も目も顔も同じなのに別人であることを、ヴィヴィアンは確信していた。あの王太子は確かに恐ろしい程の美形だが、こんな男と一目でわかるような、雄々しさは持ち合わせていない。どちらかというと中性的だ。あの人物が男臭いというわけではないが、些か男性として確立され過ぎているのだ。
サミュエルもどきを待っている間、彼の先、玉座に視線を向ける。既に玉座に戻った王はさも当然という顔でこの茶番を見ていた。
「ヴィヴィアン嬢」
サミュエルもどきに声をかけられ、手を伸ばされる。ヴィヴィアンはゆっくりと手本のような淑女の一礼をして、その手のひらに自身の手を乗せた。
その手をぎゅっと握られて、ヴィヴィアンはこの人物が誰か理解した。
流れた曲は最初にふさわしいワルツだった。サミュエルよりも逞しい背に手を回して、少しはにかんで俯いて見せた。周りには、祝福されることに恥ずかしさを覚える16歳の令嬢に見えるように演出した。
「これはいったいどういう事なの――マクラウド将軍」
「……おや、まさか気づかれるとは」
マクラウド将軍は、サミュエルの顔をしたままにやりと笑った。
傍からは、恥ずかしさを覚える婚約者を安心させる笑みに見えているだろう。ヴィヴィアンは睨みつけたいのを必死に抑えながら、彼の目をみた。
「いったいどうして貴方なの。そしてその髪は、目は」
「すべて説明できない力のおかげですよ」
「ふざけないで」
「ふざけておりませんよ――なにせ、この変装は魔法なのです」
ヴィヴィアンをくるりと回しながら、マクラウドは淡淡と答えた。
まほう、魔法? 最近もそんな言葉を聞いたが、まさかそんな。
混乱して何も言えなくなったヴィヴィアンに、マクラウドは無理もありません、と続けた。
「私もこの身でかかるまで半信半疑でしたからね。実はもっと似た体格の別のものが影武者として魔法をかけられる予定だったのですよ? …しかし、私の髪と目が魔法の適性があったようでして」
マクラウドはまるで自嘲する様に笑った。それを見たヴィヴィアンはわざと彼の足の先を踏みつけた。
「痛ッ」
「哂わないで。貴方の価値は髪でも目でもない。貴方は王家の盾であり最強の矛でしょう。そんな貴方を哂う者はただの愚者です。だからあなたも自らを哂う愚行はやめる事ね。反吐が出るわ」
ヴィヴィアンは、使用人を同じ人だと思えなかったときもある。しかし、ヴィヴィアンはずっと平民のエムを信頼している様に、信ずるに足ると思った人物や賞賛に値すると思った人物への賛辞は惜しまない。ヴィヴィアンに取ってマクラウド将軍は敵ではあるが、彼の功績と献身は尊敬に値するものだと考えている。
彼の手にあるタコの数を、その端整な顔の裏の努力を、ヴィヴィアンはサッシェを貰った時に知っている。知っているから、今、顔の違う彼に気づけたのだ。
だから、彼は誰にも哂われるべきではないし、彼自身が哂う事を許せないと、ヴィヴィアンは強く主張するのである。
「10年たって、貴女は従順で傲慢なご令嬢になったのだと思ってました」
「は?」
「でもそうじゃない。貴女は孤高で唯一、ある意味高潔だ…素晴らしい、ヴィヴィアン嬢」
「……貴方、人に褒めるのが下手だと言われない?」
それに対する答えはもらえず、曖昧に笑われただけだった。嘲笑でも自嘲でもない笑みだったので、ヴィヴィアンは口を閉ざした。すると間もなく曲が終わり、ヴィヴィアンは偽物の王太子殿下とともに優雅に周囲に一礼をした。
若い二人を祝福する様に、周囲から割れんばかりの拍手が再び湧き起こる。
顔を上げて、にっこりと笑いながらも、ヴィヴィアンは少しだけ口を開いた。
「今回は貴方のその献身に免じて踊って差し上げたけど、私のこと馬鹿にし過ぎじゃありませんこと。陛下にお伝え頂ける?今度は本物のご子息と踊らせて頂けますかって」
喝采で周囲には声は聞こえていないだろう。マクラウドもその顔を優雅に微笑ませながら、全てはお伝えできませんが、と頷いた
サミュエルの一存でこんな馬鹿な真似が出来るわけがない。先ほどの国王の顔をみても、この件には確実に陛下――国王が関わっている。ヴィヴィアンが周囲を見渡すと、クロムウェル公爵は心なしか不快に眉をひそめていた。どうやら、クロムウェル公爵も殿下が偽物であることに気付いているらしい。
そして、偽物の殿下はあっという間に令嬢に囲まれ、ヴィヴィアンも同様に子息たちに囲まれた。
「もうしわけありませんが、緊張してしまって……少しだけ休憩させてくださいな」
ヴィヴィアンがしおらしく言えば、紳士な皆様は引き下がらざるを得ない。ヴィヴィアンはグラスを給仕からもらい、改めて周囲を見渡す。
殿下に群がる令嬢、壁の花になっている令嬢――彼女がいない。
「ヴィヴィアンさん、素晴らしいダンスでしたわね」
「コーネリアさん、彼女はどこへ?」
彼女の世辞に対しての謙遜も忘れ咄嗟に聞いてしまった。コーネリアはそれに対し顔を曇らせるどころか、よく聞いてくれましたと言わんばかりの得意げな顔になった。
「ヴィヴィアンさん、私と貴方の付き合いじゃありませんか」
「はい?」
「ですから、私あの子をこのホールから追い出してやりましたの」
ヴィヴィアンさんはいつも仰っていたでしょう、言わなくてもわかって頂けるでしょう、と。
ザーッと血の気が引いていくのがわかる。火照っていた体が一気に吹雪にでもあったようだ。
周囲の声や目など気にせず、ヴィヴィアンは四隅の大きな窓を開けた。アーチ状のバルコニーの先。今日は満月だから庭園がよく見える。
先ほどから流れ始めたワルツに合わせてくるくると踊る、二つの影。月光に照らされた花はストロベリーブロンド。
ああ、成ってしまった。
彼らは出会うべくして、出会ってしまった。
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