第二章:嵐の前静けさ
第二章:嵐の前の穏やかさ 01
親愛なるヴィヴィアン嬢
先日は我が邸宅に足を運んでいただいたにもかかわらず、お会いできなかったこと、大変申し訳なかった。
私としても愛する貴女に会いたかったのだが、将来の貴女の伴侶としてふさわしくあろうとする私が領主としての責務を放棄することを許さなかった。
とはいえ、貴女にはとても寂しい思いをさせてしまったことは変わりない。ささやかではあるが、わたしの心をあなたに贈ろうと思う。気に入ってくださることを切に願うばかりだ。
サミュエルから愛をこめて
* *
「殿下は、わたくしを何だと思っているのかしらね」
お詫びの手紙と共に添えられていたのは、エメラルドの耳飾りだった。小さな真珠がビーズの様に数珠状になり、タッセルとなって連なっている。
手紙を寄越し、宝石をあげれば帳消しにできると思っているところが、扱いやすい女とみられているようでヴィヴィアンとしては腹立たしい。
素直な感想を口から出せば、デボラもさすがに思うところがあるのか、神妙に頷いていた。
「まあ不幸中の幸いが、貰った耳飾りのセンスが良い事よ。これなら近々ある新緑祭にもつけていけるでしょう」
しまっておいて、と、ヴィヴィアンは手紙と共に届いた耳飾りを、デボラが差し出しているサルヴァーに戻した。
新緑祭。
年に一度、国王がホストとして国中の王侯貴族を招いて行われる、大規模な舞踏会だ。1か月開催されるそれは、王の権威と最大の社交の場として活用される。
首飾りと耳飾りが揃いの石なのも、その時に合わせやすいようにという事だろう。ないがしろにしてませんよ、という対外アピールのためだ。やはり、サミュエルはヴィヴィアンのことなど考えていない。
まあ、余計な金がかかることが一つ減ったと思うのがベストかしらね。
ヴィヴィアンは貰った耳飾りを極めて前向きにとらえることでささくれ立った心を慰めようとした。
新緑祭は貴族同士の自分の優位性を誇る場でもある。爵位を求める領主は勿論、子息子女もその誇りのため身を整えなければならない。
つまり、ドレスやらアクセサリーやら、とにかく金をかけられるところにかけまくらねばならないのだ。
去年のヴィヴィアンはむしろそれが趣味だったという事もあって、この新緑祭に向けて用意したドレスは20着、装飾は一通りそろったものを、3つは新調していた。
いつかのエムが言っていたように、これがいい、あれがいいという二言だけでだ。
今年のヴィヴィアンは、自分のドレスが相場の3倍はすること、装飾品は通常毎年購入しない事を既に知っている。
冗談ではなく、自分の見栄のための出費はルゥル地方の税収をすべて使ってしまいかねない額だったのだ。
とはいえ、筆頭公爵家の令嬢である以上、全く新調しないというわけにもいかず、ドレスは結局5着は新調することが決まっている。装飾品は、折角サミュエルからもらったものがあるので、あとはそれに合う髪飾りだけを用意することにした。
殿下からもらったものが素晴らしすぎて、他のものに目移りできなかったとでも言っておけば、彼の顔も立つからよいだろう、とヴィヴィアンは考えている。
何度も思うけど私って本当に馬鹿だわ。
ヴィヴィアンは、はぁ、とため息を吐いた。
デボラにはサミュエルからのぞんざいな扱いに憂う主人に見えたが、当の本人は過去の自分の愚かさと、自分の命を憂いていた。
なにせ、新緑祭は物語のヒロインがサミュエルと出会い愛を育む、物語の中心の舞台なのだ。
そして物語に沿うのであれば、新緑祭から1か月後、ヴィヴィアンはリリスの殺害未遂で王家に捕縛され、2年の月日を留置所で過したのち、処刑される。
たった1か月後のヴィヴィアンの行動が、生死を分けるのだ。
死にたくないわ。
ヴィヴィアンはそう思うと、また深い深いため息を1つ吐いた。
* *
新緑祭前の王侯貴族は己の誇示のための準備に忙しい。そして王侯貴族が忙しくなるとそれに付随するものも必然と忙しくなる。
ヴィヴィアンも例に漏れず、いつ終わるかわからない公爵家の見栄のために奔走していた。
今日だって仕立て屋に行き、新調するドレスの再調整をしたのだ。
なぜわざわざ足を運んだかというと、去年までのヴィヴィアンを知っている店主が、これでもかとドレスに装飾を施し、華美すぎるドレスのデザインを持ってきたからだ。値段が相場の5倍だった為さすがに拒否をした。
今日は、彼が勝手に暴走をして値段を釣り上げるような装飾をしないように、くぎを刺しに来たのだ。
そして、その帰りにサミュエルからもらったエメラルドに似合うような髪飾りやらを新調しようと、馴染みの宝飾店へ向かう。移動が馬車とはいえ、天候に恵まれて本当に良かった。
店に入ると、早速別室に通される。いわゆるVIPルームだ。ヴィヴィアンはいつも通りその部屋にはいろうとして、固まった。
ヴィヴィアンが来ることを知っていた店主は既に目ぼしい宝飾品を机に並べてくれていた。だが、その先に一等素晴らしい宝石が鎮座していたのだ。
宝石というか、華というか、新緑の大木というか。
ともかく、彼の人はヴィヴィアンと目が合うや否やすっと立ち上がった。
麗しい艶の赤茶を自然になでつけ、涼やかな目元にはエメラルドがちらりと光る。肩には、いつかと同じ白いマントがかかっていた。
「お久しぶりでございます、ヴィヴィアン嬢」
「貴方は随分と晴れに愛されているのですね、マクラウド将軍」
ティンダル王国一の婦女の憧れからの騎士の一礼に、耐性のないデボラは一気に顔を赤くした。何度も思うがこの子は顔の表情が豊かすぎる。使用人は向いてないのではないか。
「貴女に久方振りの晴れを与えることが出来たなら何よりです」
「わたくし、曇りの方が好きだわ」
その宝石にも劣らない顔をニコリと破顔させるマクラウドに、ヴィヴィアンは口元を扇で隠しで冷やかに対応した。遠まわしにお前とは会いたくなかったと伝えたのだ。
「ヴィヴィアン嬢の願いとあらば、曇りにも愛されてみましょう」
「そうやってどれだけのご婦人方を勘違いさせているのやら」
「わかりかねます。生憎、貴女様しか知らないので」
流れる様な嘘に、ヴィヴィアンは思わず閉口した。マクラウドは至って涼しい顔で、ヴィヴィアンを見つめている。
「ああ、女性との作法など丸きりわからないので、ヴィヴィアン嬢にうっかり立ち話をさせ過ぎてしまいました。……さあ、こちらへ」
気が利かない騎士で申し訳ございません、と本当に悪いと思っているような顔つきで、ソファーにエスコートされる。たった2、3歩の距離くらい介助なしで歩ける。差し出された手を無視して、ゆっくりと席に腰かけた。
デボラはどうしたらいいかわからず、居心地が悪そうに肩を丸めている。
マクラウドはデボラに椅子をすすめると、自分はヴィヴィアンの真正面に座った。
「貴方に貴族らしい言い方をすると、違う解釈をされてしまうようですので、素直にお話させて頂きますね。……なぜ、ここに、いらっしゃるの」
「これをあなたにお渡ししたくて」
マクラウドはヴィヴィアンのきつい睨みをものともせず、至極当たり前の手つきで包みを出すとその中から小さな袋を取り出した。
知っている香りがヴィヴィアンの鼻腔をくすぐる。
「殿下の庭園の……?」
「ええ。ヴィヴィアン嬢は大分お気に召していたようなので。お名前を呼ばせて頂く許可を貰ったお礼にと……受け取ってくださいますか?」
差し出されたのが綺麗な宝石だったら、貴方の意中の方に贈ればよろしいでしょう、と突っぱねることができたのに、とヴィヴィアンは思った。
このサッシェはあの庭園でのエピソードを知っているヴィヴィアンにしか価値のないプレゼントだ。ヴィヴィアンが受け取らなかったら、このサッシェは、このために摘まれたバラはどうなるのだろうか。
バラのサッシェを持つ男はいるのだろうか。少なくともヴィヴィアンは聞いたことも読んだこともない。
ヴィヴィアンの手のひらですら転がってしまう程の小さなサッシェ。その為に摘まれたバラ。
「今回は、このバラの命が勿体ないからです。……ご存知のように、私は殿下の婚約者、贈り物は今後一切不要ですわ」
ヴィヴィアンはそう言って、マクラウドの手の中から、小さなサッシェに手を伸ばした。そう、このために散った小さな命のためだ。
その小さな花を自分に重ねて憐憫を感じなかったといったら、嘘になってしまうが。
「ありがとうございます」
マクラウドは誰もが卒倒しそうなほどの眩しい笑顔でヴィヴィアンを見た。自分の後ろに控えているデボラは大丈夫だろうか、と、ヴィヴィアンの心のどこか冷静な部分がそんなことを思った。
「しかし、今日は扇に何もつけていないのですね……是非つけて頂けたらと思ったのですが」
マクラウドの目線が、手元に移る。先ほどとは違い、どこか冷たい視線に、ヴィヴィアンは少しだけびくりと震えた。
今日の扇子にはサッシェはつけて来なかった。あのサッシェは庭園から帰った後、エムに回収されたからだ。
「あれは、あの時だけつけていただけのものですの」
しかし、よくそんなもの見ていたものだ。あのサッシェは、ほとんどヴィヴィアンの手の中にあったのに。
「ああ、そうだったんですね――でしたら尚更もらっていただけてよかった」
マクラウドはそれだけ言うと、音もなくソファーから立ち上がる。不思議そうに見上げるヴィヴィアンに、先ほどの眩しい笑顔をみせて、もう屋敷に戻らないといけないので、と言った。それにしても、彼の笑顔を直視してしまったデボラは俯いていた。果たして、大丈夫だろうか。
「新緑祭も近いので、今日も実は執務だと言って抜け出してきたのです」
クロムウェル家で1週間の舞踏会をする時ですら、警備の配置やらで開幕する1か月前から騎士団が屋敷にたくさん出入りしていた。
王家の威信がかかった舞踏会。その警備をする彼がこの時期忙しくない訳がないのだ。
「そんな中、これをくださったんですか」
他意のない言葉だった。
マクラウドはそれに一度目を見張ると、先ほどとは違う、優しい笑みを浮かべた。
「貴女だからです」
彼はそれだけ言うと、騎士の一礼をヴィヴィアンとデボラにして、宝石店のVIPルームを後にした。
「マクラウド将軍とご結婚されるべきです、お嬢様」
「は?」
「宝石をやっとけばいいなんて人より、心をくれる方と結ばれるべきです」
「デボラ? 何言ってるの、貴女」
マクラウド将軍は私など愛していない。そして私もマクラウド将軍のことは好きじゃない。
それを伝えてもデボラは至極真面目な顔で、今のお嬢様でしたら私どこでもついていきます、と強い目で言うので、どうしたものかとヴィヴィアンは深いため息を吐いた。
ヴィヴィアンが頭を抱えていると、部屋にノックが響いた。失礼いたします、と、入ってきたのはこの店の店主だ。店主はいつもの好々爺の風体であったが、今日はさらに腰が低い。
ヴィヴィアンはいやな予感がした。
「私は決して口外いたしませぬので、ご安心くださいませ」
お前もか、店主。
ヴィヴィアンは頭を抱えながら、深いため息を吐くことしかできなかった。
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