02.異変は突然で……

 旦那さまは少し休憩されるとすぐにヴィオニフの森へ行きました。そこは妖精王さまが住まう場所で、領地に戻ってきたご挨拶をされるのだそうです。


 妖精王さまってどんな方なのでしょうか?

 まだお姿を見たことが無いのですが、妖精さんたちみたいにちっちゃ可愛いのでしょうね。王冠をかぶっているのかもです……おっと、想像しただけでも可愛さのあまりニヤけてしまいます。ぜひ妖精祭でお目にかかれますように。


 妖精さんたちはいつもお屋敷の中をふよふよと飛んでいます。彼らはお客様として居候して迎えられていらっしゃるのです。ちなみに領民たちはみんな彼らを見ることができます。力を貸してもらったり、お話したり、一緒に遊んだり、おやつを食べたりと、身近な存在なのです。


 こうしてお屋敷を掃除している時も、何気なく声をかけてくれるのでついついお喋りしてしまいます。


「旦那さまって本当に見目麗しくて絵画の中から出て来たようなお方よね!」

「ええ! 今年も妖精祭で正装なさる姿を見るのが楽しみだわ!」


 ――と、今は妖精さんたちよりも先輩方の方がお喋りに夢中になっています。皆さん頬を上気させており、さながら街中でアイドルに会ったかのような面持ちです。

 魔法で箒を動かしている先輩は頬に手を当ててうっとりとしています。昨年の妖精祭に出た旦那さまの姿を目に浮かべているようです。


 妖精祭は1年に1度開催される、妖精さんたちに日ごろの感謝の気持ちを表すお祭りです。記憶を失ってから初めてのお祭りなので、私も楽しみです。

 その日はみんな思い思いに妖精さんに変装して過ごすのです。旦那さまは昔の領主さまの格好をされるそうです。白を基調とした魔導士のローブ姿はそれはそれは絵になるようで、王国各地からその姿を見ようと人が集まり観光業が潤うそうですよ。旦那さま効果ですね。



 ◇



 夕日が山間に沈み出したころ、旦那さまを乗せた馬車が戻ってきました。みんなで馬車の前に並んで出てくるのを待っていますと、バンっと勢いよく扉が開いて満面の笑みを浮かべた旦那さまが現れました。なんだか機嫌が良さそうですねぇ、なんて思っていますと、他の使用人たちからざわめきが沸き上がりました。皆さん顔を見合わせています。


 正直なところ、私は記憶を失ってから初めて旦那さまにお会いしましたので通常を知らないのですが、皆さんの様子を見る限りですといつもとは違うようです。


「たっだいま~! わざわざ出てきてくれてありがとうね~」


 ひらひらと手を振って声をかけてくる旦那さまに誰も口をきけなくなってしまいました。なんとも軽快なノリです。昼間の厳粛なイメージはどこへ行ったのやら。いったいどうしてしまったのでしょうか?


 しかもメイドのお姉さま方に投げキッスしているんですけど。何人か倒れて運ばれ始めましたんですけど。


 あ、あれ?

 女性が苦手なんですよ……ね……?


――「頭を打ったんじゃ……」「討伐で追った傷が深くて変わられてしまったのでは」「おいたわしいわ」「私たち使用人に心配かけないよう振舞っているのかしら?」


 周りでは憶測の声が飛び交っています。人間たちとは違い、妖精さんたちは何やら楽しそうです。ふよふよと旦那さまの周りを飛んでクスクスと笑っています。


 旦那さまに続いてナタンさんが顔面蒼白で降りてきます。足元が覚束ず、今にも倒れてしまいそうです。推しメンの貴重なお姿……あ、いえ何でもありません。

 至高の老紳士ナタンさんが動揺しているところを、これまで見たことがありません。普段ですとたとえ泥棒が入ったとしても微笑みを崩さずに取り押さえるような余裕をお持ちのお方ですのに。


 ナタンさんは旦那さまと一緒にヴィオニフの森に行っていました。使用人一同は説明を求めるように彼を見つめましたが、立ち止まることなくあっという間に旦那さまの後を追ってお屋敷の中に入って行ってしまいました。


 置いていかれた私たちはポカンとして棒立ちになっていましたが、デボラさんがパンパンと大きく手を叩いて解散の合図を出したのでそれぞれ持ち場に戻りました。


「旦那さまってあんな一面もあったのね」

「なんだか別人のようだったわ」

「私はあの旦那さまも素敵だと思うわ!」


 調理場の作業に戻りシェフのお手伝いをしている間も使用人たちは口々に旦那さまのことを話しています。するとナタンさんの補佐をしている執事が現れて私に声をかけてきました。旦那さまが私を呼んでいるから連れてこいと、ナタンさんから言いつけられたのだとか。ザッと一斉に先輩たちの視線が集まってきました。大注目です。痛いほど視線が刺さってきます。気迫に呑まれて思わず手にしていたジャガイモを落としてしまいました。


「ええ?! なんで無魔力のユーリィに声がかかるのよ?!」


 無魔力とはこの世界での差別用語です。差別反対です。それに、魔法が使えないだけであって魔力は保有しているのですよ(強調)?


 この世界では魔法が使えないと立場がありません。本来なら働き口を探すのも苦労するのですが、私は幸いにも拾っていただけたのです。しかし皆さんのように魔法を使って仕事をすることができないので下っ端中の下っ端の仕事をするしかありません。つまり、皆さんの補佐です。


 そんな私が旦那さまに呼び出されたので、信じられない、と声が上がっているのです。呼び出されただけでこの状況なので、実は旦那さまに拾われてここに来ましただなんて言えませんね。皆さんの前ではデボラさんの遠い親戚ということになっているんです。


 それにしても突然の呼び出しだなんて……旦那さまの通行の妨げになった件のお咎めかもしれません。どんな罰を課せられるのでしょうか……怖いですがけじめをつけないといけませんよね。


 観念して執務室に行くと、扉の前にデボラさんがいました。私を見るなり、ひとまず落ち着くように、と言ってきました。オロオロとしているのが見透かされてしまったようです。スーレイロル伯爵家のメイドたるもの悠然と構えなくてはならない、と日ごろより教えていただいていましたのにこの体たらくではいけませんよね。


 デボラさんは使用人の中で一番長くこのお屋敷で働いており、お屋敷のこともスーレイロル家のことも隅々まで知り尽くしているスーパーメイドです。

 ちゃきちゃきしていて仕事のチェックは厳しいのですが休むべき時間はゆっくりと休ませてくださるし世話焼きで、部下想いで憧れの上司です。

 折に触れてローシェルト王国の季節ごとのお祭りや慣習を教えてくれたり、記念日は彼女のご家族と一緒に祝わせてくれるので、目が覚めてからも寂しい思いをしたことはありません。


 スーパーメイドのデボラさんが珍しく不安を滲ませています。ますます不安になってきましたが頷いて返すと、扉が開かれ中に連れていかれました。


 執務室に入ると、旦那さまとナタンさん、そして妖精さんたちが同時にこちらを向きました。何やらお話をしていたようです。椅子に深く腰掛け脚を組んでいる旦那さま風格があって数万倍も強そうです。

 旦那さまとメイド頭と執事頭が揃った室内。そうそうたる顔ぶれを目の前にして、思わずごくりと唾を飲んでしまいます。


『来た来た~』

『ユーリィ待ってたの』

 

「それじゃあ、揃ったところで取引開始といこうか」

「――取引、ですか?」


 思わず旦那さまの言葉を聞き返してしまったのですが、そうだよ、と旦那さまに返されてしまいました。昼間とは打って変わって輝かんばかりの笑顔で。コテン、と頭を傾けこちらの様子を窺うその仕草はなんだかあざといです。しかしその顔を見るとなぜか冷や汗がタラタラと流れてきました。本能が危険を察知したのか、思わず後ずさりしてしまいました。するとデボラさんがむんずと首根っこを掴んできたので逃げられません。ばたつかせた手は宙を掻いてしまいます。


 そのまま旦那さまの前に引きずり出されてしまいました。

 旦那さまが喉を鳴らして笑い出しました。


「ユーリィって面白いねぇ」

「お褒めにあずかり光栄です?」


「褒められてはないわよ」


 デボラさんに溜息をつかれてしまいました。


「いいや、良いね。暇つぶしになってくれそうだ」

「ひま……つぶし……?」


 取引に暇つぶし。お咎めがあるとばかり思っていたのに予想だにしない言葉が並んでいきます。それに旦那さまは愉しそうですが、デボラさんとナタンさんは神妙な顔つきです。


 旦那さまの笑顔を見ると冷や汗が止まりませんし――なんだかきな臭くなってきました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る