スーレイロル伯爵家のマナー・ハウスにて

柳葉うら

01.おかえりなさいませ、旦那さま

 麗らかな天気の昼下がり、暖かい陽気に包まれるスーレイロル伯爵のお屋敷マナーハウスの前に一台の馬車が停まります。金色の毛を輝かせる馬たちが大人しくなると、磨き上げられた漆黒の扉が開きました。


 その中から姿を現わしたのは、エルヴェ・スーレイロル伯爵。若くしてこの地を治める領主さまです。普段は宮廷魔導士としての仕事があるため王都にあるお屋敷タウンハウスで暮らしているのですが、今日からしばらくの間はこの街、ポネラに滞在されるのです。


 ちなみに独身で婚約者もいないため、王都では彼を巡ってご令嬢たちとの間で火花が散っているようです。


 初めてお目にかかる旦那さまは、かねてよりお伺いしていた通り眉目秀麗なお方で思わず感嘆を漏らしてしまいました。周りの先輩たちからもぞくぞくと聞こえてきます。溜息の嵐です。旦那さまが現れた瞬間は一挙一動がスローモーションになって目に映りました。イケメンさんは時を操れるのですね。


 スラリとした体躯で、馬車から出て陽の光を浴びると澄みきった空のような水色の瞳が美しい輝きを宿しました。涼やかな目元も相まって冷たい美しさを感じます。艶やかで絹のような黒髪は結わえて肩から流しており、彼の動きに合わせてサラリ、と揺れました。


 麗しい見目に気を取られていましたが、ふと視線を下ろせば、首から下げられた布で右腕が固定されており、痛々しそうです。脚を動かすのも辛そうに見えます。

 実は今回の滞在、療養のために戻られたのです。魔物討伐の際に大怪我をしたためにこちらで治療に専念するためです。


 このところは国内各地で凶暴な魔物が頻出しており、旦那さまは騎士団の方々と共に駆り出されて長い間帰ってこないこともあると聞いております。


 旦那さま、ゆっくり過ごして元気になってくださいね。使用人一同、この日のために準備に勤しんできましたのですから。


 馬車の前に並んで旦那さまの到着を待ちわびていた私たち使用人一同は、一斉に出迎えの言葉を述べました。旦那さまに声をかけていただいて顔を上げるや否や、街の教会の鐘がカランカランと鳴り響くのが聞こえてきました。すると、空から花のシャワーが降り注ぎ始め、雪のように舞い始めたのです。


 陽の光が鮮やかな色の花びらを透かしていて、なんとも幻想的です。


『エルヴェおかえり~!』

『お出迎えするの~』

『怪我は痛くない? 泣かない?』


 妖精さんたちが現れて旦那さまに話しかけています。旦那さまは口元を綻ばせて一言二言返しています。そのやりとりはおとぎ話の挿絵のようです。妖精さんたちは手のひらサイズの小さな子どものような見た目でと~っても愛らしいのです。プニプニのほっぺがチャームポイントで、彼らはこのお屋敷の大切なお客さまなのです。


 実はこのスーレイロル家、昔より妖精さんたちと深い繋がりがあります。


 その昔、領主さまが妖精王さまとある約束をしてからお互いを守り続けているのだそうです。

 毎年この季節に催される妖精祭では、領主さまと妖精王さまがお祭りの最終日に友好の証として一緒にこの地を守る結界を張りなおすそうなのです。そんな神秘的なしきたりを持つこの家の領主さまたちは”神秘の守り人”とも呼ばれています。妖精さんたちを守るためのもまた領主さまの務めなのです。


 このお花は、旦那さまの帰りを歓迎する妖精さんたちの魔法のようです。愛されてますねぇ。


 目の前に、1輪の蒼い花がゆっくりと下りてきました。手を伸ばしたら届きそうな距離です。右手を伸ばして一歩前に出ると、その花は掌の中に収まりました。ふわり、と良い香りがします。後で寮の部屋に飾りましょう、なんて考えていましたら、ふっと影が落ちてきました。落ちてきた方に顔を向ければ、なんと手にした蒼い花越しに旦那さまの水色の瞳が見えます。絶対零度の視線を、こちらに向けているのです。逆光の中でもその瞳は仄かな光を孕んでおり――凄みと美しさのあまり息をするのを忘れてしまいました。


 凍らされそうなその視線と交わると、降り注ぐ花びらの雨が、止まりそうなほどゆっくりと落ちていっているような、気がしました。


「も、申し訳ありませ――」


 謝罪を言い終えないうちに旦那さまはフイと視線を外してそのままお屋敷の方へと足を進めていきました。


 事前に耳に挟んではいましたが、いざ旦那さまにあの表情を向けられると、身体がすくんでしまいました。


 旦那さまはいささか女性が苦手らしいのです。

 話を聞く限りですとというよりもに分類されるかもしれません。なんせ、女性に触れられると拒絶反応が出て体調を崩されたり立てなくなってしまうそうでして……いつのまにか避けるようになったそうです。そのためお屋敷の女性使用人はメイド頭のデボラさん以外は旦那さまに近づかないようになっております。

 

 そんな旦那さまの前に飛び出してしまうだなんて、完全にやらかしてしまいました。後でデボラさんからお叱りを受けるでしょう。……もし、話しかけることができたらお伝えしたいことがあるのですが、先ほどの様子ですとそれも叶いそうにありませんね。

 私は――旦那さまにお礼を言いたいのです。こんなワケありの私を拾い、雇い続けてくださっている感謝を伝えたいのです。


 デボラさんから教えていただいたのですが、私は王都で路頭に迷っているところを旦那さまが拾ってくださったらしいのです。曖昧に言うのは、私自身にはその記憶が残っていないため実感がないからです。

 私は1年ほど前に突然、高熱に冒されてしまったようで、それ以前の記憶が残っていないのです。

 目が覚めたらデボラさんの家に居て、自分の身に何が起こっているのかわからなくて、ただただ混乱してしまいました。なんせ、その時の私にはのですから。


 私は、前世の記憶を持っているのです。

 この世界とは違い、魔法が無く妖精さんがいない世界で生きていた頃の記憶を。


 そのため始めは色々とキャパオーバーでしたが、つきっきりで看病してくれたデボラさんが1つ1つ話聞かせてくれたおかげで自分が置かれた状況を把握することができました。そんないきさつもあって、前世の記憶を持っていることは、旦那さまとデボラさん、そして執事頭のナタンさんには知られています。ありがたいことに彼らのおかげで私は身寄りがなくとも不自由なく生活を送ることができています。このご恩は返しきることができません。


 ただ、女性が苦手な旦那さまがどうして私を拾ってくださったのか不思議です。触れるどころか近づくのでさえ嫌がっているらしいですのに。よほど惨めな姿をしていたのでしょうか?


 なにはともあれ、旦那さまのご慈悲でたとえ魔法が使えなくとも働かせてもらえるのですから、この身は一生涯、旦那さまに捧げるつもりです。

 この世界は小さな子どもでも指を一振りすると物を浮かせられるほど魔法に溢れているのです。魔法が使えない人なんて数えるほどしかいないそうです。それも、たいていの人は生まれつき使えて、魔力が枯渇するほど無茶な使い方をしたり何かの呪いで使えなくなる人ばかりのようです。

 私の場合、魔力を保有しているけどそれを使うための何かが足りないそうです。記憶と一緒に忘れてしまったのでしょうか?


 治癒魔法を使えたら少しでも旦那さまのお役に立ててご恩に報いることができるのですが……魔法を使える人の中でもごく限られた者しか扱えない魔法なので私なんてもってのほかです。


「旦那さまのお役に立てなくて悲しいです。私は前世の業か何かで魔法が使えないんでしょうか?」


『ちがうよ~。ユーリィは頑張り屋さんだから女神さまが使えないようにしたの』

『そうそう。使えたらユーリィきっと無理するから』

『休息も仕事』

『ユーリィは前世も今も社畜だもん』

『社畜ダメ絶対』


 独り言ちて溜息をつけば妖精さんたちが宥めてくれます。彼ら、前世の私を知っているらしく、今では忙しくしていると社畜ダメ絶対、と言って休ませてくれるんです。

 なんと優しい世界……。こんなに甘やかしてもらっていいのでしょうか?


 今日は妖精さんたちが好きなメレンゲのお菓子をあげちゃいましょう。――あ、ダメです。私はチョロイのですぐにお菓子をあげたくなっちゃいますが、妖精さんたちが太ってきたのでお菓子をあげ過ぎないように、とデボラさんから注意されたところですのに……こんなに可愛いとついつい貢ぎたい欲が出てしまいます。


『ユーリィ辛そう』

『王さまに相談しよ』


 妖精さんたちはポンっと音をたてて消えてしまいました。消える前に何かお話していたようなのですが、デボラさんが呼ぶ声で上手く聞き取れませんでした。

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