07.はぐらかされた気がします

 時は満ちました。


 デボラさんと妖精さんたちに見守られながらレアチーズケーキを型から取り出し、お皿に載せてはちみつレモンをトッピングします。

 味見用に作ったケーキを食べてもらったところ、合格をいただいたので思わずガッツポーズしちゃいました。


 ナタンさんに選んでもらった紅茶もワゴンに乗せて、いざ出陣~!


 決戦の場所は旦那さまの執務室です。

 気ままな妖精王さまはたいていそこでお昼寝したり本を読んだりしています。


「妖精王さま、おやつの時間ですっ!」

「おう」

「旦那さまも休憩なさってくださいませ」

「返事が来ないのに声をかけるだなんて律義だな」


 妖精王さまに身体を乗っ取られても私たちのお話を聞いていると分かったので、旦那さまにも話しかけるようにしています。居るのに無視されるなんて辛いですもの。私ならいじけてしまいますよ。


「で、何か思い出せたか?」

「……うぐっ。これから思い出せるはずです」


 空色の瞳が不敵に光っています。


 今日も今日とて収穫ゼロなのです。記憶ってどうやったら取り戻せるのか知りたいです。昨晩は瞑想してみましたが全く何も起こりませんでした。記憶を思い出すよりも先に悟りの境地に至りそうでした。


 次は何を試してみようか考えあぐねてしまってるところです。


「さ、さあ、今日のおやつはレアチーズケーキです。レモンを載せているので爽やかな味ですよ!」

「ほー、いただくとしようかね」


 切り分けたケーキをお皿に載せて机の上に置くと、妖精王さまは嬉しそうに頬張ります。


「さっぱりしてていくらでも食べれそうだな!」

「でしょう? おかわりあるのでお申しつけくださいね」


 好感触です!

 これはもしや、返していただけるのでは?!


 そわそわとしちゃいそうなのを堪えて満面の笑みを貼りつけて見守っていると、妖精王さまはフッと微笑みました。


「ケーキ作るの、楽しかったか?」

「ええ、前世では忙しくてできなかったので、楽しんで作りましたそれに、意外と簡単でびっくりしました」

「お前さんはいつも仕事のことばかり考えていそうだったもんな」


 妖精王さまは手にしたフォークをこちらに向けてきます。人に向けるなんてお行儀悪いですよ。


「あちらの世界ではあくせくしていたがここに来てゆとりが持てたんじゃないか?」

「妖精王さま……わりとガッツリと私の社畜ぶりを観察なさっていたんですね」

「珍獣観察も面白いと思ってな」


 珍獣って。私はエリマキトカゲと同類ですか?

 

 確かに、この世界に来てからはゆとりを持った生活ができています。仕事が終われば好きな本を読んだり、同僚たちとお話したり、休日には散歩もしています。仕事以外のことを考えるようになって、自分の生活に目を向ける余裕があります。


 ――余裕……空イテイル時間……仕事ヲシナクテ、本当ニ大丈夫ナノ?

 

 なんなんでしょう。良いことのはずなのに、焦燥に似た何かが胸の奥で渦を巻き始めました。問いかけてくるんです。このままでいいのかって。


 ――仕事ヲシナイト誰ニモ必要トサレナイノニ。


「……くっ」


 脚から力が抜けて床に崩れてしまいました。


「どうした?! 大丈夫か?!」

「ゆとりを持ってしまった罪悪感に呑まれそうです。憧れていた丁寧な暮らしのはずなのに……!」


「おいおい、落ち着けよ……ゆとりを持つのは大事だぞ?」

「忙しくしないと自分の存在価値が危ぶまれるような気がするんです……!」


 押し寄せる不安に堪えきれずに床をバンバン叩いていると妖精王さまに手を取られてしまいました。旦那さまの身体で女性に触れるなんてまた勝手なことを!


「じっとしないとキスするぞ」


 しかもなんてことを平然と仰るのですか。

 相変わらず顔が近いですし。


 思わず顔の筋肉が痙攣してしまうのが自分でもわかりました。完全なるコンプライアンス違反です。乗っ取られている旦那さまに過失を作らせるわけにはいきません。

 旦那さまの右腕もまた勝手に触れるなと言わんばかりに動いて抗議しています。


 ここはご恩の返しどころです。

 込み上げてくる罪悪感を抑え、床を叩くのをグッと耐えました。


「お、おいおい。ちょっとは躊躇えよ。そんなに嫌か? 俺様ほどじゃないがなかなかの容姿だと思うぞ?」

「嫌です! イケメンだから良いっていうわけではないんですよ!」


 ピシッと旦那さまの右手が固まりました。


「お? エルヴェが大人しくなった?」

「旦那さまはきっとまだお疲れがとれていないんですよ。あまり怒らせないようにしてくださいね?」

「そうは言われても、エルヴェは神経質だからなぁ」


 まったく悪びれない妖精王さま。デボラさんが言っていたのですが、旦那さまと妖精王さまは正反対の性格のようです。そんなお2人が1つの身体の中にいるだなんて、なんだか大変そうですね。心の中が賑やかそうです。


 早く旦那さまに返してもらわないといけませんよね。


「妖精王さま、いかがでしたか?」

「美味いが決定打にはならないな。明日も期待するぞ」

「そんなぁ~っ!」


 美味しいって言ってるのに、それじゃダメなんですか?

 難易度が下がったと思っていましたのに……手強いです。 



 ◇



 お庭の掃除をしていると門番さんに頼まれたので、お屋敷に届いたお手紙をナタンさんに届けに行きました。このところ、ナタンさんは執務室に籠りがちです。妖精王さまが乗っ取ってしまってからはナタンさんが代わりに領地の仕事をこなしているのです。


 お手紙を持っていくと、ナタンさんはにっこりと笑ってありがとう、と言ってくれました。目元にくしゃっと皺ができるその笑顔を見るのが好きなので思わずつられてしまいます。


 書類に目を通しているナタンさんも素敵です。眼福……。呼び止めてくださった門番さんに感謝です。


「やれ、旦那さまがここに来てからお手紙が増えましたねぇ。ほとんどがご令嬢からですよ」


 チラと見てみると確かに送り主には女性の名前が書かれているものが多いです。どうやら全てお見舞いの手紙らしいです。


「カサンドル・ブランシュ様……このお名前、数日前にもお手紙の中に拝見したような気がします」


 ナタンさんはその名前を聞くと溜息を漏らしました。


 このブランシュ伯爵令嬢は、昔から旦那さまに想いを寄せているそうです。一途なのは良いことなのですが、同じく旦那さまに想いを寄せる他の令嬢たちを牽制するものですからトラブルが起きることもあるそうです。


 旦那さまが王都のアカデミーに在学していた頃が特に激しかったようで、旦那さまが注意したこともあったようです。


「旦那さまが奥方を娶ってくだされば落ち着くかと思うんだがねぇ」

「そうですねぇ。拒絶反応はどうにかならないのでしょうか?」


「――2人ほど、普通に接することができる女性がいたんだけどね。お2人とも遠い存在のようで」


 ナタンさんはどこか遠いところを見るような表情になりました。


 お2人の内、1人は幼馴染で、今は次期公爵の婚約者だそうです。随分長い間、旦那さまはその方のことを想っていたそうです。旦那さまは一途なんですね。

 もう一人はこの国に現れた聖女さまで、繰り返す魔物討伐で疲労のために倒れてしまったのだとか。今も眠ったままだそうです。旦那さまはとても気を落とされているようです。


 聖女様ですか……旦那さまと上手くいってくれたらと思いますが、その存在は国の宝とされます。当人同士が愛し合っていたとしても、果たして自由な婚姻が許されるかわかりません。


 なんともうまくいかない世界ですね。旦那さまが報われなくて悲しいです。


「素敵な方と出会えたらいいのですが……」

「そうだねぇ」


 ナタンさんは眉尻を下げて寂しそうに微笑みました。


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